未来の宇宙でこんにちは(2)
「これがアーク・サジタリウスで発見された輝光機の映像です」
艦橋には艦長席とそのほか僅かな座席があるだけだった。この船は基本的に艦長のみを必要とし、その他は蛇足に過ぎない。故にこの広大な空間もただ彼女一人の為だけにある。
闇を漂う巨大なる船、その名をデヴォンジャー号と言った。五百メートル級のサルベージ・シップ。それがこの船を指し示す言葉である。
デヴォンジャー号の艦橋ではガドウィンが持ち帰った映像が再生されていた。アーク・サジタリウスでの戦闘があったのは凡そ一時間前。その六十分時を遡った戦場には、白い鎧を纏った見知らぬ輝光機が怪物を蹂躙する姿があった。
恐ろしく早く、恐ろしく力強い。これまでに見たどんな輝光機よりも遥かに美しく、まるで人そのもののように空を泳ぐ。ルメニカのトリフェーンに守られるどころか、その機体はたった一機で大量の輝光獣を撃退してしまったらしい。
「凄まじいわね。確かエクセルシアと言ったかしら?」
「フォゾンをマテリアライズして武装や装甲を構築しています。このような性能を有した輝光機は例を見ません。ライダーの腕前も尋常ではありませんが、本人は輝光機に乗り込んだのは初めてだと言い張っています」
「それで、そのライダーはどうしたの? 確か男の子と女の子、二人組だったわね?」
「二人共牢に入れてあります。今はルメニカとトレイズが取り調べの最中かと」
男の落ち着いた声に目を瞑り映像を切る。そうして女は、デヴォンジャー号の艦長であるルチリア・オルナットは静かに席を立った。
「伝説のオリジナルタイプ……そしてセブンブライドの一人。あながち噂話を信じてみるものね。アーク・サジタリウスまで足を運んだ甲斐があったかしら」
「セブンブライドですか。御伽噺の類だとばかり思っていましたが」
「光の花嫁は実在するわ。その事はあなたが一番良く知っているでしょう?」
穏やかに微笑むルチリア。男は黙ってその瞳を見つめ返す。
「その少年と話をしてみたくなりました。モリオン、シリトン。艦橋を預けます。何かあったら直ぐに艦内放送で知らせるように」
「はーい、わっかりましたー! ……気をつけてくださいね、お母さん」
少女の声であった。しかし妙な事に同じ声でありながら前半と後半とでトーンがまるっきり正反対であった。せり上がっている艦長席から一段下がったオペレーター席から聞こえた為声の主の顔は見えなかったが、ルチリアは当たり前のように踵を返す。
「お供します」
半歩後ろに続くガドウィン。ルチリアは笑顔で帽子を被り直した。
――彼、峰岸聖は日本に住むごく普通の学生であった。
幼い頃から明るくて前向きな性格で、勉強はいまいちだったが身体を動かすのは大好きだった。だからもっぱら外で遊ぶ事が多く、あちこちを走り回って幼少期を過ごした。
そんな聖には親友と呼べる存在が二人居た。男の子が一人に女の子が一人。幼少期から共に育った俗に言う幼馴染というもので、三人はどこに行くにも常に一緒だった。
小学校も中学校も同じだったのだから、当たり前のように高校も同じにした。三人にとって一緒にいる事こそが自然な形であり、誰か一人でも逸れる事はおかしな事であった。
「三人共受かって良かったね! 特に聖は成績ぎりぎりだったんだから、晶に感謝する事!」
「いやー、全くだぜ! 晶が勉強見てくれなかったら今頃どうなっていた事やら……」
夕焼けに照らされた帰り道。その日の事を聖は鮮明に覚えている。まだそう遠くない記憶と言う事もあるが、三人で一緒に何かを成し遂げた大切な思い出の一つだからだ。
聖の横に並んで歩く制服姿の少女。その横には聖とは対照的に生真面目そうで表情に乏しい少年が一人、眼鏡を光らせながら歩いている。
「言っておくけどね。僕が居なかったら聖だけではなくて……昴、君も受験に失敗していたよ。お前達は勉強のやり方があまりにも下手すぎる。それ以前にやる気がなさすぎる」
「そらそーだろがよ、勉強したくてしたくて仕方ないなんて変態以外の何者でもないわ」
「私はしょうがないんだよ、だってほら、身体が弱くて無理すると熱が出ちゃうから!」
