時計の針が、思ったよりは早く進む
「いやぁすまんな遅れて!教師って職業は忙しいんだよ」
早朝からコソコソと隠れていた教師を引っ張りだす。
「忙しいって言うんだったら、廊下で覗き見する時間もないでしょ」
何してんだこの人は。とも思うが、ある程度の奇行は無視する事にする。せっかく早くに来ても、この人を相手にしていたら時間が無駄になる。
鶏ガラを一旦湯通しする所から始める事にする。作る量が多いので、下処理する鶏ガラも結構な量になる。
「んじゃ前田さん、お湯通したあとこっちに鶏渡してくれ」
「分かった。どれくらい?」
「結構適当。ニ、三分くらいで良いだろ」
ある程度の内臓や血合いは昨日のうちに取り除いておいたが、一度湯通しすれば臭み等もある程度落とせる。
夏希から渡された鶏ガラの汚れをある程度取り除いて、ガラを砕く。こうすることで骨から味が出やすくなるらしい。
後は簡単で、臭み取りの野菜とともに、強火でガラを煮ていくだけだ。まぁこんなデカい鍋でした事はないから、上手く出来るかは少し不安だが。
「案外簡単だろ?あとは時間がかかるだけだ」
煮込み時間はかかるが、まぁ和風喫茶が始まるのは9時頃だ。問題はないだろう。
「ふむ、じゃあ基本は二人だけで問題はないか?一応私も他の教室の確認をしておきたい」
文化祭という特殊な行事だ。教師としての立場としてやる事も多いのだろう。
「別に構いませんけど、大丈夫なんですか放っておいて」
家庭科室使用の許可はもらってはいるが、長時間火を使う事になる。
「そんな事言っていたら、いつも家庭科室で一人でさせてる方が問題だろ」
「それはまぁ⋯⋯確かに」
担任は一応の顧問ではあるが、殆ど部活動に顔は出さない。信頼されていると言えば聞こえは良いが、丸投げという言い方も出来るな。
「そういう事だ。じゃあ一旦離れるが、頑張れよ」
そう言って、先生は俺の肩を叩く。
「何か進展あったら、先生にこっそりと教えてくれよな」
いつも通りアホな発言を残して。
何の進展だ、と聞く前に、アホ教師は家庭科室から出ていった。
「なんか、脇阪くんって先生に振り回されてるイメージだよね」
夏希が頼んでもいないのに、下茹でした鶏ガラを砕こうとしている。危なっかしいな。
「あの人、変な事言ってから出ていくんだよ。」
だが折角手伝ってくれてるというのに、止めるのも失礼だろう。仕方なく隣に立って作業を続ける。
家庭科室には鶏ガラの骨を砕く音だけが響く。⋯⋯なんというか華がないな。女子と二人で鶏ガラ処理するってシュール以外の何物でもないだろ。
あと、シンプルに
(気まずい⋯⋯!)
