前編
――――?――――
焼け焦げた家の屋根から朦々と登る黒い煙。
未だ燃え続ける炎はゆらゆらと揺れ動き、闇夜を怪しく照らす。
焼け落ちる建物がだった物がパチパチと弾ける音をだけ残し、辺り一帯は静寂により支
配されている……。
村人だったと思われる肉塊や消し炭が無作為に散乱、形状は様々だが、彼らが動く事は
まずもうないのだろう……。
「まーた、派手にやってくれちゃって……」
静寂を打ち破る一言。
「加減ってモノを知らないなぁー。」
その場に響く明るい声、発信源には人影がひとつ――。深緑色の外套、顔はフードにス
ッポリ覆われ、表情は読めない。散歩するような軽い足取りで進んでいく。
「それにしても魔力、濃いな……。少し胃もたれしそうだ……。魔術耐性が強い一族だっ
たんだっけ……? あたしには関係ないけど……」
誰に話すでも無く呟きながらあたりの様子を伺う、そして急にパタリと歩みを止める。
そのフードの奥の視線の先には横たわる一人の少年。
「ん?」
不意に視界に入ったソレ、頭から血を流しているがようだが僅かに胸が上下している。
「これはこれは……おーい、生きてるー? って聞こえるワケない、か……」
「……う……く……ぁ……」
絞り出すように口から出された、か細い声。青い瞳が見開き、視線が虚空を見上げる。
「誰か――……そこに……いる……の……?」
かすれる声で問いかける。
「えっ! キミは――……うんっ! いるよー」
少し驚いた気配がある人影。生存者が居た事に安堵している訳ではなさそうだ。
「早く――……ここから、逃げて……」
「あららら? ……キミはどうするのかな?」
「ボクは……大丈夫だから……あなた、だけでも……ここから、早く……逃げ――……」
そこまで言いかけ、少年の意識が途絶えたらしく、ピクリとも動かなくなった。
「……もっしもーし?」
返事はない。
「ふむ……助けを乞わないのには。ちょっとビックリした、かな……」
少年を見定めるようにじっと視線を落とす。
「人と話すのも……久しぶり、かな……キミに少しだけ興味が沸いたよ」
光の届かないフードの奥で見えるはずの無い表情。それが、ほんの少しだけ笑ったよう
な気がした……。
外套の中から少年に向け伸びる白い腕、手のひらをかざし、その先の空間に出現する不
思議な淡く白いい光。
手のひらが徐々に少年に近づき、光を中心に波紋のように空気が揺らぐ。手が触れた所
で光が少年へと移動し少しずつ光が広がり、ついには全身がすっぽりと包まれてしまう。
「……人に心配された事って、生まれて初めての体験なんだよね……。というワケでこれ
はあたしからの感謝の気持ちってことで、ありがたく受け取ってね」
徐々に光が強くなり、痛いくらいの真っ白な激しい光が辺りを包む……。
「……あ、れ――……?」
―― 見えるハズのない笑顔が凍りつく ――
光が徐々に弱くなり、やがて辺りが暗闇を取り戻す。ゆらゆらと揺れ、その場を照らし
ていた炎も根こそぎ掻き消されてしまっていた。
そこに残っていたのは――……顔色の良くなった少年と、小さな水晶だけ――。
外套の人影はそこにはもう居ない。
少し遅れて、空気が熱気を失った事に気付いたせいで、嵐のような風が吹き荒れる。
風が少し穏やかになるころには、村だった場所には、見る影もなくなった無残な町並み
と、廃墟を包む暗く冷たい静寂だけ――。
――――1――――
ゴッ!!
骨と骨がぶつかる鈍い音が響き、まぶたの裏で火花が散る。
「あがっ! ……あ……っつぅ……」
額から眉間あたりをおさえながら起きあがる。
タバコをくわえた半眼の女性が、拳を握り仁王立ちしながらこちらを睨みつけている。
白いフリフリのエプロン姿で――……。
「シアン……言っても無駄だと思うけど……もうちょっと優しく起こせない、かな?」
目に涙を浮かべ、恨めしそうな視線をシアンに向ける。
「なーにが優しくだ。起きないスグラが全部悪い」
高音でも無く低音でもない、気怠そうな中性的な声が淡々と続ける。簡単に束ねられた
黒い髪が振り返った拍子にフワリと舞う。
「早く起きないと遅刻するぞ……私の役目は果たしたからな!」
そう言い放つと部屋を出て行ってしまった。顔面の痛みも少しずつ引き始めていた。よ
うやく決心し、体を起こす事に全精力を注ぐ。
「よい……しょっと!」
かけ声とともにベッドから飛び起きる。
(――またあの夢だ……)
何度も何度も見る夢――。僕はいつも死にかけていて――。そこでの僕は途中で意識を
なくしても、夢の中物語は、当たり前のように進み……外套の人影が消え、そのまま終わ
る不思議な夢――。実際の記憶なのか、強い想像なのかは自分でも判断がつかない。
気が付くと、首飾りの水晶を強く握りしめていた。
「……そういや――……遅刻って……なんの話だろ?」
夢の話は考えても答えが出る訳はないので取りあえず放っておくとしよう……。
頭をクシャクシャっと掻き、寝室のドアノブに手をかけ、廊下へ出るとシアンが壁にも
たれかかり、タバコをふかしていた。
「やっと出てきたか……」
シアンが睨みつけながら呻く。
「そんな怖い顔しなくても……」
「失礼な奴だな……こんなプリティフェイスの、どこが、怖いと?」
「いや……その……えっと……――全体的に……」
ゴッ!
回転の遠心力が乗った綺麗な裏拳が眉間に炸裂――。再び目の前で火花が散る。
「うるさい! ……殴るぞ?」
「もうすでに……殴ってるじゃん……」
眉間のあたりを押さえて、精一杯言い返す。
「ほれ……シャキっとする! そんでとっとと歩く!!」
ゲシゲシと臀部を蹴られながら、台所へとゆらゆら向かう。
▼△▼△▼
「スグラ!!!」
台所に入ると共に浴びせられる声。肩まである栗色のくせっ毛が、振り返った勢いでひ
らりと揺れる。
朝食の準備でもしていたのだろう。エプロンをつけ、包丁を手にしている。もちろんエ
プロンはフリフリ。メガネを掛け、大きな黒い瞳が見開き、眉毛が見事なハの字になって
いるところから推論すると……アレは怒っているのだろう。
「今日は大事な聖殿祭の準備があるんだから『いつもより早く起きるように!』って前々
から言ってあったでしょう!?」
(いつも思うけど……子犬のキャンキャンと鳴く声に似てるよなぁ)
と、どーでもいいことを考えてみたり……うん。とりあえず包丁を下ろそう。
「せ、せいでん……さい?」
「そう! 聖殿祭! スグラは、今年守護者に選ばれたんだからシャキッとしなさい!」
ビシッとこちらを差す。真っ直ぐ包丁を構えたままで、目測およそ鼻先三センチ。願い
が届かない事を改めて身を持って体験しつつ、目の前にある凶器を左手でゆっくりと目の
前から下に逸らしながらながら呻く……。
「あー……そういえば……そんな話が……」
聖殿祭は、このラフラ村で昔から続いている一番規模の大きなお祭りの事だ。
祭り後の一年間の村の豊作と無病息災を願うのが主な目的とされている。
村の風習で毎年【巫女】と【守護者】を定め【巫女】は祠と呼ばれる林の奥にある場所
に一年間、毎日同じ時間に祈りを捧げる。
簡単に言うと【巫女】と【守護者】の世代交代をを大袈裟に祝う祭りだ。村の掟として
【巫女は守護者以外の人間とは会ってはいけない】
というものが存在し、もし掟が破られた場合、村に災厄が訪れる――。というものだ。
以上の事から、巫女役の少女は掟の性質上、一年間自由を奪われる。
巫女を無事やり終えた娘には、手厚い施しと生涯決して消えることのない栄誉を受ける事
が出来るんだとか……。
「守護者は村長の家に集まるんだったっけ?」
「そう! 思い出したのなら、すぐに行きなさいよ」
「あ……僕の、朝ご飯、は?」
「時間ないんだろ? お前の代わりに私が食べておいてやるよ」
ニヤニヤと笑みを浮かべながらシアンが答える。
「だそうよ。きちんと朝食が食べたいならもっと早起きする事ね」
「……へーい……」
もはや言い返す気力もなく……テーブルに置いてあった手のひらに収まるほどの、申し
訳ないほどの大きさのパンをミルクで流し込み玄関へと向かう。
ドンドンドン!!
目前に迫ったドアが、壊されんばかりの勢いで叩かれている。
「おーい! スグラー! 起きてっか!?」
野太い声が家中に大音量で響き渡る。
「あ……コアードさんか。今出ますよー」
玄関のドアを破壊される前に速やかに開け、声の主を玄関に招き入れる。
「おっす! スグラ! ちゃんと起きてたか?」
「ええ、何とか……今さっき、起きたところです」
「そっかそっか。……偉いな!」
筋骨隆々の無精ひげのおっさんが豪快に笑う。
「おはようございますコアードさん。わざわざスグラを迎えに来てくれたんですか?」
台所からパタパタと、キュレが駆け寄ってくる。
「おっす! キュレ! まぁそんなとこだな。スグラは寝坊助だからな! 責任者として
キッチリ連れて行かねぇとな!」
わざわざすいませんと言ってるキュレを、ガハハっと笑い飛ばす大男。
コアードさんは守護者の統括をしてる人で、今年までは自身も守護者として巫女の護衛
をしていたが、年齢と後輩の育成に回る事を理由に引退。という事らしい。
(まだまだ現役行けるでしょ……)
などとぼんやり考えていると、視線があった。
「んじゃスグラ! ……行くか!」
「へ……?」
素早く繰り出される右手、何の反応も出来ないまま首根っこをガッチリ掴まれる。その
まま猫のように引きずられ、家のドアをくぐり抜ける……。
あまりの状況に固まったまま、遠ざかる家の玄関の方を眺めていると……。
いつの間に玄関まで来ていたのか、豪快なアクビをしながらこちらをめんどくさそうに
眺めているシアンと、未だに包丁を握りしめているキュレが笑顔で手を振っていた……。
▼△▼△▼
ズルズルズルズルズル――……。
石段の上を引きずられながら村長の家へと進む。お昼前の時間帯という事もあり結構な
量の人が歩いていたりもする。通り過ぎる人々が皆、否が応にもコアードと、引きずられ
ているスグラに視線がそそがれる事態が発生していた。
「おはようさん!」
「おはようございます。コアードさん、スグラちゃんも。クスクス……」
別に何も気にするでもなく、普段通り当たり前のようにコアードは道行く人に挨拶を交
わし歩いていく。
誰もがこの状況に慣れてしまっているのか、口を出す者は居ないようだ。
いい加減この状況にも耐えきれなくなり……。
「あのー……こ、コアードさん?」
「なんだぁ? スグラ」
「そろそろ引っぱるの、やめてくれません? 僕、自分で歩けますし……」
「ん? あぁ! そうだな。すまんすまん」
ドサッ
「ぐえっ」
思いの外あっさりと拘束は解かれ、一瞬の浮遊感を味わう間もなく尻から落ちる。
(今日は、朝からこんなのばっかり……)
コアードの手を借りながら立ち上がり、尻をパンパンと叩く。そして並んで歩き出す。
「あぁそうだ……コアードさん、村長の家に行ってやる事って何なんですか? それに守
護者は巫女守る! って言われてますけど具体的にどんなことをするのかサッパリ……」
今まで考えていた素朴な疑問をぶつけてみる。
「そうだなぁ……」
髭を触りながら、『うーん』と小さく唸ってからゆっくりと言葉を続ける。
「まず、村長の家に行く目的なんだが……【守護者】と【巫女】の顔合わせというのが一
番の目的だ。基本的には【巫女】役の娘は今日誰か公けに分かる日って感じかな。
毎年この時期に集まってる。
そして、【守護者】の仕事だが……まぁ今言っても二度手間になるし、祠で何ををして
生活するかってーのは、村長から詳しい説明があるだろうよ」
「説明ねぇ……今、その説明をコアードさんから聞いちゃうのはダメなんですか?」
「ダメな事も無いんだけどな……やっぱダメだ。スグラ」
「え? なんでです?」
純粋に問いかけると、コアードはやれやれと肩をすくめる。大袈裟なアクションをして
からゆっくりとスグラの目を見ながら話し始める。
「何というか、不公平さを感じてしまうからだな。仮に他のヤツはその場で初めて聞く話
なのに、お前は俺から聞いていて話の内容を初めから知っている。
別に悪い事じゃないと思うが、こうやって機会を設けてあるんだ。わざわざ早く聞く理
由もあるまいよ。
アドバンテージになる訳ではないと思うが、ハンデを付けてるみたいで個人的にそうい
うのが嫌いなんだよ」
「そんなもんなんですかね……何というか……頑固だなぁ……」
「ガハハッ! まぁそういう事だ。別に絶対教えないって言ってる訳じゃない。もうちょ
っとだけ楽しみに待っておく方がお得感あるぞ!」
腕をグルグル回しながら笑顔で言い放つ。
「へーい……あ? あれは……」
村一番の大通りに出た所で見知った顔を見かけた。向こうもこっちに気付いたらしい。
オールバックで切れ長の目が特徴的な、背の高い小綺麗な男性が手を振りながら近づい
てくる。
「おはようございます。ゴニアさん」
「おはよう。スグラ君」
ゴニアさんはこの村と隣のリアン街で商売をしている商人。
村で唯一の商店を一人で切り盛りしている。この人のおかげで村の生計が成り立たせてい
ると言っても過言ではない。
村で収穫した作物や郷土品などの売りつけを全て任されている。
さまざまな商品を取りそろえている為、大抵のものは揃うという便利な店の店主だ。
「朝が非常に弱いスグラ君が、この時間に出歩いているのは珍しいですね……明日は雪か
雷でも降るんでしょうか?」
「い~や! きっと槍が降るね!」
開口一番冗談を飛ばし、それに便乗しながら立派な髭をさすりニヤニヤするコアード。
「…………」
(僕って普段……どういう風に思われてるのだろう……)
「はっはっは、冗談ですよ」
口は笑っているがゴニアの目は本気のように見える。
(やっぱり、ゴニアさんはちょっと苦手だ……)
カラカラと乾いた笑顔を顔面に貼り付け、その場の空気を上手く逃れようとする。ど
こまでが本気で冗談かわからない不敵な笑顔が話を続ける。
「今日はお祭りの準備の日ですからね……これから村長の家に向かうところですか?」
いきなりの正解。どこかからそんな話を聞いていたのだろうか?
「……そうなんです。よくわかりましたね」
家での会話を盗聴でもされてないだろうな……。
「そりゃあれだスグラ……ゴニアは守護者の【選定人】だぜ? 知ってるのは当然」
「…………」
しばし思考が止まった。
言われてみれば当たり前だが守護者を選ぶ【選定人】なら知っていて当然だ……。
盗聴とか疑ってごめんなさいゴニアさん……。
「驚きすぎですよ。スグラ君。盗聴でもされてると思いました? ふふふ」
「心の声を読まないでください! 頼みますから……」
そしてまたも笑われる。
守護者や巫女を選ぶ【選定人】という人達がこのラフラの村には三人ほど存在している
という話だ。
一人は村長、それ以外は公けには誰という発表はされては居ないが村に貢献した人が毎
年選ばれているという噂だ。
村長の右腕として働く事が多い為、村の中での地位は高いと言えるだろう役職である。
当然村長に近しい事もあり、村での発言力も強いような気もするがあまり公けにする人
も多くは無いようで謎の多い役職とも言える。
「一応スポンサーも兼ねてますからね。役得って所でしょう。でもまぁ、村長とコアード
さんも合意していますし、スグラ君を守護者に推したのは私だけではないですよ」
「……も?」
再び絶句……。
「え? ……って事はコアードさんも、選定人の一人だったんですか?」
「そうだが……言ってなかったけか? てっきり知ってるもんだと思っとったわ」
「当たり前のように、初耳です」
こういう人が過去にも多かったのかもしれない、やはり謎が多い……。
「まぁ……選定人に参加してるのは今年からだからな。知らなくても当然だ」
「そうですねー。守護者を引退されたとはいえまだまだ働いてもらわないと。後輩守護者
の手助けにとお願いした……という訳、ですよ」
ゴニアが続ける。
「まぁコアードさん以外の適任者はいない、他を考えるだけ無駄でしょう」
鼻をポリポリと掻くコアード。
「なるほど……」
「あっ……私のつまらない雑談で二人共引き止めてしまいましたね。申し訳ありません。
……そろそろ村長の所に向かったほうが、よろしいのでは?」
明らかに何か企んでるような声色……悪い笑顔で提案してくるゴニア。
「……まずい……こ、この展開はっ……!」
一呼吸も置かずスグラの腰の辺りに丸太のような太い腕が絡みつく。
あっという間に、肩の上に米俵の様に担ぎ上げられる形になり……。
「おしっ! 村長のところまで、ひとっ走りするからな!