全く反省の色を見せずに胸を張る二人。昴は溜息を一つ、眼鏡の向こうから鋭く睨む。
「全く……そんなんでよく明澄学園に行きたいなんて言い出したものだな」
「だって、晶が明瞭がいいっていうから……」
「人にはそれぞれに適した居場所というものがある。お前達が無理をして僕に合わせる必要はないだろう? 大人しく適正な学校に進学すべきだったんだ」
「そんな事ないよ! だってそしたら三人が離れ離れになっちゃうじゃない!」
足を止め、両手を挙げて怒る昴。だが元々ゆるゆるとした雰囲気なので全く怖くない。
「晶とも聖とも離れ離れになるなんて嫌だよ。三人一緒じゃなきゃ何も意味ないんだから」
「まーた出たよ、昴の三人一緒論。俺達はもう離れ離れになったってわかりあえるダチだろ? 無理に俺達が晶の足を引っ張ったってしょうがねーだろうによ」
「聖の言う通りだ。僕の生き方にお前達が無理に合わせる必要はない」
ポケットに両手を突っ込み笑う聖。晶もその隣で足を止め僅かに頬を緩ませている。
「まーしかし、しょうがねーな。何せ俺達と違って昴は他に友達いねーからな」
「ああ、全く以って仕方ない。僕と聖だけにしか頼れないお前は、本当に仕方のない奴だ」
「うぅ……だって、私……二人みたいに、強くないから……」
冗談交じりの言葉に本気で落ち込むその姿も今となっては懐かしい。二人の少年は顔を見合わせ、笑いながら少女を間に挟むように並んで立つ。そうして左右から手を取り、無理矢理前に向かって歩き出した。
「ごちゃごちゃ細かい事気にしてんじゃんねーよ、バカ!」
「僕達は自分の意思でここに居る。昴が気に止む事なんてないよ」
「聖……晶……。えへへ、ありがとうね……!」
「それは別として、お前達はもっと勉強するべきだ」
「いーんだよしなくて。いざとなったらまた晶に教えてもらうわい」
笑いながら歩く三人。夕日に照らされた影は並んで細長く伸びる。
幼馴染という関係を長く、そして子供の頃のまま続ける事は確かに少しだけ特別な事だったかもしれない。誰にでも訪れる無邪気であるが故の誤解を彼らは重ねなかった。
しかしそれも時間に馴染めば当然に成り果てる。成って果てたその事実は既に三人にとってなんら特別な意味を持たない。ごくごく普通の、当たり前の毎日であった……。
「それがどーして、こうなっちゃうんですかね」
牢屋に叩き込まれた聖は赤く腫れた頬を撫でながら溜息を吐いた。非常に窮屈な空間にベッドとトイレだけがある鋼鉄の箱。牢獄の中は見た目からも実に寒々しかった。
「そりゃこっちの方が聞きたいよ。なんでお前、素っ裸なんだよ……?」
扉を背にして立つトレイズ。その視線の先には一糸纏わぬ姿、生まれたままの……いや、要するに全裸の聖の姿があった。隣には無表情のウルシェが座っているので余計にシュールな状態になっており、トレイズはこれにどう対処すべきか悩み続けていた。
「俺だって好きで全裸になったわけじゃないんだよ……気付いたらなってたの。なのにあの赤い髪の女、ハッチを開けるなり俺の顔面をグーで殴りやがったんだぞ」
サジタリウス脱出後、迎えにやって来たデヴォンジャー号に聖は招きいれられた。とりあえずその直前までは共闘していたというのと、これから何をどうするべきなのかさっぱりわからなかった聖は大人しくその提案に乗った。しかし……ハッチを開いて外に出た瞬間、待ち構えていたルメニカの鉄拳による制裁を受けてしまったと、そんな次第であった。
「ルメニカは男の裸なんて見たことないんだよ。まさかライダーが裸だなんて想像もしていなかっただろうからな。そりゃ殴られても仕方ないって。下の方を蹴り上げられなかっただけいくらかましだと思って諦めた方がいいよ」
「トレイズ! そこにちゃんといるんでしょうね!?」
その時扉の向こうからルメニカの怒声が聞こえた。直後扉が僅かに開きルメニカの赤い瞳が中を覗き込んだが、直ぐに顔を真っ赤にして閉めてしまった。
「ちょっと、なんでまだ何も着てないのよ!? バカなんじゃないの!?」
