Criminal Town?(5)
男は喧騒の中で叫んでいた。
その声は本当によく響き、聴くものの耳から入り込んでまるで体の内側から響いているみたいな錯覚を起こさせる程だった。僕は自分の体がぶるぶると震えるのを感じた。
男が言うには、その男には一人の息子がいた。気持ちの優しい、中学生にしては珍しく昆虫が好きな子だったそうだ。男は息子にあまり干渉こそしなかったものの、確かに息子のことを愛していたという。
ある朝、男は息子の様子がいつもと違うことに気が付いた。
その瞳には生気が無く、腕には無数の傷が付いていた。まだ新しく、痛々しい傷について問いただしても、彼の息子は嘘をついて男の質問をはぐらかした。男はそれ以上強く息子を問い詰めることをしなかった。
男の息子が行方をくらましたのはその数日後だった。
息子の腕の傷がちらつき、男は警察に通報するか迷った。
意を決して警察に連絡しようとしたところで、息子の部屋に彼の携帯電話が残されているのを見つけた。息子が行方をくらませた理由が分かるかもしれないと、男は良心の呵責を感じながら携帯電話をのぞき見た。そしてブックマークされていたあるサイトが男の目についた。
そのサイトはインターネット上に、アバターという自分を模した架空のキャラクターを作り出し、伝言板やミニメールで他のアバターと交流するといったサイトだった。息子のアバターの伝言板は、凄まじい中傷でいっぱいだった。
男は激しい怒りに我を忘れながら、自分のパソコンを使ってそのサイトに登録すると、息子を激しく中傷した人物との交流を図った。
驚いたことに息子をネット上で中傷していた男の中には息子の同級生もいた。その男は自己紹介を書く欄に、趣味は『いじめ(笑)』と書いていた。
息子はひどいいじめを受けていた。現実でも、癒しを求めて入り込んだと思われるネットの世界でさえも。
男は高校生のフリをして男たちとやり取りを続けるうちに真相にたどり着いた。
男に息子はネット上で中傷的な書き込みを続けていた五人に呼び出され、激しいいじめを受ける中で誤って殺されてしまい、最後には山に埋めらてしまった……。
男が怒りに震えながら息子の同級生を尊敬するような書き込みをすると、息子の同級生は人を殺したという事実をまるで誇るように男に自慢したという。
男はその五人を集めて殺した。殺されても仕方ない犯罪者だったからだ……。
パ、パ、パン、パドューン!!
犯罪者の街の祭りが始まった。
開始を告げたのは、そんなマエダの自らの体験の告白だった。
「お前らも叫んでこいつらに聞かせてやれ。犯罪のせいで自分が、自分の愛する人がどうなってしまったのかをこいつらに!」
マエダがそう叫ぶと、『S』地区の広場に集まった五十人近くはいるだろう群集は、我先にと自分の境遇を叫び始めた。
薬物中毒の犯罪者に理由もなく襲われ、車椅子での生活を余儀なくされた……。
結婚式の直前に、婚約者が無理やり乱暴されて、自殺してした……。
犯罪者に七歳の息子を誘拐され、さんざんいたぶられた死体が家に送られてきた……。
それはどれも耳を塞ぎたくなるような悲惨な事件だった。到底受け入れることの出来ない現実から逃げる為に、赤い切符を使ってしまうのも無理のないような。
ただ一つだけ奇妙なのはその犯人がその場にいないことだ。そこにいるのは、全く関係のない犯罪を犯した犯罪者たちだった。
広場の中心に立てられた柱に縛り付けられて動けない、この街にやってきたばかりの十三人の犯罪者たち。その中でもひときわ興奮した様子の男がいた。不幸な殺人鬼、ハスイタツヤだった。
「おい……よくも俺を騙しやがったな、マエダさんよぉ。この街のことは薄々おかしいと思ってたんだよ。クソッ! お前らもお前らだ、犯罪に遭ったお前らは可哀相だがやったのは俺たちじゃないだろうが。早くこの縄を解きやがれ!!」
ハスイのそんな叫びはどこまでも逆効果で、中にはハスイたち犯罪者に向けて石を投げつける人まで出てきた。犯罪者たちを取り囲むように立つ群衆から投げ込まれた石は、ハスイの隣の柱に縛り付けられた若い女性の犯罪者の頬に当たって落ちた。女性が甲高い悲鳴をあげ、頬からは血が流れた。
「やめてよ!」
僕は石を投げる群衆に向けて、無意識のうちにそんな風に叫んでしまっていた。そんな僕を無表情で見つめてから、マエダはまた叫び始める。
