七
***
子穂は自分の父親に欲しい女がいるなどとは口が裂けても言いたくなかった。彼の後宮にいる女は貴妃が三人に、妾妃が二人。すべて当てがわれた女達だ。母の親族に、従姉、どこそこの貴族の娘。どの女とも一度しか寝所を共にしていない。それで孕んだのは一人だけ。跡継ぎは出来たので、後は好きな恋愛が出来るはずだった。まさか、初めて好きになった相手があんなに強情な奴だったなんて!
思わず舌打ちをすると、隣に歩いていた乳兄弟の葵がクックッと笑った。
「天下の子穂様がどうした…色恋沙汰か?」
図星を差され、反射的に睨むと再び笑われる。「図星かよ」
葵の、適当に切られた黒髪が風に揺れる。「…で、どんな女なんですかい」
どんな女…なんと言えばいいのだろう。
「恐らく混血じゃないだろうな」
あの髪と瞳では、混血を疑う方が難しい。「それと、俺を嫌っている」
「へぇ…」と葵は苦笑を漏らした。「積極的に話しかけることは当然したんだよな。…というよりも、子穂を拒む女なんているわけ?次期国王だぜ?」
子穂はムッとして、眉を寄せた。
「巫女だからな。拒否された。正当法で来いとまで…」
それを聞き、葵は吹き出した。
「陛下に頼むなんて、子穂には絶対に出来ない芸当だな」
出来ない訳ではない。したくないだけなのだ。なぜ、女を落とすのに父親の力を借りなければならない?俺は国王のヒモではないのだ。だが…
「…今回は、父上の手を借りないと彼女を手に入れることはできない」
だから今、国王の執務室に向かっているのだ。
「陛下、許して下さると思うか?」
…問題はそこだった。
巫女を後宮に召し上げるなどということは、前代未聞だ。それに加えて、彼女は裕福ではないように見えた。見た目から混血ではないことしか、彼女を後宮に上げるに値するという証がないのだ。そして、子穂の後宮には赤髪碧眼の女がいないことも救いになるだろう。だが、彼女に後宮に入ることができる程の教養があるかどうかもわからない。
「まぁ、初めて言う我が儘だから、許していただけると信じたいがな…」
本当にそうだ。この状況では信じるしかない。「お仕事中失礼致します。子穂です」
と、拝礼してから申し立てる。
「同じく、特等医務官の劉葵でございます」
葵が続いて言った。『りゅう・あおい』という、噛みそうな名前をサラリと言ってのけるのは、長年培ったものだろうか。
入れ、という言葉を聞いて、室内に入る。齢45になる国王澪子春は子穂と同じ白髪赤眼の美丈夫である。子穂の風貌とは似ても似つかない…どちらかと言うと、子穂は母親似なのだ。
「あの巫女のことか?」
そう子春は書面から顔を上げずに、子穂に問いかけた。隣で葵の気が驚いた様に揺れるが、そう驚くことではない。白澪国王の情報網は大和や志那の比ではない。国内外を問わず、至る所に"影"と呼ばれる者達がいる。
「…はい」
子春は暫くの間、黙っていた。
「別に構わない」
子穂が目を見開いた。「はい…?」
「別に構わない、と言ったのだ」と言って、子春は顔を上げる。同じ色の瞳が自分を見つめた。
「巫女のような異色な力を持つ女は、後宮の醜い争いとは無縁だろう。特にお前には嫌でも巻き込んでしまう理由がある」
…やはり知っていたか。
子穂は下唇を噛んだ。この秘密を知っているのは自分と国王のみ。
子穂の跡を継ぐと国中が信じている子には、鱗の痣がない。…皇太子になれる証がない。あの子は白子だ。まだ跡継ぎは生まれていない。 もし万が一、狭良が跡継ぎを産めば…!!
女は醜い。貴族の女は尚更だ。 後見人がいない女が跡継ぎを産めば、母親の命の保証はない。龍の血を受け継ぐ子は、命を狙われないにしても、母親は命を狙われる。第一子が龍の鱗をもって生まれなかった例はあまりに少ない。少なくともここ数代は起こっていない。民衆は第一子が鱗をもつ後継者だと勘違いしているのだろう。それが当たり前すぎて。
「それでもいいのか?」と父の声がする。彼自身、母親を後宮の醜い争いで失った一人だから。十の時に毒殺されたのだという。
「……私が、守ります」
これしか言えなかった。
ーー先先代の王は子春の母を守れなかった。