Criminal Town?(8)
規則正しい振動によって、僕は目を覚ました。
何時間くらい眠っていたんだろう、電車はすでに動きはじめた後のようだった。僕はリュックを抱え込むようにしたまま、本当に長い間眠っていたみたいだ。
「おはようございます」
聞きなれた声に驚き、顔を上げると、数時間前までは年配の女性が座っていたはずの席に見知った男が座っていた。
元警察官の彼は、僕の顔を見るとにこりと力の無い笑顔を見せた。
「おはよう、ございます」
「ふふ、まるで幽霊でも見るような顔ですね。私はちゃんと生きていますよ、証拠をお見せすることはできませんが」
「いや、ただ驚いただけで、証拠なんてそんな……」
僕がしどろもどろで言うとシミズはまた口元をほころばせた。
ちらりと窓の外に視線をやると、まだ犯罪被害者の街の面影の残る荒野のような土地が見渡せた。
次いで電車の中に視線を戻すと、シミズの他にもこの車両には街から戻った十人前後の人間が乗っていることに気づいた。彼らは一様に疲れ果てた顔をしていて、ひどい者は口をあんぐりと開けたままいびきをかいて眠ってしまっている。
きっと彼らは安心しているんだろう。それは僕だって同じだった。
僕らはいうなれば、正当化された殺人が日常的に行われる街から無事に抜け出すことができた。それができなかった人間だって少なからずいるんだ。頭の中にはハスイの憎らしい顔と死ぬ直前の苦悶に歪んだ表情がフラッシュバックして、すぐに消えた。
「本当に、ひどい場所だった」僕は自分にとも、シミズにともなく呟いた。
「確かに、ひどい場所だった」シミズはまるで遠い過去の苦い記憶を探るように同意して、
「それだけじゃなくかわいそうでした」と続けた。
「かわいそうってどっちが?」
元警察官という彼の立場からすれば犯罪被害者のことを指す気がするし、シミズが最後の最後に体を張ってかばおうとした犯罪者を指している気がしないでもない。
僕がじっと彼の答えを待っていると、彼は苦笑しながら言うのだった。よく見るとたった数日間で彼はひどく年老いたように見えなくもなかった。
「誰もがですよ。あの街にいる誰もが、私にはかわいそうに思えてならなかった。一度は固い決意を胸に抱いて逃げ出したはずなのに、結局のところ被害者たちも犯罪者たちも自分の過去からは逃げることはできない。もちろん犯罪を正当化するつもりはありませんけどね」
シミズは窓からどこか遠くのほうを見ていた。その視線を追って乾いた土地を眺めるうちに、シミズのことも同じように、マエダやハスイ、ぬいぐるみを持った少女や彼女の父親などあの街で出会ったすべての人のことを心からかわいそうに感じたんだ。それはシミズも同じだった。
犯罪と向き合うことから逃げ出した男も、結局のところ過去から、自分の生き方からは逃げられずに犯罪と対峙することになった。僕らがどこまで逃げようと、過去はまるで影のように忠実に僕らの後をついてくる。
「シミズさんはやっぱり警官には向いていなかったんだね。なんとなくだけど、僕はそう思うよ」
ふと思い付いて僕はそれだけ言った。その他に彼に伝えるべきことなんて僕には何もなかった。
「――はっはっは。確かに君の言う通りなんでしょうね……ふふ、はははっ」
僕の言葉を聞いてしばらくキョトンとしていたシミズが、いきなりせきを切ったように笑い出すもんだから、僕も何だかつられてしまい、昨日体験したばかりの壮絶も忘れて一緒になって笑ってしまった。
四人掛けの座席から明快に響く二人の笑い声。同じ車両の人たちは何事かとこちらの席をのぞき込んでいた。
だが次の瞬間、そんな和やかな雰囲気は一気に吹き飛んでしまった。
「キャアァァァァッ!!」
僕らの笑い声は、不意に聞こえた切り裂くような女性の悲鳴にかき消されてしまったのだった。
僕は驚き、何事かと慌てて悲鳴が上がったほうに目を向けた。だけどその場所を探し当てる前に、まるでその悲鳴が合図になったかのように、あちこちからひどく取り乱した声が上がり始めた。
「何なんだよ、あれは!?」
「狂ってる。何て奴らなんだ!」
「ひどい、ひどすぎるわ……」
彼らの視線を追っていくと、そこには首を縄でくくられ、木にぶら下げられた死体が大量に並んでいた。それも一体や二体じゃない。何十体という死体が、葉のついていない木々の一本一本にぶらさがり、まるで手でも振っているみたいに風に揺れているのだった。
彼らの顔に生気はなく、この距離からでもとっくの昔に事切れていることが分かる。中にはカラスに突かれ、目玉や内臓が飛び出した死体まであった。
「うぇっ……」僕は胃に不快なものを感じて、とっさに手で口を押さえた。
いったい何なんだよ、あれは……。
目の前に広がる光景を現実のものだと、僕はどうしても信じたくなかった。当たり前だ。だってあれじゃまるで――地獄そのものじゃないか!
それでも僕は、不気味に揺れる彼らから目を背けることができなかった。
死体の一部がきらきらと光っているのでよく注意して見てみると、死体の腹部にナイフが刺さり、どうやらそれが光を反射しているようだった。いや、その死体だけじゃない。気分が悪くなるのをこらえながらさらに別の死体にも目を向けてみると、比較的新しいものからほとんど原型が分からなくなってしまったものまで、彼らの体には共通して体のどこかにナイフが刺さっているようだった。彼らは全員、あのくだらない祭りの犠牲者なんだ。
僕はどうしてもその光景を見ていられなくなり、さっと視線を切って目の前に座っていたシミズに目を向けた。激しい怒りからだろう、彼の唇はぷるぷると震え、目は激しく充血していた。
そのとき彼が何を考えたのか分からない。でもその表情を見た僕は、シミズに声を掛けることがどうしてもできなかったんだ。やがて死体が遠ざかって見えなくなってしまい、気分が冴えないからトイレに行くと言い残してシミズが姿を消してしまうまで、ただの一言さえも。
結局、そのままシミズが戻ってくることはなかった。
窓の外の木々には少しずつ緑の葉がつきはじめ、やがて現れた大きな湖ではつがいの白鳥が仲むつまじく泳ぎ(僕には確かにそう見えた)、時おり魚がちゃぽんと跳ねた。
平和ってなんだろうな?
そんなことを考えようとしたところで、僕はごく自然に、ぷっと吹き出してしまう。何だかそんなことを考える自分が本当に馬鹿みたいで。そんなただの言葉についてあれこれと考えを巡らせることが本当に無意味に思えてきて。
僕らの想いに関係なく電車は走り続ける。
僕は必死で頭を空っぽにするよう努め、その確かに平和と呼べそうな気のする景色を眺めるのに飽きると、リュックから取り出した『ライ麦畑でつかまえて』に目を落とした。
Sufferer Town END.