しっかり落とされないようにしがみついてろよ。スグラ!!」
「ちょ、まっ……コアードさん……ぼ、僕走れま……しがみつくって……どこっ?」
「んじゃな! ゴニア! また後で!!」
当然、スグラの意見など耳に入る訳もなく……。
「ははは、また後で」
堪えようともせず口を大きく開き笑っている。本当に楽しんでるように見えるゴニア。
「おふっ! おぶぶぶっ……かはっ!」
スグラの奇声と共に急加速するコアード。
弾み、激しく揺れ動く視界の中でもう遠くに居るゴニアが腹を抱えて笑っているのが見
えた気がした……。
石畳が激流のように通り過ぎていく。
人一人抱えてる事を忘さってしまっているかのごとく、恐ろしい速度で公道を突き進む
コアード。スピードが落ちるどころか、ギアが上がるかように徐々に、徐々に速度が上昇
しているように思えた。
村の広場に飛び出す。
聖殿祭の準備の為か、至る所に花や装飾品が飾られている、祭り用のオブジェなのか木
彫りの精巧に彫り込まれた巫女を模した肖像のような物が立ち並んでいる。
大人から子供まで様々な人が、急ピッチで祭りの準備を進めているようで、広場には祭
りの為にさまざまな人が点在していた。
だが、そんな事はお構いなしに突進するコアード。
近付く事を躊躇うほどの狂喜すら感じる速さで走り抜ける。
仮に人とぶつかった場合、激突した相手が無傷で居られるはずが無く、タダでは済まな
い事が予想されるが……体躯に似合わぬ機敏さで、器用に人を避けて進む。
悲鳴の一つでも上がりそうなものだが、街の人も慣れているのだろう。激走する大男の
通行の邪魔にならない用に、道の端に避難している人がほとんどだった。
圧倒的な速度と激しい上下運動も重なり、意識が少しずつ遠くなる事を感じていた。
「も……――ちょっ……むり……っく……ぐ……うっ……」
スグラから発せられる声にならない悲鳴。時間にしては2、三分の間の出来事。
そんな短い時間だが、意識を刈り取るには十分過ぎる時間だった。
不意に激流が穏やかになった気がした――。
▼△▼△▼
ペチペチッ……。
頬を叩かれる感覚……。
「……――ぃ! ……――ラくーん」
遠くから女の人の声が聞こえる。
ムニムニ……今度は頬をつねられるような感触……。
「……スグラくーん! 起きてくださーい! 起きないと顔に私がファンシーなラクガキ
しちゃいますよー? いいんですかー?」
ぐいぐいっと限界まで引き伸ばされる頬。
「んー 起きませんよ? もぉーコアードさん! 一体、スグラ君に何をしたんですか?
……って何してるんです?」
「クニルどいてろ! コイツはそんな生半可な事じゃ起きねぇヤツなんだよ!」
危険、危険、キケン――。
ここは危険だと自らの本能が発する警告を、受けたような気がした。
その直後、大きく振りかぶりスグラに向けて放たれるコアードの拳。
グシャゴキィ―!!
何かの折れる音が響き渡り、パラパラと砂埃が舞う。
巻き上がるベッドの破片や埃で視界が遮られ、スグラの姿は確認出来ない。
「うぁー……スグラくーん……生きて、る?」
……返事が返ってくる事は絶望的と思えるほどの静寂。
「もぉ! やりすぎです!」
手をブンブンと上下に降り、抗議の声をあげる女の子。
「そうか? でも……起きたみたいだぞ?」
あまり気にもしない様子のコアードが、おもむろに壁の方を指さす。
「え?」
示された方向に視線を向けると、肩で息をしている蒼白な顔色のスグラの姿があった。
「コアードさん……ホント、勘弁してください……」
冷や汗まみれの泣きそうな顔で呻く。
「大丈夫だって! 加減したから怪我なんかしねーよ!」
「…………」
「…………」
無言の二人……。視線の先には真ん中から真っ二つに折れ曲がり、悲惨な姿のベットが
ひとつ。……先ほどまでスグラが眠っていた場所でもある。
「説得力がないです……。ってここどこ? 部屋みたいですけど……それに……」
目の前に立つ一人の女の子。艶のある背中まで伸びた、ややウェーブのかかった黒髪。
透き通るような白い肌。大きく輝く瞳。可愛さと美しさの中間の両方を兼ね備える不思
議な雰囲気を持つ少女がいた。
――で……その子がコアードに食ってかかる訳だが……。
「……度が過ぎます! コアードさん! スグラ君が目を覚まさなかったら大怪我してた
所ですよ!」
「いいじゃねーか。……コイツが起きないとクニルも困るだろ?」
「まぁ……――それはそうなんですけど……」
複雑な表情をしたまま顔を伏せる。
「そっか……僕は運ばれてる途中で……じゃあ、はここは……」
頭の中をフル回転させ整理している段階で、無意識に口から言葉が零れていた。
「……お? スグラがようやく起きたみたいじゃの……」
部屋の奥から、白髪の老人がゆっくりとした足取りで現れた。
「スグラは起きたようだの……。ところで……何故、客人用のベットが……派手に壊れと
るんじゃろうな?」
「……ヒュー……ヒュー……」
あさっての方向に目線を向け、下手くそな口笛を吹くコアード。
その様子をスグラとクニルがじっと眺める。
「まぁ、ええわ……。コアード! 後でキチンと弁償してもらうからの」
「げっ! ばれてたのか……」
「当たり前じゃろが! こんなこと出きるのはお前さんくらいじゃ!! この筋肉バカが
っ! ふぅ……まったく、いくつになってもコアードはコアードじゃな。
子供のころからなんも変わっとらん……。オホン!! まぁそれは置いておくとして。
そろそろ本題の説明を始めても、よいかの?」
「…………」
「…………」
無言をYesと捉えたのか村長が話しを始める。
「それでは祭りの説明を始めるぞい」
なごやかな空気が少し変わった気がした。
先ほどまでの騒がしい雰囲気は消え、各々が村長を見つめる。
「まず今年の巫女はクニル、そして守護者はスグラ一人じゃ。毎年守護者はコアードと村
の者二人と決まっておったのじゃが……。
今年はコアードが守護者を辞めてしまうからのぉスグラに一人でやってもらうぞ」
首を大きく縦に振り頷くコアード。
「サポートはきちんとやってやるからよ! 心配しなくていいぜ!!」
「はぁ……わ、わかりました」(不安でいっぱいだ……)
「次に【聖殿祭】の内容についてじゃが、基本的やる事は【行進】【引き継ぎ】【祈祷】
じゃな。
まずは祠の前から入り口を通り、祭壇上まで進む。そこで【祭殿具】を受け取る儀式を
行う……スグラはただクニルと歩調を合わせて歩くだけでよいぞ。
まぁ【守護具】はつけてもらうがの」
「【守護具】?」
聞いたことのない単語に思わず言葉が出た。
「聖殿祭での守護者用の装備だ。結構でかいし重いぞ」
「へー」
「……話を進めてよいかの?」
「あ……どうぞ」
「ダラダラ話してもすぐに忘れるじゃろうから簡潔に言うぞ。先ほども言ったが巫女と守
護者がが聖殿祭で大まかにやることは……
【祠の入り口から祭壇までの中央通路を通る。】
【祭壇で前任の巫女から祭殿具を受け取る。】
【祭壇に居る巫女を中心に皆で祈祷をする。】
じゃな。聖殿祭の内容、お前さん二人がやることはこんなもんじゃ」
「よかった……。思ってたより、簡単そうだ……」
隣で黙って話を聞いていたクニルが安堵のため息をもらす。表情も真剣な顔つきから穏
やかなものに変わっていた。
「……って言ってもお祭りのクライマックスだからね。失敗しないようにやらないと!」
両手で小さく拳を握り、気合を入れるクニル。
(真面目そうな子だなぁ……)
そんな様子をボーっと眺めていると目が合った。
「う……」
顔色がみるみる赤くなるクニル、すぐに目を逸らされてしまう。
「さて、本番は明後日、今日は顔合わせ以外は特に用事は無いので帰っていいぞ。
明日は巫女と守護者の衣装の採寸やらがあるからの、今日と同じくらいの時間に遅れず
に来るようにの……。
あとこの部屋は自由に使えるように開放しておくから、あとはコアードにでも聞いてく
れ。ワシは祭りの準備があるからこの辺で失礼するぞ。」
村長はそそくさと部屋を出て行ってしまった。
「……だそうだ。なんか、質問あるか?」
「私は特にないです。スグラ君は?」
「……そういえば聖殿祭が終わった後の、僕等って、何をするんですか?」
疑問に思っていたことをぶつけてみる。
「祭りが終わったあとは巫女は祠の中【祈祷の間】に待機だな……。掟を守る為、巫女は
村とは切り離す必要がある。
祠の中には生活するためのスペースがあるから、そこで生活してもらう。
日々やることは一日三回祭壇で祈祷。もちろん守護者以外の人と会ってはいかん。
基本は小屋の中での生活になるだろうよ。
守護者は……そうだな、分かりやすく言うとボディーガード兼、お世話係って所だ」
「僕も、いろいろやること、ありそうですね……」
「ああ! 巫女も大変だが、守護者も大変だぞ!」
ガハハっと豪快に笑うコアード。
「よし! じゃあ今日はここまでだ! 俺は準備を手伝って来るから、スグラはクニルを
家まで送って行くこと! いいな、頼んだぞ!」
「はい! わかりました」
「じゃあ今日は解散! また明日な!」
豪快にドアを閉めて出て行ってしまった。
▼△▼△▼
「思ってたよりも簡単かもねー」
両手を上げ、大きく伸びをするクニル。
日が傾きオレンジ色の空の元、村長の家からの帰り道を二人並んで歩く。
「そう? ボクは結構……大変そうだと思うけどなぁ……」
「心配性だなー。スグラ君は……。お姉さんに任せておきなって!」
「……クニルさんって……歳いくつ?」
「あー! レディに歳を聞くのはタブーだって、誰かに教わらなかった?」
「あはは、すいません……」
初対面だというのに昔からの友人のように話しかけるクニルに、最初は遠慮がちだった
スグラも徐々に言葉が柔らかくなる。
「でもねー……。お姉さんもちょっと不安だったりしたわけさ。なんたって巫女さんだか
らね。それに守護者クンが凄く怖い人だったらどうしよう……とかいろいろ悩んだりもし
たんだよ? まぁそれに関しては……悩むだけもったいな感じだったんだけどねー」
並んで歩くクニルはニコニコとずっと微笑んでいる。
「あはは……ボクも正直、ホっとしてます」
(キュレに言われるまで祭の事忘れてたのは黙っておこう……)
「ねぇねぇ、スグラ君の家ってフラカさんの所でいいんだよね?」
「そうですよ。と言ってもフラカ……師匠は旅行中で今は不在ですけどね」
「そっか。有名人だから一度見てみたかったんだけどなー……残念だ」
――魔神フラカ――。
シュリング王国の魔術師。
王国軍を率いて当時十倍以上戦力差のあった、ベネフ帝国との戦争を、その圧倒的な力
を持って強引に終わらせたと言われている。
戦場にも関わらず見た目は軽装、鎧などの武具は一切付けず、長い髪を振り乱しながら
力を揮ったとされている。
その姿を見た者は、見た目とは裏腹に強大すぎる魔術、戦慄するほどの力の前に、息を
する事さえも忘れてしまうほど……。
――出会ってしまって魅入られると身体が鉄のように動く事を諦めてしまうなど……。
身体の自由が奪われそのまま絶命してしまう、という噂が溢れていた。
敵国の兵士たちから畏怖の意味を込め、魔王――。死神――。とも呼称されており、瞬
く間に『魔神フラカ』の名前が世の中に知れ渡った。
歴代の名のある魔術師の中でも、魔力――殲滅力は特に群を抜く、単体の実力で言えば
歴代最強の呼び声が高いほどの……生きる伝説とも言える魔術師――。
どういう経緯でシュリング王国の魔術師になったか、何故シュリング王国に訪れたかな
どの詳しい情報の一切は不明とされている――。
王族直属の魔術師となってからは数々の逸話を残し、一つの時代を築いた稀代の魔術師
として世に知られている――。
そんな生ける魔神が国同士の争いの舞台から忽然と姿を消した――。
「伝説の魔神さんだもんなぁ……。ねぇねぇ……フラカさんってどんな人?」
目をキラキラさせながら聞いてくるクニル。
「実際すごい人ですよ。魔術に関してだけ言えば……ね。
ただ、家に居る時はただの女好きのグータラ親父です。いっつもキュレのお尻触って怒ら
れてるし……最近は
『楽しそうなので、――観光してくる!!!』
って世界中を飛び回ってますよ。今もどこかで綺麗な女性でも追っかけてるんじゃない
ですかね?」
やれやれ……と疲れたようにため息を吐き肩をすくめる。
「……い、イメージと全然違う。私の中ではもっと厳しい人かと思ってたよ……。
まぁ変った人だとは思ってたからそこは当たり? ……なのかな。」
太陽の光のせいでオレンジになった石畳の道を二人が歩く。クニルの歩調に合わせるよ
うに、少し歩調をゆっくり目で歩く――。
辺りの様子を見回すと、仕事をしていた男達が本腰を入れて祭りの準備に入ったようだ
った。村中に活気が溢出ていた。祭りが始まる前だというのに酒盛りをする男達もいる。
「そういえば……素朴な疑問なんだけど……何で王宮の魔術師をやめちゃったのかな?
スグラ君は何か理由知ってる?」
「んー、やめちゃった詳しい理由は、今でも教えてくれないんですよ。ただ酔っ払った時
に話してたのは『もう飽きた!』って言ってました、ね……」
「…………」
「…………」
二人の間に沈黙が流れる。
「……やっぱり……――変わってる、かもね……」
帰り道はコアードに担がれて来た道をそのまま引き返している。クニルの家の位置は正
確には知らないが、道的にはこっちで正しいらしい。
「そういえば……クニルさんと会うのは今日が初めてですよね? 何で僕の名前を知って
いたんですか? 事前に聞かされてたとか……?」
「んふふー。それはねー……あっ! あれ! 見えてきたよ。私の家!」
「えっ?」
クニルの指差す方向には、見知った建物が一軒。
「あの……ここ、ゴニアさんのお店なんですけど……?」
「あれっ? スグラ君知らないの? ここはお店でもあるけど、普通に生活出来る建屋も
しっかりあるんだよ? ゴニアも私もここで寝泊まりしてるし……」
「えーと……そういう事ではなくてですね……」
考え込み腕を組む。歩く事を止めてしまったスグラを横目に、クニルはかろやかに弾む
ような足取りでゴニアの店へと向う。
スグラが足を止めてしまったのに気付いたようで、くるりと向きを変える。
「ん? どーしたのスグラ君? あー……なるほど! そういう事か……なんか話が噛み
あわないと思ってたら、ゴニアの奴、私の事をスグラ君に伝えてなかったのか……」
ポカーンとしてるスグラとは逆に、うんうんと納得した様子で頷く。
「ゴニアは私の兄なんだよ。スグラ君はゴニアとは知り合いだしと仲が良かったみたいだ
から、てっきりわたしの事も聞いてると思ってたんだよ。そういうことか……。
だから最初に会った時反応が薄かったんだねー。なんか納得……。
ちなみにスグラ君の事はいろいろとゴニアから聞いてるよ」
「なるほど……そういう事だったんですね……。今朝ゴニアさんに会った時、あれだけ笑
っていたのはこういう事か……あれ? でも変ですよ。
ここに住んでて今まで一度も会った事がないなんて……。
結構お店には顔出しているつもりだったんだけどな。……いや、まさかゴニアさんが意
図的に……?」
いろいろ思考を巡らせていると意外とあっさりと答えが返ってきた。
「んー……スグラ君にわたしの事伝えてなかったのはゴニアの企みかもしれないけど、会
わせなかったのは違うと思うなー。だってわたしがここでお世話になってるのは三日前か
らだし……。知らないのも無理はないと思う」
「そうだったんだ……。なんか納得。って三日前って!
