がたん、ごとん。(2)
眠っているのに何かを考えるというのは、ひどくたとえがたく不思議な感覚だった。まるで思考だけが、ぷかぷかと宙に浮かんでいるみたいな。
それはきっとイケダの言葉のせいだ。イケダの言葉がまるで亡霊みたいに、僕の思考に取りついていたんだ。本当にいい迷惑だ。
周りに馴染めないって、どういうことなんだろう? 夢の中、自問する僕はふと叔父さんのことを思い出した。それは夢であると同時に、僕の記憶の再生でもあった。
東京にある有名大学を卒業した叔父さん。その後すぐに世界的にも名の知られている一流企業に就職し、一月もしないうちに辞めてしまった叔父さん。おばあちゃんはそのときのことを一度だけ僕に話してくれた。
「あの子は勉強は一番だったけど、小さい頃から引っ込み思案で人付き合いが上手いほうじゃなかったからね……。そういう人間を狙ってうさを晴らそうとするハイエナみたいな連中は、どこに行ってもいるもんだよ」
その後、叔父さんは名前もないような小さな山のふもとでほぼ自給自足の生活をはじめた。僕はその場所――だけじゃなくて叔父さんの発する穏やかな雰囲気が気に入って何度も足を運んだ。
畑にくわを突き刺す、いつも寂しそうな叔父さんを背中を見るたびに、小さな僕はどこか寂しいような悲しいような気分になるのだった。
無愛想だけど優しくて、手がとても大きかった叔父さん。自宅で孤独死し、葬式にはほんの数名しかやってこなかった叔父さん……。
そして僕の夢、記憶の再生は唐突にそこで終わる。
薄く目を開けると横長の視界にパンダが飛び込んできた。
ぼってりとした体つきに、黒いふちの中の小さな瞳がかわいらしい。いつか誰かと「パンダの尻尾は何色だっけ?」って話をしたけど、それを見る限りパンダの尻尾は白みたいだ。
電車の窓から見えるのは、絶滅危惧種であるパンダの巨大なオブジェだった。
田園の真ん中に鎮座しているオブジェに、同じ車両に乗っていた8人の男女も気づいているようだった。全員がそちらに顔を向けて、それぞれが不安そうな表情を浮かべてパンダを眺めている。
僕はハッとしてこれまでの街のことを思い返してみる。
ぬいぐるみの街ではぬいぐるみのオブジェがあった。そして犯罪被害者の街ではナイフと縄のオブジェで、犯罪者を裁く意思を密かに現していたように思う。じゃあ次は……パンダの街?
いやいや待て……。僕は頭を振って浮かび上がった愛らしい想像を打ち消した。慌てなくても、電車は走り続けている。すぐに着くだろう、僕の知らない、新しい世界に。
十数メートルはありそうなパンダはやがて小さくなり、見えなくなってしまう。僕は座席のリクライニングを戻して、緊張から気持ちが昂ぶっていくのを感じながら到着の準備をはじめた。
「当電車はまもなく次の停車駅に到着いたします。お降りのお客様は忘れ物などなさらぬよう~」
やがて聞こえてくるしゃがれ声のアナウンスに、僕は電車を目を閉じ気持ちを落ち着かせる努力をする。
大丈夫、きっとこの前の街みたいなとんでもない街はそうそうないはずだ。うん。
窓の外にはいまだに長い田園風景が続いていた。遠い彼方にはあまり高そうには見えない山々が連なっている。そこはまるで、長い間、世界から忘れ去られたみたいな場所だった。
電車はスピードを落としはじめる。
元いた世界から逃げれるのなら、行き先はどこでもいいはずだった。でも今は、ひとつだけ願うことがある。できれば次にたどり着く場所が、暴力のない街でありますように……。