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第5話 労働基準監督署

和雄の提案に、ゼノスは薄い唇を吊り上げた。


「面白い。だが、帳簿の整合性だけで王の法を動かせるとは思うなよ、社労士とやら」


査察が進むギルドの裏手。夕闇に紛れ、失脚を悟ったバルガスが最後の悪あがきに動いていた。

「……あの眼鏡の男さえ消せば、帳簿などどうとでもなる。やれ!」


放たれたのは、ギルドお抱えの暗殺者・影縫いのザック。音もなく和雄の背後に迫り、毒を塗った短剣がその首筋を狙う。


「和雄さん、危ない!」


リナが叫び、咄嗟に杖を振る。だが、実戦経験の乏しい彼女の魔法は、ザックの素早い動きを捉えきれない。


和雄は、死の予感に全身の毛が逆立つのを感じた。しかし、その手は無意識にビジネスバッグの中の「あるもの」を掴んでいた。


「……リナさん、私の合図で、この粉末に火属性の付与を!」


和雄が投げつけたのは、バッグの底に眠っていた大量の「コピー機のトナーカートリッジ」の詰め替え粉末だった。異世界転移の際、事務所の備品ごと運ばれていたのだ。


「えっ、はい! 『残りフレア』!」

密閉された狭い路地。舞い上がった微細な炭素粉末に、リナの小さな火種が触れる。


次の瞬間、凄まじい衝撃波が路地を駆け抜けた。「粉塵爆発」だ。

「ぎゃああああっ!」


爆炎に巻かれ、暗殺者が吹き飛ぶ。和雄は爆風を計算し、あらかじめ物陰に伏せていた。煤で汚れ、ネクタイは曲がっているが、その目は依然として理性的だった。


「……物理法則は、この世界でも不変のようですね」


和雄は立ち上がり、膝の汚れを丁寧に払った。駆けつけたゼノスが、爆発の跡と、無傷の和雄を交互に見て、初めて感心したように溜息をつく。


「魔法を使わぬ爆破か。貴殿は事務屋かと思っていたが、存外、過激な『交渉術』をお持ちのようだ」

「いえ、これはあくまで正当防衛……いわゆる労働災害の防止の一環です」


和雄はそう言って、再び万年筆を取った。


この一件で、バルガスの罪状に「殺人未遂」と「証拠隠滅」が加わった。

そして翌朝、街の掲示板には、ゼノスの印章が押された前代未聞の布告が貼り出された。


『エリュシオン臨時労働基準監督署、設立。署長代理・本橋和雄』

中年の社労士は、今や剣よりも恐ろしい「書類」を武器に、異世界の闇へと本格的に切り込んでいくことになる。

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