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さよならのかわりに(3)

 ベルスター王国がベルスター帝国と名前を変えて三年。帝国はコロニーに内在していたアーク・リブラと共に消滅。皇帝アルヴァート・O・ベルスターは戦闘の最中で討たれ命を落とした。本国として扱っていたスフィアコロニーを失ったベルスターの国民達は行き場をなくしたように思われたが、嘗ての妃であったルチリア・O・ベルスターの帰還と共に状況は好転した。

 嘗てのベルスター王国がそうであったように人と人とが助け合う国を作る為ルチリアは奔走した。帝国が制圧していた周辺の小国を次々に解き放ち、同時に三年の間でアルヴァートが築いた周辺国との繋がりを活かし、新たなる国家体制の確立に漕ぎ着けた。

 皇帝による支配という名の繋がりではあったが、アルヴァートは周辺の小国をよく纏めていた。彼の治世は独善的であり、しかし効率的でもあった。三年の間に整備された各種インフラ、ベルスターを中心に作られた軍隊、活かせる物は多く、それらに少々手を加え組みなおすだけで新しい国作りはスムーズに進んでいった。

 ベルスターコロニーの再建には多くのサルベージ艦が導入され、それらのスポンサーとしてはラナンキュラスファミリーが大きく貢献した。ブーケ・ラナンキュラスは一時的にベルスターの領海に停泊し、ベルスターという国が生まれ変わるのを強く支援した――。


「……これで良かったのか? 私達を裁く事でしか納得の行かぬ者もいるだろうに」


 ブーケ・ラナンキュラスの港に立つミリアム・コールド。その傍らには車椅子に座ったアルヴァートの姿があった。アルヴァートの結晶化した身体は元には戻らず相変わらず精神も崩壊したままであったが、ミリアムはそんな彼と寄り添って生きていく事を決めた。

 あれから三週間。全てのほとぼりが冷めるにはまだ遠く、しかし再起を告げるには良い頃合である。旅立つミリアムをガドウィンだけが見送りに来ていた。


「アルヴァートは世間的には死んだ事になっている。騒ぎが起こる前にどこへなりとも逃げるといい。お前達を殺す事を……デヴォンジャーファミリーは望んでいないからな。それに……ミリアム、お前には感謝しているんだ。お前だけは、アルヴァートの傍を離れなかった。もしお前がいなければ、この戦いはもっと悲惨な結末を迎えていたかもしれん」


 ガドウィンの言葉を目を伏せて素直に受け入れる。今ならわかる。なぜ自分が彼の事を意識していたのか。彼は自分と同じなのだ。同じ様に、偽りでしかない誰かを愛してしまった。


「ありがとう、ガドウィン隊長……」

「聖はルメニカは見送りにきたがったが、お前が嫌がると思ってな。こっそり来たわけだが……それくらいの価値はあったか」


 腕を組んで微笑むガドウィン。そこへ港からシャトルの出発を告げるアナウンスが流れた。残されている時間はあとわずか。ミリアムは車椅子を押しながら問いかける。


「ガドウィン。あなたは自分が愛した人を、誇りに思っているか?」


 目を丸くした後、いつも腰から下げている剣の鞘を手に取る。そうしてグリップのところにあるカバーを外してみせると、そこにはドレス姿のルチリアの写真が隠されていた。


「誰にも言うなよ。俺達だけの秘密だ」

「……ふっ。墓まで持って行く。さらばだ隊長。いずれまたどこかで」


 笑顔で手を振り立ち去るミリアム。車椅子に優しく語りかけながらシャトルに姿を消した女の姿を見届け、ガドウィンは静かに息を吐いた。




「しっかし、ただのサルベージ屋が一転。救世主ご一行様扱いっていうのは、どんな顔をして受け入れればいいのかねえ? 実際、俺達の事好ましく思わない奴もいるだろうにな」


 デヴォンジャー号にある病室。そこでトレイズが溜息混じりに呟いた。あの戦いで派手に撃墜されたにしては彼は元気であった。一応体のあちこちを骨折していたのだが、この世界の人間では骨折は重傷の中に入らない。適当に寝ていれば治るというのは本人の談で、その間に溜まっていたプラモデルを片付けられると前向きな様子であった。


