Criminal Town?(3)
シミズと再び会ったのは夕食を食べるためにホテル内のレストランに入った時だった。五階建てのホテルの二階にあったのは、都会のビルに入っているようなこじんまりとしたレストランだ。
腕時計は七時を差していた。シャワーを浴びたのか、シミズは朝見たときと服装が違い、表情も幾分かさっぱりとしているようだった。
「私の前、よければどうぞ」
十数人入っただけでほとんど満席になるようなレストランだったので、席が無く恥ずかしい思いをしていた僕はシミズの誘いをありがたく受けた。店員は全員奥に引っ込んでいるようだ。
「意外と人数が多いですね」シミズは辺りを見回してからそう言い、僕の前で視線を止めて更に続けた。「私たちがここに来る前から来ていた人たちが、同じように電車の出発を待ってるのかもしれないですね」
確かに一緒に試験を受けてこの『S』地区に入った人数を考えると、そのレストランにいる人間の数は明らかに多すぎる気がした。
「最初からこのホテルで暮らしているんじゃないのかな?」
僕が思い付きを口にするけど、シミズはゆっくりと首を振った。
「この地区に家を持っているならまだしも、このホテルでずっと暮らすのは難しいと思いますよ。だってここで行われる経済活動っていうと、ホテルにお金を払う、それだけなんだから。まぁ経済活動なんて言っても、もう元の世界の常識は通用しないのかもしれないけれど」
そう言われるとそうだ、僕は思う。
この地区に入ってお店なんて一店舗も見なかった気がする。つまりここではホテルの関係者の他には誰もお金を稼げないことになる。それでこの街の生活はちゃんと成り立っているんだろうか。
そんなことについて足りない頭で考えを巡らせていると、やってきた若い女性の店員が目の前にスープと薄いステーキを置いていき、お腹の空いていた僕はそちらに集中することにする。
この街が成り立とうが成り立つまいが、スープとステーキに比べたら別にどうだっていいことだ。
それでもやはりシミズは納得がいかないのだろう。しきりにあごを撫でて難しい顔をしている。
僕はふと思い出して、シミズに中央の広場で見かけた少女に聞いたことを話してみた。
「祭り……ですか? 本当に少女が祭りがあると言ったんですか? この街で、いやこの地区でそんなものがあるようにはとても思えませんでが」
「広場でやるのかな? 犯罪者たちが暮らす『C』地区なら分からないでもないけど、『S』地区でやってもきっと盛り上がらないのにね」
「モリカワ君も気づいていたんですね」
シミズが急に笑ってそう言うものだから、僕は何のことか分からずにきょとんとしてしまう。そんな僕の様子を見て、シミズは申し訳なさそうに弁解する。
「『C』地区のことですよ、あそこが犯罪者たちの暮らす地区だってモリカワ君も知っていたんですね。あそこはね、演説をしたマエダさんの言っていた通り、本当に警察も手が出せない場所なんです。そもそも警察は、公にはこの街について何の情報も持たないことになっています」
「そんな場所があっていいんですか!?」
「さぁ……。でも警察機構に属する人間でここの噂を知らない人はいませんよ。赤い切符を使って電車に乗ると、犯罪者だけが住む街に行くことができる。そこは警察であろうと手出しはできないって。きっと一部の犯罪者も知ってるんじゃないかな」
「そんな……」
「実際に警察がこの街を捜索したなんていう話も、噂すら聞いたことがないですしね。急に行方をくらました犯罪者なんて腐るほどはずなのに」
「じゃあ警察は、犯罪者が逃げるのを知って放っておいたってこと?」
僕がそう言うと、シミズは相変わらず生気の抜けたような、くたびれた笑い方をして言った。
「その通りですよ。実際私もこの目で見るまでは、こんな街が実在するなんて本気で信じているわけじゃなかったけど……」
シミズがそれきり黙ってしまったので、僕ももう何も聞かずに薄いステーキを次々と口に運んでいった。
目の前の皿が空になった頃、シミズが少しだけ重たく感じていた沈黙を打ち消してくれた。
「この後、よければ一緒に散歩でもしませんか? 日課なんだけど、お恥ずかしい話ですが一人じゃ少し不安で」
照れたように言うシミズが何だかもう他人じゃないような気がして、僕は頷く。
実は僕も少し外に出たかったけど、怖かったんだ。当たり前だろう? だってここは犯罪者の街なんだ。
食後のコーヒーを飲み終えると、僕らはどちらからともなく出発する。
まん丸の月の下を五分ほど歩いて『C』地区との境に立てられた金網の前で僕らは立ち止まった。
『C』地区の通りを肩に刺青をした大柄な男性が通り過ぎていったが、向こうからは建物の死角になってこちらは見えにくいはずだ。
大柄な男が行ってしまうのを待って、シミズは口を開いた。
「実は私が聞いた噂には続きがあったんですよ」
「噂の続き?」
「そう、さっき話したでしょう。赤い切符を使って電車に乗れば犯罪者だけが住む街へ行けると警察で噂になっていたと。そしてその街は……」
