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第15話 自分自身の『セルフケア』

「和雄さん、聞いてますか?」


リナの声が、遠い霧の向こうから聞こえるようだった。


和雄は、手元にある『メンタルチェック義務化・施行規則案』の三十二ページ目を、もう三時間も眺めていた。文字が、小さな黒い虫のように紙の上でのたうち回っている。


「ああ、リナさん。……すまない、少し考え事をしていた。次の、王宮議会への提出資料は……」

和雄が立ち上がろうとした瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。


膝から力が抜け、床が迫る。万年筆が手から滑り落ち、カランと虚しい音を立てた。

「和雄さん!」


リナが咄嗟に駆け寄り、和雄の体を抱きとめた。

細い肩に預けられた和雄の体は、驚くほど熱く、そして軽かった。


「ひどい……。魔力が空っぽなだけじゃない、心拍数も、呼吸もバラバラ……。和雄さん、あなた、ザックさんに言ったこと、自分で全然守ってないじゃないですか!」


和雄は、リナの腕の中で、自嘲気味に微笑んだ。


「……情けないな。他人の『安全配慮義務』を説いて回りながら、自分自身の『セルフケア』を怠るとは。……社労士失格だ」


「バカなこと言わないで! 失格なのは、あなたをここまで追い込んだ、この世界の仕組みです!」

リナは涙を浮かべながら、杖を振った。


「『安らぎのスリープ・シェルター』、展開! ――和雄さん、いいですか。今から三日間、あなたは『所長』でも『署長代理』でもありません。ただの、本橋和雄という一人の人間として、眠りについてもらいます」


和雄は、魔法の柔らかな光に包まれながら、遠のく意識の中で、現代日本の事務所の景色を思い出していた。


深夜、一人で啜ったカップ麺。鳴り止まない電話。救えなかった顧問先の若手社員。

異世界に来てからも、彼は自分を許せずにいた。自分だけが生き残り、この世界の誰かを救うことで、過去の罪を購おうとしていたのだ。


「……もう、いいんですよ。頑張りましたから」

リナの温かい手が、和雄の冷えた額に触れる。


「和雄さんがいない間は、私が……ううん、ザックさんも、カイルさんも、みんながこの場所を守ります。だから、安心して、『有給休暇』を取ってください」


和雄は、数十年ぶりに、深い、深い眠りに落ちていった。

夢の中では、もう電話は鳴っていなかった。


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