「実際、あちこちで話を聞いてみたんだけどさ。ベルスター帝国って、そんなに言う程悪い国でもなかったみたいなのよね。確かに弱者と強者っていう格差はあったみたいだけど、それはどこでも同じ話だし……。お兄様は、やっぱり立派な王様だったのかもしれない」


 見舞いにやって来たルメニカはベッドに腰掛けたまま寂しげに呟いた。トレイズは完成したトリフェーンのプラモデルを仰向けに寝そべったままいじっている。


「私達のした事って、本当に正しかったのかな……」

「アーク・リブラってのがある限り、これからも同じ悲劇が繰り返されただろうさ。大きく何かを変えるには、やっぱりどっかで反発を生むよ。だけど誰かがやらなきゃいけないんだ。それで世界が変わるなら、誰かが俺達を批判するなら、それはそれでしょうがないんだよ」


 プラモを枕元に立たせ、トレイズは目を瞑る。


「今は自分達のした事を信じようぜ。確かに予定より大分話が大きくなっちゃったけどさ。いつかみんなに、これでよかったんだって思ってもらえるようにさ。今頑張ればいいじゃない」


 頷いて立ち上がるルメニカ。トレイズは片目だけ開き、軽く手を振る。


「今やるべき事は後悔する事じゃないっしょ。やるべき事やんなよ、ルメニカ」

「……もう、トレイズのくせに生意気なんだから。わかってるわよ。言われなくたってね!」


 笑って走り去るルメニカを見送りトレイズは溜息を一つ。眉を潜めて笑った。


「いい女……だと思うんだけどなあ。高嶺の花ほど美しい、って事かね」




「――ではルチリア、君は新たなベルスターの王になるつもりはないのだな?」


 デヴォンジャー号、艦橋。そこでキラとルチリアが肩を並べていた。


「ええ。そもそも、一つの一族が国を管理するなんて無理があったのです。これからは面倒だから名前はベルスターのままでいくけど、王制は排して共和制にするつもりです。この国とこの国が取り込んだ周辺小国が落ち着くまでは、暫くの間指揮を取るつもりではいますが」

「そうか……。私も貸せる手は貸そう。これだけの大事業、ビジネスの場としても十分だ」


 そこへ聖とモリオン、シトリンが並んで入ってくる。三人は買い物帰りらしく、両手に袋を抱えている。シトリンは二人の姿を認めると明るく手を振った。


「おかえりなさい二人とも。聖に会ったのですね」

「只今戻りました、お母さん。聖ちゃんが丁度ここに来る途中だったみたいだからね、荷物持ってもらったんだー! ありがとうございました、聖さん」

「お安い御用で。それより艦長、俺に話があるって聞いたけど?」


 無重力制御下で逃げる荷物を追いかける双子。それを端目に捉えつつ聖は進む。


「デヴォンジャー号はもう暫くの間、ベルスターに駐留します。聖、あなたはこれからどうするつもりですか? それを一度確かめておこうかと思ったのです」


 キラとルチリアの前に立ち腕を組む聖。この三週間、デヴォンジャー号の一員としてサルベージ作業に従事していたのだが、聖には気懸かりな事もあった。それは三週間前、戦いが終わった直後に行方を晦ませてしまった晶の事である。

 晶は僅かな補給だけを受けた後、こっそりとこの海域を離脱してしまった。彼が何処へ向かったのか、これから何をするつもりなのか、その一切がわからないままである。


「恐らく晶は他のブライドを確保する為に活動を継続するでしょう。そして聖、あなたは意図せずとも二体のブライドのマスターになってしまった。あなたの存在はこの宇宙において最早無視出来ないものになりつつあります」

「君がベルスターを変えたという話は噂に乗って拡散するだろう。二体のブライドとオリジナルライドを持つ再生者……その話を知れば、他のブライドのマスターも、月も、そして宇宙の無法者達も動き出す。そうなれば君は晴れて追われる身となるだろう」


 それは聖も既に自覚していた事だ。どちらにせよ長く此処に留まれば無用な争いを引き込んでしまうのは明確。答え自体は最初から決まっていたが、決断を急ぐ必要がありそうだ。