……それでいきなり巫女になっちゃうんですか?」
「村に巫女になれる女の人が居ないって言ってたよ。スグラ君のところのお姉さん達とか
にも声を掛けたらいんだけど『用事があるから無理』ってバッサリだったとか……」
「あはは……なんだか申し訳ない……」
「そういう事もあって、ゴニアの親戚である私に白羽の矢が立ったみたい。」
「……そういう経緯があったんですね……」
「さて! 謎も解けたし! スッキリした感じで我が家にもとうちゃーく! ってね」
クニルの手により、勢いよく店のドアが開かれた。
「たっだいまー!」
陽気な声が店の中に響くが返事が返ってくることはなかった。
「あ、そういえば、ゴニア祭りの手伝いに行くって言ってたなー。まだ帰ってきてないの
みたいだね。スグラ君! 今日は送ってくれてありがとう。
たくさんお話出来て楽しかった。明日も同じくらいの時間に村長の家集合だから、遅れな
いように! いいね?」
人差し指をびしっと立て、腰に手を当てるポーズを決める笑顔のクニル。
「はい! 明日はコアードさんのお世話にならないようにします!」
「よろしい! ちゃんと自分で起きるんだよ? じゃあまた明日ねー」
「また、明日」
店の前で大きく手を振るクニルに軽く挨拶をし、朝コアードに強制的に引きずり回され
た道を自分の足で家へ……。
紫色がかってきた空の元、スグラは家へと延びる帰り道をゆっくり歩く。
▼△▼△▼
「ただい……まー……」
ぐぎゅるーと気の抜けた腹の音が家の中でむなしく響く。
やる気のないその音で、朝に食べたパンのサイズを思い出し、今日はそれしか自分の胃
に入れていない事を思い出した。人間とは意識するとダメになる生き物である……。
気にしないうちであれば平気だった事も、いざ気が付いてしまうと我慢が出来なくなる
という事は珍しくない。
――つまり……。
「お……おなかすい、た……」
糸が切れた操り人形のように、スグラはその場にへたり込んでしまう。
このままここに居たとしても辛くなるだけで、何も解決にもならないのでどうにか移動
を試みるが……。
「あ、あはは……た、立てないや……」
乾いた笑いを出す事しか出来ず、移動するのを諦めた。
もうどうでもいいと開き直り、玄関付近の床に大の字で仰向けになった。そのまま家の
天井をボーっと眺め、今日一日の事を思い出していた。
村長の家で会った不思議な雰囲気の美しい少女、無言で佇んで居れば清楚な印象で絵画
のモデルにでもなれそうな風貌である。
見た目はおとなしそうではあるが、会話中は明るく気さくな性格である事もわかった。
だが、あのゴニアの妹という事実が重くのしかかる。
残念ながら普通の感覚の人ではないような気がしてならない。
(油断してはいけない気がするなぁ……。でも可愛かったな……)
「……何してんだ? お前……」
天上を見上げていたスグラが首だけを動かし視線を動かすと、腕を組んでままで仁王立
ちのシアンが見えた。
朝に見かけたエプロンはもうしていない。紺色のジーンズに薄い紫のシャツというラフ
な格好だった。
相変わらずの半眼。倒れている為どうしても見上げる形になってしまう。
その為、いつも以上に目つきが凶悪に見えた。
「し……シアンお姉さま……! お願いがございます」
「うぇ……気持ち悪っ……お前……変なもんでも食ったのか?
はぁ……何だ? 言ってみろ……。聞くだけは聞いてやるよ」
「お腹がすいて動けないので、テーブルまで、僕を運んでもらえないでしょうか……って
うおっ! あぶなっ!」
喋っている途中のスグラの顔面に、狙い澄ました踵で踏み抜くように突き落とす。
「なっ、何するんだよ! ……うわっ! 危ないってば!」
「うるさい! お前がおぞましく気持ち悪いこと言ってるから、だっ!」
何故か顔を赤らめながら、全力で頭を踏み抜こうとするシアンに対し、その全ての攻撃
をを首だけで絶妙に避けるスグラ。
「ふ、ふふん。……そんな甘い蹴りじゃ……僕には当たらな……へぶし!」
ゴガッ!! と嫌な音が響く。
「あ……――死んだか?」
シアンの踵が綺麗にスグラの鼻っ柱にヒットした。結果鼻血を豪快に吹き出しながらピ
クピクと大の字にダウンしてしまった。
「……ったく、しょうがねーな……。まったく、手のかかるヤツだ……」
目を覚まそうとしないスグラの姿を、膝を折りまじまじと見下ろす。
「ハァ……。今回だけだからな……」
誰に聞こえるでもなく独り言をこぼすと、ぶっきらぼうにスグラの右手を掴み、そのま
ま廊下を引きずり始める。
「……重いな。昔はもっと軽くて……。……はぁ、何やってんだか……」
愚痴をこぼしながらも、途中で歩みを止める事も無く、薄明りの廊下を先へ先へと進ん
でいく……。
▼△▼△▼
「――という訳なんだ。……そんな訳でアタシは全っ然、これっぽっちも全く悪くないん
だよ! わかった? キュレ?」
「ハァ……。シアンが全然悪くないって訳では無いと思うけど……まぁスグラが悪いのは
分かったわ」
「そうそう……そういう事。誤解が解けて良かった。キュレ、怒ると怖いから……」
「シアンさーん? 何か……――言った?」
「な、何でもないよ……」
引きずられてきたスグラを見て、驚愕したキュレに理由も聞かずに怒られそうになった
所を、慌ててシアンが玄関での一部始終を話した。
話を聞く前は眉間にしわを寄せていたキュレだったが、聞き終わると大きなため息と共
に表情を緩めている。
「さて……と……。スグラも帰ってきたことだし、支度をすませまようかな。シアンはス
グラを起こしといてね」
そう言うとキュレは、キッチンの方へと引っ込んでしまった。
「はいよー。さて……これ……どうしよっかな」
仰向けになって鼻血を出している愚弟を眺めながら考え込む。
「あー……とりあえず……このままだとすごく、ヒドイなぁ……」
そう言うとスタスタと歩いて居間を出て行ってしまった。
ひとりとり残されるスグラ。キッチンから、シチューのほのかなよい香りが漂う――。
時間にして数十秒、再びシアンが現れ、スグラの前に屈みこむ。
「まったく……お前はしょうがないやつだ……なっ! っと」
寝ているスグラの頭を膝の上に乗せ膝枕をする形になり、頭の真上から覗きこむ。
右手に握られているティッシュをスグラの鼻にぐりぐりっと押しつける。
「うっ……ふっ……ふがふが……っ!!」
助けを求めるように、何かを掴もうと両手を天上に掲げるスグラの攻撃を難なくいなし
ながら、シアンは気にする様子もなく鼻を攻め続ける。
「うりうりーっと……。ん……こんなもんかな? よしよしっ、綺麗になった!」
そう言い終わるとシアンはその場で立ち上がった。
ゴンッ!!
当然膝枕されていたスグラの後頭部は、枕を失ったため床に自由落下する。
「……あ、あたたたたた……」
「スグラー。キュレが晩御飯の支度してるから、料理を運ぶぐらい手伝えー」
「んー……腑に落ちない事が沢山あるけど、……わかったよ……」
お腹が空いている今の状態が、現状一番の問題である事に変わり無いので優先順位に従
って、食事をとる事を優先し立ち上がる。
「あ……そうだ、スグラ――」
先に部屋を出ようとしていたシアンが、振り返らずにつぶやく。
「ん? 何?」
「さっきは……悪かったな。ちょっと……やりすぎた」
「……まー、いつもの事でしょ? あんなの、……気にしてないよ」
ゆっくりとシアンが振り向く。なにが嬉しいのかわからないが笑顔だった。
「あはは! スグラは優しいなー」
スタスタと早足で近寄り、スグラの頭をバシバシと叩く。
「……たんこぶ、痛いんだけど……」
そんなやり取りをしながら、リビングへと向かう二人。
▼△▼△▼
パン! っと両手のひらを胸の前で合わせるスグラ。
「ご馳走さま!! いつもだけど、キュレの料理はすごく美味しいね」
「はいは、お粗末様でした。うふふ……ありがとね」
いつもの夕食の風景。椅子が四脚あるが、今使っているのは三脚のみ。
「そういえば守護者になったら、ご飯ってどうするんだったっけ? スグラは何か聞いて
ない?」
フォークを左手でくるくるっと回しながらシアンが訪ねる。
「特になにも……どうするんだろ? 僕が作る事になるのかな? その辺は明日ちょっと
聞いてみるよ」
「あ、それなら心配しなくていいわ。【エント・ラビット】がその辺りのフォローはして
いるのよ。私も何回か配達に行った事あるし。確かシアンのバイト先も配達やってるんじ
ゃない?」
「あー……そういえば【とうがらし】も、そんな事やってたなぁ。
んじゃアタシが配達、持って行くようにするかなー。スグラはずっと帰ってこないから
つまんないし……」
エント・ラビットはキュレのバイト先のレストラン。とうがらしはシアンのバイト先の
パブだ。レストランもパブも村に一つしかないので村人からは重宝されている。
そのおかげか二人の顔は、村中の人々知られていたりもする。
「そっか。それなら食べ物の心配はしなくていいんだ。ちょっと安心した」
「さて……っと……」
パン! っとキュレが手を合わせる。
「二人とも、食器片付けちゃうからキッチンに運んでおいてね。わたしはお風呂の準備し
てくるから……」
「へーい」
「スグラこの後、ちょっと付き合え。腹ごなしの運動をしよう。」
「えっ……。あー鍛錬に付き合えって事ね……。いいよ。ボクも今日の分やってなかった
し、それに……『シアンの相手はどんどんやれ』って師匠にもずーっと言っわれてたから
ね。ただ……」
「ん? ただ?」
「手加減は、してよね!」
「アンタの心がけ次第……かな? よしっ! とりあえず片付けをしておこう。キュレに
ボコボコにされるのはお互いイヤだろ?」
楽しそうな笑みを浮かべるシアンと共に食器をキッチンへと運ぶ。
家の外に出た二人――
あたりはもう暗く、夜空の星と月の光だけがその場を照らしていた。
「……いっちょ、始めますか、ねっ!」
腕を伸ばし準備運動をしながら、シアンが楽しそうに声をあげる。
(……スグラは魔術が使えない――。フラカ曰く……。
『コイツの場合は特別すぎて普通だと逆に危険なんだよ。』だ、そうだ)
「さてスグラ……アンタには手加減すんなって、フラカに言われてるんだよ……割と本気
で行かせて貰うよっと!」
ゴッ――!
掲げた右手から人の頭ほどの大きさの薄紅色の火炎が放り投げられる。
「ちょっ――……!」
何かを言いかけたスグラに火炎の球が、弾丸の如き速度で突き刺さる。球体が破裂、そ
の場で爆発音が轟く――……ハズだった――。
「相変わらずデタラメな能力だよな……あー、何か……腹立って来たわ」
腰に手を当て、ため息混じりに言い放つシアン。その目は凶悪な笑みを浮かべている。
「……――っ!」
先ほど放たれた薄紅色の火球は……スグラの掲げた左手に掴まれ強制的に動きを封じら
れていた。
掴んでいる火球が少しずつ少しずつ萎んでいく……。最後には炎も消えてしまう。
「シアン! いきなりは危ないよっ!」
「うるせー。どうせ食らわない癖に、文句言ってんじゃ……ねーよ!」
スグラの普通の魔術を使えない理由……。それはあらゆる魔術に対し無力化出来る不思
議な力にあった。
「それでも、当たったら結構痛いんだよ!」
左の手のひらをさすりながら文句を言う。
「ははは、火傷すらしてない癖に、……よく言うよ……」
スグラの左手に触れた事によってかき消されたシアンの魔術。
口では本気だと言っていたシアンだったが、初弾は様子見の為に火球自体のの威力を抑
えて目で放ったつもりだった。
だが……いくら威力は抑えたとはいえ、まったく効かない事に対し納得出来るはずもな
い……。
(さて、あいつに私の魔術で……どうすればダメージを与えられる?
魔術ではまったく効果がないのか?
いや……そんな力がある訳がない。そんなの……デタラメ過ぎる……。
今のは様子見だったけど、一発だった……。あれでダメって事なら威力を上げても一発
では結果は変らない……。
一発ではダメ……? じゃあ……何発も撃ち込めば……あるいは……――)
頭の中で思考を巡らせ、ひとつの作戦に行き着く……いつものように半眼のシアンだっ
たが……口元がみるみる歪み、凶悪な表情へと変化していく。
「あのー……シアンさん? 何か、危ない事考えてない……?」
「うっさい。アンタも真面目にやらないと……ケガするよ」
右手を夜空に掲げ何かを唱えるシアン。
「――重ねよ。――捻れよ。――踊れよ。――舞えよ……。」
イメージと魔術を練る。目を閉じながらの詠唱で集中力を高める。
ボッ――……ボボボッ――……
シアンの頭上に、先ほどの火球が八つほど浮かび上がる。
手のひらを中心に放埓に火球が動き回る。時にぶつかりときに火花を上げる。
炎により浮かび上がったシアンの顔は心の底から楽しそうに見えた。
「こんなもんかな……避けられるもんなら……見せてみろよっ――!」
右腕をスグラに向けるとそれぞれ八発の薄紅の弾丸が螺旋を描きながら襲いかかる。
「…ちょっ! ま、マジかよぉぉぉぉぉぉっ!!」
回避――、行動――、その場に留まると危険。考えるより先に体は動いていた。
身体を投げ出して真っ直ぐ飛来していた一撃目を躱し、地面を抉りながら襲い掛かって
くる二撃目も軽く触れ空中へ弾き飛ばす。
螺旋を描きながら近づいてくる三撃目、四撃目はどちらも強引に掴み取り、胸の前で消
滅させる。
「はっ! 甘めぇよっ!」
シアンが大きく腕を振り下ろすと、空中から四発の火球が弧を描きながら矢継早に襲い
掛かって来る。
右手、左手と順番に弾くが、弾くだけではシアンの制御が切れない為、一端離れてから
再度加速し再び襲い掛かってくる。
「くぅ……キリが……無い……」
それならば……と、高速で飛来する火球を腕を振り渾身の力を持って撃ち落とし、地面
へと叩きつける。
パァン! ドッ! バシュゥゥ……
掴める火球は掴み、叩き落とせる火球は地面へ叩きつけて行った。
そうして行くうちに、シアンが制御出来ている火球が残り一発となる。
「はぁっ……はぁっ、あと……ひとつ……」
息が上がり、身体中汗だくだ。
「はは、さすがスグラ。なかなかやるじゃん。……そうだな……この火球の一撃、避けら
れたら……お前の勝ちにしてやるよ」
「……ほ、ホント?」
「ああ、ただし……――」
シアンが左指をパチンと鳴らす。
ッ――ゴァァァッ――!!!!
「埋めた火球、まだ生きてるけどな! 避けてみろよ!」
「うぁぁぁぁぁぁっ!!」
「これも、おまけだ」
腕を振り、頭上に浮かべていた最後の火球を真っ直ぐスグラへと突き進める。
ドゴォゴガァン――!!!
二度目の爆発で辺り一面に勢いよく砂煙が舞う中。身動きが取れない相手へト
ドメの一撃をと意思を込められた火球が襲い掛かる――。
「ぐぅっ……!」
最後の一発がスグラの下腹部に突き刺さり爆裂する。
ゴバッ――!