「無茶言うなよ……ルメニカが服を取ってくるっていうから待ってたんだろ? その間にどうしたらあいつに服を着せられるっていうんだよ」
「あんたが脱げばいいでしょ!!」
「そしたら俺の下半身が露出する事になっちゃうでしょ……無茶言うなってば、だからさ」
「いいからこれ早く着せて! さっさと着るの、今すぐ着るのーっ!」
扉の隙間から腕だけ突っ込み服を投げ込む。トレイズは溜息混じりにそれを拾い上げた。
「あー……というわけだから、とりあえずこれでも着てくれ」
「ありがとう……って、下着に相当するものがない件について……」
「男の下着なんて持ってこられるか、ばかあ!」
鉄の扉を蹴飛ばす音が聞こえたので、聖は仕方なくズボンを履いた。
「…………なんか……下が……スースーする……」
シャツとズボンを装備した聖。その頃合を見計らいルメニカが入ってくる。まだ熱のさめやらぬ様子で顔を紅潮させているが、腕を組み高圧的な態度で聖を見下ろす。
「それで? あなたは一体なんなの?」
「なんなのと言われましても、俺にはもう何がなんだかさっぱり……おいウルシェ、俺達は一体なんなんだ? ここはどこなんだ? これからどうしたらいいんだ?」
「はい、マスター。私はそれに対する答えを持ち合わせていません」
「何でだよ!? お前なんか色々知ってる感じだったじゃねえか!」
「どうやら私が作られた時代から随分時が流れているようです。もう少し情報収集してみないと、これからどうするべきなのかすらわかりません。ぶっちゃけあなたと同じ境遇です」
しれっと答えるウルシェに頭を掻き乱す聖。それからトレイズに詰め寄った。
「なあ、とりあえずここから出してくれよ。牢屋に入れるってのはあんまりじゃねーか。俺は何にも悪い事してないでしょ。むしろ助け合った仲じゃない!」
「お、俺にそんな事言われても……悪いけど俺、この船の中じゃあんまり権力ないんだよね。基本的にルメニカには逆らえないから……説得するならあちらをどうぞ」
ルメニカを指差す。聖はトレイズから手を放しルメニカに近づこうとしたが、その瞬間いつの間にか抜いたらしい剣を喉元に突きつけられていた。
「それ以上近づいたら殺すわよ……!」
「わかった近づかねー! だから剣を下ろせ!!」
「信用出来るもんですか! あんたみたいな変態は何を言っても説得力なんかないのよ!」
「じゃあ俺を取り調べしても意味ねーじゃねーか何を言っても無駄なんだろーッ!」
涙目で聖が叫んだ正にその時である。扉が開き、ルチリアとガドウィンが顔を覗かせた。ガドウィンは状況がさっぱり理解出来ない様子で立ち尽くし、しかしルチリアは笑顔で一言。
「ルメニカ。男の子のやんちゃを受け入れるのも女の器量ですよ。彼にどんな事をされたのかは知る由もありませんが、減るような事ではないのですから我慢しなさい」
「まだ何もされてないわよ!? ていうか減るような事もあるって事!?」
「女性には一度きりというものもあるのです。そんな事より剣を下ろしなさい」
窘めるような口調におずおずと剣を鞘に戻す。そうしてルメニカは壁に背を預け仏頂面のままそっぽを向いた。代わりに近づいてきたルチリアは笑顔で聖の顔を覗き込む。
「……うん、良い目をしていますね。真っ直ぐで綺麗な瞳です。私は好きですよ、少年」
「そ、それはどうも……で、あんたは何者?」
「このサルベージ艦、デヴォンジャー号の艦長をしているルチリアという者です。このデヴォンジャー号の中では私がルールであり、私こそが正義だと言えるでしょう。故に……ルメニカ、トレイズ、二人をここから解放します。あなた達は監視の任を解き自由行動とします」
「ですが艦長、その二人は私が見つけた物です!」
「だからなんだというのですか?」
笑顔ではあったが、ルチリアの声には有無を言わせぬ迫力があった。一瞬たじろいで小さくなるルメニカ。だがそこで負けじと一歩前に踏み込んだ。
「デヴォンジャーファミリーの掟その三! サルベージ品はサルベージした者にその処遇をどうするか決定する権利がある!」
「そうですね。ですがファミリーの掟その一。全てのルールは私の決定により覆る、ですよ」
