四
彼の腕に力がこもる。お互いの心の音が重なり合い、狭良は瞳を閉じた。
「私たち巫女は国神様と国王陛下のものですもの…」
独り言のように呟いたそれを男は聞き逃さなかった。
「私は…国神ではない」
狭良は瞼を開けた。「え…」
彼の瞳は赤い。しかし、その奥に戸惑いの色を見た。
「無論、国王でもない。私はーー」
彼が狭良の瞳を覗きこむ。
「…澪子穂だ」
「澪…子穂」狭良は顔を歪めた。「皇太子殿下…」
男…いや子穂は身を引こうとした狭良を抱きしめた。赤い髪が白と絡まっていく。
「いや、だめです…離して」
「離さない」
皇太子が巫女を意のままにすることは叶わない。そうと知っていながら、子穂は狭良を離さなかった。
ーー初めは遊びのつもりだった。
神殿の巫女には美人が多いと聞き、見に行ってみたのだ。王宮の隠し扉から繋がる、この祈りの間に身を潜め、巫女が祈りを捧げるのを見ている。それだけで心が癒された。清純で身も心も穢れない少女たち。
この少女に初めて会ったのはいつだったろう。長く真っ直ぐな赤髪を編んで背中に垂らし、その瞳は他の巫女には見られない輝きを放っていた。彼女はどちらかというと不謹慎な娘だった。祈りの最中に欠伸をする、船を漕ぐ、突然歩き回る。他の巫女のように静かに祈ることはできないのかと思った。しかし、彼女は魅力的だった。他の巫女たちとは何かが違っていた。
毎夜、明日も会いたいと思って願えば、次の日の夜も彼女がいた。いつも不機嫌そうにしていたが、暇になるといつも祭壇の上に置かれた書物を読んで笑う。
そう、いつの間にかこの少女に惹かれていた。 いつしか、この赤髪も瞳も、桃色の唇も柔らかそうな頬も、全て独り占めしたい…そう思い始めた。
頬をそろりと撫でると、彼女は身を固まらせて怯えた。子穂はため息をつくと、苦し紛れに狭良の髪を解く。指に絡ませても怯えなかった。
「…名は」
名はなんというか訊いていなかった。狭良は少しの間黙ってから呟く。この胸の鼓動は嫌いではない。
「狭良…」
サラ、と子穂が呼ぶ。その声は、甘い。
「私を癒やしてくれないか」
いけない、と思った。巫女の自分が皇太子と契れば、それは不義になる。巫女は、清くなければならない。澄んだ乙女でなければならないのだ。それに、不義が人に知れれば、子穂にも迷惑がかかる。最悪の場合、廃位ということもあり得るのだ。
しかし、狭良は即座に決めることが出来なかった。
「私は…今日会ったばかりだから、時間を、ください」
必死になって言葉を紡げば、彼は黙って聞いていた。そして、もう一度優しく抱きしめた。
「待っている」
彼女は自分の織り姫だ。運命を感じた。