発光、さらに、より大量に舞い上がる土煙により、シアンの視界は完全に奪われる。
「ケホッ……ケホッ……ちょっとやりすぎた……かな?」
薄明りの中、舞い上がって視界を奪っていた土煙が徐々に晴れる――。
「うう……ホント手加減しないよね……。シアンって……」
「な――ッ!」
ぷにっ。
意識の外、背後から声を掛けられた。思わず振り返ったシアンの頬に指が触れる。
「はぁっ……ボクの勝ち……かな」
「はぁ……そうだな。今回はアタシの――」
口元がニヤリと歪む。
「やっぱり勝ちだな……!」
「うわぁっ……ぐっ、へぶごっ!」
頬を突っついていた腕を一瞬で掴まれ、背負い投げで地面に叩きつけられるスグラ。
「詰めが甘い。あいかわらずだね……アンタはケンカで一度もアタシに勝ったことないっ
て事……忘れてたの?」
「あはは……参りました」
「ならOKだ。理解の早い子は、おねーさん大好きだよ」
手でパンパンとホコリをはたくシアン。その表情には先ほどの凶悪さは無く、穏やかな
微笑みを浮かべている。
「さて……と今日はこんなもんかなー。そろそろ終わるか」
スグラに手を差し出すシアン。その手を両手で掴みみ勢い良く立ち上がるスグラ。体中
土埃まみれである。
「ケホッ……ありがと。あ、シアン。
ボクは師匠から出されてる課題があるから……もう少しやってくよ」
「そうかい。んじゃ風呂はアタシが先に入らせてもらうよ。……覗くなよ?」
「……バレた時の命の保証がないので、遠慮させて頂きます……」
「チキン野郎だなー。まぁ覗くなら、ぶっ飛ばすけど」
「んー。僕はどうしたらいいんだろ?」
スグラの困った顔を見れるのが嬉しいのか、シアンがケタケタと笑う。
「んじゃまたよろしく頼むよ。あ……それと――」
家に戻ろうと足を進めていたシアンが、首だけを動かしスグラを視線を向ける。
「今度は本気出してくれよ。お前……まだ何か隠してるだろ? まぁ……アタシが相手じ
ゃ、やりづらいのはわかるけどなー。スグラは優しいから……」
「う……。あはは……。やっぱ分かるもんなの?」
「あ た り ま え だ。お前の姉貴、何年やってると思ってんだ? なめんなよ?」
「あはは……敵わないなぁ……努力します……」
シアンは再び視線を戻すと、『風邪引くなよー』とだけ言い残し家に引っ込んだ。
「ふぅっ……よし……サクサクっとやっちゃいますかね――」
一呼吸した後に、その場に座り込むスグラ。そして夜は更けてゆく――。
▼△▼△▼
次の日の朝、スグラはすんなり起きる事が出来た。昨日の疲れのせいかぐっすり寝てしま
ったため……夢も見なかった。
いつもの癖で、首から下げている水晶を握りしめる。
「……あっつ――!!」
水晶を握りこんだ瞬間、熱せられた鉄に触れたような感覚に襲われた――。力任せに水
晶から手を離す。右の掌に火傷が無い事を確認。
……恐る恐る再び水晶に触れてみるが今度は熱くも何ともない。
「……気のせい、のハズ、ないんだけどなぁ……」
もう一度右の掌を眺める。もちろん火傷の跡などは無い、ただ先ほどのイヤな思いだけ
が頭に残る。
「……疲れてるのかな……? それとも誰かのイタズラ……とか?」
強制的に覚醒された頭を、フル回転させ考えるが、特に何も浮かばない。例え誰かのイ
タズラだとしたら……それはシアンが怪しいが、こんな悪趣味な事を姉は絶対しない。
その上、こんな事は魔術でも出来るとは思えない……。
「まぁ考えてもしょうがない、かな……」
ぶつぶつと独り言をつぶやき、腑に落ちない感じで着替え始めるスグラ。なんとなく昨
日あった事を思い出しながら、まだオレンジ色をした空を眺める。
「ああ……そういえば最近は朝の鍛錬やってなかったな……」
自主的にやっている朝の鍛錬。まだフラカが家に居た時に、毎日必ずやっておけと言わ
れていた夜の鍛錬とは違い、たまに行う程度の自主練である。
「まだ時間に余裕があるみたいだし、久々にやるかな……」
着替えを終わらせ、部屋を出る。まだ早朝の家の外へと向かう――。
少し時間が経過した後の家の廊下。
「さて……と、……今日はどんな手で起こしてやろうかなぁ?」
シアンはスグラの部屋へと続く廊下で、悪い笑みを浮かべながら歩いている。
「叩くだけのも飽きてきたなぁ……水ぶっかけるのも良いけど、寝具濡らすと私がキュレ
に殺られる可能性の方が高いし……うーむ……」
あごに手を当て真剣にスグラを起こす方法を考える。
「ダメだ……いい案が浮かばねぇ……むぅ……ちゅーでも……してみっか……?」
何気なく口にした行為を頭の中で想像してみた。
「いやいやいやいやいやいやいや――……!」
一人で顔を赤らめバタバタと焦り始めるシアン。
「……何かおもしろ方法をだな……――んあ?」
なんとなく窓の外に視線を向けると、被害者予定だったスグラが座り込んでゴソゴソと
何かをやっている。
向こう向きに座っているため具体的に何をしているかはこちらからは確認出来ない。
「スグラ? ……あいつ、……こんな時間に、何やってんだ?」
▼△▼△▼
首から下げている水晶を左手で握りしめ、右手はその辺に落ちていた親指ほどの大きさ
の小石をつまんでいる。
小石を掌に握り直し、目を閉じて集中力を高める為に深呼吸をひとつ。
小石を握りつぶす勢いで少しずつ、徐々に両腕に力を込める。それと同調させるように
一緒にさらに集中力を高めていく。
(イメージ、イメージっと……)
掴んでいる両手、左手から右手へと熱、力、光が、腕、体を通って流れるイメージを頭
に浮かべ、その両腕に降ろし、編むようにイメージを重ねる。
軽く握っている左手の水晶に青い光が灯る。それに呼応するかのごとく右手の指の隙間
から同じ色の、淡い光が指の隙間から溢れだす。
右手の光は徐々に強くなっていく、数秒ほどした後、一瞬目も眩むような強い光を放つ
と徐々に光は弱まり、ついには右手から溢れていた光は消えてしまう。
「ふぅ……こんなもんかな」
額には、じんわりと汗がにじんでいる。
右手をゆっくり開いていく、鈍色をしていた小石はそこにはもう存在せず、代わりに半
透明の紺碧の石が存在していた。
「うん、上出来、上出来」
昇りかけの太陽に石をかざすと弱い光が石を透過する事を確認……すると――。
「あらっ――?」
突然手から石が消える。いや、奪われた。
「へぇー……綺麗なもんだな……」
先ほどのスグラと同じように太陽に石をかざすシアン。
「乱暴だなぁ……。見せてって言ってくれれば、すぐに渡すのに……まぁ別にいいんだけ
どさ……でさ、シアン――。どこから見てたの?」
「割と始めの方からじゃないかな? 光ってたのは見えたぞ? しかし、まぁ……魔術が
使えないアンタにこんな特技があったとはねぇ……」
「……あんまり……驚いてないね」
「まさか! 相当驚いてるよ」
いつもと変わらない半目の無表情で告げる。
「…………」
(表情が微妙にしか変わらないから、感情読み取り辛いんだよなぁ……僕から見ても十分
美人なんだから、もっと愛想よく笑ったりしたらモテるのに……)
ゴスッ! っとグーで殴られるスグラ。
「うん、お前……何か……余計な事を考えてるな?」
「訂正……やっぱシアンはシアンだよねぇ……」
鼻を押さえながら呻く。
「まぁそれはいいとして……だ。さっきのは、何が起こったんだ? 手品か? 魔術か?
それとも…魔法か?」
眉間にしわを寄せて睨むシアン。
「んー……。何て言ったら良いんだろう? ……多分一番近いのは魔法、かも……」
「あ?」
睨みがキツくなり、眉間のしわもいつもの二倍になる。
「師匠が言ってたのは『お前の一族の血は特別なんだよ……。特殊な種族だって事。一般
の魔術師……オレでも、そんな事はやりたいと思っても出来ないよ』って言ってた」
「ほー……フラカは知ってたんだ」
眉間のしわがすこしだけ緩む。
「あとは……『お前がやっているその行為は、魔力を取りだす、別のモンに移すって行為
な。それは、魔術師にとって最上位に相性が悪い。つまり天敵だ。
下手すると命狙われるぞ、スグラ。
だからこの事は秘密にしとけ、シアンやキュレにも言うのは無し』ってさ」
「おいっ! ってことは今、アンタはその約束破った事になってるの分かってんのか?」
「実は、そうなんだけど……ダメって訳でもないんだよ。シアンやキュレに僕の特性の事
を話しちゃダメな理由って別にあって……」
「……――というと?」
「『オレがアイツ等にいちいち説明するのが面倒くさいから』……だってさ」
「……――はぁぁぁっ……」
心の底からの深いため息をつくシアン。
「……フラカらしい……。あー……なんか、真面目に考えて損した……」
声のトーンも下がりあきれ果てた上で肩を落とす。
「そういう事。ちなみに夜の鍛錬でも同じ事やってるよ。そんな事やってる時点でいつか
はバレるでしょ?
その時は『スグラから上手く言っとけ』ってさ。まぁ、師匠との約束はこんな感じ」
「んで……その能力を知っててフラカは、鍛錬をする事に反対とかしなかったのか? 魔
術師の天敵に成りえる力なんだろ?」
「しなかった……、というよりむしろ逆。『その力はお前しか扱えない力、言うなれば個
性だ。鍛錬は欠かさずやれよ。ガンガンやって上手く制御出来るようになれ!!』って言
われちゃったよ」
「スグラにしか扱えない力か……なるほどねぇ……まぁ、だいたいの状況は掴めたよ。ス
グラに法玉を作る力があるとはねぇ…」
「ホウギョク? って、何さ? それの名前だったりするの?」
「アンタねぇ……はぁ……。法玉ってのはね……魔鉱石とも呼ばれている代物だよ。文字
通り魔力を持った鉱石って事。普通は天然のモノしか存在しなくて、人口で作る事は出来
るには出来るんだけど、大掛かりな装置が必要なんだとさ。市場にもあまり出回る事は少
ないし、結構なレア物だから買うと高いんだぞ?」
「へぇー。知らなかった」
「……――待てよ……そうだ! ……――いい事思いついた……!」
ニヤリとシアンの口が歪む。
「スグラ。その鍛錬にアタシも付き合ってやるよ」
「え? ……何でシアンが?」
「アンタ体術だとか、体使う系の鍛錬はサボってばっかだろ? 昨日はたまたま相手して
やったけどさ……。それをアタシが見てやるって言ってんだ」
「う……それはいいけど、僕がこの鍛錬……【錬石】をしてる時はどうすんのさ?」
「その時はアタシ一人で魔術の鍛錬やってるから、ほっといていいよ」
「なるほど……いいかも……あっ! でも……」
「でも?」
「守護者やってる時って、勝手に祠の外に出ちゃっていいのかな?」
「うーん……というか……祠の半分は村民は普通に入って良かったはずだから大丈夫だと
思うぞ。
それに人に会っちゃマズイのは巫女だけだろ?」
「半分? まぁそうなんだけど……今日準備ある時に聞いてみておくよ」
「ま、聞いておくのが一番確実だな。アタシが毎朝祠に行く感じだな」
「それは……ありがたいかも……」
「よし! その辺も決まった事だし、飯にしようぜ。陽も上がって大分良い時間になって
きたし、そろそろキュレが起きて、何か作ってくれてる時間だろ」
「そうだね。今日は空腹で倒れる訳にはいかないし……」
「あははっ! 確かに」
そんな話をしていると――。
「二人ともー!!」
よく通る声を出しながら、こっちに向かって大きく手を振るキュレの姿が見えた。
「あ……」
「噂をすれば……ってやつか」
シアンが手を振り歩き始めたので、スグラもつられて手を振り家へと戻る。
錬石によって生み出された法玉はシアンの手に握られたまま――
十分後食卓にて――
「へー綺麗なものね。実際に法玉見るのは初めてかも……」
キュレが物珍しそうに石を覗きこむ。朝の食事を取り終えた三人の視線がキュレの手の
中に集まる。石は太陽の光を浴び、弱々しい青い光がテーブル上の影の中心に灯る。
「実際珍しいものだしな。この町では見る事はないかもね。あーでも……ゴニアならもし
かしたら持ってるかもしれないな。いろいろ使い道はあるし……」
ボーっと石を眺めたままシアンが片肘をついたままの姿勢でつぶやく。
「この石の……ホウギョク? だっけ……の使い道って何さ?」
同じような格好でボーっと石を眺めていたスグラが口を開く。
「そうだなぁ……」
腕を組み直し質問に答えるシアン。
「法玉の使い道で一番利用されているのは……――爆弾……かな?」
「いっ! ……ば、ばばば……爆弾? それって本当? 今まで爆発した事なんて一度も
ないんだけど……とにかく、キュレ! それ危ないからボクに渡して!」
予想外の事実に驚いたスグラはキュレの手の中にある法玉を奪い取ろうとするが……。
ひょい――
「あれっ? ……――ちょっと……キュレ、さん?」
奪い取ろうとしたキュレの手にあっさりと躱されてしまった。
「大丈夫よ。法玉を爆弾として使う為には石自体にもの凄く強い衝撃を与える必要がある
の。人が触ったり落としたりするくらいじゃ爆発しないわよ。
普通に爆発させようとするなら、ナイフや剣なんかで全力で突き刺すくらいしないとダメ
なんじゃないかな?」
「そうなんだ……安心した……。キュレも法玉の事、知ってるんだね」
「知識としては……ね。まーフラカの受け売りなんだけど」
「そっか。……そういえばなんで師匠は僕に法玉の事、教えてくれなかったんだろう?」
「……――はぁ……どうせあれだろ……。教えたつもりになってて忘れてたんだろ。
フラカの事だし……」
めんどくさそうにため息を吐きながらシアンが呻く。
「……――師匠……」
沈黙――。気まずい空気がその場を支配する……。
「……あー、あー。こほん。話しを続けるぞ? 法玉ってのは主に使われるのが爆弾とし
てってのはもういいよな?
他には複数の法玉を使って結界を張ったりするのにも使われたりする。後は――……特定
の液体に入れると、魔力を回復させる薬になったり、なんてのもあるな」
「魔力を回復……」
「魔力を使い切ると魔術は使えなくなる、魔術をずっと使い続けると精神への負担が大き
いし、最悪、人格が壊れてしまうって話な――。
魔力回復の薬なんてのは……一種の強心剤みたいなもんだ。無理矢理トランス状態を保
ってるようなもんだから、使い続けると文字通り、身も心もボロボロになるぞ」
「う……なんか危ない薬なんだね……」
顔を引きつらせながらスグラが答える。
「ま、いずれにしても法玉を使った物はとっても値段が高いのよ。そうそうお目に掛れる
物じゃないから、気にし過ぎてもそんなに意味はないと思うわよ」
コトン――。
興味がなくなったのか、先ほどまで眺めていた法玉を机に置くキュレ。しかしすぐにシ
アンが手を伸ばし、持ち上げた法玉を眺めながら言葉を続ける。
「そういうこと。一般人ならその程度の知識でいいかもね。でもスグラはもうちょっと法
玉の知識を付けるべきだと思うな。
……アンタの場合、貴重な法玉を作り出す事が出来るんだからさ。下手に扱うとアンタ
自身が危険な目に会うんだよ?」
「う……じゃあどうしろって言うのさ?」
スグラの目の前に法玉を掲げるシアン。
「さぁ? アタシが持ってる法玉の知識はさっき喋った程度しかないよ。フラカが居れば
フラカに聞くのが一番なのは間違い無いんだろうけど……ゴニア辺りにでも聞いてみると
いいかもしれないね」
そう言うと法玉から手を離す。
「――っと……」
両手で法玉を受け取るスグラ。
「そうだね。機会をみて聞いてみるよ。もちろんボクの力の事は伏せて……」
パン! と不意に両手を合わせるキュレ。
「よし、そのお話はまとまったみたいだし、ここでお終い! そろそろ村長の家に行かな
きゃマズイんじゃない? スグラ」
「あっ! クニルさんにも釘を刺されてるんだった……。行ってきます!」
勢い良く立ち上がろうとした為、ガタガタと椅子を倒しそうになりながら、ダッシュで
玄関まで走って行ったスグラ。
「いってらっしゃーい」
「がんばれよー」
その後ろ姿に向け、のんびりとした二人の声が届く。
▼△▼△▼
村長の家に行く途中にゴニアの店に寄ったが、誰もいなかった。たぶん祭りの準備やら
何やらで忙しいのだろう。ゴニアは普段から忙しそうだが……太陽からの日差しは強いが
風も吹いている。過ごしやすく清々しい陽気である。
「ふぅ……これなら今日は遅刻は……なさそうだ」
途中まで走っていたスグラは村長の家まであと半刻程の所で歩き始めた。ここに来るま
での道の途中、祭りの準備をしている人達に声を掛けられた。『がんばれよ』と陽気に声
を掛けるおじさんや、『立派になって……。』と軽く涙ぐむお年寄りなどなど……自分の
知らないところでいろいろな人から応援されているようだ。
先ほど起こった事を思い出しながら村長の家へと進む。
「こんなに応援してくれる人が居たなんて……がんばらないとね……」
自然と独り言が口から洩れていた。
考え事をしながら歩みを続けているといつの間にか目的地に辿り着いていた。
コンコン――
「すいませーん!」
約束の時間よりちょっと早めに到着したが問題はないだろう。だが――。
「あれ? 誰も居ないのかな? ……スグラでーす! 誰か居ませんか?」
中に居るであろう人に、聞こえるように大きな声を出すが反応がない。試しにドアを押
してみると、鍵が掛けられておらず、すんなりドアが開いてしまった。
「うーむ……。入れって事なのか、ただの不用心なのか……まぁ入って、みるか……。お
邪魔しまーす!」
扉を控え目に開く。だがそこには誰の姿もない。
(やっぱり誰も居ない、のか?)
