当たり前の中にあったもの
「ずっと見てたよ、ゆうくんが頑張ってるとこ」
俺にとっては当たり前だった。勉強をするのも、部活の練習をするのも、それを凄いと、認めてくれる人がいる。なんとも不思議な感覚だ。
「⋯⋯もうそろそろ、良いんじゃないかな」
少しの沈黙の後、夏希が再び声を上げる。鍋の方を見ると、白濁としたスープが完成の近さを物語っている。
「⋯⋯そうだな、ちょっと味を見てみる」
さっきの事は一旦忘れる事にする。頭を振り意識を鍋に向ける。少量のスープを皿にとって、味見してみる。
「少し味が薄いな、塩足して、もう少し煮詰めてみよう」
そう思い、指先で量を確かめながら、塩をふたつまみ程落としてもう一度味見する。
「さっきよりは塩味は大分良くなったな。あとはもう少し煮詰めればスープは完成で良いだろ」
確認のために夏希にも少し味見させてみる。
「⋯⋯うん、美味しいよ。脇阪くん、どうやったらこうやって、味を決められるようになるの?」
夏希はそう聞いてくるが、どうやってって言われても回答に困る。
「こんなん誰でも出来るようになるよ、主婦のみなさんだってやってるたろ?」
最近は主夫もいるか、全国の料理してるお父さんごめんなさい。
「じゃあ脇阪くんからしたら主婦って頑張ってないの?」
なんという事を言うのだこの娘は。そんな事言ったら炎上するわ。
「そういうわけじゃない。他にも掃除とか洗濯とか⋯⋯色々あるだろ」
料理以外の事も沢山あるだろう。それを毎日こなしているんだ。俺には想像もつかない。
「そうだよね、でも脇阪くんがそれも出来るようになったら、これくらい普通だって、言うと思う」
「いや、そんな事⋯⋯」
ない、⋯⋯とは言い切れないかもしれない。必要に駆られれば、それが俺の中の「普通」になってしまう。そうなった時の自分はなんと言うだろうか。
「私は、ゆうくんの考え方は悪くないって思ってる。でもね⋯⋯」
夏希が一呼吸置いてから、もう一度話す。
「私はあんまり、自己評価を低くしないで欲しいとも思ってる。良い事も沢山あるけど、ゆうくんの考え方は、人を傷つけちゃう事もあるんだよ」
⋯⋯それもそうだ。自分が苦しいと、大変だと思っている事に対して、「その程度の事は当たり前だ」と返されたらそれは不快に思うだろう。
「そっか、そうだな、気を付けるよ」
それに、夏希も俺の言葉に傷つく事があるのかもしれない。それはなんとなく、嫌だと思ったから。
「説教されたのなんていつ以来だろうな」
「説教って程じゃ⋯⋯お母さんには怒られないの?」
そう言われて思い返すと、母に本気で怒られた記憶はあまりない。
「そうだな、親に迷惑かけたくないから、無理してる所もあったんだろうな」
周りからの、悠人くんは手がかからなくて羨ましい、との声が、少し俺を背伸びさせたんだろう。そう言われた時の母は、どんな顔をしていたんだろうな。
「まぁ、代わりに幼馴染に怒られるけどな」
「これくらいので良いなら、何回でも怒ってあげるよ。私の方がお姉さんなんだから」
「そういや、そうだな⋯⋯俺は冬生まれだから⋯⋯夏希の方が年上だな」
落ち着いてきた雰囲気に乗せられたのか、緊張が解けて睡魔が襲う。
「急に眠そうだね、昨日は何時に寝たの?」
代わりに夏希が鶏肉を一口大に切ってくれる。何時に寝たか?
「⋯⋯寝てない。鶏ガラの下処理してた」
自分としてはあまり考えてなかったが、失敗したくない気持ちが強かったんだろう、下処理には随分時間がかかってしまった。
視界の隅で夏希の手が止まる。何かあったのか?とも思ったが確認するのが億劫だな。
「⋯⋯寝なさい」
夏希にしては迫力を感じる声に少し驚く。
「え、いや駄目だろ、まだやる事が」
「ちょっと経ったら起こすから!ちょっと寝てなさい!」
担任を除けば、二人しかいない校舎に夏希の声が響く。こんなに大きな声を聞くのは初めてだ。
夏希の顔を見てみれば、頬を少し膨らませて俺を睨んでいる。⋯⋯怒っている様にも見えるか?
「なんだ、可愛い顔して」
頭が回っていないのか、思った言葉が口に出てしまった。
「か、可愛いって⋯⋯」
カッと顔が赤くなったが、直ぐにさっきの表情に戻る。
「私は!今!怒ってるの」
やはり怒ってたらしい。過保護なお姉さんだな。
「分かった、分かったよ、じゃあ仮眠とるけど、何かあったら起こしてくれよ?」
このまま作業を続けたら、さらに夏希に怒られそうだ。文化祭前に喧嘩っていうのはあまり良くないだろうし⋯⋯
「ここまで頑張ってきたんだから、失敗したくないんだよ」
何より、今までやってきた努力が、眠らなかったせいで、報われないのは嫌だからな。
「⋯⋯そうだね、でも脇阪くん、頑張ったからこそ、ちょっとは休まなきゃ」
そう言って夏希は微笑む。瞼を閉じると、直ぐに夢の中へ旅立つ。
料理部として、クラスの一員として、自分に出来る事をした。だから当然の事をしただけ。そう思っていた。
(⋯⋯良い気分だ)
だけど、俺は案外頑張っていたらしい。自分を認めてやれた事は素直に喜ばしい。
「⋯⋯お疲れ様、ゆうくん」
微睡みの中、夏希の声が聞こえた気がした。
(ありがとう⋯⋯おやすみ、なっちゃん)
夢の中でそう呟く。こんなに充実した気持ちで眠るのは、初めてだった。




