未来の宇宙でこんにちは(1)
「なあおい、ルメニカ……本当にやるのかよ。やめておいた方がいいって、絶対さ」
果てしなく続く冷たい静寂の中、少年の声が響く。躊躇いと不安だけをよく練り合わせたような弱腰な声に耳を傾けつつ、少女は視線を泳がせる。コックピットの中には無数の映像が並んでいる。周囲を警戒、そして目標物の状況を確認する為だ。
「だってさ、こっちは俺達三人だけじゃないか。たった三機のトリフェーンだけでアークを攻略するなんてどう考えても無理だって。ていうか普通考えもしないぞ。どれだけのガーディアンが沸いて出てくると思ってるんだよ」
拡大したカメラ映像には宇宙に浮かぶ巨大な岩の塊が見える。厳密には岩ではなく、外装を岩に似せた人工物だ。とうに破棄された古代の宇宙ステーション、名をアーク・サジタリウスという。元々は球体のような形状をしていたが、左半分が吹き飛び残骸となって周辺に漂っている。最大望遠で内部の様子を確認すると僅かに青い光が明滅しているのがわかる。中枢部にはまだ動力が生きているという証拠である。
「なあ、ルメニカ聞いてるのか? 今からでも遅くないから、さっさと帰ろうぜ」
「いい加減にしてトレイズ。そんなに帰りたければ一人で帰りなさいよ。第一私は攻略するなんて一言も口にしてないわ。ただの偵察よ、これは」
煩わしい通信に苛立ちを隠そうともせず溜息混じりに少女、ルメニカは答えた。すると視界の端に新たにトレイズの顔が現れた。ヘルメット越しにも不安げな表情が見て取れる。
「そんな事言っていっつもお前は無茶苦茶するじゃないか。俺まだ死にたくないんだよ……作りかけのプラモだってあるし……」
「実物の輝光機に乗ってるくせに、プラモデル作って何が楽しいの?」
「実際にドンパチやるよりプラモ作って飾ってる方が俺の性にあってるんだよ。そもそも俺はメカニックの家系なんだ。ライダーをやるのは変な話なんだよ」
「三機しかないトリフェーンのライダーに選ばれたのは名誉な事でしょう。戦いたくても戦えないファミリー全体の代表なんだから、もっとちゃんとしてくれるかしら?」
ジト目の視線から逃れるようにそっぽを向くトレイズ。僅かな沈黙を破ったのは第三のライダーからの通信であった。トレイズの画面が下にスライドし、新たに男が顔を出す。
「そろそろガーディアンの警戒域に入る。お喋りはそのくらいにしておけ」
「ガドウィン、本当にいいのか? 大事な姫様が怪我をする事になるかもよ」
「俺は姫様……ではなく、ルメニカの実力と判断を信じている。余計な事は考えず、ただ己に与えられた役割を果たすだけだ」
「あーあ、ガドウィンはルメニカに甘いんだから……どうなっても知らないからな、俺は」
少年の声に男は眉間に皺を寄せた。それはトレイズの言葉が気に障ったからではなく、ルメニカに甘いという言葉を本人が聞いた時の反応が気懸かりだったからだ。
「自分の面倒くらい自分で見られるわ! ガドウィンは余計な事しないで!」
予想通りルメニカは拗ねて先行してしまった。ガドウィンは深々と溜息を一つ。
「……トレイズ、お前のお陰で仕事が増えてしまった。ルメニカを追うぞ、ついてこい」
「結局こうなるんじゃないか……だから嫌だったんだよ、俺は……!」
赤い光を放ち急加速する二機のトリフェーン。先行するルメニカを追いアークの警戒域へと侵入する。それに即座に反応し、アークの外壁に取り付いていた無数の影が面を上げた。
外壁がぺろりと剥がれたようにも見えたがそれは違う。薄っぺらく細長い白い身体を持つ宇宙の魚。それが群れを成してざわめくように遊泳を開始する。ルメニカは深呼吸を一つ、目を細めて操縦桿を引く。それに反応しトリフェーンは背にした銃を掴んだ。
トリフェーン。輝光機の中でも高性能とされる人型汎用型の戦闘機である。赤くペイントされたルメニカ専用機は突撃戦闘に特化している。高速一撃離脱による一方的な目標撃破……これがうまく決まれば相手の数は問題ではない。少なくとも本人はそう考えていた。
アサルトライフルからは光の弾丸が速射される。その第一撃が無数の魚を屠ると群体は一度ぴたりと動きを止め、それから一斉にルメニカ目掛けて飛翔を開始した。
「ルメニカ、そのまま引き付けろ。余りはこちらで面倒を見る」
突撃銃を構えるガドウィン機がルメニカ機を追いかけるのに対し、トレイズ機は急停止。折り畳んでマウントしていたスナイパーライフルを組み立て照準を定める。