入ってすぐ、玄関付近で立ち尽くす。数十秒ほど待ってはみたものの、このままここに
居てもどうしようもない……。何かを思いつく前に昨日通された部屋へと足を向けた。
コンコン――
「スグラです。入りまーす」
そう言いながらドアを開いた。無遠慮に。
「え! スグラ君?! ちょっ……待っ――……」
クニルの声が聞こえた。(何だやっぱり居たんだ。)などと考えながらクニルの返事を
認識した時にはもう扉を開いていた。
「あ――……」
扉の先に居たのは、扉にに手をかけようとして手をかざしたまま、うなだれて固まった
クニルと、きょとんとした顔でこちらを見ているお手伝いと思われる村の女性二、三人。
クニルが居るのは全く全然、問題である事は微塵もない。
問題なのは、薄く少し透けている肌触りの良さそうな生地を、クニルの身体に一枚だけ
纏った状態であるという事だ。
裸に近い下着姿。それが今の彼女の状態だった。
クニルの様子をよく見ると、全身をプルプルと震わせ、肌の色が若干赤らんでている。
「ご……ごめんなさいっ!」
スグラは顔を真っ青にしつつ、凄い勢いで扉を閉めた。
(殺される――)
真っ先に脳裏に浮かんだのはその言葉だった。二人の義理の姉を持つスグラは家で同じ
ような事態に、過去遭遇した経験が何度かあった。
その度に程度の差こそあれど、飯抜きプラス半殺しなど生温い手厚い罰【ペナルティ】
を姉達から何度か受けてきた。
その甲斐あってか、現在では立派なトラウマと化している。
ガチャ――
「ひィっ!」
先程勢いよく閉めた扉がギィィ……とゆっくりと開く。たぶん死刑宣告を受ける時の気
持ちは、このような感じなのだろうなと思い浮かんだ。生きた心地がしない。
死刑を告げる覚悟を持って震えていたが、聞こえてきた声は予想外なものだった。
「お入りください」
外開きの扉からひょこっと顔を出したお手伝いの女性から、無感情の声が掛けられる。
おずおずと部屋の中に入ると、そこには聖殿祭用の巫女服を纏ったクニルが居た。
白を基調とした柔らかそうな布地のドレスの、いたる所に金色の刺繍が施してあり、頭
からはベールを掛けている。一国の姫の正装だと言われれば、納得してしまうような印象
を受けた。
「おぉ……」
思わず感嘆の声が漏れる。それほどまでにクニルは美しかった。椅子に座ったままうつ
むいているクニルの姿は、まるで神に祈りを捧げる聖母のようだ。
いろいろな感想を頭に巡らせていると、クニルの瞳の先がスグラの視線と合った。
「くっ――……」
表情から恥ずかしさが滲み出し、顔色がみるみる赤くなっていくのが視線を阻む、白い
ベールの上からでも分かった。
「……すいませんでしたァー!!!」
相手が何かを言う前に、スグラは行動に移った。
後方にピョンと軽く跳ね、そのまま膝から床に着地。
両手をガッ――と肩幅に広げ床へ勢いよく突き立てる、その中心付近に自らの頭を高速
で床に擦り付けながら、心からの言葉を発する。――本気の謝罪である。
「――――」
一瞬の沈黙。
「……き、綺麗な、土下座だね……。ぷくくっ!」
ゆっくりとスグラが視線を上げるとシアンは笑っていた。
彼女は口に手を当て涙を堪えながら、笑う事を必死で堪えているようだった。
「え……、怒って……ない……の……?」
一瞬何が起こったか分からなかった。
シアンだったら――、土下座している頭の上から踏みつぶしてくるのは間違いない。
キュレの場合だったら――、その場で大きく振りかぶった一撃をハンマーのように後頭
部に振り下ろして来ただろう。
どのような攻撃でも、どのような罵声でも、甘んじて受け入れる覚悟を土下座する瞬間
にはしていた。だが笑われるとは微塵も思っていなかった。
「怒っては無いよ。ただビックリしたし、凄く恥ずかしかったけど……でも、鍵が掛って
いなかったのは私の注意不足っ!
という訳で……忘れて! 頭の中から綺麗に消し去ってね。じゃないと怒るから!」
「…………」
目を瞑り虚空を見上げるスグラの頬を一本、涙の筋伝う。
「……なんで、……無言で泣いてるの?」
「いや……我が家では考えられない反応だったから……半殺しで済めばラッキーとか思っ
てたのに、笑って許してくれるクニルの深い優しさに感激のあまり……」
「……――スグラ君……君、苦労してるんだね……」
憐れみの視線を全身に受けつつも、事実なのでしょうがない。無言で殴られる事はあっ
ても心配されるような事は今まで生活してきた中では記憶に無い。
そっとクニルの手が頭に触れる。やはり殴られるのかと、反射的にビクッと体を強張ら
せるが優しく頭を撫でられた。
赤子をあやす様に優しい声を掛けながら。
「よしよし……大丈夫、ここには、……怖い人なんていないよ」
「――……」
これは……ダメだ。照れくさい。この上無いほどに……。
逃げる訳にも行かず、無言で立ち尽くす。すごく居心地が悪い。
「あ、あの……もう……大丈夫、だから……」
「そう?」
ようやく発した言葉によって、クニルのなでなで攻撃を止める事が出来た。
表情が少し残念そうに見えたのは……――気のせいであると思いたい。
「……――あ……」
落ち着いた事により周りの状況が見えてきた。
椅子に座ったままのクニル。
そしてスグラを見つめる二人のお手伝いさん……もちろん今まで起こった有様全てをバ
ッチリ見られてしまっていた。二人とも声を殺し顔を真っ赤にして、口から吹き出すのを
堪える事に必死のようだった。
(……なるほど。羞恥に耐えろってことですね)
クニルは悪意の欠片もなく、状況が飲み込めない様子で首を傾げていた。
▼△▼△▼
「さて、それじゃあ下見に行ってきますね」
「よし……! 行くか!」
「はーい」
ゆっくり頷く村長に見送られ、クニルとコアードに挟まれる形で祭壇のある祠を目指す
事になった。
ちなみに村長の家では、当日着る衣装合わせを先ほどまで行っていた。クニルが着るの
は煌びやかな白を基調としたドレスのような巫女服に対し、スグラが着る衣装はさながら
騎士が纏う鎧だ。
どちらの衣装も白を基調とした華やかなものだが、どちらも長時間ずっと着ておくとい
うのには辛い代物であった。
サイズの微調整、鎧の着脱の仕方など、必要最低限の事を一通り教え込まれた所で本日
は解散……となるハズだったのだが、コアードの提案もあり聖殿祭のクライマックスを飾
る祠を下見する事になった。
通常、聖殿祭を行う祠には巫女が居る為、村の者は近づかない。
また、祠全体が石の壁に周りを囲まれているので、中がどのような造りになっているか
よく分かっていない。祠の外観は分かっても、中がどのような構造をしているかなどの事
前情報が乏しい。
不安を少しでも軽減する意味を込め、コアードが提案してくれたのかもしれない。
「ここからそんなに遠くもないし、歩いて役半刻って所だな! そういえば……祠の場所
は覚えてるよな?」
「僕は去年のお祭りに参加してるから場所は知ってますよ。ただ、遠くから何となく見て
ただけだから……祠の中がどうなってるかまでは見てないです」
「私は去年居なかったから知らないかなー」
衣装合わせからようやく解放されたクニルの顔に少し疲れの色が見えた。
ちなみに今は普段着である。昨日とはまた違う清楚な感じのワンピースだった。
「そうか。でも迷う事はないと思うぞ? ここを進んだ所に林があるだろ? そこの中に
祠はあるんだよ」
「へーそうなんだ……全然気付かなかったよ」
「まぁ林と言っても道は整備されてるからな。一本道だし迷う事はねぇよ」
「そうなんですね」
スグラを飛ばして会話を続ける二人。
話をしている方に自然と顔が向き、無意識に視線が行ったり来たりしていた。
「祠って……広い?」
「割とな。周りが石壁に囲まれている造りだ。たぶん空中から見ると大きな円形に見える
と思うぞ。ゴニアの店が五、六棟余裕で入るんじゃないか? といってもまぁ……そんな
確かめ方が出来るとは思えんが」
「へぇええ……」
「ただし村人が入れるのは半分だけだ。丁度中間が壁で仕切ってあるんだ。残りの半分は
巫女と守護者のみしか入る事は許されない。村の掟だからな。
今年の巫女と守護者は今もそこで生活しているよ」
「生活……ってことはちゃんと寝たり、ご飯食べる場所とかもあるんですか?」
疑問に思っていた事がつい口から出る。
「ん? あたりまえだろ。普通に住める家が建ててあるんだ。小川も流れてるから飲み水
にも困らんし……火も扱えるから風呂も入れる。普通に生活出来るぞ」
「「おおぉぉぉぉ……」」
二人の声が同時に漏れた。
驚いた……いや、心の底から安心したと言ったほうが正しいのかもしれない。
長い間、人目を避けなければいけない巫女がどのように生活しているか……。
今後の一番の不安要素が払拭された気がする。その気持ちはクニルも一緒だろう。
「木の枝に気をつけろよ。引っ掛けてケガとかしやすいからな。あと、草もだな、転んで
ケガとか笑えないしよ。今年はまだあんまり手入れしてないから、真ん中の方歩けよ。」
「はーい」
「わかりました」
コアードが先頭になり足元にある草木を軽くならしながら進む。
その後方を少し距離を取った位置でクニル、スグラが並んで、コアードがんでいる林の
中へと続く道を歩いていく。
「思ったより茂ってるな……本番近いのに手入れしてないのは結構ヤバイ。帰りにオル呼
んで手入れしていくか……」
独り言を漏らしながらコアードが進む。
「オル?」
クニルが首を傾げながらコアードに尋ねる。
「ん? ああ……」
コアードは歩きながら振り向かずに答えた。
「オルは今年の守護者……俺の相棒だ。スグラからしたら先輩だな。あんまり喋らん物静
かな奴だよ、表情の変化があまりないから何考えてるかよくわからん。まぁ良いヤツには
変わりないんだけどなぁ」
ガハハと笑いながら未だ見たことのない守護者の話をするコアード。
その姿はなんとなく子供の事をうれしそうに話す父親に見えた。
「見えてきたぞ」
コアードが指し示す先にあった物へ、言われるがままに視線を移す。
先ほどまで歩いていた、周りを林に囲まれた道の先にポツンと石の門構えがある。
門には見たことのない絵や文字が刻まれていた。たぶん現代の文字ではないのだろう。
人三人が並んでも余裕で通れるくらいの大きさの門を、通るとそこからは石畳が続いて
おり、奥へ奥へとその道が続いている。やがて道の途中からは石畳が扇状に広がり、地面
を埋め尽くす形で広がっている。
その先には祠。歩みを進める事で少しずつ姿を現してきた。
「「うわぁ……」」
また二人同時に声が漏れる。
一言で表すと石の壁。壁には先ほど門で見た絵なのか文字なのか分からないものが隙間
なく埋め尽くされていた。雰囲気に圧倒される二人はその場に足を止めてしまう。壁自体
は直線的に横に並んではおらず、奥に行くにつれ曲がっているように見えた。
ただし、建物自体が大きい為、近くで見ると壁にしか見えなかった。さして気にした様
子もなくコアードは祠の奥へと進んでいく。しばらく呆気に取られていた二人だが、コア
ードが先に進んでいるのに気が付き、小走りで追いかけた。
「コアード」
「おう! オル。なんか問題でもあったか?」
祠の中に入れそうな門の前に、背の高い無表情の青年が居た。コアードも大きいが、こ
のオルと呼ばれた青年はもっと大きい。
ただコアードのように筋肉質ではなく、どちらかというと体の線は細い。
「特に問題はない」
感情の込められていない簡潔な言葉。
「そうか。巫女の様子は?」
「悪くはない。もうすぐ終わるから」
「なるほどな。あーあと忘れてたんだが、林道の整備をやらないとマズイな。あとでやっ
てしまおう」
「うん……それで、……後ろの二人は?」
オルの視線がスグラとクニルに注がれた。
いきなり話を振られてビクっとするスグラに対し、クニルは堂々としていた。
「クニルだよー」
「す、スグラです……」
「こいつ等は今年の巫女と守護者だよ。スグラはお前の後輩になるってわけだ」
「そう、よろしく」
オルの口の端が柔らかく上がる。それが笑顔だと気付くのにしばらく時間が掛かった。
「よろしくっ……おねがいします!」
「……何緊張してんだ、お前?」
「ははは……」
何というか掴みどころのない人なのだろう。
正直苦手だ。ただ、ゴニアに比べればまだマシかもしれない。
「下見?」
「まぁそんな所だ。祭りの前には行く場所くらい知っておかないとな!」
「まぁ、そうだね」
会話のテンションの落差が凄い。
これはこれで噛み合ってるのかもしれない。
「オル、それとだな……――」
コアードが残りの仕事の打ち合わせだろうか、オルと話し込んでしまっていた。初めの
うちは横で大人しくしていたが、手持無沙汰になったのか、クニルが祭壇のへと歩いて行
ってしまった。
コアード自身も特に気にした様子も無かったので、スグラはそれについて行った。
壁を越えた辺りから左手側には壁があり、壁伝いに真っ直ぐ進むと祭壇着くような造り
になっている。祠の中へ続く門から祭壇までは一直線に石畳の道が進んでいた。
「祠の中って結構、広いんだね」
「そうですねー。結構歩くみたいですから、転ばないようにしないと……」
本番で歩く足元を確かめながらゆっくりと祭壇へと進んで行く。
「あはは、その辺は大丈夫でしょ。あ、スグラ君、アレ見て」
「ん? おお――……」
言われるがままに視線を移すと、石畳よりも一段高い祭壇の壁には人が三人ほどすっぽ
り入れそうな大きさのガラス玉のような球体が埋め込まれていた。その球体の中には、蝋
燭の火のような炎がゆらゆらと揺れている。
「……何だろね? これ……」
「何でしょう? こんなに大きなものが、ここにあったんですね……」
「おーい!」
コアードの声が後方から聞こえる。
「いや、すまんな。お二人さん、だいたいこんな感じだ。来た道は覚えれたか?」
「ばっちり、OKです。ってそれよりも、……これ何ですか?」
「ああ、コレか? これは、巫女とこの祠を繋いでいるって言われている【宝珠】って言
われている物だ。炎が見えるだろ? あれが燃えている内はこの村は安全なんだとさ」
「はぁ……ホウジュ? ですか……。祭りの象徴的な感じの物ですか?」
「まぁ、分かりやすく言うと、そんなところだな。それで……今日の案内ははこんなとこ
ろでいいよな。俺はまだ、ここでの仕事が残ってるから、ここで解散って事にしたいんだ
が……まぁ、迷うようなら、村長の家まで送って行くが……」
「大丈夫! 道は覚えたから、ちゃんと帰れるよー」
「おし! いい子だ。それじゃまた明日な! 本番だ、気合入れろよ!」
「はい! 今日はお疲れ様! 明日が楽しみだー」
「僕はちょっと……不安です」
「大丈夫。コアードでも、普通に出来てる」
いつの間にか後ろに居たオルが、簡潔に声を投げかける。
「どういう意味だ!?」
クニルとスグラはビクっと身を竦ませたが、それが当然のように反応するコアード。
(……思ったより、面白い人なのかな?)
