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Ragdall Town(3)

「もう坊主にも分かっただろう? ここは大切な人を失った、大切な人を失った悲しみを振り切れなかった人たちが暮らす街だ」


 そう言ったマツモトはどこか寂しそうで、僕はその顔を見つめていることができずとっさに目を逸らしてしまう。

 朝の食堂には僕とマツモトの二人しかいなかった。タクマはまだ寝ているんだろうか。僕の目の前にはサンドイッチとオレンジジュースが並んでいる。


「マツモトさんは奥さんと娘さんを、その……」


「ああそうだ。交通事故だった。免許を取り立ての学生が危険な運転していて、俺たちは事故に巻き込まれたんだ。運転していた俺だけが助かって、助手席と後部座席に乗っていた二人は直視できない程、ぐちゃぐちゃになっちまった。あちこちから骨とか、内臓が飛び出ているような」

「ひどい……」

「どうして俺だけ助かったんだ、って思ったのも一度や二度じゃない。妻と娘のいない世界なんて俺にとっちゃ毛ほどの価値も無かったんだ、実際の話。それでも俺はこうして生きていた。だから俺は逃げ出したんだ。家も仕事も、何もかも捨てて。死んじまってもいいと思ってたんだろうな。でも俺はこの街に来て、事故があってから初めて安らげる時間を手にしたんだ。それはきっと、何ものにも変えられないものなんだよ。大切な人がそばにいるこの感覚は。知ってるか? ぬいぐるみにはな、その人の魂が宿っているんだよ。坊主には、大切な人はいないのか?」

「いたけど……今はもういない」

「そうか。なら、これを持っていけ」


 マツモトはそれだけ言って一枚の地図を取り出して僕にくれた。

 僕はその目印の付いた建物のある場所に覚えがあった。チエも話をしていた、街の中央にあったやけに目立つバニラ色の建物だった。


「一度そこに行ってみるといい。無理にとは言わねぇがな」

「ありがとう」


 そうして訪れた沈黙は、すぐに扉の開く激しい音に弾き飛ばされた。


「悪ぃ、おっちゃん。また寝過ごしちまった」

「遅ぇぞ、タクマ。遅れた分はきっちり給料から引いとくからな!」


 僕は笑う。そして一度部屋に戻ってベッドの下に落ちていた『ライ麦畑でつかまえて』を読んで、昼ご飯のオムライスを食べてからその建物に向けて出発した。

 高い空は雲におおわれていて、今にも雨が落ちてきそうだった。

 ぬいぐるみ、ぬいぐるみ、ぬいぐるみ……。でもそれはただのぬいぐるみじゃない。街を歩く人々が抱いているのは、確かに彼らにとって親愛な人そのもののように見えた。僕はいつの間にかそんな風景に違和感を感じなくなっていたんだ。

 建物に向かう途中で、僕はぬいぐるみを抱いてない子どもを見かけた。それはよく見ると、この街に来たときに電車の同じ車両で見かけた子どもだった。

 小学校中学年くらいだろうか、黒いランドセルを背負った少年からはいかにも真面目そうな雰囲気が滲み出ていた。ピシッと揃えられた襟足とか、歩き方とかそういったものから。

 少年はひどく不機嫌そうな顔をして通りを歩いていたけど、すぐに僕に気が付いてこちらに向かって近づいてきた。彼も僕の顔を覚えていたんだろう、彼は僕の目の前に立つとこう言った。


「あなたもここの住人になるんですか?」

「ここの住人って?」


 僕がそう問い返すと、少年はふぅと神経質そうなため息を吐いた。なんだかムカつくガキだな。


「もしあなたがこの街を気に入れば、あなたはあなたの大切な人のぬいぐるみをもらって一生ここに住むことができるそうですよ。仕事を探して、住むところを探して。そんなことをする人たちの神経が、僕には理解できないですけど」


 僕はその少年に対して何か言い返そうとしたけど、すぐに思いとどまった。僕は別にこの街の住人って訳じゃないんだ。

「僕が勉強だけしていれば父さんは満足なんだ。別に僕じゃなくたって、ロボットでもいいんだ。ただ父さんの言うことを聞いて勉強していれば……」


 ぶつぶつとそんなことを言っていた少年はそこで我に帰ったのか、ふと僕を見上げると、顔を赤くして走り去っていった。

 ここは愛する人を失った人たちの街。愛さず愛されなかった人には、きっとどこよりもくだらない街に見えるんだろう。そして僕にとっては……。

 僕はそのまましばらく目的の建物を目指して歩き続けた。

 まるでロールプレイングゲームに出てくる教会から十字架を取り外したみたいな建物だ、僕は改めてその建物を見つけてそんな風に感じた。僕は三秒だけ迷って、その扉をぎいっと開いた。


「やぁよく来たね。待っていたよ」


 そう言って僕を出迎えたのは五十代くらいの、神父さんが着るような無駄な装飾の少ない真っ黒な服を着た男だった。妙に黒々とてかった髪と、その下の笑顔を貼りつけたみたいな大きな顔を見て、あまり好きになれそうにないタイプだと僕は勝手に思った。

 彼はまるで市役所の受付みたいに、僕の胸くらいの高さのある仕切りの向こうに立っていた。

 仕切りを挟んでこちら側には椅子が五客並べられていて、そのうちの一客には鼻をすすり、ハンカチで目元を拭う若い女性が座っていた。受付を前にして左手の方向には、二つの質素な造りの扉が並んでいる。