「結局いつも通りのパターンじゃないか……ったく」
ルメニカを追う魚を狙撃するトレイズ。弾頭は命中と同時に爆発、淡い光を周囲にばら撒いて群れに穴を空ける。ルメニカは逃げながら銃で追撃を屠り、一気に加速。一度振り切ってから反転、群れの中に飛び込んで行く。
まるで弾丸のように体当たりしてくる魚を踊るようにかわしながら突撃銃を撃ちまくるルメニカ。四方からの突撃に機体をロールさせ、今度は真横に飛んだ。魚は追撃の為に一斉停止し角度を変えるが、そこにガドウィンが襲い掛かる。側面からの銃撃に混乱したのか、魚達は規則正しくその場でくるくると回転した。
「ガドウィン、後は任せたわ! もっとアークに近づいてみる!」
「待てルメニカ! 今回は偵察だけという約束だ!」
「偵察の為に近づくんでしょ! 入ってみないと中に何があるのかわからないわ!」
制止にも応じず追撃を振り切ってルメニカはアークに向かった。そのシルエットがデブリで見えなくなったのを確認しガドウィンは舌打ちを一つ。
「お転婆が過ぎるな。腕は良いが、いかんせん若すぎる」
「どうするんだよガドウィン!? 追いかけるか!?」
「敵を引きつけ時間を稼ぐ。デヴォンジャー号に連絡し近くまで迎えに来てもらえ。万が一の場合、ルメニカの救出が必要になるかもしれん」
「んあーもう! だーから嫌だって言ったんですよ、俺はー!」
情けない叫び声を上げるトレイズ。トリガーを引き、闇の中に光を瞬かせるのであった。
「……ここはどこですか?」
一方、アーク・サジタリウス内部。外で戦闘が開始されたのとほぼ同時刻、中枢に程近いとある区画にて一人の少年が首を擡げていた。
その部屋は奇妙な場所だった。少年が寝そべっていたカプセル型のベッドが一つあるだけで他には何もない円形の部屋だ。先ほどまでベッドで眠っていたものだから起き上がって部屋の中をうろついてみたのだが、本当に何もない。あるのは出口らしい扉が一つ。
「考えても仕方ねーな。とりあえず出てみっか」
横にあるパネルに触れると自動で扉は開いた。すると細長い通路に出た。足元に非常灯が光っているだけで恐ろしく暗い。少年は頭を掻き、当てもなく暗闇を歩き出す。
「駄目だ、何も思い出せねー。最後の食った夕飯すら思い出せん……」
自分がなぜここにいるのか。ここがどこなのか。少年にはさっぱり理解出来なかった。記憶喪失と言うと大げさだが、眠りに着く前後の行動がどうにもぼやけてしまっている。
「つーかなんで俺は裸なんだ?」
そう、少年は一糸纏わぬ姿であった。生まれたままの状態。端的に言うと全裸である。
「幾らなんでも寝る時裸はねーしなー。誰かに脱がされたのか? それはそれでロマンがあるが……おっさんとかに脱がされたとするとすごく残念な感じだ」
やがて突き当たりにあった扉を開くと今度は広々とした空間に出る。そこはこのアークの中でも倉庫に分類される場所だ。老朽化した様々な資材が雑に散らばっている中、少年の目を引いたのはその中央に横たわっている巨大なロボットであった。
「うおお、すげー! 巨大ロボットだ! ……巨大ロボット? 巨大ロボットだ!」
一度首を傾げたが、やはり素直に喜ぶ事にした。瞳を輝かせながら縋りつくと、冷たい装甲の感触が頬に伝わってくる。
「何だかさっぱりわかんねーがロボだ! なんかこいつ……さっぱりした外見してるけど……まあ巨大ロボには違いあるまい。どれどれ、コックピットはどこかな……おぉ、王道の胸配置!」
胸によじ登りハッチを叩く少年。形状からなんとなくここがコックピットなのだと判断してみたは良い物の、開き方がわからない。扉のようにパネルでもあれば楽なのだが。
「もしもーし! 中に誰かいませんかー! ……なんちゃってな。仮に俺が中に乗ってたとしても、裸の男がハッチを叩いてきたらまず開けねーわ!」
腕を組んで高らかに笑い飛ばす。それから少し真剣に悩んでみる。
「ここはどこで、何で俺は裸なんだ……? このロボットは何? なんなの?」
一生懸命考えてみたが何もわからなかった。頭をわしわしと掻き乱し頷く。
「そうだ、これは夢だ。そうに違いねー。つーことは、何をしてもいいって事だよな!」
再びハッチを叩き始める。ガンガンという音が広々とした倉庫内に響き渡った。
「ええい、開け! 開かんか、この……ぐぬぬ……うおおおーっ!!」
