二
「父上は…母上と懇ろなの?」
子珞は波蘭に尋ねた。
「懇ろなんて言葉、どこで知ったの。子珞は意外にマセているのね」
彼女の呆れた声に、彼はふてくされた。母に仕える女官たちの中で、子珞に対し、唯一敬語を遣わないのが波蘭だった。彼女曰わく、乳母の私が何故敬語を遣わなければいけないのか、というものらしい。
「…今のうちに幸せを知っておかないと、後で後悔しては遅いの」
波蘭がなにか大切なことを言った気がしたが、子珞にはその意味がわからなかった。
「さぁ、あんたは兵法でも勉強しておきない」
「はぁーい」
子珞は渋々、母屋の方に戻っていく。
波蘭は子珞を追おうとして、そして子穂と狭良が『懇ろ』している部屋の方を見やる。
「…狭良…私は嘘だと言ってほしかった。殿下に言わずに…」
ばか、と一言呟くと、子珞を追った。
***
「…し…すい…」
狭良が熱く掠れた声で呟くと、子穂は生返事をして、白磁の肌を掌で転がした。
彼女の首筋に散る色づいた花弁はどれだけ想い合ったかを示す。そしてひとつ、またひとつ…と今もなお増え続けていた。
「…子穂…、私だけをずっと愛すると誓える…?」
子穂は狭良の瞳を覗き込んだ。その瞳からは大粒の水晶が、今にも零れ落ちそうで。
「誓う。俺と夜国の丘を共に登るのはお前だ」
夜国…それは人が死んだ後に向かう世界のことだ。夜国の門の前には高い丘があり、その丘は自分が愛し、また愛された者と登る。
「…うん」
その言葉を聞ければ何もいらない、と狭良は思った。
***
夜、子珞は不覚にも目を覚ましてしまった。今日はどうも寝付きが悪い。波蘭のもとに行こうか考えるが、五歳にもなったのだから、自分で寝ろと言われたばかりだということを思い出す。眠れないことに変わりはないので、とりあえず風に当たろうかと考えた。
「眠れないのってキツい」
…剣の素振りをするのもいいな。
そう思いつき、木刀を手にして外に出る。外は案の定暗く、光はない。自分の部屋の薄暗い灯りと満月の光のみ。
ーービュン
木刀を振ると風を切る音がした。父からはまだ真剣を与えられていない。与えられたのは短剣のみ。だが、無碍に抜いてはいけないと言われている。真剣が手元にあったとしても、自分の親と自分の愛する人々の為以外は剣を抜くな、とも。そして、是が非でも生き残れ。
「母上を守るのは僕だ」
父が政務でいないときは自分が守る。
ーービュン、ビュン
「子珞…こんなところで剣の素振りか?」
子珞はハッとして、声のした方を振り向く。
「父上…」
父と自分はとてもよく似ている。以前、異母兄に会った時は、父とあまりに似ていなくて驚いたものだ。
「少し貸してみろ」
子珞が木刀を渡すと、子穂は「…うん」となにか考え、子珞の方を見た。
「子珞、お前にとってこれは重いか?」
子珞は首を傾げた。
「少し…」
「もう少し重い木刀にしよう…来い」
歩き始めた子穂の後を、子珞はついて行った。