今まではある程度の話のネタがあったから話せていたが、今日はこれから長時間夏希と二人でいることになるのだろう。
俺の会話デッキではそこまでの時間は稼げない事は、過去の記憶からも証明されている。時計を見ても時間は進まない。気まずい時というのは時間の流れが遅く感じる物だ。
「なんかさ、昔はこんな感じだったよね」
夏希が耐えきれなくなったのか、沈黙を破る。
「昔って、いつ頃の話だよ」
「小さい頃の話かなぁ。覚えてる?初めて会った時の事」
昔話か、と言っても、あまり夏希との思い出に良い物はないと思うが。
「覚えてるよ。前田さん、ずっと下向いてたよな」
「し、仕方ないんだよ!今よりも人見知りだったんだよ」
お互い内向的な性格は今でも変わらないが、随分とマシになったもんだと思う。
「二回目に来た時は、脇阪くん漫画持ってきてさ、私の相手せずにずっと漫画読んでた」
「仕方ないだろ、何話せば良いのか分からなかったんだよ」
母親に強制的に引っ張られて連れて行かれて、そこで会った女の子とどう遊べというのか。時間潰しのために漫画を持っていった。
「そうだね⋯⋯でも、それが楽だった。脇阪くん、黙って私に漫画見せてくれたよね?」
思い返すと、そんな事もしたような気もする。ただ単に読み終わった漫画を夏希に貸しただけだが。
「脇阪くんのおかげで、随分少年漫画読む事になったよ」
「悪かったな、少女漫画は基本男の子は読まないんだよ」
「ううん、感謝してるんだよ。⋯⋯私の事、みんな気にしてた。可哀想な娘だって、同情されて疲れてたのに」
⋯⋯興味がなかっただけだ。夏希の親がどんな状況であろうと、関係ないって思ってただけなんだよ。
「そんな時に、何も言って来なかった脇阪くんとの時間が、私は好きだったよ」
なのに、そんな俺との時間が、彼女を救ってくれていたんだとしたら、それはとても誇らしい事に思えた。
「お母さんにたまに聞いたよ?次はゆうくんはいつ来るのって」
誇らしい気持ちになっていたら、急にハンマーで頭を殴られた気分になる。
「お、おま⋯⋯ゆうくんって⋯⋯」
「昔は、私、脇阪くんの事、ゆうくんって呼んでたよね」
「それ言ってて恥ずかしくないか?」
「別に、今でも呼べるよ?」
何を言ってるんだいこの子は!?
「⋯⋯ゆうくん」
心臓が跳ねる。作業する手が止まる。
「ねぇ、ゆうくんは昔、私の事なんて呼んでたっけ?」
心臓がどくどくと脈打つ感じがする。言わないと駄目か?これ?
「⋯⋯なっちゃん。だったと思う。殆ど呼んでなんかないけどな!」
もはやヤケだ!なんだこの変な空気は!?先生帰ってきて!?
「そうだったね。ゆうくんって私の事『おい』とか『ちょっと』とか言って呼んでくれなかったし」
「それは、悪かった⋯⋯子供の頃は恥ずかしかったんだよ」
「じゃあさ、今なら、恥ずかしくない?」
今日の夏希さんなんか強くない???
「呼ばないよ!そういうのはもっと親しい人に取っておきなさい!」
「ゆうくん、お母さんみたい」
「うるせぇ!そのゆうくんってのも辞めなさい!」
「なんで?別に私は恥ずかしくないけどなぁ」
「俺が恥ずかしいの!」
むず痒くなるような会話が続く。時間を見ると、時計の針は随分と進んでいた。
「もう、こんなもんで良いだろ⋯⋯」
「ゆうくん呼びの事?」
それもあるけど!
「鶏ガラ!充分砕いたから!鍋に入れるぞ!」
砕いた鶏ガラを鍋に移し、強火で煮込んでいく。鍋の中で泡が弾け、家庭科室に鶏ガラの匂いが広がる。
作業としては手間な事はなく。大した事ではない筈なのに
「なんかどっと疲れた⋯⋯」
「無理してるんだったら、寝てても良いと思うよ。私見とくし」
⋯⋯誰のせいで疲れたと思ってるんだ?
「たまには休まないと、倒れちゃうよ」
「そんな過労死するほど働いてないわ」
それに、まだやる事も結構あるのだ。夏希だけに任せるわけにもいかない。
「そこら辺もさ、変わらないよね」
何の事か知らないが、人はそんなに簡単に変わらないもんなんだよ。
「中学の時なんて、脇阪くん凄かったんだから」
中学の時?別に何かをした覚えはないが⋯⋯
「あの時から、脇阪くんの中の努力の考え方は、人と違ったんだね」
⋯⋯努力ね。努力や頑張りって話になると、思い出せるのは一つの記憶。
――中学三年の夏。
ゴールラインを駆け抜けたあと、空を見上げていた。
息は上がっていたが、胸の奥は不思議と静かだった。
(まあ、こんなもんか)
タイムは悪くない。けれど、総体に届くほどでもない。
周囲が悔しさや達成感で騒いでいる中で、きっと自分だけが、夏の終わりを「軽い」と感じていた。