歯軋りしながら後退するルメニカ。慰めようと肩を叩くトレイズの足を踏みつけ、それから振り返って聖をにらみつけた。
「この変態……次に会ったらただじゃおかないんだからね!」
露骨な捨てセリフに呆然とする聖。ルチリアはその手を取って牢から少年を解き放った。
「それでは案内しましょうか。ようこそ、我らがデヴォンジャー号へ」
デヴォンジャー号はサルベージ艦である。全長は凡そ五百メートル。凡そというのは、その外観が頻繁に変化しているが故の言葉である。
宇宙の闇を軽快に突き進む機動力を保有し、その外装に大量の作業用装備を纏わせ、ジャンクに覆われたジャンク屋の城。それがこのデヴォンジャー号をぴたりと表現する言葉だ。
「デヴォンジャー号の中では凡そ百三十人の人間が生活しています。格納庫と倉庫、一部中枢エリアは無重力となっていますが、それ以外の場所、特に居住区には人工重力が発生しています。ですからこうして船の中を歩く事が出来るわけです」
牢屋の外には細長い通路が続いていた。どことなくその作りがアーク・サジタリウス内部と似ているようにも見える。ルチリアに続いて暫く歩き扉を潜ったところで突然身体が浮き上がり、無重力区域に入った事を知らせてくる。
「独房は倉庫の裏側にあります。居住区に向かう為には格納庫を突っ切るしかありません。聖と言いましたね。無重力空間での移動について心得は……ないようですね?」
聖は空中で手足をばたつかせながら慌てふためいている。コックピットから引きずり出された時も、無重力で動揺していたからこそルメニカの拳が直撃してしまったのだ。
「壁に牽引用のベルトが流れているのがわかりますか? そこに手をかければ少なくとも真っ直ぐ進む事は出来ますから、慣れるまでは大人しくそれに捕まってください」
「お、お、おう。ウルシェおま……邪魔なんですけど!」
「すみません。私も実は無重力は初体験です」
背後からくっついてきたウルシェを手繰り寄せ共にベルトに手を伸ばす。壁に設置されたベルトは一定の速度で回転しており、手すりに捕まる事で容易に前へ身体を牽引してくれた。
「ここ、マジで宇宙船の中だったんだな……」
「あなたの居た時代には宇宙船はありませんでしたか」
「宇宙は愚か、日本からも出た事はなかったよ。つーか、あんたの口ぶりだとここが俺の居た時代よりずっと未来の時代みたいな感じなんだが」
「あなたは地球からやってきたそうですね」
「そうだよ。地球の日本って国に住んでた。この話したらさっきの二人には笑われたけどな」
「それも無理のない事です。我々にとって地球というのは……と、そろそろ格納庫ですよ」
ルチリアは聖の手を掴んで扉を潜る。突然視界が開けると、そこには無数のロボットが並列していた。先に見た人型機であるトリフェーンもあれば、人型ではない作業用の輝光機も数多待機しているのがわかる。そこを様々なコンテナや作業用輝光機が行き交い、メカニック達が慌しく仕事に励んでいる。
「あなたのエクセルシアも整備しています。うちのメカニックはみんな腕は確かですから、壊してしまうような事はありません。安心して下さい」
格納庫内を流れているオートウォークに足を着くルチリア。それに導かれるように動く床に立つと、その部分だけ僅かに重力が働いているのを感じられた。
「艦長ー! そいつらがあの機体に乗ってたっていう、例の連中かい!」
移動する二人に声をかけたのは作業機に乗っていた一人の老人である。明らかに歳を食っているのだが妙に筋骨隆々で、ニカリと幾らか欠けた歯を見せ笑っている。
「メカマンをまとめているチーフです。バルバロスと言います」
軽く手を振って応じるルチリア。聖も真似して挨拶をしつつ通過した。
格納庫を出て更に扉を潜った先が居住区である。また重力が復活し漸く自らの両足で歩けるようになると、心底安心した様子で聖は身体を伸ばした。
「うはあー、やっと歩ける……んで、ここが居住区なのか? 居住区っつーか……」