「あ、コアードさん。ひとつ、質問があるんですが……」
「ん? なんだ?」
「巫女に会わなければ、村の人が祠に入るのはOKなんですよね?」
「ああ、大丈夫だぞ。村民からいろんなものを受け取るのも守護者の仕事だぞ?」
「……そういえばそうですね、食糧なんかを準備してもらえるとか……」
「そういう事だ。時間を決めてスグラが毎日会いに行かなきゃダメだ」
「なるほど……じゃあ僕が外の人に会うのは、全然問題ないのか……」
「そういう事だ。 聞きたい事はそれだけか?」
「あ、はい! 大丈夫です」
シアンとの鍛錬の件は問題なさそうな事を確認出来た。
「じゃあ、本番がんばれよ!」
肩をバシンと叩かれる。
「……は、はい。頑張ります」
叩かれた肩を抑えながらなんとか返事をする。オルとコアードをその場に残し、クニル
とスグラは明日の集合時間を確認して祠を後にする為来た道を戻る。
祠の入口門の下を通って帰ろうとする二人。
ビシッ――
「いっ――!?」
何気なくスグラが門に触った瞬間。
何かが割れるような音と共に、触った右手を押し返された気がした。
「ん? どうしたのスグラ君」
「いや……なんでもない――……です」
「ふーん。変なの……」
不安にするのもアレなので、その場は何事もない風を装った。
(考えてみたら、こういう不思議な事が起こる時って、絶対魔術的なモノが絡んでるんだ
よな。またいつもの事だろう……)
「いよいよだねー」
「え? ああ……そうですね」
考え事をしていた為、返事が上の空になってしまった。
「……ホントどうしたの? ――具合でも悪いの?」
「う……。大丈夫です! ちょっと緊張してきちゃって……」
「あはは。いよいよ本番だからね! もう開き直っちゃうしかないよ」
「う、そうなんですよね……」
その後、クニルから様々な励ましの言葉を掛けてもらった。
咄嗟についた嘘でその場は凌いだようだ。少し罪悪感で胸がチクチクする。
「また明日ね!」
「また!」
クニルをゴニアの店まで送り、その日は家路に着いた。
家に帰ったらシアンが仁王立ちでニヤニヤしながら待っていた。
今朝約束した鍛錬に付き合うという事をされたのだが、相変わらず加減をしない。
体中土埃まみれ。小さい擦り傷を沢山作った後に、シアンのとびっきりの笑顔をもらい
その日の鍛錬は終了した。そして、その日は疲れていた為、泥のように眠った。
期待と少しの不安が入り混じる祭りの始まりの朝が明ける。
▼△▼△▼
「…………」
目が覚める――。
意識は、ハッキリとしている。眠気はまったくない。夢はまた見ていないようだ。
仮に夢を見ていたとしても思い出せない。外に目をやると、まだ暗い。夜が明けるまで
には。まだまだ時間が掛かりそうだ。
さすがに今起きてもこの時間からは何もする事がない。
寝返りを打とうとした時に体に起きている異変に気づいた。
「……っ!」
体が動かない。声が出せない。状況が掴めず、ただただ、混乱していく。
試しに左腕に力を込める。
しかし健闘も虚しく左腕は、だらんと力なくベットの上で動かないまま。目だけはなぜ
か動くようなので左手の人差し指を見つめてみる。
全神経を指先に集中させ力を込める。
「……ぅっ!」
動いた。
といっても反応は鈍く、ゆっくりと少しだけ曲がる程度だった。二本同時に動かそうと
しても反応はしてくれ無い事は分かった。
現在の体の状況が少し理解した気がした。
どうやら今は何らかの理由で体が麻痺しているらしい。声も出せない。
力を込めてもほぼ反応出来ない状態のようだ。
少し現状を把握出来た事で、パニックにならずに済んだのは救いか……――。
ギィ――
床板の軋む音が聞こえる。誰かがこの部屋に居るようだ。
(シアン? キュレ? ……それとも……師匠、なのか?)
顔をそちらに向ける事が出来ないので、誰かを確認する事が出来ない。
軋む音が、だんだん近づいて来るように思えた。
ギィ……――ギィ……――
眼球だけを限界までそちらに向ける。しかし視界の中には何も入ってこない。
部屋の明かりを消している為、月と星の光くらいしか部屋を照らす明かりは無い。
薄暗い部屋の中をランプも蝋燭も持たずにこちらに向かってくる謎の人物。
体が全く言う事を聞かない、動かせない――。
なぜ自分が、このような状況に陥っているのか?必死に考えても頭の中で霧散し上手く
まとまってはくれない。恐いという感情に押しつぶされそうになっていく。
そして部屋の中から音が消えた――。
「…………」
音はしない。匂いもない。誰かがその場に居る気配もない。
しかし、今までとは明らかに違う事が一つ。
明らかに、誰かに触れられている温かさを感じたのだ。頭から顔、首へと移動し、胸か
ら腹へ、頭から下へ移動して行ったかと思えば、その後はまた上がって来る。
胸の辺りまで来た後に首へと移動をした後、その奇妙な気持ちの悪い温もりは、消えて
しまった。
「……――ッあああああああッ!! ……あ?」
声が出せる。腕が上がる。どうやら体は動くようになったらしい。
金縛りのような状態からの解放された事により、先ほどの感じた、不気味過ぎる恐怖感
はどこかへ行ってしまった。
改めて状況を確認してみたが尋常じゃない冷や汗以外、変わったところは特にない。
ただひとつあるとすれば――。
「これは……夢じゃないな……どうなってんだよ……僕の体……」
無意識に首元の水晶に手が伸びる。
「……?」
水晶には若干だか温もりがあった。体温よりも少しだけ暖かい。
「まさか、また……コレ、か?」
首から外してみた。だがいつもと特に変わったところはない。試しに強く握ったりして
みたが、何も起こらなかった。水晶の首飾りを身に着けてから、こういう不思議な事はな
かった……はずだ。
そもそもこの首飾り、師匠から『ずっと付けとけ!外れたら俺が修理してやるよ』と言
われて以来肌身離さず付けている。
付け始めた当初こそ、付け心地が悪かったが、長年付けていると、それも慣れる。
今ではそこにあるのが当たり前になっている。
思えは最近、この水晶関連でいろいろ不思議な事が立て続けに起きている気もする。
「……お守り……なんだけど、なぁ……」
今までに壊れた事などは一度も無い。姉たちにも取られた事はない。
ただ、誰かに奪われる事を想像すると――。
「いやいやいやいや……」
これが手元に無い事は想像したくない。とばかりに考えるのを止めてしまった。
理由もなく触れていたくなり、両手で水晶を抱え込んでいるうちに時間は過ぎていく。
「……お?」
いつの間にか空が紺色から紫色へと変わっている。
「どうせこのままじゃ……寝れる気がしないし、今日は長めにやっておくか。」
不安を払拭したい想いもあってなのかは分からない。ただじっとして考え込むよりは体
を動かした方がマシだと思い、外に出る事にした――。
――――2――――
「よし、スグラ君、……そろそろだよ?」
「うん、……よろしくね、クニル」
「こちらこそーだよ」
それはスグラとクニルの間だけの、二人にしか聞こえない会話。
昨日とは違い整備された林道を村の人達が埋め尽くしている。
五〇人ほどのラフラ村の人達、ほぼ全員が集まっていると思ってもいいだろう。
ザワザワとした雰囲気の中で祠へと続く道に立っていた。いよいよ祭りのクライマック
スを迎えようとしている。
人だかりが祠の入口まで続いているのは見えた。陽も落ち、薄暗い周囲をランプや灯り
が照らしている。オレンジ色に染め上げた石畳に、白い甲冑とドレスが幻想的な雰囲気を
作り上げていた。
ヒィィィィィィィィィィィィッ!!!
祠の方から甲高い笛の音色が聞こえる。祭りの開始の合図だ。
「よっしゃ、いっちょ、やりますか」
「あはは……その格好で、そんな言葉遣いはダメだと思うよ」
クライマックスの開始を告げられ、二人同時に祭りを終わりへと導く一歩を踏み出す。
祠から少し離れた門のからのパレードが始まりを告げる。
それと共に、観衆からの歓声が上がり始める。
「いいの、これが私なんだから」
「……確かに、かしこまられたら、ちょっと変かもね」
「……あれ? 私、……何か悪口言われてない?」
「まさか、とんでもないですよ。そのままが一番です」
「むぅ……何か丸め込まれた感じがするなぁ」
「あはは……」
歩み始めた二人、ベールと兜により、周りの観衆には表情が見えない、声もこの歓声で
は誰にも届いていないだろう。
「クニルさんは、優しいですから……」
「……どうして、……そう思うの?」
「……んー、今だって、僕が緊張しないように、いつもと同じように会話してリラックス
させてくれてるじゃないですか」
「……あはは、買いかぶり過ぎだよ、私だって緊張はしてるし、不安なんだよ?」
「え? ……そうなんですか?」
「あはは、私はそんなに強くないよ。今だって緊張をほぐす為にスグラ君に頼っちゃって
るし……。もっとしっかりしないとなぁ……」
歓声が上がる中、歩調を合わせて二人は進む。
堂々と、しっかり歩いていく二人を見ながら歓声を上げ続ける大人や、笑顔を浮かべな
がら今年の豊作を祈る親に対し、見よう見真似で同じポーズをしている幼い子供の姿もな
ども伺えた。
観衆へ、今の感情が悟られ無い事だけを気にしつつ、ゆっくりと力強く前へ。
「大丈夫です。僕は守護者です。クニルさんの事を守るのが役目ですよ? まぁ、頼り甲
斐はないかもですけど……」
「……あはは、大丈夫だよ。うん、ありがとね。スグラ君。私、嬉しいよ」
「はい、全力で頑張りますよ。巫女さま」
「うふふ、よろしくお願いしますね。私のナイトさま」
最初は少し重いと感じていた足取りも、会話を続けていたおかげもあり、少し軽く感じ
た。騒がしく感じていた歓声にも、少し慣れてきた気がする。
「お、見えて来たね」
「結構、早かったですね、昨日来た時はもっと時間掛かったと思ったんですが……」
「……本番だからねぇ、楽しい時間は過ぎるのが早いって言いますし? むふふ……」
「楽しい……ですか……。そうかも、……しれませんね」
「ちょっ……素直に返されると、こっちまで照れちゃうじゃん……」
「ん? クニル? どうかした?」
「……あ、そう言えば、呼び捨てになってるね。どういう心境の変化かなー?」
「あ……すいません。何か、お姉さんがもう一人増えたみたいで……。さん付けで呼びま
す、ハイ」
「お姉さんかー……そうかー……――ちぇー……」
「クニル、さん?」
「あ、さん付け禁止ね。……私もスグラって呼ぶから、いい?」
「あ、はい。……分かりました」
「よろしい!」
顔は真っ直ぐ前を捉えたまま、会話を続ける二人、祠の入口までたどり着いていた。祠
の中の様子は、昨日下見で確認した物とは別物であった。
「――わぁ……」
「これは……――凄いな」
目の前に広がる景色、祭壇へと続く石畳沿いの壁には燃え盛る松明がいくつも設置して
あり、石畳から右側には沢山の観衆が先ほどまで歩いて来た道の人だかりよりさらに多い
ように感じた。
祠の周りの壁には爛々と輝く灯りが等間隔に設置され、そのオレンジの光も祠の中を照
らしている。祭壇の周りにも同種のオレンジの灯りが配置してある為、元々一段高いとこ
ろにある祭壇が煌々と照らされる事により祠全体から浮かび上がって見えるほどだった。
「スグラー!!」
見知った声に名前を呼ばれたので、そっちの方を向いてしまった。キュレとシアンだ。
二人とも満面の笑みでこちらに手を振っていた。反射的に手を振ってしまった後に、今は
聖殿祭の途中である事を思い出し、慌てて前を向いた。
しかし、それが観衆には何故かウケたようで、周りでは少し笑い声が上がっていた。
「いいなー。私には何か、ないのかなー?」
「あはは、ゴニアさんは……そういう事しそうに無いですね……」
「そうだねー、というか今この場に居るかも怪しいくらいだし……」
「……それは――……」
『無いとは言えない……』とは口に出せず、言葉に詰まった。
祭壇の中央には手を胸の前で組んでいる巫女と思わしき女性が一人。その脇にコアード
とオルが静かに立っている。巫女はクニルと同じような高貴なドレスを身に纏い、守護者
の二人は、スグラの守護具とは違い、簡易的に装飾された鎧を着ていた。
その三人の視線は真っ直ぐスグラとクニルに注がれている。
「「…………」」
足を進める。
先ほどと同じ、もしくはそれ以上の歓声を背に受けながら、真っ直ぐ二人の歩調を合わ
せて祭壇へと進む。目線の先には巫女が居る祭壇を捉える。
沈黙を保ったままゆっくりと確実に巫女の元へ。
祭壇へ上がる階段に足を掛ける。ドレスの裾を踏まないように心がけつつ、目的の場所
へと進む。階段を上がり終わった辺りで、歓声が無くなっている事に気付いた。
いよいよクライマックスである。
二、三歩進んだ所で、二人が歩みを止める。クニルはスグラの隣を離れ、巫女がゆっく
りと跪き、クニルを迎える。
巫女の右手に付けられていた赤い宝石の付いたリングを巫女自身が取り外し、クニルの
右手へとつける。
右手のリングに視線を落としているクニルに対し、巫女が立ち上がり。何かを耳打ちす
る。
「…………」
その言葉を受け、一瞬ビクっとしたクニルは、ブンブンと両手を振って巫女に何かを訴
えているようだが、すぐに我に返り、祭壇の奥へ足を進める。
その様子を見ながら、巫女が何故か楽しそうにクスクスと笑っているのが、理由が分か
らず少し印象的だった。
クニルが膝をつき、祈りを捧げる。
ボゥッ……
祭壇の奥の壁に埋め込まれている半身の球体、その中の炎の燃え盛る勢いが少し強くな
ると共に、炎の色も淡いオレンジ色から青白いものに変化した。
ヒィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!