「そうだな。ここに長居してあんたらに迷惑かけるのも申し訳ねーし……近いうちにウルシェと一緒にデヴォンジャー号を去るよ。えーと、明日くらいには」

「聖さん……デヴォンジャーファミリーやめちゃうの?」


 ひょっこりと顔をのぞかせる双子。聖は白い歯を見せ、びしっと親指を立てる。


「心配すんなって! 遠く離れていても俺達はファミリーだ! 幸い俺にはエクセルシアがある。ズバっとかっとばして、またこの国が立て直った頃に帰って来るよ!」

「誤解しないで欲しいのですが……聖。デヴォンジャーファミリーはあなたがここに残ってくれる事を望んでいます。あなたは私達のかけがえのない家族です。あなたが引き寄せるどんなトラブルでも、共に戦って行くくらいの覚悟は出来ています」

「わかってるよ。でも俺は晶を追わなきゃならないし、この世界の事をもっと知らなきゃいけないと思うんだ。今回の一件でよくわかったよ。ブライドや再生者っていう力は、ほったらかしにしておけばどんどん不幸を生んじまう。誰かが保護しなきゃいけねえっていう晶のセリフも、確かに一理あるんだ」


 そしてそれを解決する事こそ、ブライドのマスターであり再生者である自分の役割だと少年は自負していた。その力に意味があるというのなら、今は使命を信じて動くべきだ。


「ブライドを追いかければどうせまた晶とも会えるさ。当面はブライドの情報を集めながら、適当に傭兵でもやって食い繋ぐよ」

「そういう事なら、我々ラナンキュラスファミリーがバックアップしよう。資金面や情報面、仕事の斡旋で手伝える筈だ」


 扇子を取り出し微笑むキラ。ルチリアは一歩聖に近づき、帽子を脱いで言った。


「聖……結果的にあなたを酷い因縁に巻き込んでしまいましたね。しかしあなたはそれでも私達を救ってくれました。感謝しています……伝説の再生者よ」

「いや、俺自身は別に大したことしてないから。みんながみんな決断して、自分のやるべき事をやった……ただそれだけだったんだと思うぜ?」


 聖は決して謙遜したわけではない。事実その通りで、聖はただ騒ぎ立てて敵を倒しただけ。実にライダーらしくライダーとしての役割を果たしただけに過ぎない。

 そんな彼が何かをしたとすれば、それはあの場に居た多くの人々の背中を少しだけ押した事だ。ルチリアも、ガドウィンも、トレイズもルメニカも晶もそう。彼らはそれぞれ自らの意思で選択した。聖はただ彼らの迷いを払い、力を貸しただけである。


「デヴォンジャー号のライダーとしての登録は抹消しません。あなたの部屋もそのままにしておきます。この国が軌道に乗った頃、また合流しましょう。その時にはあなたの目的の為、ファミリーの総力を上げて手を貸すと誓います。聖、腕を出してください」


 首をかしげながら左腕を差し出す聖。そこに巻かれていた個人認識票にルチリアが手を翳すと、尋常ではない額のクレジットが振り込まれていた。


「今回の報酬です。あなたの旅に役立ててください」

「こんなに貰えねえって! 俺マジで大したことしてねーし!」

「それだけの事をしたのですよ。だから胸を張って受け取りなさい。どうしても不要だというのなら、託された力として使ってください。あなたが正しいと信じる事の為に」


 ばつの悪そうな顔で頷く聖。それから直ぐに頭を下げた。


「ありがとう。餞別、確かに受け取ったぜ」

「聖さん……! 聖ちゃーん! 折角仲良くなれたのに……いなくなっちゃやだよー!」


 そこへ双子が泣きながら飛びついてくる。慌てて受け止め、聖は二人の頭を撫でた。


「聖、君は明日発つと言っていたが、まずどこに向かうつもりだ?」

「とりあえず月に行ってみようと思ってる。どうもこの世界で一番発展してるのが月みたいだしな。地球の状況も確認したいし……ま、とりあえず一度見てみるわ」

「そうか。月の領海に入れば最早我らの法は通用しない世界だ。誰よりもブライドと再生者を欲しているのがセントラル・ルナだろう。今回のベルスターの一件も、間違いなく奴らが関わっている。くれぐれも気をつけたまえ」


