幼馴染の弟のお願い
「先輩、これ美味いよ!やるじゃん先輩のクラス」
そう言いながら、晴は夏希が提供した料理を勢いよく頬張る。クラスメイトは少しずつ増えてきた客の方に対応してくれている。
(美味そうに食うなぁ、こいつ)
近くで自分の料理を食べている人を見るのは、夏希と家族以外では初めてだが、こんだけ食いっぷりが良いと嬉しくなるな。
「そりゃ嬉しいね、料理人冥利に尽きるってもんだ」
「え?これ先輩が作ったの?」
スープを飲み干し、お茶菓子に手を伸ばした晴の手が止まる。
「まぁ、一応料理部だからな」
「すげぇ⋯⋯先輩って何なら出来ないの?」
人を完璧超人みたいに言うんじゃない。出来ない事の方が多いわ。咄嗟に思い付くだけでも⋯⋯
「料理以外の家事全般出来ないな」
掃除なんてもっての他だ。というか料理の後の洗い物すら面倒でやりたくない。
「そんなの俺も出来ないよ。やっぱ凄いよなぁ先輩。勉強も出来て、料理も出来て、足も速くて⋯⋯」
尊敬してくれるのは嬉しいんだが、そこまで慕ってくれるのもどうなんだ?盲目になってる気がするぞ。
「⋯⋯先輩って、もう陸上やらないの?」
少し間を置いてから、晴がそう聞いてくる。聞いて良い事なのか、少し悩んだんだろう。
それにしても、陸上か⋯⋯
「どうだろうな、機会があればやる事あるかもな」
「辞めたわけじゃないの!?」
随分と驚かれる。それもそうか、料理部に入ってる時点で、陸上には見切りをつけたと思われていたんだろう。
「まぁ中学の時程やる気は出ないけど、晴に誘われたら出場くらいはするかもな」
だが、別に走る事そのものは嫌いというわけじゃない。もし本当に同じ高校になれるようなら、考えてやっても良いだろう。
「じゃあ俺、頑張るよ!この高校に入れたら、先輩の事誘うからね!」
それ普通は逆だろ、と思い笑ってしまう。だけどそれは少し、魅力的だと思った。
「じゃあ兼部って形になるな、俺、今は料理部辞める気はないから」
「へぇ、そうなんだ。そんなに料理好きなんだ」
「家で料理作るのが面倒だってだけだよ」
後で話す事になっても面倒なので、手短に自分の事情も話しておく。親が家を空けてる事が多い、くらいのニュアンスだ。
「ふーん、じゃあ親の勤務が普通に戻ったら、料理しなくて良いんだ」
それはそうだな。母が完全に日勤になれば、その時は料理部は廃止に⋯⋯
「いや⋯⋯どうだろうな」
頭の中で夏希の姿がチラつく、彼女の問題が解決しなければ、料理部をなくすなんて事は考えられない。
だが、俺と夏希の問題が解決して、晴がこの高校に来たとしたら、料理部は廃部になるのかもしれない。
「そうだ!先輩連絡先交換しようよ!俺先輩の持ってないんだよ!」
考え事をしていると、晴の言葉が思考を遮る。⋯⋯まぁ、先の事は深く考えないようにするか。
携帯を取り出し、晴と連絡先を交換する。
「必要なら、連絡してきても別に良いぞ」
「必要じゃなかったら駄目なの?」
「冗談だよ、まぁ勉強に困ったら呼んでも良いぞ」
「本当に!?先輩が教えてくれるなら百人力だよ!」
俺の言葉に一喜一憂する後輩が面白くて笑ってしまう。
俺も案外、晴とまた走れる日を、楽しみにしているのかもしれない。
「そういや先輩、姉ちゃんの連絡先は知ってんの?」
連絡先の交換を終えた後、携帯を弄りながら晴が変わった質問をしてくる。夏希の連絡先なんて、そんなもの当たり前に⋯⋯
「いや?必要なかったからな」
持ってるわけないだろう。
「じゃあ教えてあげよっか?」
なんて事を言うんだこのガキは、勝手に人の個人情報を晒すな。
「いらんよ、必要になったら自分から聞くから」
「ふーーーん、先輩って必要にならなかったら、連絡先交換しないのか、可哀想な姉ちゃん」
可哀想って⋯⋯連絡先なんてそんなもんだろ。