祭りの始まりと同じ、甲高い笛のような音が鳴り響く。
たった今、役目を終えた先代の巫女が家族に迎えられ、抱擁をしていた。会うのは一年
ぶり――。その瞳には涙が浮かんでいる。
「さぁ、ここからはお前の仕事の始まりだ。巫女と村人が面会していいのは今夜までだか
らな、日が変わる前に裏での……【祈祷の間】での説明をしといてやる」
「ほら、僕らも行くよ」
巫女であるクニルはその場に留まり、村人に囲まれ何やら話している。
「ちょっと、……行ってくるね」
「あ、うん。……私はいいの?」
「今のところ大丈夫。用事があったらこっちから呼ぶよ」
「はーい」
クニルに笑顔で見送られコアードとオルと共に【祈祷の間】へと入る。【祈祷の間】に
回ると人が住めるくらいの石造りの家と小川があった。
家に上がり、机の上に身に着けていた守護具を置くと中を案内される。
家は二階建て、人二人が住むには十分の居住性が確保されているようだった。守護者は主
に一階、巫女は二階での生活を行い、ベットも一階、一階と別々に配置してある。
生活で使用する水などは小川から、などの細かい諸々の説明をコアードから受け、忘れ
ないようにメモを取っていく。
「まぁ、とりあえずはこんなもんかな。オル、俺なんか言い忘れてる事とかあるか?」
「ない。たぶん大丈夫」
「そっか。まぁ何かあってもスグラには会えるし、大丈夫だろ」
「そうですね。コアードさん、オルさん、頼りにしてます」
「ガハハ!! 大丈夫だって。それより、表にそろそろ戻るか」
「そうだね。例年の感じだと、巫女はそろそろ周りに圧倒されて困っていると思う」
「分かりました」
家を出て、入ってきた道を戻る途中、ある事に気付く。
「あ、あの球水晶。こっち側にも同じ物があるんですね」
壁の向こう側で見た炎が燃えている球が同じに壁に埋め込まれている。
「ああ、あれに毎日、巫女は祈りを捧げる必要があるんだよ。向こう側と祭壇も同じ造り
だろ? というか……たぶんあの球水晶も同じ物だ」
「なるほど、ひとつの大きな水晶玉が壁で固定されてるんですね」
「そういう事。まぁよく分からん儀式だが、昔から続いている伝統だからな」
壁の向こう側へとつながる通路に入って行く。進んで行くにつれ、向こう側から柔らか
いオレンジ色の光が強くなっていった。
「お、スグラー! こっちこっち」
壁を抜けるとシアンに呼ばれた。コアードとオルに軽く会釈をしてその場を離れる。
「あのごっつい装備はもうしてないんだな」
「守護具の事? つけたまま歩くのは、さすがに疲れるからね」
「重そうだったしな。珍しくカッコ良かったぞ」
「そう? ありがとう」
笑顔のシアンがいつもの調子で会話を続ける。キュレはクニルと話をしているようだ。
「で、だ。……今年の巫女、ゴニアの妹らしいじゃないか。それに可愛いし……」
首に腕を回されヘッドロックの状態でボソボソと話しかけてくるシアン
「うん? クニルはいい子だよ」
「い い こ? ……ほー、仲良さげだな。パレードの時もイチャイチャしてたし。」
先ほどまでの和やかな雰囲気がどこかへ消える。笑顔だが、目が笑っていない。
「い、イチャイチャとかしてないよ! 緊張しないようにクニルが気を利かせて喋りかけ
てくれてたんだよ!」
「……チッ……そういう事にしといてやるよ……」
絶対に納得はしていないが、食い下がってはくれた。
「てか、何でシアンがそんなに怒るんだよ……」
「ん? 内緒に決まってんだろ?」
また笑顔に戻る。
「……スグラくーん。ちょっとー……」
人々にもみくちゃにされながら手を上げているクニルの姿が目に入った。
「うわぁ……」
クニルを救出するために近づいたのだが、周りに居る酔っ払いに逆に絡まる。結果から
言うとスグラもその場に捕まってしまい、日付が変わるまで村人に囲まれる事になった。
「さぁ、そろそろ時間だ。ホレ、……行くぞ」
コアードの一声で周りの人達が離れる。スグラがクニルの手を取り、先ほど祠の裏に入
った通路へと導く。
「ここから先は、お前等二人だけだ。……しっかりやれよ」
「がんばって」
コアードとオルの言葉に二人が無言で頷く。
「ははは、いろんな人と、いろんなお話出来ちゃったよ」
「大人気だったね」
「知らない人からも、……頑張ってって言われちゃった」
クニルと手を繋いだまま、石の通路を抜ける。
「巫女さんだからね。そういえば、前の巫女様から何か言われてたみたいだけど……」
「え? あー、あれは……――内緒で……」
いきなり顔を伏せてしまう。表情が読めない。
「内緒? そう言われると余計気になる……」
「いいの! 内緒!」
「わ、分かったよ。……あ、あれが僕達が住む家だよ」
「おお、思ってたより大きいんだね」
先ほどコアードから受けた説明をそのままクニルに伝える。明日すぐにやるべき事を確
認後、今日は早々に休む事にした。
「それじゃ、おやすみ。スグラ」
「おやすみなさい……」
くたくたの二人はそれぞれのベットで泥のように深い眠りについた。
▼△▼△▼
巫女との共同生活初日の朝、先日の金縛りの様な事も起きず、すんなり起きれた。
シアンの影響もあり、最近は朝の鍛錬もするようにしているので、少し早く起きてしま
うようになってしまっているようだ。
もしくはクニルとの共同生活に少し緊張していたのかもしれない……。
無意識に二階へ続く階段に視線を向けるが、朝の空気のせいか、しんとしている。家族
以外の年頃の女の人の、就寝中の姿を確認するのが気が引ける……。
置手紙を残し、裏祠の外へ出ることにした。
表へ出ると早朝にも関わらず、見知った人が立っていた。
「お、なんだ、早起きに目覚めたか?」
「あれ? シアン何で……居るの?」
「朝ご飯、差し入れだよ。それに鍛錬の約束も、……しといただろ?」
「こんな早い時間から? 何というか……。その、ありがとう……」
素直に驚いた。普段、家では朝起こしてくれることが当たり前になっているが、それは
一緒に住んでいるからという状況だから当たり前なのであり、日も昇り切っていないこの
時間に、朝食の準備を済ませ、いつ出てくるか分からない弟を待っていたのである。
シアンは当たり前のようにやってくれているが、その労力を掛けてしまっている事に素
直に感謝すべきだと思った。
「ん、どういたしまして。まぁ朝食って言ってもパンとスープだ。昨日の夜にちょいちょ
いと作ったやつだから、そんなに申し訳なさそうにすんなよー」
笑いながらスグラの肩を叩くシアンは明るく返す。
「よっし、ほらスグラ、鍛錬やんぞ!」
「うん! せっかく来てもらってるんだから、ちゃんとしないとね」
持ってきた荷物が被害に遭わないように裏へ続く通路の奥に置く。
深く深呼吸をしているシアンと、一定の距離を取り集中力を高めていく。
「手加減、――しないからな!!」
ドンッと地面を蹴り、突進してくるシアン――。
前傾姿勢で左腕を振りかぶり激突する寸前で右脚で強く地面を踏みつける。勢いそのま
まに左腕をスグラの顔面へと叩きつける。が、あまりにも真っ直ぐの攻撃だった為、スグ
ラの方も腕を上げ防御する体制を整えていた。
ゴスッ! 硬い物同士がぶつかる音が響き、シアンの拳がスグラの腕を捉えたまま停止
する。防げた――。
「こんなんで、……――防げたとか思ってる?」
ゴァッ! 触れているシアンの拳から炎が上がる。慌てて距離を取ろうとするが、シア
ンのステップと拳撃に圧倒され、逃げ場を失う。
あっという間に壁に追いつめられてしまった。
「くぅっ、……もう逃げ場が……」
「ハアッ!」
炎を纏ったシアンの左フックを懐に潜り込むように避けようとするが……。
「読めてるんだ、よっ!!」
スグラの回避に合せるように左の拳を止め、右脚を振り抜く。
「……う、うぁぁっ!」
重い一撃を食らい、吹き飛ぶスグラ。
「へへっ、甘い甘い……」
凶悪な笑みを浮かべるシアンが追撃を仕掛けようとスグラに飛びかかる――と。
ピシッ――。
ガラスの割れるような音がその場に響いた。
「あ、あれ……?」
シアンに吹き飛ばされた拍子に祠の壁の【宝珠】に触ってしまっていた。
触った場所から【宝珠】には亀裂が入り、あろう事か、亀裂はさらに広がっていた。
「ちょ、スグラ! お前、……何したんだよっ!」
「し、知らないよ! シアンに吹き飛ばされた先に【宝珠】があって……その……割れち
ゃっ、た?」
「おいおいおい――……ど、どうすんだよ。これ……!」
動揺を隠す余裕も無いらしい、もちろんスグラも同じ状態である。
ピシッ! パリンッ……ピシッ……パリッパリッ……ピシャァン!!
「あ、これやべぇ――……」
「……――マジ?」
派手な音をまき散らしながら【宝珠】が完全に砕け散ってしまった。
砕け散った【宝珠】の欠片が無常にも降り注いでくる。
「「ああああああああああああああああああああああああ!!!」」
脱兎の如く駆け抜けると、先ほどまで二人が居た場所に破片が落下してくる。あの場に
居たら体を細切れにされ、肉塊に変わっていたかもしれない。
バリンッ! ガシャン! ゴッ! グシャッ!!
耳を覆いたくなるような衝撃音が表の祠の檀上で鳴り響く。石畳で跳ね、様々な方向へ
飛び火する【宝珠】の欠片からなんとか逃げ切れた二人は地面にへたり込んでいた。
「……はぁっ、はぁっ、んくっ……なんとか、――逃げ切れた……」
「……死ぬかと思った……。でもこれ……」
「……キュレに殺される? ――……私等……」
宝珠は完全に砕け散り、祭壇の壁には人三人が余裕で入れそうな大穴がぽっかりと開い
てしまっており、【祈祷の間】の家が丸見えだったりする。そして。
「スグラ! どうしたの? すごい音が……って、――え?」
寝ている人を起こすに十分過ぎる音量だったのは間違いない。家を飛び出してきたクニ
ルが壁の向こう側からこちらの様子を伺っており、完全に目が泳いでいる。
動揺しながら頭を抱えて必死に現状の整理を行っていた。
それよりも――。
「あ、これ私、――死んだわ……」
口元をヒクヒクさせながら、シアンが軽い調子で死刑宣告を受けていた。
【巫女は守護者以外の人間とは会ってはいけない。】
【もし掟が破られた場合は村に厄災が訪れる――。】
――村の掟が今、目の前で破られた――。
この事実がキュレに知れたら、シアンはキュレに粛清されてしまうのだろう。
シアンは何かを想像してしまったようで、ガタガタと小さく震えだしてしまった。
カランッ――……。
二人の様子に現実感が行方不明になりフワフワしていたスグラが違和感に気付いた。
ガラガラ――……。
「……あれ? あそこ――、……何か、居ない?」
「「へ?」」
三人の視線が先ほどまで宝珠が合った壁の穴で重なる。そこには細い人影のような物が
佇んでいた。
三人が錯乱している間に誰かが侵入したのか、それとも……。
――そこに元から居たのか……。
「スグラッ!!」
「ぐえぁ!」
シアンの突進を横っ腹に受け、五メートルほど吹き飛ぶ。
ほぼ同時に先ほどの人影が音も無く距離を詰めており、ギリギリ交錯せずに済んだ。
「何だよ……――これ……」
「え? え? ……え?」
日の下に現れた人と思っていた影は、人などとは程遠い代物だった。
「キキキキキキキキキキキキキキキキ――……」
首を小刻みに揺らしながら奇声を発している人型の人形。――そう人形なのだ。
くすんだ肌色でノッペリとした外観に、関節部は稼働出来るように別体の部品で構成さ
れている。一見すると裸なのだが、両ひざに金属のサポーターのような物体があり、人形
の頭には髪の毛を模した物だと思われる黄緑色の毛髪がチリチリと茂っていた。
右手には細身の剣が握られており、先ほどの突進はその剣による突きだった。
「スグラ、……無事か?」
「シアン、こそ……」
シアンが突き飛ばさなければ、スグラは首を切り落とされていたかもしれない。
「あたしは大丈夫だ。それより、お前……――ここから逃げろ」
「……シアンはどうするつもりなのさ」
「あたしはアイツを止めておくよ。本気でやりゃあ……何とかなんだろ」
「……でもっ!」
「いいか、二度と言わない。巫女を守る為に、お前等は逃げろ」
「……シアン――……」
「ほら! 行け、……スグラッ!」
「ごめん!」
壁の向こう側のクニルに向かって全速力で駆け寄る。
「キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキ――……」
ドゴンッ!
「……カッ、ブボァ……ブォッ……」
「あたしの弟に、……――手出すんじゃねーよ! 人形如きが!」
背後からシアンの火弾であろう破裂音と、人形と思わしき怪物の奇声が聞こえる。
人形が沈黙している間に、へたり込んでいるクニルへ……。
「クニル! 逃げるよっ!」
「……でもっ、巫女の仕事が――……」
「僕の仕事は、巫女を守る事! ここに居たら危険なんだ! 早くっ!」
「う、うん……」
クニルの手を強引に引っ張り上げ、祠の出口へと走り出す。
「キァァァアァッ!」
「うわっ!」
「しつけぇんだ……よっ!」
ゴシャァッ! 人形の顔面に炎を纏ったシアンの裏拳がのめり込み、爆砕する。
「ほらっ、二人共、今のうち!」
無言で頷き、倒れている人形とシアンの横を通り過ぎ――。
「きゃあっ!」
「クニルッ!」
人形の手がクニルの足首を掴んでいる。そして細剣を握り直し一気に貫こうと振りかぶ
り――。
「あんたの相手は、……あたしだっ! ――つってんだろがぁ!」
ズガァンッ!! またも人形の顔面にシアンの白光を纏った強烈な蹴りが入る。
「しゅるるるるるるるぅぅ――……」
力が緩んだ瞬間に拘束を振りほどき、一気にその場を駆けだす。
「キエァアアアアアアアアアアア――!」
ガゴッ!!
「……うっ、がっ……ぐぁぁぁッ……!」
「シアン!」
地面に組み伏せられたままの状態の人形の奇襲。人の関節の可動域では有りえない背中
側から腕を回した細剣の薙ぎ払いがシアンに直撃する。
そのまま軽々と吹き飛ばされスグラ達の横を通り過ぎ、祠の入口付近の壁に衝突。
その場でずるずると崩れ落ちる。
「シアン! ……シアンってば!」
「…………」
駆け寄って声を掛けるが返事をしない。息はある。頭を壁にぶつけたのか血を流し、気
を失っているようだ。
だが、剣を一撃を受けた右肩からは流血が少ない。あの細剣自体に切れ味はほぼ無いよ
うだ。しかし、切れ味は無いとはいえ鉄の塊で思い切り殴られてはひとたまりもない。
早く安全なところまで運んで治療しないと。
「……キキキキキキ――……」
人形がゆっくりと立ち上がり、こちらを見据えている。
「そう簡単には、逃がしてくれない、か……」
「……スグラ、私……どうしたら……」
ガタガタと震えるクニルを人形の視線から身体で隠しながら腰を低くする。
「何だ! これは! スグラ! クニル! 無事かっ!」
突如野太い声がその場に響く。人形を気にしつつ発信源に目線を移すと、コアードが茫
然とまったく状況が分からない様子で立ち尽くしている。
「コアードさん! あの化け物がシアンさんを……!」
クニルの真っ直ぐな言葉を受け、状況は掴めないながらも、非常に危険な事態というの
が伝わったらしい。コアードが人形に向けて駈け出して行った。
「がああああああああああああああああッ!!」
怒号と共にコアードが大剣を振り下ろす。
ガァン!!
「ちィっ……」
大木のような腕から振り降ろされた鋭い一撃を、細剣一本で受け止めてしまう人形。
「まだまだぁ!!」
人であれば十分過ぎるほど致命傷になる一撃を人形に加えようと力を込める。
腕を振り、身体を捻り、回転しながら遠心力の乗った一撃を与えるが、その全ての攻撃
を人形は細剣一本で受け切っている。
「オラァァァァッ!!」
怒号を上げながら両手持ちの大剣を脳天から叩き落とす。だが、その一撃も人形に届く
事はない。だが――。
ゴギャッ!!
大剣をガードするために脇が甘くなっていた所を槍のように鋭い前蹴りが突き刺さる。
その勢いのまま人形が砂煙を上げながら吹き飛んでいく。
「スグラ! 今だ! シアンとクニルを連れて逃げろ! ここは俺が食い止める」
「はい!」
シアンの腕を首に回し、肩を抱きながらその場から離れる。
ガァン! ドゴッ!!
すさまじい一撃の応酬で鳴り響く金属音。人形の細腕のどこに力が眠っているのか分か
らないが二倍以上の体格差のあるコアードの一撃を、正面から受けても力負けせずに互角
に打ち合っている。
その様子を横目で見つつ、祠の出口へと必死に逃げる。
「シアン! しっかり!」
「シアンさん……」
「……ぐ、ぅっ……」
未だに意識の戻らないシアンを抱えながらの移動。その場を早く離れたいが気持ちだけ
が焦り、足が絡まり上手く移動する事できない。
「くっ!」
ようやく祠の出口に近づいたところで、石畳の突起に足を取られバランスが崩れる。
そのままよろめき、体勢を保つために壁に手を着く――。
バチバチバチッ!!
「ぐぁ……ッ!」
壁に触れると突然スグラの体に電気が走ったような衝撃を受ける。
スグラの力と祠の魔術的な何かが反応してしまったのだろう。
「ちぃっ!! スグラ! ……後ろだ!!!」
「――なっ……」
呼ばれるがままにコアードの方を振り向くと、人形が異様な速度で地面を滑るように突
進してきていた。
腰の辺りに引いた右腕にはしっかりと細剣が握りしめられ、こちらとの距離が近づくに
つれ、剣先を真っ直ぐこちらに向けたまま、弓を引くように肘を後方へ下げていっている
のが分かった。
凄まじい速度で近づいてくる人形の一挙手一投足がコマ送りのようにゆっくりと確認出
来た。頭では認識はしているものの、身体は反応出来ない。
剣先が下がり、手首を返した状態で細剣が地面を抉り、石畳を削りながら突き進んでく
る。
目測であと二メートル、地面から突然剣先が跳ね、まっすぐとこちらの顔面を狙って飛
んで来ているのが分かった。
抱きかかえているシアンに当たらないようにと咄嗟にシアンを突き飛ばし身体を逸らし
たが、人形の剣先はその動きすらも捉えていた。
反動を付け、バネのような全身から突きだされた細剣の一撃。
死の恐怖が全身を襲い、まるで身体が凍りついたかのように動けなくなっていた。
死ぬ――。
「あっ……――」
ガキッ! ゴアッ!――
何故か硬いもの同士がぶつかった音がした。
そして同時に辺りが激しい光に包まれ、痛みを感じるほどの強すぎる光にスグラは目を
開く事が出来なかった。
「スグラ君ッ――!!」
悲鳴にも似た叫び声をあげるクニル。
スグラが串刺しになると思った瞬間。スグラと人形を中心に激しく白い光が爆発。
クニルの目からはスグラも人形の姿が見えなくなっていただろう。
ドガガッ!