 キラの言葉に頷き、双子の涙を拭いながら聖は踵を返す。少年はあっけらかんと手を振りブリッジを去って行く。その背中にルチリアは最後に問いかけた。


「聖、一つだけ……あなたにお願いしたい事があるのですが」


 足を止める聖。ルチリアは一言だけ、彼に願いを伝えるのであった。




「それで、ブライドとして覚醒した感想はどうですか? ルメニカ」


 デヴォンジャー号の噴水広場でいつものようにベンチに座るウルシェ。その隣には呆けたまま串焼きを指先で遊ばせているルメニカの姿があった。


「うーん……。私、自分のブライドとしての記憶を全く思い出せないのよね。だからブライドではあるんだけど、まともなブライドじゃないっていうか……相変わらず半端者みたい」

「ブライドとしての記憶なんてあってもなくても一緒ですよ。あなたの中にルメニカとしての記憶があるのなら、それでいいじゃないですか」


 はぐはぐと肉を齧り、幸せそうに頬張るウルシェ。そうして思い出したように言った。


「それで、ルメニカはマスターの事が好きなんですか?」

「えっ!? な、なんなのその質問……唐突すぎない?」

「いえ。ブライドは契約者に無償の愛を注ぐように作られていますから。私はマスターの事、これでも愛しているんですよ。それが人間の言う愛と同じかどうかと言われると疑問ではありますが、それでも私はちゃんとマスターのお嫁さんになりたいという願望があります。だけどルメニカは元々自我があったわけで、その契約による刷り込みがどうなったのかなーと、結構前から疑問に思っていたのです。……それで、実際の所どうなんですか?」

「ど、どうって言われても……わ、わかんないわよ……そんなの……」


 顔を真っ赤にして俯くルメニカ。そのままがつがつと串焼きを食べまくった。

 本音を……本当に正直な事を言うと、ルメニカも聖の事を好きになりはじめていた。ブライドとして聖と契約したのだから当然の事である。だがそれはそんな当然とは少し違っていた。

 ブライドが持つ本能としての愛は、ウルシェやトトゥーリアのように濁りなく真っ直ぐなものである。要するに恥ずかしがるという事がないのだ。好きだという気持ちが照れくさくて仕方がなくて認めたくないだなんて、そんなのはまるで人間の恋のようではないか。


「好き……なのかな? そもそも好きってなんだろう?」

「はあ。えーと……好きというのは……うん、なんなんですかね?」

「私達ってさ……あ、ブライド以外の人たちね。子供、作れないじゃない? なんていうか、人を好きになるって気持ち……本当の意味で持ってる人は少ないんだと思うわ」


 この世界における愛とはなんだろう。この世界における恋とはなんだろう。

 どんなに愛し合った所で決して結ばれる事のない世界。決して命を残す事が出来ない愛。それを強いられた人々は、確かに多種多様な方法で愛を認識しようと努力している。だが本当の意味で愛したいと、愛されたいと願った者はそう多くないだろう。


「……ガドウィンとお母様……二人は本当に愛し合ってたんだろうな。一緒に子供を作ろうって……結婚して家族をつくろうって……本気で……思ってたんだろうな」


 この世界に結婚という制度は最早存在しない。せいぜい御伽噺として乙女が夢見る程度の物だ。結婚と出産という二つがイメージとして一体化してしまっている今の状況では、結婚とはそれこそ伝説のブライドくらいにしか許されない神聖な儀式なのだ。


「私も小さい頃は、お嫁さんになるのが夢だった。自分にその資格があるなんて思わなかったけど……。ねえウルシェ、もしもあなたが本当に聖を愛しているというのなら、それはとても素敵な事なんだと思う。あなたは、あなた達ブライドは、この世界に最後に残された愛を語る事の出来る女なのかもしれない」

