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母がいない間だけ、幼馴染が俺の料理を食べに来る  作者: bonta
第二章 努力の程度は人それぞれ

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眠る横顔と、あの夏の記録

規則正しい寝息が、静かなキッチンに落ちている。聞こえるのは煮立つ鍋の音だけだ。


(……こうやって、ちゃんと寝てる所を見るの、案外初めてかも)


 椅子に座ったまま眠ってしまった脇阪くんの横顔を、私はそっと見つめていた。

 肩の力が抜けて、少しだけ幼く見える顔。本当に疲れていたんだろう。暫く起きる気配はない。


「⋯⋯お疲れ様、ゆうくん」


 聞こえていないだろうに、そんな言葉が口から漏れる。中学の頃も、彼はいつも動いていた。自分の練習よりも、誰かのために。


 ——思い出せるのは、中学の時の記憶。


 放課後、中学のグラウンドで、脇阪くんはいつも忙しそうだった。


「白線、曲がってるぞー。ほら、もっと真っ直ぐ」

「はいはい、次スタートいくぞー」


 本来なら後輩がやるような雑用も、全部引き受けていた。

 スタートの合図、タイム測定、白線引き。


「先輩、自分の練習しなくて良いんですか?」


 そう聞かれても、彼は決まって、軽く笑って言う。


「走るの面倒だからサボってるんだよ」


 皮肉っぽくて、適当で。

 でも誰一人、本気でそう思っている人はいなかった。

(だって、そのあと同じだけ走ってた)


 みんなの練習が一段落つくと、当たり前のようにトラックに立つ。

 本数も、流しも、周りよりも多いくらいだ。休憩も殆どとらない。誰も彼が手を抜いているようには思えなかった。


 鬼ごっこと称して後輩と走り回る姿も、今思えば不思議だった。

「ま⋯⋯まってよ、先輩!」

「待てと、言われて、待つ鬼ごっこが、どこにある!」


 トラックを二人で走っている。長距離は疲れるし、中学では根本的に陸上部が人気の部活ではなかったので、長距離専門は弟の晴だけだ。

 

 だというのに。

(短距離の人が、長距離の子と鬼ごっこしてる……)


 一人で練習する筈の弟と、定期的に一緒に走る脇阪くん。遊び、と称して走る距離は三キロきっちりだ。


「ゲホッ、し、死ぬ⋯⋯」

 終わった時の弟はいつも息絶え絶えだった。

「こんなもんじゃ⋯⋯人は死なんぞ⋯⋯それより、二周目のタイムは、この間よりも速くなってるぞ」


「ほ⋯⋯ほんとに?」

「嘘つく理由ないだろ。まぁまだ鬼ごっこでは俺に勝てんけどな」

 必死に食らいついて、タイムを縮めて、褒められて。

「言ってなよ先輩!今度は先輩を鬼にしてやっから!」

「そりゃあ楽しみだ、俺が負けたら肉まんでも奢ってやるよ」

 そんな彼と一緒にいる時の弟は、とても楽しそうだった。



 彼は、誰にも何かを押し付けなかった。

 誰かに「嫌な役」をやらせるくらいなら、自分でやった方が早い、と言う顔をしていた。

 そして、この中学の誰よりも、真剣に練習をしていたんだ。

 そんな彼だからこそ、部内のみんなに好かれていたんだと思う。

 そしてそんな彼だから、一つの壁を、少しだけ乗り越えられなかったんだ。




——最後の大会。


 ここで結果が出なければ、夏季総体には行けない。

 心臓が早鐘を打つ。ベストタイムさえ出せれば、夏季総体には出られるだろう。


(負けられない)

 普段から、そこそこ負けん気は強い方だ。練習だってキチンとしてきた。それに何より⋯⋯


(脇阪くんが、みんなに尽くしてくれた結果を見せたい)

 彼が手助けしてくれた、あの時間が無駄じゃなかったと、証明したい。

 ちゃんと記録を出せたら、彼に言ってみよう。「脇阪くんのおかげだよ」って、普段あまり話さないのに、そんな事を言われたら彼はどんな顔をするんだろう。


「位置について⋯⋯」

 アナウンスが流れるとともに、考えていた雑念を振り切る。この瞬間を、絶対に物にするために。


「よーい⋯⋯」

 問題は、ない。ただ、ゴールに向かって走るだけだ!


