Ragdall Town(5)
僕は今朝九時に出発する電車に乗ってこの街を出ることを決めた。
それはわざわざ言葉を交わさなくたって、同じ部屋で一緒に食事をするタクマとマツモトにも分かっているみたいだった。
朝の光の差し込む食堂には僕とタクマとマツモトの他にも、二つのぬいぐるみの姿があった。マツモトの奥さんと娘さんだ。
彼らは四人で一つのテーブルを囲み、僕は隣のテーブルに座って朝食を食べながらそれを見ていた。
「外から来た人が見ると、やっぱり変に思うよな。でもお客さんがいないときは、いつもこうして四人で食事してるんだよ」
そう言って照れたような表情を見せるマツモトに、タクマはからかうように言う。
「全く……いつまでたっても家族離れができないんだからさ」
それはいびつではあるものの、一つの家族の形であるように僕には思えた。そもそも世の中にいびつな形をしていない家族なんて存在しているんだろうか。
食事を終え、食堂を出るときに僕が「ありがとう」と言うと二人は少し寂しそうな表情をしてみせた。
彼らは言葉に出してそうは言わなかったけど、できることなら僕にこの街に残って欲しかったのかもしれない。なんて、考えすぎだろう。
カウンターに鍵を置くと、僕はホテルペットサウンズをあとにした。背中にはリュックサック、ポケットには赤い切符を突っ込んで。
朝のぬいぐるみの街を歩く。のぼり始めた太陽が昨晩できた水たまりをきらきらと反射してきれいだった。
駅に向かう途中もいろんな人が歩いていて、その誰もが大事そうにぬいぐるみを抱えていた。男の人、女の人、若い人、お年寄り、髪が黒い人、茶色い人、中には肌が白くて目が青い人もいた。
そんな人たちを横目で眺めながら歩く僕は、すぐに自分が寂しいと感じていることに気が付く。そうだ、僕はいつの間にかこの街が好きになっていたんだ。
この街には過去があって、悲しみがあって、そして人がいる。この街では誰もがひとりきりだけど、きっと誰もひとりぼっちじゃないんだ。うまく言えないんだけどさ。
でも僕は歩くのをやめない。
だって僕は教えてもらったんだ。誰かを失った悲しみは、決して消えない、過去を無かったことにすることはできないんだってことを。
だから僕は歩くのをやめない。
ひょっとすると僕はまた逃げてるだけなのかもしれない。悲しみと向き合うこと、過去と向き合うこと、そして逃げることからも逃げたとき、一体僕はどこにたどり着くんだろう?
風がびゅうと吹いて、僕の目の前でぬいぐるみを落とした若い少年は慌てて転がる少女のぬいぐるみを追いかけていった。僕は少しはにかんで、また歩き始めた。
「この街にいることにしたわ。彼と一緒に」
駅前で髪の長い男性のぬいぐるみを抱いて僕のことを待っていたチエがそう言っても、僕はそこまで驚くことはなかった。
風に髪をなびかせて微笑む彼女の表情は本当に穏やかで、現実の世界で嫌なことを思い出して傷つきながら生きるよりも、こっちの世界で美しい過去だけを見つめて生きる方がよっぽど彼女にとって良さそうに感じた。何より化粧もしっかりしているしさ。
「これ、あなたにあげるわ」
彼女がそう言って差し出したのは、川田千恵という名前の書かれた赤い切符だった。
「私、もうあの世界で生きるのに疲れちゃったの。だからこの世界とあの世界を繋ぐこの切符はもういらない。幸いこっちで寄ったカフェで店員を探してたみたいだし、分からないことばかりだけど何とか頑張ってみるわ。じゃあ元気でね」
「うん……チエも元気で」
「だからチエさんだって!」
僕らは笑い合って、手を振って別れた。
薄い雲のすき間からのぞいた晴れ間は、遠ざかる川田千恵の背中を明るく照らしていた。
結局、この街の町長であるシンオカとまた会うことはなかった。彼はこの街でやってくる傷ついた人たちを救い続け、僕は次の街へ進む。
相変わらずたくさんのぬいぐるみの置かれているホームに入ると、意外とたくさんの人がいることに驚いた。降りる時は意識しなかったけど、かなりの人がこの電車に乗っていたみたいだ。いったい何人の乗客がこの街に留まる決断をしたんだろう。
「ドアが閉まります。駆け込み乗車はご遠慮ください」
しゃがれ声がそう告げて、僕らの電車のドアが閉まる。空いた座席につくと、電車はゆっくりと走り始めた。
たった二日間しかいなかったはずなのに、それはもっともっと長い時間だったような気がした。遠ざかっていくぬいぐるみの街を、僕は頬づえをついて眺め続けた。タクマやマツモト、それにチエやぬいぐるみを抱えたたくさんの人のことを記憶に留めておこうとするみたいに。
しばらくして街が完全に見えなくなると、少しずつ木が多くなり、やがて街に来る前に立っていたネズミのキャラクターのオブジェが現れた。そのオブジェは、今度は僕らを見送るように機械的な動きでゆっくりと手を振っていた。
相変わらず不気味なオブジェに片手で軽く手を振ると、僕はカーテンをおろして目を閉じた。電車は日の中を進んでいき、長い警笛を鳴らすとトンネルに入っていった。
Ragdall Town END.