Minority Town(1)
「次の停車駅は少数決の街~、少数決の街~」
アナウンスからはそんなしゃがれ声が流れた。でも少数決って? よく聞く多数決じゃないの?
そこがどういった街なのか、ほんの少しも想像するヒマさえなく、電車は速度を落としていきホームに到着してしまう。
これまで通ってきた駅に比べると、特にこれといった特徴のないホームのようだった。僕はそのホームによく似たホームのある駅を知っていた。もちろんここに来る前の、僕が以前いた世界でのことだ。
電車が完全に停止すると、ぶしゅるるるるるるー。という音を吐き出しながら扉が開き、それぞれのドアからどことなく不安げな表情を浮かべた乗客たちが降りていった。僕もその短い列に並び、一番最後に電車から降りた。
今まで通ってきた街と同じように、電車は二日後の午前九時に出発するというしゃがれ声の車掌のアナウンスを思い返しながら、僕はホームを改札に向けて歩き出す。ホームから改札の伸びる廊下と改札は屋内にあるため、まだ街の様子を見ることはできなかった。
それにしても……そこは本当に何の変哲もない小奇麗なホームで、他の乗客同様、身構えていた僕は拍子抜けしてしまった。
少し気になることといえば、妙に目に付く黄色い点字ブロックや車椅子用のエレベーターなど、ちょっとウザいくらいのバリアフリーな設備くらいか。まぁ今の時代、このくらいは当然……なのかな?
人混みというほどの人混みじゃないけど、電車にはまだそれなりに人が乗っているみたいだった。改めて赤い切符を使う人間の多さに驚きながら、僕はその最後尾を一人、ぽつねんと歩いていった。
彼らは駅員と数秒、何かのやり取りをしてから次々と改札を出て行った。その向こうにイケダ兄弟の横顔を見つけると、僕はわざとペースを落として、彼らに追いつかないようにゆっくりと改札に向かった。仲が良いのか悪いのか、二人は微妙な距離をとって並んで歩いているようだった。
すぐに改札は僕の順番になり、僕は女性の駅員に赤い切符を差しだして見せる。彼女はその切符にちらりと目をやるだけで、物も言わずにポケベルのような機械を僕に差しだすので、僕はとっさにそれを手に取った。
マッチ箱より少し大きいくらいの大きさで、よく見ると手首や足首に巻けるようにかベルトがついていた。
「ありがとう」
僕はとりあえずそう言ってそれを受け取る。そして当然のように沸いてくる疑問を、彼女に尋ねてみる。少し恥ずかしかったけど、それを知らないことによって自分の命が脅かされるということが、ここでは起こらないとも言い切れないんだ。
「それで、この機械は何なのかな? ポケベル、じゃないよね? 腕時計……にしては時間が分からないようだけど」
彼女は――おそらく三〇歳前後だろう。鼻は大きいけど少し垂れた目がぱっちりと大きく、それなりに整った顔をした彼女は、僕の顔をちらりと見ると一枚の紙を差し出した。
それから、これで私の仕事は終わりだと言わんばかりにふうと大きく息を吐くと、その場を去っていってしまった。列の最後尾にいた僕はそのまま、なんとなく彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送ってしまった。
「さて……」
僕はとりあえずその汚い文字が並んだ紙に目を通してみることにする。そうしなければ、きっとこの街では何も始まりはしないんだろう。
そこにはこう書かれていた。
ようこそ少数決の街へ。
ここは少数派の人間、すなわち神に選ばれた者たちが集まる場所。それゆえに、人間と同じように少なく貴重な意見こそがここで採用されるべき意見である。
ここで君たちが行うことは私が飛ばす質問に答えるだけ。簡単だ。
それでは下にその方法について記す。君たちがこの街にふさわしい人間であることを祈る。
1、改札で受け取ったセレクトベルを腕につける。
2、セレクトベルに配信される質問に、ベルのYESかNOのボタンで答える。
3、その回答をこちらで集計して、君たちは少ない方の意見に必ず従わなければいけない(結果は集計後、自動的にセレクトベルに配信される)。
これだけ。簡単だろう?
最後に言っておくが、もしもセレクトベルの質問に関して『ある条件』を満たした者がいた場合、その者に罰を与えることとする。
残念ながらその条件は教えられない。なぜなら、そっちの方がスリリングでおもしろいだろう?