「ここは居住区の中でもショップエリアに分類されます。デヴォンジャー号の中では申請さえすれば様々な商いを行う事が出来ます。ここでは船員達が個人的に開いている店や、他の船や港から一時的に出店している業者等が軒を連ねています」
通路自体は独房のあった場所と比べるとだいぶ広く、少なくとも擦れ違うのにぶつかるかどうかという有様は脱していた。横幅は三メートルほどあるだろうか。しかし左右にずらりと並んだ扉の前においてある看板やら旗やらが通路を圧迫しており、歩いてみると実際の数字よりも狭く感じられた。
「船の中に商店街があるのか……!」
「この船そのものが一つの商業都市でもあります。クルーは与えられた艦内通貨を用いて物資の売り買いが可能ですから、場合によっては嗜好品を得るのも苦労しないでしょう」
更に進んで行くと大きく開けた場所に出た。ショップエリアの中心である噴水広場である。広場にはベンチが並び、小さな出店から賑やかな声が聞こえてくる。この広場からショップエリアは東西南北、即ち四方に伸びた通路に面して展開されている。三人はそのまま広場を通過し、北ショップエリアを抜けて艦橋を目指して進んで行く。
「どうですか? 我らが家であるデヴォンジャー号は」
「完全にSFの世界だったわ。窮屈とは言え船の中に街があるなんてな」
「このまま艦橋へ向かいます。艦橋は重力制御下にあるので歩行での移動が可能ですが、現在重力は通常の半分程度になっていますから、慎重に移動してくださいね」
艦橋は船の中央部分からエレベーターで上へ上がり、更に通路を進んだ所にある。ルチリアに導かれて艦橋に入った聖は軽すぎる重力に身を捩りながら周囲を見渡した。
全面まるで宇宙にそのまま繋がっているかのように外の風景を見る事が出来るが、それは実際にガラス等透明な物質で壁が作られているわけではない。外の映像をそのまま内壁に投影しているだけだ。ルチリアは艦長席に座り、聖はその隣にようやく足を落ち着けた。
「本当に宇宙だったんだな、ここは……なんていうか……まるで実感がねーよ」
「私にはなんとなくわかりました。人類はつまり、地球から逃れる事になったんですね」
「……その通りです。今から数百年前、正確な時間はわかりません。ただ一つ確かな事は、人類は敗北し、そして故郷である地球を諦めたという事です」
艦長席には複雑なコンソールは存在しなかった。ただ座席の手すりにあたる部分に赤い結晶が埋め込まれているだけだ。ルチリアがそこに手を翳すと、淡い光が壁を包み込んだ。
「一体何の話をしてるんだ? 地球がなんだって?」
「実際に見た方が話が早いでしょう。丁度地球の傍まで来たのです。その目で確かめなさい」
そしてルチリアは壁に新たな映像を映し出した。宇宙に漂う光の星、地球。暗闇の中にぽっかりと青さを誇っていたその惑星を見て、聖は思わず息を呑んだ。
「なんだ……こりゃ……?」
そこにあったのは彼の知る地球ではなかった。嘗て人類に青かったと言わしめたその星は既に青くはなく、それどころか赤くもない。虹色の光を明滅させながらぐねぐねと蠢き、すでに球体ですらないように見えた。うねり、渦巻く光の塊……その惑星の名こそ、地球である。
「あの光に地球が覆い尽くされて依頼、人類はその生活圏を宇宙へと移した。そして現在は火星まで生活圏を広げつつも、しかしあの惑星から、故郷から離れきれずに居ます」
壁の映像にゆっくりと近づく聖。それは所詮映像に過ぎないとわかっているのだが、それでも間近で確かめずには居られなかったのだ。
「地球に……何が起こったんだ……?」
「わかりません。ですが恐らく直接的な原因は輝獣の出現でしょう。輝獣はどこからともなく出現し人類を襲う天敵です。その輝獣に地球を奪われた人類は、泣く泣く故郷を手放したのでしょう。それでもまだ帰る事を諦めきれず、僅かに残された資源を奪い合い、人材を奪い合い、全てがカラッポになって消え去るまで再利用し尽し、過去の遺物に縋りついて生き延びている……それが今の人類の現実なのです」
思わず冷や汗を浮かべる聖。ルチリアはその背中に少しだけ寂しげに微笑みかけた。
「――未来の宇宙へようこそ。時を越えた古の救世主さん」