「じゃ、俺そろそろ帰るよ先輩。あ、店員さーん!ご馳走様でした!」
「⋯⋯ご来店、ありがとうございました」
夏希はジト目でこちらの方を一瞥し、他の机の清掃に戻っていった。
「なんか、姉ちゃん昔よりも遠慮なくなってるね」
晴が席を立ち、教室の出口へ向かっていく。ここまできてら、最後まで見送ってやる事にする。
「そりゃあお前がいるからだろ?」
「それもあるけど、中学の時とか、先輩と姉ちゃんってほとんど話さなかったじゃん」
思い返すと、確かに晴が間にいた時ですら、夏希とは業務連絡くらいでしか話をしてなかったな。
「なのに今日は随分と先輩の近くまで来てたじゃん。先輩、なんかあったの?」
「なんかあったと言えば、なんかあったな」
放課後に一緒に食事をとっている、なんて言ったら面倒そうなので内容は伏せておく。
「え、先輩まさか、姉ちゃんと⋯⋯」
「お前が想像してるような事は一つとして無い、とだけ言っておこう」
結局邪推されるので、隠しても良い事は起きていないかもしれない。
「でもさ、良かったよ、姉ちゃんが案外元気そうで」
晴は夏希の方を見ながら呟く。その表情は本当に安堵している様子だった。
「先輩は、姉ちゃんの事情知ってるんだよね」
「ある程度はな、安心しろ、誰かに言いふらすような事はしてないぞ」
「知ってるよ、先輩がそんな事する人じゃないって事は。多分、俺が一番知ってる」
晴がこの手の話に信頼を置いているのは、俺が晴の話を誰にも話していないからだろう。
晴は確かに夏希の弟ではあるが、別居している父親の方で暮らしている。夏希も父親とは折り合いがつかないようだが、弟とは仲良くやっているようだ。
だが、奇異の目を避けるために、基本的に夏希の弟である、という事は隠している。かくいう俺も弟だと知ったのは晴が入部して半年経った後だった。
「別に、お前が誰の弟か、なんてどうでも良いってだけだよ」
流石に、幼馴染に弟がいた事を中学まで知らなかった事には驚いたが。
「そういう所が、カッコいいんだよ先輩は」
俺も片親がほとんどいない状態なので、少しは晴と夏希の気持ちが分かるというのもあるかもしれない。それがカッコいいとまで言われるのは、些か気恥ずかしいが。
「⋯⋯姉ちゃんさ、前にあった時はかなり塞ぎ込んでたんだよ。だから今日も心配して見に来た所もあったんだ」
ついこの間までの夏希は、確かに、少し無理をしていただろう。あの頃に比べれば、確かに今は元気になったと言える。
「けど大丈夫そうだね、きっと先輩のおかげだよ」
「俺は何もしてない、あいつが強いだけだよ」
「確かに強いけどさ、なんか折れやすい所もあるんだよ。だから、姉ちゃんの事、支えてあげてよ」
⋯⋯支えて貰ってるのは、俺の方も同じなんだけどな。
「善処させてもらうよ」
「ありがと先輩。じゃあそろそろ本当に行くね」
話も一区切りつき、晴が廊下に一歩踏み出す。
「あ、そういや先輩、俺が前に言った事覚えてる?」
そのタイミングで、何かを思い出したかのようにこちらに振り向く。その顔は随分とニヤけている。⋯⋯前に言った事?いつの話の事か分からんな。
「先輩と姉ちゃんが結婚してくれたら俺は一番嬉しいって話⋯⋯」
「黙れ小僧」
最後まで話を聞かずに廊下に放り出して、ピシャリ、と扉を閉めてやった。馬鹿な後輩の扱いなどこんなもんで良いだろう。
「随分楽しそうに話してたね。どんな話してたの?」
振り返ると、夏希がいつの間にかすぐ近くまで来ていた。なんの話をしていたか、と言われると返答に困るな。
「お姉さんをよろしくお願いします、だってよ」
冗談めかしてそう返すと、夏希は一瞬だけ、目を丸くした。それから、ふっと視線を逸らす。
「……なにそれ」
声は軽かったが、どこか、ほんの少しだけ照れたようにも聞こえた。