そこで紙に書かれた文字は終わっていた。ひどく趣味の悪い人間みたいだ、僕はその文章を書いた人物についてそう確信する。
郷に入れば郷に従えか。僕はまず文章の中でセレクトベルと呼ばれていた小型の機械を左の手首の腕時計の上に巻き付けてみた。
僕はポケベルというものを昔の漫画でしか見たことはないけど、形はソックリなんだと思う。マッチ箱のような横長の長方形をしていて、上半分には十文字程度の文章が読み取れる液晶画面が、下半分には二つのボタンがついている。YESとNOの、ただ二つのボタンだ。
罰というのは少し怖いけど、僕はとりあえずホッとしていた。なんというかこの街の雰囲気は、犯罪被害者の街と比べると暴力とは遠いところにある気がしたから。
腕時計は午後一時を指していた。
そこでようやく、僕にその街の景色を見渡す余裕のようなものが生まれてきた。
緑の多いのどかな街だった。駅前には歩行者の広い通路がいくつかの方向に伸びていて、その横には背の高い木々が等間隔に植えられている。造りの似た、比較的大きな木造建築も通路沿いに並んでいて、どの家も庭が広く、そこには芝生や花が植えてあったり犬が離されていたりした。
赤い切符を使ってやってきたとは思えない、新興住宅地、そんな言葉が似合いそうな場所だった。
セレクトベルや、それに関連する気になることも多かったけど、僕は駅前の通りのひとつを道なりに進んでみることにする。他の乗客たちも、それぞれ戸惑いながらも先に進んでいったようだった。
歩き出して二分も経たないうちに、通りをこちら側に歩いてくる二人組の男女を見つけた。駅のほうに向かっているということはこの街の住人かもしれない。夫婦だろうか、二人は仲むつまじく、隣り合って自走式の車椅子を走らせていた。
「こ、こんにちは」
しばらく迷ったあげく、すれ違いざまに声をかけてみると、二人は同時に車椅子を自走する手を止めた。
二人は少し驚いた様子で、一度顔を見合わせた。おそらく二十代後半だろう、車椅子の男性のほうは、それから僕を上から下までたっぷりと眺めてこう言った。
「あなたは電車に乗ってやってきた、よそ者なのか?」
僕はしばらくその言葉の意味がよく分からなかったのと、男性が発した言葉にいくぶんか含まれていたとげに萎縮したのとで、しばらく押し黙ってしまったけど、やがてこくこくと小さく頷いた。
すると今度は男性と同い年くらいであろう車椅子の女性のほうが、柔和な笑みを浮かべて、
「じゃあ気を付けた方がいいわ。ここではあなたが正しいと確信していることが、本当に正しいとは限らないから」
彼女の言葉にも少しとげが含まれていた(ように僕には思えた)。それだけ言うと、女性は車椅子を走らせはじめてしまった。残った車椅子の男性は、少しためらうような素振りをみせた後に、女性が声の届かない場所まで離れたのを確認してから小さな声を出した。
「見れば分かるだろう、僕らは脚を失った少数派さ。だけど、僕らはもう君たちのように脚のある多数派をうらやんで生きるのは止めたんだ。簡単に言えばここはそういう街。変な街かと思うかもしれないけど、少数決っていうのはそういう僕らの意志の現れみたいなものだと思ってよ。ここでは少ないから弱い、少ないから脆いっていう考え方はしないんだ」
そう言う男性の手首には、僕と同じようにセレクトベルが巻かれていた。
そのまま立ち去ろうとする男性に、僕はこの街のホテルの場所を聞いてみた。男は丁寧にこの街に二つあるというホテルの場所を説明してくれた。そして別れの挨拶もなしに、彼は女性の背中を追って車椅子を走らせてしまった。
脚のない人を見たのは初めてだった。
走れないというのは、歩けないというのは、人と違う姿というのはどういう気持ちなんだろう……。いくら考えたって、そんなことは想像すらできるはずなかった。
僕は歩き出す。男に教えてもらった通り、交差点を右に。突き当たりを左に曲がると現れたのは『SLEEP JOHN B』というホテルだった。
ホテルに着くまでの道には、しっかりと手をつないだ二人組の男や、顔の右半分が紫に腫れ上がった中年の女性がそれぞれ何をするでもなくぼんやりと立って道行く人々を眺めていた。
彼らは僕のことも感情のこもらない瞳でじっと見つめ、車椅子の男女のとげの含まれた言葉なんかも思い出して居心地の悪くなった僕は、自然と足早になってホテルへの道を急いだ。
『SLEEP JOHN B』は灰色の壁に小さな窓の並んだ寂しげなホテルだった。どこか監獄のような雰囲気さえある。五階建てのホテルの屋上には『HOTEL SLEEP JOHN B』と書かれた大きな看板が置かれていた。
「いらっしゃいませ」
ホテルに入った僕を迎えたのは(こういう言い方は失礼かもしれないけど)普通の男性だった。整髪料で髪を撫でつけ、ビシッとしたスーツを着こなした仕事ができそうな印象の若い男だ。
ホテル自体も外観は綺麗とはいえないにせよ、内装は今まで泊まった中では一番綺麗で格式が高そうだった。
僕はいつものように二日分の部屋を取り、男から鍵を受け取った。数えるのが怖いから正確な金額は分からないけど、この時点で僕はだいたい所持金の半分程度を遣ってしまっていた。
おそらく僕と一緒に電車に乗ってきたであろう何人かが、どことなく安堵したような表情を浮かべてコーヒーすすったりタバコを吸ったりしているロビーを抜け、僕は三階の自分の部屋に入りほっと息をついた。
「家を出てからまだ一週間足らずなんて、信じられないや」
ベッドにばふんと横になりながら、僕はしみじみとそうつぶやいた。すぐに起き上がるつもりだったけど、僕はそのままウトウトと眠りに落ちてしまう。
昨晩、電車の硬い座席で眠ったせいで眠りが浅かったのかもしれない。でもきっとそれだけじゃない。まだ子どもの僕は、一度にいろんな物を見すぎて、いろんな価値観に出合いすぎて、心や体を落ち着かせることができないほどに疲労していたんだ。