「何を言っているんですか? あなたもそのブライドの一人でしょう?」

「私は……やっぱり半端者なんだと思う。自分の気持ちに真っ直ぐ向き合うなんて出来ないみたい。愛してるなんて、好きだなんて、そんな確証は持てないわ」


 悲しげに笑うルメニカ。ウルシェは無表情に顔を寄せ、その両肩を掴む。


「なんですかそのツンデレ。萌えるんですけど……ちゅーしていいですか?」

「えっ!? 何、どういう事なの!?」

「あのー……実は私、めちゃめちゃエロいんです。エロいけど我慢してるんです。わかりますかその気持ちが。マスターが童貞で全く襲ってくれないので非常にむらむらしているんです」


 無表情のまま、だらだらと汗を流しながら詰め寄ってくるウルシェ。ルメニカはそれを押しのけようとしながらぎこちない笑顔で首を横に振る。


「ブライドはエロい事してなんぼだというのに、ずうっとほったらかしで……一人で我慢するのはそろそろ限界です。なのでルメニカとイチャイチャしようかなと思ったのです」

「どういう事なのかわけわかんないわよ! 最近女にモテすぎて困ってるんだけど!?」

「女同士っていうかブライド同士なんで大丈夫です! 私のデータベースにはブライド同士がベッドの上で性的欲求を解消する為のプロレスプログラムが組み込まれています!」

「何言ってるのかわかんねーっていってんでしょーがああああっ!!」


 叫びながらウルシェを投げ飛ばすルメニカ。ウルシェが噴水に突っ込むと盛大に水飛沫が上がった。ふらつきながら立ち上がったルメニカが見たのは、情けない格好で噴水の中に倒れているウルシェの後姿であった。


「美少女に投げ飛ばされるの……なんかちょっと気持ちいいかもしれません」


 少し嬉しそうに顔を紅潮させている様子に肩を落とすルメニカ。ウルシェは間違いなく変体の類であったが、あそこまでとは言わずとも自分に素直になれたらと羨ましく思う。


「ああもう……私は本当に……何やってんだろうなぁ……」

「本当になにやってんだ、お前ら?」

 背後からの声に慌てて飛び退くルメニカ。そこには怪訝な表情の聖が立っていた。

「マスター、用は済んだんですか?」

「おー、済んだ済んだ。そんでよ、二人に話があるんだが……ちょっといいか?」




 三人がやってきたのはデヴォンジャー号にあるビオトープであった。擬似的に作られた緑で彩られた公園で、壁に張り巡らされた高精度のモニターには外の映像、即ち延々と広がる宇宙が映し出されている。方々に休憩に訪れているクルーが見える中、聖は真ん中あたりの芝生の上に腰を下ろし、膝の上にウルシェを乗せてずぶ濡れの頭をタオルで拭いていた。


「なんで噴水に突っ込んだんだ? あそこの水工業用の再利用水を循環させてる途中で一度噴出してるだけだから、あんまり衛生上よくねーぞ……」

「そこはかとなく変なにおいがしますね……油みたいな……」


 仲良く話す二人に苦笑を浮かべ、ルメニカは声をかける。


「それで聖、話って何かしら? 明日のサルベージ作業の予定?」

「いや、違う。実はなルメニカ、俺とウルシェは明日にもデヴォンジャー号を離れる事になったんだ。暫くは晶や他のブライドを探して旅をするつもりだ」


 聖の言葉をルメニカは暫く理解出来なかった。それはただ受け入れたくないだけなのだと気付き、溜息を一つ。膝を抱えたまま、何かを納得するように頷いた。


「そっか……。仕方ないわよね。聖は再生者で、ウルシェはブライドで……まだまだこの世界でやるべき事があるんだもんね……」

「セブンブライドは残り四人。そいつらがどうなってるのか気になるしな。もしお前みたいな目に遭ってるんだとしたら、なんとしても助けてやらなきゃ」


 わかっていた事だ。聖は別にルメニカだから助けに行ったわけではない。彼は誰に対してもこうなのだ。ルメニカを助けてだからどうだなんて下心は一つもない。だからこそ、こんなにもあっさりと別れを告げる事が出来る。


