第三話 もう、うんこはつかない
「……お前、よくこんな本で人を呪おうと思ったな」
大きなため息から始まったの。
サクさんが言うには、
『呪いは一歩間違えれば、己にふりかかる』
だそう。
たしかにわたしにふりかかる、というか踏んでいたわ。
「でもわたし、きちんと本を読んで本の通りにしたわ」
「この本はダメだ。術者自身が呪われるように設計されてる」
サクさんが出したのは古びた紙。
「な、なにこれ……」
なかにはわからない文字がびっしり。
「古代文字だ。覚えろ。話はそれからだ」
めまいがするわね……
でも。
『本日を持って、貴殿との婚約を解消します』
今思い出しても腹が立つ!
絶対、絶対、絶対うんこ、踏ませてみせる!
「わたし、やるわ!!」
それから、わたしの毎晩の秘密の特訓が始まったの。
そうして何日も、何週間も経って。
「ねえサク。これは?どういう意味?」
「ああ、これは……」
わたしは秘密の特訓が楽しみになってた。
だって彼、教えるのも上手いし、あんなに嫌そうだったのに、毎晩必ずきてくれるの。
それに、
「あなたって顔がいいんだから、呪いなんかしてないで恋愛でもしてた方がいいわよ」
「おまえもな」
なんだか話してて心地がいいの。
それに、なんだかたまに、なんというのかしら、とっても優しい目をしてるの。
きっと悪い人じゃないのよ。
「……早く踏ませられるといいな。うんこ」
「ええ!」
わたしたち、すっかり仲良しになったの。
失恋の痛みが、薄れるほどに。
勉強会は毎日毎日深夜だから、昼間は眠くて仕方がないけれど、それも気にならないほどに。
そして、とうとうその日はやってきた。
「いよいよだな。準備は、いいか」
「ええ!完璧よ!」
わたしは打ち合わせどおり、サクが描いた魔法陣の真ん中に立った。
それにしてもすごい魔法陣。
本来うんこ踏ませるのに、こんな装備が必要だったのね……。
「お前はよくがんばった。この秘密の特訓も、これで終わりだな」
サクはわたしの頭を撫でる。
彼の嬉しそうな顔、初めてみたわ。
なぜか胸がどくんと鳴る。
終わったら、この秘密の夜も、終わりなのかしら。それはなんだか、寂しいわ。
「……終わっても、また来てくれる?」
「……ああ。ずっと」
サクは魔法陣から出ると、頷く。
やっとよ。やっと、彼にうんこ踏ませられる。
大きく深呼吸。
わたしは、サクの用意してくれた古代文字の羅列の紙を、読み上げ始めた。
その時。
「アリア!!ダメだ!!」
バァンと大きな音がしてドアが開いて、そこにいたのは……
「え?プランス!?」
剣を構えた元婚約者の姿。
後ろにはシアンもいる。
そのままプランスはまっすぐ走ってきて、わたしは抱えられた。
プランスの後ろから何人もの人が入ってきて、サクを囲んで、彼は見えなくなった。
「こいつは我が家が追放した呪い師の一族だ!きみを、狙ってる!」
「そ、そんなこと、あるはずがないわ!サクは、口は悪いけど優しいわ!あなたこそ、わたしを捨てたくせに!」
いけない、涙が。
彼の前でなんて、泣きたくなかったのに。
「そんなことしていない!」
「嘘よ!手紙送ってきたじゃない!婚約破棄するって!」
「家同士の婚約が、手紙一つで破棄なんてされるわけがないだろう!」
……それもそうね。おかしいとは思ったのよ。
「それに、僕は君を心から愛してるんだ。婚約破棄などしない!」
「へ……?」
顔が熱くなってきた。
こんな、大勢の前で……!恥ずかしいわ……!
でも。
「じゃあ、あの手紙は……?」
わたしがそう漏らした時。
サクが片手を上げた。
「!なにか仕掛けるぞ!やれ!」
プランスの一声で、彼を囲む大勢の人が剣を振り上げ……
「やめて!」
一気に突き刺した。
「いやーーっ!!!」
だんだん頭が真っ白になっていく。
なにがなんだか、わからない。
ただ、目の前が白く包まれていくなか、鳥が羽ばたく音だけが聞こえた。
それからわたしは何日も眠っていたらしい。
それはそうよね。
あんなに毎晩起きていたんだもの。
目を覚ましたわたしに、プランスも、シアンも何度も謝ってきたわ。
サクは死んだ。
それだけは、誰に聞いても同じだったし、どうして死んだのか、なにをしたかったのかもわからない。
けれどわたしは、彼に教わった文字を、今も忘れない。
あの優しい目は、傷つけようとしている人の目ではなかった。
わたしは、来月結婚式を挙げる。
もう彼の靴にも、わたしの靴にもうんこはつかない。