次の瞬間だった。
不意に金網の向こうに人影が見え、激しい動きをしたかと思うと、バリィィィンと何かが割れる音がして、同時に僕は体中を引っ掻かれたような鋭い痛みを感じた。
「痛ッ!」
いくつもの割れたガラスの欠片のようなものが、僕とシミズを襲ったようだった。
僕はパニックになって体を丸めながら、後ろに下がるけど、その突き出した僕の手に、今度は生暖かい液体がかかって、僕はもうほとんど半狂乱になって叫びだしてしまう。
「な、何? いったい何が起きてるのさ……ッ!」
シミズは混乱した僕を強引に引っ張って、とにかく金網から遠くに離してくれた。
ようやく目が慣れてきて、これ以上の危険がないと分かり落ち着いた頃に、金網の向こうに見えた景色は……何ていうか、僕を底なし沼の底に沈み込ませるような限りなく気分の悪いものだった。
『S』地区と『C』地区を隔てる金網の向こうには、片手に割れた瓶ビールを持つ見知らぬ男(さっきのガラスの欠片はきっとあの瓶をこっちに向けて割ったんだ)と、金網の途中までよじ登り、黒くて汚いペニスを振って尿を切るハスイタツヤ。
彼らはひどく驚いた僕らの表情を見て、心底おかしそうに笑い出したのだった。
「おいおい、見たかよこいつらの顔!」
「最高だったよな。でもお前、ションベンはさすがにかわいそうだろうが」
「いいんだよ、こんな臆病者の奴らのことなんかどうでも。どうせなら顔にかけてやりたかったけどよ、酔ってるせいで外しちまったよ」
ハスイが言うと、二人は何がそんなにおかしいのかまた大笑いを始めた。
あまりの出来事に、僕もシミズもほとんど現状を把握することすらできずにただぼうっと立ち尽くしていた。
僕らがそうやってじっと彼のことを見つめていると、正真正銘のゲス野郎ハスイタツヤは、金網から降りると急に真面目な顔をして言った。酔ってるのか、ずいぶんとろれつが回っていなかった。
「俺はほんのガキの頃からいろんな犯罪に手を染めてきた。万引き、詐欺、暴行、窃盗、強盗、強姦、殺人……。そうしないと生きられなかったし、何より俺はあのスリルがたまらなく好きだった。お前らには分からないだろうな、あの犯罪を犯すときのさぁっと血が冷えていくような感覚は。人が死んでいくのを見てるときの静かな、それでいてたぎるような興奮は。でもよ、同時に俺みたいなクズはきっと、どこかでくだらない死に方をするか、捕まって死刑にでもなるんだろうと思ってたんだ。でもまさかよ、こんな天国のような場所に来れるなんて想像できるかよ!」
僕は何も言えなかった。そもそも彼に何か言葉をかけるなんてことは、そのときの僕に想像すらできなかった。僕はたったの金網一枚を隔てたところにいる男への恐怖で、体を動かすことすらできなくなっていたんだ。
「ここには酒もあるし、シャブ、エス、スピード、ガンコロ、クサ、なんだってある。サツはいないし、ここじゃスリル以外は何だって手に入るんだ。これだってやり放題さ」
そう言ってハスイは人差し指と中指の間に親指を入れて、形状しがたい指の形を作って僕らに向けて突き出した。
「やめてください、まだ子どもです」
シミズが乾いた声で言うと、ハスイはいかにも興味が削がれたとでもいう風にふんと鼻を鳴らし、金網から離れてもう片方の男とどこかに歩いていってしまった。
左の頬と右腕、他にも数箇所を切っていた。
でもそんな痛みなんてほとんど気にならなかった。屈辱的だった。尿をかけられたことに対しても、そんなことをされてなお恐怖で震えることしかできない自分に対しても腹が立った。
十三歳の僕でさえそう感じているんだから、元警察官のシミズがどう感じたかなんて僕には想像もできない。犯罪と向き合うのに疲れて電車に乗ったはずのシミズが何を考えているかなんて、僕には想像なんか……。
「それにしても臭いですね」
僕がそんなことを考えて憤っていると、シミズがのん気な口調で言うものだから、僕は噴き出してしまう。確かに……腕に引っかかった尿はなんて臭いんだと思うほどの異臭を放っていた。
「きっと腎臓病だよ。あいつはもうすぐ死ぬからさ、気にしなくていいよ」
僕がそう言うと、ふふふって、鼻から噴き出すようにしてシミズも笑った。僕はそのとき初めてシミズの笑顔を見たような気がした。
水道を探して腕を洗うと、僕らはすっかり月を隠してしまった雲の下をのんびりと歩いた。
その間、僕が通っていた学校の話や、学校の友達の話、シミズは遠くにいるっていう娘や飼っていた犬の話なんかをした。はたから見ると、僕らは仲の良い親子にさえ見えたかもしれない。
うざったい犯罪者のクソ野郎のことなんて、僕らはもう考えたくなかった。会話が途切れてしまう前に僕らはホテルに帰り、ロビーで手を振って別れた。
だけど一人になると同時にさっきの恐怖がよみがえってきて、僕は部屋に戻った途端に、腰が抜けたように地面へとへたり込んでしまうのだった。