「マスター、ルメニカはどうするつもりですか? ルメニカもマスターのお嫁さんですよ?」

「あの、その言い方はやめてくれます? 契約とか言ってくれます? お前ら両方俺のお嫁さんだとすると、俺がすっげー悪いやつみたいで心が痛むじゃねえか……」

「実際悪い奴じゃないですか。ルメニカはもう他のマスターと契約も出来ないんですよ? 置いていくっていうのなら、最初から契約なんかしないでください」

「えっ? 俺、おいてくなんて言ってねーぞ?」


 驚いて顔を上げるルメニカ。聖は目を丸くして頬を掻いている。


「ルメニカ、一緒に来るか? お前がその気なら、だけど」

「一緒に……行っても……いいの?」

「なんだかんだでブライド一人って危険だしな。まあありかなと思う。それにやっぱりなんだかんだで契約しちゃったわけだからさ。責任とって、お前を幸せにしてやるよ」


 爽やかに笑う聖。ルメニカは胸を打たれたのか涙ぐんで嬉しそうにしていたが、ウルシェだけがその誤解を理解している。聖は別にそういうつもりで言ったのではない。せいぜいルメニカが幸せになれる日までいっしょに旅をしてやるよとか、それくらいの意味しかないのだが。

「だけどそれはお前に任せるよ。実はルチリア艦長にお前を連れて行ってくれって頼まれたんだけどさ。それはルメニカが決める事だから俺はなんとも言えないって答えたんだ」

 宇宙を眺める聖の横顔を見つめるルメニカ。少年は真面目で、一生懸命でバカ正直だ。だからウルシェの事もルメニカの事も、決して自分本位に考えたりはしない。


「俺は何も強制しないよ。一緒に来るなら明日の朝、エクセルシアの所まで来てくれ。皆今は忙しい時期だし、盛大な送別会とかされると名残惜しくなって泣いちまうから、今回は誰にも言わずに行くつもりだからよ」

「えっと……聖は……私にどうしてほしい?」

「お前の気持ちに正直になって欲しい。誰かに人生を決められるのはもう終わったんだから」


 立ち上がり、風に髪を靡かせながら少年は言った。少女はその眩しい姿に目を細める。


「……わかった。ちゃんと考える。明日の朝までに……答え、出しておくから」


 足元でごろごろしていたウルシェを片手で担ぎ上げる聖。そうして立ち去る姿を見送ってルメニカも立ち上がった。風に靡く赤い髪。少女の瞳は、既に答えを見つけた様子であった。




 翌朝。聖とウルシェは格納庫に眠るエクセルシアの元へ足を運んでいた。積み込める最低限の荷物を積み込み、既に出発の準備は終えている。時間を気にするウルシェ、そこへルメニカが走ってくる。


「待たせてごめんなさい!」


 駆け寄ってくる姿を見てウルシェは驚いた。なぜならルメニカは一切の手荷物を持っていなかったからである。それは要するに、彼女の答えを遠まわしに教えていた。


「私、二人と一緒には行けないわ! 私……まだ自分の責任を果たしてない! このベルスターコロニーが元通りになって、みんながちゃんと自分の足で歩いていけるまで! お母様やファミリーの皆と一緒にここで頑張ろうと思うの! だから……一緒にはいけない!」


 ハッチを開いたままのコックピットに立ち、ルメニカを見下ろす聖。ルメニカは真っ直ぐに、とても綺麗な瞳で聖を見つめていた。そこに嘘がないと見抜き、少年は声をかける。


「ウルシェ。出発するぞ」

「しかし、マスター……本当にいいんですか?」

「ここにはガドウィンや艦長、トレイズがいる。今はキラもついてる。ルメニカがブライドだからって身の安全は守ってくれるだろ。それに……見てみろよウルシェ。あいつ、今はあんなに楽しそうだ。俺達にあったばっかりの頃は、すげーツンケンしてたのによ」


 楽しげに笑いながら語る聖。ウルシェは額に手をあてため息を漏らした。

 瞳に光を灯して立ち上がるエクセルシア。歩き出すその姿をルメニカは追いかける。


「二人が私を救ってくれたから……私達を変えてくれたから……だから私、ここからもう一度やり直せる! 直ぐに終わらせてあなたを追いかけるから! だから……だから、待っていて! 気持ちはずっと、二人の傍にいるから!」