「初めてなら説明しよう。左の扉がぬいぐるみ工場、その名の通りぬいぐるみを作っている。右の扉が魂呼びの部屋、ぬいぐるみに魂を吹き込む。胡散臭いだろうけど、本当にそこで魂の一部を呼び寄せることができる。まぁここで君に詳しい説明をしても無駄だけどね」


 神父のような男の明るい声は、その部屋の雰囲気に完全にそぐわなかった。だってその部屋の雰囲気っていったら、まるで葬式みたいに重苦しかったんだ。彼はさらに続ける。


「写真、似顔絵、何だっていい。その人の特徴の分かる何かがあれば、あとはうちの職人たちに任せておけばいい。そうして出来たぬいぐるみに、私が魂の一部を本人から借りて吹き込む。その人が生きていようがいまいが魂は消えないものなんだよ。その人が生きた証はずっと残るものなんだよ」

「あの……」


 僕があまりに唐突でどうすればいいのか分からずに口ごもっていると、神父はさらにまくし立てた。本当によく喋る男だ。


「いや、いいんだよ言わなくて。君くらいの子どもにだって、死にかけのおじいさんにだって、何かを失う痛みっていうのは平等なんだ。その痛みから逃げることは間違ったことじゃない。君はもう知っているはずだ、悲しみから逃げるのは決して間違ったことじゃないんだって」


 そこで男はひと息ついて、またにっこりと笑って話し始める。


「さぁもし君に大切な人がいるならここにサインしてくれ。それで契約完了。君は大切な人のぬいぐるみを手にして、二度と誰かを想って悲しむことはなくなる。だって君の大切な人はいつだって君のそばに居続けるんだからね。大切な人と一緒に、ここで住むところと仕事を探せばいい。ん、私かい? 私はこの街の町長でシンオカという。魂を呼べるのは本当だがこの格好は趣味だ、気にせんでくれ」


 シンオカは僕に1枚の紙を差し出した。そこには『住民登録用紙』と書かれていた。さっきの少年はここに来たんだろう、僕はあの口ぶりを思い出してピンときた。

 その紙を受け取った僕の頭に浮かぶのは、優しい時の母さんだけじゃなかった。僕は激しい雨の降ったあの夜のことを思い出していた。


「僕は……ここの住人にはならないよ。こんな紙はいらない」

「そうかな? 私には君がひどく迷っているように見える。まあ電車が出発する明日の九時までに、決めてくれたらいいよ」


 それだけ言い残してシンオカは魂呼びの部屋に入っていった。

 しばらくそのままそこに立っていたけど、手持ち無沙汰になったので外に出ようとすると、後ろから椅子に座っていた女性の声が聞こえてきた。

 振り向くと、彼女は魂呼びの部屋から出てきたシンオカからぬいぐるみを受け取っているところだった。短髪の利発的な顔をした、若い男性のぬいぐるみだ。


「分かるわ。この中に彼がいる……。私、分かるもの。信じられない、あぁなんてことなの!」


 僕はその言葉を聞き終わらないうちに、扉を開けて外に出た。

 本当はひどく迷っていたんだと思う。だって母さんが変わってしまったあの日から、僕の胸は寂しくて悲しくて何度も張り裂けそうになっていたんだから!

 でも、だからといって町長の話をすべて鵜呑みにすることはできなかった。彼は二度と誰かを想って悲しむことはなくなる、って言ったんだ。じゃああのすすり泣きの理由はなんだっていうんだ。

 ぬいぐるみを抱いてひどく満たされた表情の女性が扉から出てきて、僕はどうしてかそこから逃げるように走り出した。

 僕はそのまま建物のバニラ色の壁にそって走った。体育館くらいの大きさだろうか、僕は昨日その大きな建物を見つけたときに見かけた窓を探した。

 ……見つけた、あれだ。

 横長のその窓の向こうには、間取りを考えると町長が魂呼びの部屋と呼んだがあるはずだ。そこを覗けば何かこの街やぬいぐるみについて分かるかもしれない。冷静に考えれば、魂を呼ぶって話は相当うさん臭い。

 この通りはちょうど人通りも少ないし……でも本当にそこで魂を呼んでいたとしたら……?

 僕はそのまましばらく迷っていたけど、やがてその窓に背を向けてしょぼしょぼとボロホテルへと帰っていくのだった。

 ペットサウンズの前にはタクマが腕組みして立っていた。

 何をしてるんだろう? 僕がちょっと離れて訝しんでいると、すぐにタクマは僕に気付いたようで片手をあげた。僕もまるで友達みたいにそれを返した。


「お前を待ってたんだ」


 タクマはそう言ってにやりと唇の端を上げるようにして笑った。それは本当にいやらしい顔で、僕は彼が何だか良くないことを考えてるっていう気がして無意識のうちに半歩下がってしまう。


「俺はさ、今まで何人もこの街に来た奴らを見てきたんだ。そいつらの多くが二日でこの街を去り、何人かはこの街に留まって暮らしている。でもそいつらはどちらも、結局のところこの街のことを大して分かっちゃいなかったんだ」

「どういうこと?」

「お前も聞いただろう、あのすすり泣きを。大切な人を失った悲しみはな……いや、やめとこう。今言ってもどうせ無駄だ。今夜九時にここで待ってる、この街に留まるか迷っているなら来るといい。お前にこの街のゲンジツを教えてやるよ」


 それだけ言うとタクマはドアを開けてペットサウンズの中に入っていった。

 ズリ下ろしたズボンからは派手な下着がのぞいていて、僕はこの世界と今までの世界が繋がってるっていうことをなんとなく実感するのだった。

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