 パァン、という快音と共に一気に前に出る。


 それと同時にもう一度鳴り響くピストルの音。


 二度ピストルの音が鳴った、理由は一つしかない。 


 フライングだ。誰が?私?いや、大丈夫の筈だ。ちゃんと聞いてから走った?これで終わる?そんな事⋯⋯


「あー、やっちゃったかー」

 結果としてフライングだったのは私じゃなかった。後から知った事だが、その子は既に夏季総体が決まっていたらしい。だからこそ、ギリギリを攻めたのだろう。


「位置について⋯⋯」

 仕切り直しだ。問題はない。さっきと同じ事をもう一度するだけ、きっと脇阪くんならそう言うだろう。


「よーい⋯⋯」

 でも、陸上のフライングは一発アウトだ。失敗は許されない。少しの気の早さが、今までの努力を無に帰してしまう。


 そんな事で終わりたくない、と思ってしまった。



 パァン!と再び音が鳴る。その音に、いつもよりも少しだけ反応が遅れてしまったのだ。



 私は、自分のタイムを見て、息を詰まらせた。


(……足りない)


 ほんの少し。

 たったそれだけが、どうしても届かない。


(あれだけ、脇阪くんがみんなを支えてくれたのに)

 胸が、ぎゅっと締め付けられる感覚になる。



 視線をずらすと、男子短距離の記録が張り出されていた。

(脇阪くんの記録は、超えていて欲しい)

 縋るような思いだった。私の記録が出なかったのは私の心の弱さが原因なんだ。だけど、脇阪くんはずっと頑張ってたんだ。だから彼には報われて欲しい。


 張り出された、記録を見る。

「……0.1秒……」


 思わず、声が漏れる。

 彼の名前の横の数字。

 それは、総体に出られるかどうかの、ぎりぎり手前。


(あと少しだったのに)


 思い返すのは、彼のいつもの様子。練習の時間を削って、みんなのサポートをしてくれた。


 私たちが、もっと。

 彼に「練習して」って言えていたら。

 彼に雑用を任せきりにしなければ。


(……違う)

 そんな事を言ったって、彼は辞めないだろう。彼にとっては、それが当たり前だったんだから。


 それでも、涙は止まらなかった。彼は、優しすぎた。


 だからこそ、誰も止められなかった。


(報いたかった)


 脇阪くんの優しさに。彼の頑張りに。


 でも、二人とも、結果は残らなかった。


 

「前田さん、スポーツ推薦の話が出ているんですけど⋯⋯どうしますか?」

 先生にそう言われた時には、少し躊躇した。三年生の夏では結果は出なかったし、私なんかより、相応しい人を、少なくとも一人は知っていたから。


「私よりも⋯⋯脇阪くんは、どうでしょう?」

 こんな時に個人の名前を出すのはいけない気もするけど、どうしても、聞きたかった。


「⋯⋯これは内緒にしといて下さいね?」

 先生の言葉に私は頷く。この反応を見るに、脇阪くんにも同じ話は来てたんだろう。


「脇阪くんは、他の人に譲ってあげて、と言っていましたよ」

 その言葉に息が止まる。⋯⋯ああ、結局優しい彼に、また助けて貰ってしまったんだ。



 ——そうして、現在に至る。


 目の前で眠る脇阪くんは、相変わらず静かだ。あの頃と何も変わってない。


(本当に……気づかない人)

 

 どれだけ周りに影響を与えていたのかも。どれだけその優しさに、救われている人がいるのかも。


 そっと、近くで顔を見てみる。少し髪が跳ねているのを見つけて、何となく手が伸びる。


(今だけでも……ちゃんと、休ませてあげよう)

 髪を優しく撫でてみる。過去の後悔を、少しだけ、取り戻せた気がした。


「戻ったぞ脇阪!」

 ガラリ、と大きな音を立てながら家庭科室のドアが開く。急な音にビクリ、と体が硬直した。

「⋯⋯と、寝てたのか。珍しいな。前田は一人で大丈夫だったか?」

「だ、大丈夫です!」

 どうやら、先生に今の奇行は見られてなかったようだ。それについて安堵の気持ちはあるけれど⋯⋯


(わ、私なにしてるの!?)

 先生が来たのと同時に、自分が今何をしていたか、冷静になってしまった。寝ている男子の髪を触るなんて、逆の立場ならどう思うか⋯⋯


(⋯⋯?)

 だけど、脇阪くんに撫でられると思うと、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


「さて、脇阪も寝ているなら、少し先生も手伝ってやろうか!」

 何故だろうか、と考える前に、先生が張り切って包丁を手にする。


「起きてますよ⋯⋯ケガされたら迷惑なんで辞めて下さい」

 後ろから声が聞こえる。いつも通りの仏頂面で脇阪くんが目を開ける。


「そうか?すまないな、起こしたか?」

「ちょっと前から起きてたんで、大丈夫ですよ」

 正直ほっとした。先生がどの程度料理出来るのかは知らないけど、脇阪くんに任せた方が安心出来る⋯⋯


 ⋯⋯⋯ちょっと前から?


「脇阪くん、ちょっと前って、いつから?」

 確認を、とる。まさか、そんな筈はない。彼は寝息を立てていた、と思う。


「さあ?分かんないな」

 カラカラと笑う彼はいつも通りだ。


「どっちでも良いだろ?そんな事」

「どっちでもって⋯⋯」


 ああ、なんだか脇阪くんに、弱みを握られた気がする。


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