 外装をパージした今のデヴォンジャー号には封印されていたカタパルトが存在している。エレベーターのように真上に高速で射出するタイプのカタパルトだ。エクセルシアはそこに向かいながら一度振り返り、ベルスター式の敬礼で別れを告げた。


「……じゃあな、ルメニカ。また会おうぜ!」


 一瞬で打ち上げられたエクセルシアの姿が見えなくなる。無重力の格納庫を漂いながら胸に手を当てるルメニカ。それをどこからか現れたガドウィンが受け止める。


「行ってしまったか……これでよかったのか? ルメニカ」

「ガドウィン……っていうか、トレイズにお母様にキラも……どうして?」


 あちこちに隠れていた仲間達が顔を出しルメニカに近づいてくる。トレイズはルメニカの背中を叩いて笑う。


「せっかくの別れのシーンだからな。心置きなく言えるように空気読んだんだよ」

「彼らと共に行く道もあったと思うのだがな、私は」


 キラの言葉に首を横に振る。そうして真っ直ぐに前を向いて少女は涙を拭った。


「自分のした事の責任を見届けてから追いかけるわ。そうでなきゃきっと気になって他の事なんて手に着かないもの。だから……今はこれでいいの」


 離れていても二人への気持ちが消えることはない。同じブライドとして、そして花嫁と主として。契約が消えるわけではないのだから、これは別れでもなんでもない。

 胸を締め付けるこの切なさも再会を喜ぶ為のスパイスに過ぎない。もう一度彼らに出会うその時まで、自分の心を見つめていよう。そしたらきっと言えるはずだ。愛を語る事が出来るはずだ。そんな夢物語を信じて――今は成すべき事を成そう。


「またね……マスター」


 さよならの代わりに呟いた言葉。それはきっと遥かな星の海を越え、どこかで戦うあの人へと届く。そう信じて少女は歩き続ける――。




「……あーあ。もったいなかったですねマスター。すごい美少女で、お姫様で、しかも契約まで済んでるブライドだったのに……両手に花ですよ? 両手に花」

「確かにルメニカってすげーかわいいよなあ。明るくてはきはきしてるし、いい子だわ。自分がこんなわけわからん状況におかれてなかったらきっと気になってただろうな」


 デヴォンジャー号から出発したエクセルシアの中、二人はそんなやりとりをしていた。ウルシェは何度目かわからないため息をつき、後部座席を離れて聖の膝の上に移動する。


「ねえマスター、ぎゅーってしてくれませんか?」

「はい? 見てわかりません? 俺今操縦してるんですけど」

「エクセルシアはほっといてもある程度勝手に動きますから。そんな事よりほら、はぐはぐぎゅーってだっこしてください。可及的速やかにです」

「なんでそんなに偉そうなんだよ……」

「ルメニカが一緒ならルメニカをだっこしたのですが、仕方ないです。私正直すごい寂しいです。やっとルメニカと仲良くなれたと思ったのに……これから色々な意味で充実した生活が待っていると思ったのに……」


 唇を尖らせるウルシェを背後から抱き締める聖。ウルシェは満足そうに頬を緩ませると主に頭を擦りつけながら目を閉じた。


「平然と多重結婚をやらかしたり、自分勝手でバカでどうしようもない童貞のマスターですけど……私が傍にいてあげますからね。感謝していいんですよ」

「へーいへい。ありがとーごぜーます」

「もっと心を込めていって下さい。頭をなでなでしてください」

「お前さあ……俺よりよっぽどわがままだと思うんだけど……その辺どうなのよ?」

「慣れてください。どうやらこれから、長い付き合いになるようですから――」


 白い光の尾を引いて闇を駆け抜けるエクセルシア。こうして少年と少女の旅が始まった。それは終わってしまった世界を終わらせない為の物語。自分自身の意志で生きていく為の物語。まだ見ぬ何処かで泣いている涙を、止める為の物語……。


 白い巨人は翼を広げる。二人の門出を祝うように、光の粒を撒き散らしながら。

 その姿が見えなくなった闇の向こう。地球は今も虹色の光を放ち、美しく輝き続けていた――。

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