突然、光の中から人形が吹き飛ばされる。
糸の切れた操り人形のように、腕や脚の関節があさっての方向を向いた姿で祠の壁にめ
り込んでいる。
ただ、そんな一撃を受けても人形のダメージは少ないようでカタカタと音を鳴らしなが
ら、剣を杖にゆっくりと立ち上がろうとしている。
ボッ……ボッボッ、ボボボボッ――。
スグラを包んでいた白い光が朱色に染まっていく。
目も開けて居られなかった閃光が徐々に淡く赤い光へと変化していく。
そこには――。
深緑色の外套を羽織った赤い長髪の少女が立ち尽くしていた。
痛みを感じるほど激しく光っていた朱色のそれが、少女の周りにまとわりつく。
光はやがて炎のように揺らめき、陽炎のようにぼやける。
「……んーっ! ああっ……! 久々の、外の空気だぁ」
深緑色の外套を纏った、少女が明るく抜けた声を漏らす。
全てを見ていたクニルとコアードは目の前で何が起こったか理解出来ず、ただ放心して
いる。
キズを負って突き飛ばされたシアンは相変わらずピクリとも動かない。
スグラは目が眩んだ状態からようやく回復しつつあり、目の前の状況を見据えていた。
「わっ、スグラ! 久しぶりー!!!」
「……――いったい……何が……」
「おーい。スグラー、聞いてんのかー?」
「君、は……」
「ん、やっとこっち見たねー」
先ほどまで真っ赤だった長い髪はどういう仕組みなのか、今は濃い赤茶色に変わってい
た。まっすぐ見つめられる瞳の色は白っぽい灰色。
見た目は幼く服装はボロボロなのに、貴族のような独特の雰囲気が感じられる。
見つめられていると瞳に吸い込まれそうな感覚に襲われた。
ドンッ――
「へ――……?」
ヒュバッー!
いつの間にか間合いを詰めていた人形がスグラに対して殺意の籠もった必殺の突きを繰
り出していた。
そのまま少女に押されなかったら確実に首を貫かれ切り落とされていたかもしれない。
尻餅をついた状態で少女を見上げる形に自然となってしまった。
そして、自分は今命を救われた事を理解する間もなく、状況が変わっていく。
「おっとっと……危ないなぁ……」
今度は少女を目標にした人形が鋭い突きを放つ。その一撃を軽くかわす少女。
「ねぇ、あたし今話し中なんだけど。……お人形さんに空気読めってほうが難しいか」
命を狙われている状況で、まるで友達と世間話をしている時のような声色で話を続ける
少女に対し、必殺の突きを繰り出し続ける人形。
それを全て、余裕を持って避け少女という構図の攻防が続く。
……ッ! ――。
人形が不利と感じたのか距離を取るため大きく後方に飛び退く。
その行動をただ、めんどくさそうに見つめるだけの少女。
「ふぅん、キリングドールねぇ。あたしが言うのも……おかしな話かもしれないんだけど
さ……今、この時代にあんた……居るべきではないと思う訳」
手のひらをキリングドールと呼ばれた人形にかざす。
「というわけだから……あ た し が 消してあげるよ」
人形の踏み込みの一歩で地面が炸裂。己をを弾丸とし、少女に突進していく。
シュバァッ――。
空気を切り裂く突きを繰り出す人形に対し、ただ手のひらを向けている少女。
「よい、しょっと……」
衝突の瞬間に音はなく、唯一存在したのは相変わらず間の抜けた少女の声。
そしてそこにある奇妙な光景。
突きを繰り出した格好のまま固まって動かない人形。
貫くべき目標であるはずの、手をかざしていた少女の手が――。
人形の繰り出した剣の先端を掴んでいるのだ。
「捕まえた。これで終わりに、してあげる」
少女の指が掴んでいた剣を放しても人形はピクリとも動かない。
人形の頭にそっと少女の手が添えられる。何かを呟く少女。
「ぐぅっ! ……あああっ!!!」
「クニルッ!!」
突如苦しみだしたクニルに駆けよるスグラ。
「ありゃ、繋がってる子が居たのか……」
「クニル! しっかりしてっ……クニルッ!!」
額に脂汗を浮かべ、荒い呼吸をし続けるクニル。
原因がまったく分からない中、苦しみ続けるクニル。どうする事も出来ず、ただ狼狽え
る事しか出来なかった。
「あ、スグラ。このままだとその子危ないよ。んー……あ、――そうか。
スグラ、その子の胸の前辺りに、君の手をかざしてみて」
「……それで、クニルが助かる、の……?」
「うん。大丈夫だよ。あたしを信じて」
「……よし、分かった……」
言われるがままに、クニルの胸の前辺りに手をかざす。
「ああっ……はっ、はぁっ、はぁっ……スグ、ラ――……」
そのまま意識を失ってしまうクニル。
「OK、その子はもう、大丈夫だよ」
特に何かをしたわけではないのに、クニルが苦しみから解放された。
今の行為自体に意味があったのかも疑問である。
「これで、あんたの供給元も無くなった訳だ。悪あがきもおしまいね」
人形を掴んでいる右手に力が籠るのが分かった。
「もう、――おやすみ」
カランッ――……
乾いた音をたて人形はあっけなく崩れ落ちた。
「結構ため込んでやがったなー。美味しくいただきました。ごちそーさま」
手のひらをあわせ人形に向かい軽く会釈をする少女。スグラとクニルは目の前で起こっ
ていた事が理解出来ずにいた。
コアードは倒れたままのシアンに駆けより、介抱をしながらこちらの様子をみている。
「さて、スグラ。……ちょっと……お話しようか」
満面の笑みでスグラに近寄ってくる少女の前に、腰の抜けたスグラは少女の顔を見上げ
る事しか出来なかった。
興味を失ったのか、横たわる人形に一瞥もくれず真っ直ぐとスグラを見据える赤く燃え
ている少女。
「改めまして、あたしはリリィ。あなたに封印されちゃってた魔術兵器だよ。覚えてるか
な? ……こんなに早く出てこれるとは正直思って無かったけどね。」
「――封……印?」
混乱する頭に思考を強引にめぐらせる。何の事だかさっぱり分からない気がしていたが
ひとつ引っ掛かりを覚える出来事があった。
この少女に見覚えがある――。
「夢に……出てきた。……あの子?」
現実味がまったく持てず、口から発する事もはばかられたが確かにその光景が浮かぶ。
「夢? 良く分からないけど、いろいろ共有はしてたからあり得ない話では無いと思う。
ああ、そういえば最近、一回だけど精神体で外に出れた事があったなぁ。
封印ももう限界近かったのかもね……」
「何を言って――……」
「おい! スグラ! クニルとシアンを運ぶぞ! 手当てしねぇと……」
シアンを抱えたコアードから声を掛けられる。
「はい! 今……今行きます」
「ちょっとー、今あたしが喋ってるんだから、邪魔しないでよ」
あどけない子どものようにふて腐れ、頬を膨らませる。
コアードは何も言葉を発せず、警戒をしたまま考えこむ。
「邪魔したら……どうするんだ?」
「そんなの……力ずくに決まってるじゃん?」
笑顔で答えるリリィ。
「あたしはスグラと話したいだけなんだけど、何かダメな理由があるの?」
「……リリィと言ったな、お前……。お前さんはスグラに何かしらの危害を加えるつもり
は……ねぇよな?」
「ん? 話をするだけだよ。あたしがスグラに何かする理由がそもそもないよ」
少し考え込んだ後、コアードがスグラに近付いて来た。
「スグラ、ここは任せていいか? あいつの言葉をそのまま信用するなら、あいつはお前
にとっては安全だ。俺はこいつらを村長の家に連れて行く。そしたらすぐに帰って来る」
リリィに聞こえないくらいの声でぼそぼそと話す。
「……分かりました。……二人を、……お願いします」
悩んでいる暇などない。自分に出来る最善を。
「……ただし、用心はしとけよ」
「はい」
器用に二人を抱え上げ祠を後にするコアード。その後ろ姿を無言で見送るとリリィと名
乗った赤い少女に向き直る。
「それで、僕に、どんな話があるんだ?」
精一杯の強がり、現状のスグラの感覚はそれに近かった。自分よりも明らかに強い人々
が倒され、手も足も出なかったあの人形に対し、この目の前の少女は文字通り腕一本で倒
してみせたのだ。
それは魔術の類か魔法かはスグラには判断は出来なかったが自分の力では到底及ばない
相手であることには変わりは無い。
「そんなに警戒しないでほしいなぁ……。スグラにとっては知らない奴同然だっていうの
は分かってるし、しょうがない気もするけど」
「…………」
相手の考えが分かるまで様子見をする事にした。
「時間もあんまりなさそうだから簡単に言うね。スグラ、君は魔力を吸う能力を持ってい
るよね? たぶん今のままだと、近い将来、君は死んじゃうよ」
心臓の辺りがズキリとした。
「どういう、……事?」
「君の中、正確に言うと水晶から君の事をずっと今まで見ていたんだけど君は普段、無意
識に魔力を吸い続けているんだ。今までだったらその魔力が首飾りの水晶の中に居たあた
しに蓄えられていた。それに水晶の力によって君の能力も抑えられていたんだけど……」
「――水晶が、破壊されてしまった……」
地面に散らばった水晶を眺める。
「そう、あたしを封印していた水晶でもあるんだけど、君の力を抑えていた物でもあるん
だよ。今までの君の生活があるのは、フラカとか言ったっけ……。あいつのおかげかな」
「師匠……」
「たぶん、君の能力は先祖帰りをしたんじゃないかな? 普通だったらありえない強大過
ぎる力、過去に栄えた魔術国家レベルの代物だね。
……というか身体が持つハズがないんだよ。君が普通に生まれてそのままの環境で普通
に育っていたら、とっくに魔力の容量を越えて爆発していたはずなんだ。つまり君は、こ
こに存在していなかったと思う」
「――……」
いろいろな感情が頭に浮かびそのまま沈む。口まで届く事は叶わず、頭の中で綺麗に霧
散してしまう。
「そんなわけで、君は普通に生活するだけでも、周りの人から魔力を吸い取る魔術兵器に
なっちゃった訳、何も制御していなければ……天災すらも生温い致死レベルのね。しかも
君の中の魔力の許容量を越えると自爆するおまけ付き、と来たもんだ。
……まぁ、すぐにそうなる訳でも無いみたい。」
「……突拍子もない話すぎて、……頭が追い付かない……」
「ん? そう? まぁいいや。続けるよ。
君は毎日その力を扱う訓練をここ数年欠かさず続けてきた。その結果、あたしとの魔力
の導通か尋常じゃないレベルまで達しているんだ。
副産物として魔力の貯蔵量も凄い事になってるよ。いきなり封印が解かれたっていうの
もあるし、ちゃんと制御出来るまでは、あんまり人には近づかない方がいいかもね」
「……待って、君も魔力を吸えるんじゃないの?」
「半分正解かな、あたしが直接吸えるのはスグラの魔力だけだよ」
「え、じゃあさっき、人形にやったのは……」
「あれは、魔力を直接ではなくて、運動エネルギー、生命力を魔力に変化させて吸ったん
だよ。まぁロスが多いんだけど」
「どう、……違うの?」
「平たく言うと、私が吸えるのは動く為に発生しているエネルギーって事、物体が動く力
を魔力に変換出来るんだよ。動物に触れれば生命力を刈り取る事も簡単って事」
ぞっとした。触るだけで生物を殺せるとこの少女は口にしたのだ。
「続けていいかい? スグラの場合は魔力を吸うんだ。魔力を吸うだけで、人や動物、物
の動きなんかは止められないでしょう? あたしとの違いはそんな感じかな」
「魔力を吸う、――か……」
「そして決定的に違うのが……。あたしは今、この場に居るだけで多量の魔力を消費して
しまっているという事。このままだとたぶん今日中には消えて無くなると思う」
「……き、……消え、る?」
話が突飛すぎて全然頭に入らない上にさらに混乱しそうな話が上がる。
「うん、元々あたし自体、存在が曖昧というかデリケートなんだ、強大過ぎる能力を制御
するために、莫大な魔力が必要って訳さ」
笑顔で話を続けるリリィ。
「君と初めて出会ったあの時、たまたまあたしを封印する力を持っていたから……あたし
は今まで生きている事が出来た。その出会いすらも無く、そのままだったら、あたしは何
もせずに消えていた」
何故、この少女は――こんなに笑いながら話し続けられるのだろう。
「あたしは、スグラの中で沢山いろいろな物を見ることが出来た。それはあたしにとって
大切な物だし、何より……あの時、スグラがくれた言葉は……あたしの宝物だ」
ああ、そうか……。
この少女はもう……自分が消える事に納得してしまっているんだ。
纏っている深緑色の外套の破片がぼろぼろと糸くずが空に舞い、燃え上がり消える。
「ありがとね、スグラ。君は忘れているかもしれないけど……嬉しかったんだよ」
リリィの周りの空間がゆらゆらと無数の小さな炎を上げて揺れている。外套が細かく剥
がれ、リリィ本体も少しずつ色が抜けていっているように思えた。
この少女の存在が少しずつ失われていく。
「あー! ……やーっと言えた。言えたよぉ……あたしはこの言葉をスグラに言う為だけ
に何年の間、待ってたんだろう? 封印されている間も……楽しかったんだけどさ」
ニコニコと笑顔で言葉を続ける。
消える。目の前から、現実から、この世から、夢の中の少女が消える――。
「待って! 今消えるのは、……――無しだ!」
スグラの言葉に対しどこか悟ってしまっている表情をするリリィ。その表情は年相応の
少女であれば、絶対に見せる事など有りえない疲れ切った様子に見えた。
「あはは、ごめん。そのお願いは叶えてあげられそうにないや……」
視線では瞳を捉えながらも、そのままスグラを通り越し、遠くへ目線を向けるリリィ。
「待てってば!」
「ん? まだ何かあるの?」
リリィの手を掴む。小さな炎が周囲を囲んでいるが、リリィの手は驚くほど冷たい。握
りしめていると壊れてしまいそうな印象をうける。
咄嗟に手を掴んだが何か目的があった訳ではない、行かないで欲しいという思いと消え
ないで欲しいという気持ちがそうさせたのかもしれない。
ただ、その行動が一つの変化を起こす起因となる。
「あ、ダメだよ。スグラがあたし吸い込んじゃったら、いくら魔力の貯蔵量が増えたって
いっても、耐えられるはずが……」
「いいから! 何か方法は……水晶は壊れちゃったし……何か……――封印、器……あ」
リリィの手を引き、どこかへ一目散に駆けだした。その先には――。
「上手く行ってくれよっ」
「……――キリング、ドール……」
リリィの手を繋いでいる右手、人形の胸に左手を添える。
(イメージしろ! 右手から、ロスは最小限……! 左手へ魔力を!)
移動、――保管、移動、――流れるように、――漏出は最小限、移動、移動……。
焦って失敗するかもしれない。上手く行かないかもしれない。
そんな不安が頭の中を一瞬駆け巡る。だが――。
(ただ消えてしまうのを見てる事しか出来ない……何てのはもう嫌だ!)
右手に溢れんばかりの力を込め、左手は押しつぶすかの如く体重を掛ける。淡く赤い炎
を纏っていたリリィの様子が変化していく、繋いだ手から徐々に青白い光が溢れだし、つ
いには全身が光につつまれる。
右腕が熱い、痛い、腕の内側に焼けた鉄を押しつけられているような錯覚に陥る。二の
腕、肩へと痛みが徐々に上がってくる。胸と背中にも激痛が走るが繋いだ手は絶対に離す
事なく、左手へと魔力を。
「……スグラ、何で……――」
リリィの存在がその場から消え去ろうとしている。姿が薄くなり声も消えていく。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅッッ!!!」
声を抑える事が出来ず、低いうなり声がその場に響く。脂汗が額を伝う。
ついにはリリィの姿が完全に消えてしまった。放たれていた光もなくその場には横たわ
る人形と必死の形相の少年が一人。
「がぁああああああああああ!!」
スグラが叫び声を上げると、目も眩む光がその場に広がった。
「はぁっ、はぁっ……――上手く、はぁっ……いったのか?」
両腕にはところどころに裂傷があり、流血している。そのまま大の字に地面に倒れ込ん
でしまった。
視線を真横に向ける。横たわっている人形には変化は見られない。
「ダメ……なのか?」
腕が上がらない。立ち上がる事が出来ないほど、スグラは疲弊していた。
「……うぁっ……くっ……!」
己の力を一気に使用したためか、急激な睡魔に襲われる。
「……リリ……ィ……。ちくしょう……」
石畳の上でスグラの意識は深く沈んで行った。