隙間に指を突っ込み無理矢理抉じ開けようと試みたその時だ。先ほどまでうんともすんとも言わなかったハッチが唐突にするりと開き、勢い余って中に転がり込んでしまった。
「いてて……ん、なんだこの柔らかい感触は……おっ?」
顔を上げると何故かそこには見知らぬ少女の顔があった。否、厳密には見知らぬというわけではない。ほぼ見知らぬ少女である。少年は自らの右手がその胸をしっかりと掴んでいる事を確認し、更にその手を何度か開閉しそれが胸である事を確認し、静かに頷いた。
「なんというお約束……じゃなくて、おい! 大丈夫か!? しっかりしろ!!」
少女はとても小柄であった。胸は……なるほど、それほど小さくはない。いやそうではなく。抱き上げてみると少女の首筋からケーブルが延びているのがわかった。どうやらコックピット内にある装置と接続されているようだ。服装は肌にぴったりとフィットした俗に言うパイロットスーツのようなもので、まあ裸より幾分かましかといった有様だ。
「こいつ、座席が二つあるな。と言う事は二人乗りってわけか……。この子は後ろの装置に繋がれているから、後ろの席のパイロットって事だろうな」
一人で納得し、再び少女に声をかける。すると僅かに身体を震わせた後、少女はゆっくりと瞳を開いた。淡く光を帯びた金色の眼差しが銀の髪の合間に揺れ、確かに少年の姿を宿した。
「おはようございます。これより初期設定を開始します。まずはマスター情報の設定を行ないます。マスターの名前を登録してください」
唐突に機械的に喋り出す少女。少年は間髪入れずに真顔で答えた。
「俺の名前は峰岸聖。聖なると書いてヒジリと読む。年齢は十七、高校二年生で帰宅部。何の変哲もないただの一般人だ。好きな物はバナナパフェ。嫌いな物は梅干と納豆だ」
「登録中、登録中……完了。次にマスターのDNAチェックを行ないます」
突然少女は聖の顔を両手で掴み、徐に唇を重ねた。余りにも何の前触れもなくそんな事になったものだから呆けている聖に対し、少女は容赦なく舌を突っ込み唾液をむさぼった。唇が離れた後も口の中で無表情に咀嚼し、目を閉じ頷いてみせる。
「チェック完了……登録完了。DNAに異常ありません。これより自我の覚醒を行ないます。ゼブンブライド、ナンバー3……タイプ・ウルシェ、起動します」
暫し目を閉じた後、がくんと身体を揺らして少女は目を開いた。それがまるで電車で居眠りをしていたかのようだなと、聖は少々的はずれな事を考えていた。
「おはようございます、マスター。マスター? どうしたんですか?」
「俺の初キッスが……いや、厳密にはちっちゃい頃にした事あるけどよ……。こんな唐突に俺の唇が奪われてしまうなんて……もうお嫁にいけない……」
顔を両手で覆ったままくねくねする聖。少女は真顔でその肩を叩く。
「マスター、隠すのであれば顔ではなくご立派な下半身にすべきではないでしょうか? このままだと万が一アニメ化した場合、下を一切描写する事が出来ません」
「ですよね……。でも服がねーんだから仕方ないだろ。つーか少しは恥らって下さい」
「いやーん、まいっちんぐー。でも気になっちゃう複雑なお年頃……ちらちらっ」
顔を手で覆いながらも指の隙間から視線を送る少女。その動作の一切に感情が篭っておらず、わざととしか思えないような棒読みであった為、聖はもう棒の事は気にしない事にした。
「で、お前は一体なんなんだ?」
「セブンブライドシリーズナンバー3、タイプ・ウルシェです。ウルシェ・ザ・ホワイトなんて呼ばれる事もあります。そしてマスターのお嫁さんでもあります」
「待て待て、行き成り横文字をドバっと出すのはやめろ。あとお嫁さんってなんだ」
「お嫁さんも知らないなんて……本当に義務教育受けてるんですか? かわいそうな子……」
「小中は皆勤だったわ! 学校好きだったからな! そうじゃなくて、何で出会って五分で即お嫁さんなんだよ! 初キッス奪われて下半身凝視されてさあ! そういうのさ……そういうえっちなのって良くないと思うんですよ!!」
「そんな事言って、本当はちゅーするのも下半身を視姦されるのも好きなくせに」
「好きだけど段取りってもんがあるの! 俺は純情なんだ。まずはお友達から、そこから徐々に展開されるラブコメディ……恋愛ってのはな、過程も楽しんでナンボだろーがよ!」
