九
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壱ノ妃である夏玉麗は宰相を多く輩出してきた名門夏家の長女である。その瞳は黒く、髪はいつも濡れているように艶やかだった。しかし、白澪においてその瞳と髪は一番美しいとは言われない。最も美しいのは赤髪に碧眼…それが純血に最も近いという証なのだ。
玉麗は自らの容姿が気に食わなかった。例え唇の形が美しかろうと肌が他の娘より白かろうと、黒髪黒眼では一番美しいとは言われない。極めつけは、彼女が好いた男が自分よりも醜い赤髪碧眼の女を選んだことにある。容姿も財力も自分の方が勝っていた。それなのに彼は自分を選ばなかった。こう考えた彼女は次第に赤髪碧眼の女を憎むようになった。その一年後、玉麗は皇太子澪子穂の妃として彼の後宮『華宮』に入る。
当時、子穂の華宮には女が一人もいなかった。だからと言って、子穂が女を知らないわけではなく、毎夜毎夜市街地に繰り出していた。彼が裏でしていた仕事は女達を使って噂を聞きつけては、それを王に報告することだった。彼は毎夜花街に通っていたのだ。その情報は小さなものから大きなものまで様々だったが、それらは全て国を治めていくうえで、必要なものだった。なぜかはわからないが、太子になる者は自然とそのような行動に出た。それは子穂に然り、国王子春に然り。
玉麗が華宮に入った後もそれは続いたが、子穂は7日につき1日は玉麗と寝床を共にした。しかし、自尊心の高い玉麗は自由人な子穂とは馬が合わず、彼はただ子を成すための義務をこなしているようであった。そのためか、幾月経てども子を成す気配はない。それを見かねた王は次々に弐ノ妃、参ノ妃と華宮に召し上げた。もともと少なかった夜のお召しが、妃が増えるごとに減っていった。
それでも神の悪戯か、しばらくして玉麗は子を身ごもった。それを皮きりに他の妃にも子ができた。身分の低い貴族の娘が彼の子を身ごもり、壱ノ妾、弐ノ妾として華宮に入ってきた。玉麗が彼女らに対し、憎しみの心をもたなかったのは、単に彼女らが赤髪碧眼ではなかったからだ。そして玉麗は皇子を産んだ。他の妃や妾が産んだ子は皇女だった。ただそれだけが彼女を支えるものだった。周りは皆、自分が産んだ子がいずれ皇太子になるのだと言った。子穂がそう言ったわけではないが、いつも壱ノ皇子が皇太子になっているのだから、そうだと信じた。
それだからこそ、最後に華宮に入ってきた娘ーーあの巫女は許せなかった。
ある日から、子穂は妃妾たちを召さなくなった。今思えば、おそらくあれはあの巫女に出逢った頃だったのだ。それ以来玉麗の輝かしい生活に影が差し始めた。
巫女が来たのは、突然だった。
彼女の髪は燃えるように赤い。それは赤髪碧眼の中でも、特に血が混ざり合っていない証であった。
巫女に逢うためなのか、昼間に華宮を訪れた子穂を物怖じすることなく叱る。それを子穂は華宮の女たちには絶対に見せない優しげな瞳で彼女を見ていた。許せなかった。自分の方が身分が高い。たかが巫女上がりに子穂を支えることはできない。
巫女は先に華宮に来た妃妾たちとうまく付き合っていた。いつも相手を立て、心配りは決して忘れない。それも勘に障った。
彼女はすぐに子を身ごもった。
自分には全然子が出来なかったのに、なぜあの女だけ。その憎悪の念は、内側に秘めているだけでは我慢できなくなった。
まず、魔子(魔術師)を呼び寄せ、腹の子が皇女になるよう呪いをかけた。皇子ならば堕胎するように。その際、魔子の女は言った。
『人を呪わば穴二つ…。あなたにも返ってきますよ』
魔子は悪神と契約しているので、自分の身に呪いが降りかかることはないという。
自分に返ってこようと、玉麗には関係なかった。今、相手を貶めることができさえすればよい。未来、彼女があのような運命を辿ったのは、頭の回転が速くなかったことだろう。ここで、玉麗は道を踏み外してしまった。
彼女は、狭良に毒を盛った。初めは料理に混入させたが、銀食器を使っていたようで、すぐにばれてしまった。そこで、次は白粉に紛れ込ませる。その手口は実に巧妙で、食事で部屋を空けた狭良の部屋に侍女を忍び込ませ、密かに白粉をすり替える。しかし、狭良は化粧をしない主義を通しており、その白粉は毒入りにすり替えられたとは気付かなかった。彼女が気がついてしまったのは、ある意味で玉麗の失敗だった。
いつまで経っても肌が爛れない狭良を不思議に思い、侍女に狭良を煽てて化粧をさせろと命じたのだ。その侍女はその白粉の中に肌が爛れる猛毒が入っていることを知らなかった。また、玉麗は狭良が化粧嫌いだということを知らなかった。その偶然が悲劇を生む。
その侍女は言いつけ通り、狭良に「お化粧をお手伝いします」と言い出た。しかし狭良は「化粧は嫌いだからしてないのよ」と答える。
「ですが、こんな高級な白粉を持っていらっしゃるのに、勿体無いですわ」
侍女は身分は低いが貴族の出である自分より、巫女の出である狭良の方が高級な白粉を持っていることを苦々しく思っていた。
「それならあなたにあげるわ。要らないの。誰にもらったのか忘れてしまったし、どうせ使わないから持っていって構わないわよ」
その言葉に心が揺れた。だが、返答に困った侍女は、狭良の隣にいた彼女の侍女頭に助けを求めた。
「狭良…様がせっかく持っていって構わないとおっしゃられたのだから、お言葉に甘えたら?」
侍女頭は期待していていなかった言葉を言った。
「波蘭もそう言っているでしょう」と狭良は屈託なく笑った。「みんなもそう思うわよね?」彼女は他の侍女にも意見を求めた。侍女たちは問われたことを驚きもせず、めいめいの思ったことを言い出した。
「そうですよ!こんな高級なのだから、もらっておいて損はないです」
「狭良様、いただいてから一度も使われていないから、新品と同じですよ」
「確か、その白粉は貴族の誰かからいただいたものですよね」