「これより我らが『Sufferer Town』つまり受難者の、犯罪被害者の街の祭りを始める」
沸き上がる犯罪被害者たちの歓声、恐れ顔をひきつらせる犯罪者たち、それをただ金網の向こうから眺める『O』地区の人間たちもいる。そして街の真ん中に立ちすくみ、成り行きに身を任せてしまうことを半ば覚悟しはじめている僕……。
ついに祭りは、本当に始まってしまったんだ。
祭りが始まるとすぐに、犯罪者を囲むようにして広場に立つ人々に木箱が回された。木箱は人と人との間を行き来するたびに、がちゃがちゃと物騒な物音を立てた。
人々はその木箱から何か小さなものを取り出して隣の人に渡しているようだった。
木箱がこちらに近づいてきて、ちょうど僕の位置から木箱を受け取った男がその中身を取り出すのが見えた。
男が中から取り出していたのはナイフだった。果物ナイフなんてチャチなものじゃない、人を殺せる長さの刃渡りを持ったナイフだ。
人々の間をめぐり、木箱は当然のように僕の前に回ってきた。
「だから私言ったじゃない」
僕に木箱を手渡したのは、祭りに参加するなと僕にアドバイスしたあひる口の女性だった。その手には当然のようにナイフが握られていた。
ハスイタツヤが僕のことを凄まじい形相で睨みつけていた。だがその目がなくても、僕は同じように木箱を手にしたまま固まってしまっただろう。
助けを求めるように周囲に視線を走らせると、そこには何十もの瞳があった。その全てが僕に向けられ、「早くそのナイフを手に取れよ」と僕に訴えかけているように思えたんだ。
木箱はいくつかあり、僕の他にも木箱の中のナイフが取れないでいる人間がいた。十三人の犯罪者たちを挟んで僕と反対側にいたシミズも、その中の一人だった。
「…………」
結局、数分後にはそこにいる犯罪者を除く全ての人間の手にナイフが握られることになった。
誰かを傷つけたかったんじゃない。僕はただ怖かったんだ。ただ空虚で無表情ないくつもの顔が(いったいどんな経験すればそんな顔ができるんだろう)、そこに浮かぶ僕を見つめる何十もの瞳が。
きっと僕と同じように、昨日この『S』地区に入った人たちもナイフを取ることにためらいがあったと思う。この『S』地区に暮らす人たちも始めはきっと……はじめからこのナイフをためらいなく取れる人間はいないだろう。
僕は自分の右手の中に耐え難い重みを感じていた。たかがナイフ一本に、僕の筋肉はふるふると震えはじめていた。
「ぎぃゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
突然の出来事だった。
その場に響いた耳を塞ぎたくなるような悲鳴に、僕は肩を震わせてぎゅっと目を閉じた。そこで何が起こったのかなんて、想像したくもなかった。
辺りを静寂が包んでいた。僕は何が起こったのかを確認するためにゆっくりと目を開けた。
「ひッ!」それを目にした瞬間、僕は声にならない悲鳴をあげていた。
マエダのナイフは名前も知らない犯罪者の肩の下にある肉をぱっくりと縦にえぐり、そこからは真っ赤な血が荒野に滴り落ちて血だまりを作っていた。
「あ……あぁああぁッ、血が………俺の肩から……痛ッ…、…痛ぇぇ……!」
あまりに非現実的な展開に、自分の意識がすぅっと消えてしまいそうになるのを必死にこらえなければならなかった。
「やめろ、俺が何したっていうんだ!」「自首する、だから命だけは、命だけは助けてくれっ」「いてぇぇえッ。頼む……誰か血を止めてくれよ、……このままじゃ本当に死んじまうッ!」「謝る、謝るからこの縄を解いてくれ!」「お前らそれ以上俺に近づいたら殺してやるからな!」
犯罪者たちは次々に叫び声を上げた。それを眺める被害者たちは誰もが虚ろな目で、ただ無表情に、無感情に、悲痛な叫び声を聞き流していた。彼らは笑ってもいないし、怒ってもいないように見えた。
そんな彼らの表情を見ているうちに、僕の頭にひとつの仮説が形作られていった。
彼ら犯罪被害者たちは、そこで叫ぶ犯罪者たちを人間とみなしていないんじゃないだろうか?
彼らにとってそこで泣き叫ぶ惨めなものたちは犯罪者ではなく、世界にどうしようもなく蔓延する『犯罪』そのものじゃないだろうか?