ウルシェを力強く指差す聖。と、その時倉庫全体を激しい揺れが襲った。それに反応してか否か、勝手にハッチが閉ざされコックピットの中に光が灯って行く。
「付近で戦闘が起きているようです。このままここに居ても危険なだけですから、一先ず脱出しましょう。マスター、この機体……エクセルシアを使ってください」
「エクセルシアっつーのか。なんだ? 初めて聞いた筈なのに、懐かしい感じがする……」
ぽつりと呟き操縦席に腰を下ろす。操縦間には指輪のような装置が付随しており、そこに指を通してしっかりと握り込む。まるで何度も繰り返しこの椅子に座った事があるかのように聖は自然な流れで機体の立ち上げを行った。
「こいつ……動かせるぞ!?」
「エクセルシアにマスターのDNAを登録しました。これよりこの機体はあなたの専用機となります。操縦はスーパーシンプル。大体考えたとおりに動く、です」
立ち上がったエクセルシア。それが僅かな間を置き、唐突にポーズを取った。次から次へとポーズを変え、最終的には踊り出す始末である。
「コマネチコマネチ! うおおすげーマジで思い通りだ! ポウッ!!」
「すごく……ユニークな動作確認です……」
「エクセルシアァアアアアアッ!! 大地に立つッ!!」
両腕を広げて雄叫びを上げるエクセルシア。聖は渾身のどや顔でウルシェを顧みた。それにウルシェが一切反応しなかったその時、格納庫を閉ざしていた隔壁を突き破り輝光機が飛び込んでくる。赤いカラーリングのトリフェーンは引き連れていた無数の虫のような生き物を銃で撃ち殺し、死骸を背にエクセルシアへと銃を向けた。
「こんな所に輝光機……? そこの機体、どうしてここにいるの? 所属と名前を答えなさい! さもなければ……撃つ!」
「いや、なんでそーなるねん。俺の名前は峰岸聖! 所属は……明瞭学園高等部、二年B組だ!」
堂々と宣言した直後、トリフェーンのライフルが光を放った。弾丸はエクセルシアの顔の直ぐそばを通過し背後にあったコンテナに大穴を空ける。
「ふざけているの?」
「ふざけてんのはお前だ馬鹿! ちゃんと答えたのに撃つやつがあるか!!」
猛抗議はそのまま動きになって現れる。飛び跳ねながら腕を振るエクセルシア。その余りにも軽快すぎる挙動にルメニカは目を細める。
「まさかこれが……伝説のアーティファクト? ヒジリとか言ったわね。貴方――」
会話を中断したのは先ほどルメニカが空けた穴から雪崩れ込んできた無数の虫であった。身体全体を光で構成された怪物はぞろぞろと近寄り、何故かルメニカではなく聖を囲う。
「なんだこのキモいのは……?」
「輝獣、エトランジェです。輝光石をコアとしたエネルギー生命体です。端的に説明すると敵です。そして今私達は狙われています」
「どうしてあっちの赤いロボットじゃなくて俺達を狙ってくるんだ?」
「それは……説明している暇はありません。マスター、前です!」
鎌のように鋭利な前足を振り上げながら襲い掛かる輝獣。ルメニカが咄嗟に銃を向けたその刹那、エクセルシアの放った蹴りが機銃の顔面に突き刺さっていた。
追撃する別個体も拳で殴り倒し、掴んで投げ飛ばす。最後に跳躍して踏みつけると、光の霧を撒き散らしながら悲鳴を上げる怪物の頭をぐしゃりと粉砕して見せた。
「ウルシェ、なんか武器はねーのか!?」
「あります出します。装甲と武装をマテリアライズ……五秒下さい」
瞳を輝かせるウルシェ。するとエクセルシアの胸部にある結晶が白く輝きを増し、周囲に白い霧状の光を放出した。それはエクセルシア周辺に停止した後、吸い戻されるようにしてエクセルシアの各所に収束、結晶化して装甲を形成していく。
それまでのエクセルシアは聖の感想通り地味であった。だがそれはフレームの状態だったからである。白く輝く光の装甲を帯び、虚空に実体化した拳銃を掴み取る。最後に首の回りに回転した光が帯となり、マフラーのようにふわりと棚引いて見せた。
「エクセルシア、モード・スノードロップ――起動」
指先で拳銃をくるりと回し怪物へと突きつける。引き金を引けば発射された白い光の弾丸が怪物を次々と撃ち抜き、一瞬で全ての輝獣は霧散して消えていった。
「うひょー、つえーなこのロボ。そっちの女、大丈夫か?」
銃で肩を叩きながら振り返る聖。その視線の先、ルメニカは瞳を見開き息を呑んでいた。
「見付けた……オリジナルタイプ……伝説のアーティファクト……!」
歩み寄るトリフェーン。聖はコックピットで不思議そうに首を傾げていた。