もしそうなら、それは復讐ですらないのかもしれない。彼らは自分や自分の大切な人を苦しめた犯罪そのものを裁くために、ただ何の感情もなくナイフを突き立てるだけだ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………あ……ぁ…、…あぁ…………ぁ…………」
数十分が過ぎた。
僕の人生の中でも一番濃密で息苦しい時間がさらさらと音を立てるように流れていった。その時間の中で二人が死んだ。いや、正確には死んだかどうか分からない。でもその二人はさっきからずっと動いていなかったし、どう見ても血が流れすぎていた。
あれから『S』地区の住人の一人ひとりが持っていたナイフで犯罪者たちを傷付けていった。そこにおそらく罪の意識はなく、彼らは豚か牛の肉でもさばくみたいに、犯罪者たちの皮膚を切り裂き、肉をえぐっていった。
僕が一番ショックを受けたのは、若い父親に連れられ、犯罪者の前に立った短髪の少女の行為を目にしたときだった。
手にしていた熊のぬいぐるみでもう動かなくなった犯罪者の下腹部の辺りを何度も叩く少女、その姿は彼女が受けたであろう被害を僕らに静かに物語った。
二人の犯罪者を殺したのはどちらも僕と同じ電車でこの街にきて、『S』地区に入れられた人たちだった。
元々この街に住んでいた人間がナイフを振るった後、犯罪者の前に立たされたのは新しくこの街にやってきた人間だ。
僕と同じように初めて祭りに参加した彼らは、ある者は泣き出し、ある者は逃げ出し、またある者は人を殺すことになった。僕はまるで映画のショッキングなシーンを見たみたいに、呆然と目の前の現実味の欠けた光景を眺め続けることしかできなかった。
最初はうるさかった犯罪者たちは、喉を嗄らしもはや何かを叫ぶ気力も失っていた。
「お前ら、絶対に……ぶっ殺してやるからな」
そんなハスイの掠れた声も、もはや僕の耳に微かに届くのがやっとのようだった。その声もまた新しい声にかき消されてしまう。
「お前らがやったことに比べれば、このくらい大したことじゃねぇだろう!」
犯罪被害者の老人の発言に、周囲も同意の声を上げた。熱気が辺りを包み、僕は体中にひどく汗をかいていた。熱気に当てられたせいで、自分が興奮状態にあるのが分かった。
殺せ。そんな声がどこかからぼそりと聞こえた。かと思うと、まるで感染するように、あちこちから同じ言葉が聞こえ始めた。
「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ!」「殺せ!!」「殺せ!!!」
ハスイを含む犯罪者たちの生気のない顔がみるみる青ざめていった。
そんな歓声の中、犯罪者たちが磔にされた広場の中央へ歩み出す一人の男の姿があった。声がゆっくりと静まっていき、誰もがその男に視線を送った。
元警察官のシミズが何を考え、何をするためにそこに歩み出したのか、僕には想像もつかなかった。少し離れた場所で成り行きを見守るマエダも、その行動に怪訝そうな表情をみせていた。
ハスイの目の前まで歩み寄り、シミズは立ち止まった。シミズの手に握られたナイフに脅えたハスイが、なんだよと口を動かすのが分かった。だけどその声はもう僕の元まで届かなかった。
しばらくハスイのうつろな目を見ていたかと思うと、不意にシミズはこちらを振り返った。彼の顔は耳まで真っ赤で、充血して血走った目は見るものに狂気を感じさせた。
「どこが違うんだ?」
広場を囲むようにして立つ『S』地区の人間に向けて、シミズは言った。その唇は震え、唾が飛び散るのがここからでも分かった。
「あなたたちは人を殺した! ここにいる犯罪者たちと同じように、残酷に……。どこが違うんですか? 彼ら犯罪者とあなたたち被害者と。自分の都合で無関係な人を殺して、あなたたちは誰もおかしいと思わないんですか!? どんな悲惨で、どんな不幸な目にあったのかは知らないが、だから自分だけは人を殺してもいい? 人を傷つけてもいい? ふざけるんじゃない! あなたたちこそ……あなたたちこそ神に裁かれるべきだ」
辺りはしんと静まった。その中で僕の鳥肌はしばらくおさまる気配を見せなかった。どうしてだろうか、じんわりと僕の目には涙が溜まっていった。弱虫な僕には、自分を向いたいくつものナイフの前でそんなことを叫ぶ勇気はなかった。
「もう誰も、私の前で死んでほしくないだけなんだ」
最後にぼそりと呟いたかと思うと、シミズはその場に崩れ落ちてしまった。
残された僕らは、長い静寂の中でそこに立ち尽くすことしかできなかった。