悪役令嬢? だから何?
私が周囲の異変に気付いたのは今から半年ほど前の事だ。
婚約者である王太子、シスト様を初めとし、私と交友があった方々の様子が突然変わったのだ。
公爵令嬢フィオレ・ランベルティ。それが私の肩書き。
ランベルティの名に恥じぬよう、そして未来の皇后としてシスト様の隣に立つ人間として相応しくある為に私はこれまで振る舞ってきたはずだ。
淑女教育も、学園での勉学も、社交界や学園での振る舞い方や他者への接し方など。その努力を惜しんでは来なかった。
その甲斐あってか、周囲からの評価は高かったし、慕ってくれる方々も多くいた。
けれど……半年前。
王立学園へドメニカ・ディ・ピニャータ男爵令嬢が編入してきてからすぐに、私を慕ってくれていた方々の態度が一変した。
多くの人が、私の悪評を流し、批判し、裏で陰口を言うようになった。
何でも、下位貴族であるドメニカを執拗に虐めているという話が出回っているらしい。
それに気付いた時、私はすぐに周囲の方々の異変を悟った。
彼らは皆、そのような噂で簡単に流されるような人達ではなかった。
特に――婚約者であるシスト様は。
シスト様とは幼少からの付き合いだが、彼は私をとても大切に思ってくださっている。
私を対等な存在として扱い、心を許してくださっていたシスト様。
一癖、二癖はあろうと王太子の器に相応しい聡明で心優しいお方だ。
そんな彼がある日を境に私を冷たく睨み、口を利かなくもなれば、ひしひしと感じていた周囲の異変が気のせいではないことに確信を持つのも当然の事。
そしてこのような状況になった要因はドメニカ様にあると、私は睨んでいた。
何故なら周囲の方々の私へ向けていた好意が薄れると同時に、ドメニカ様をお慕いし始めていたから。
それもただ好意を寄せているだけというには不自然に。
ドメニカ様は異性とのスキンシップが多い方だった。
腕を組みたがったり、体や胸を押し当てたりなど、貴族として相応しくないような言動を取られるお方。
貴族としてのマナーを叩き込まれている異性からしても、不快感を覚えて然るべきお相手だったのだ。
さて、そんなこんなで気が付けば学園中が私と敵対し、味方は一人もいなくなった。
そして困った事に、私を毛嫌いし、ドメニカ様が愛されるという流れは社交界にまで広がりつつあった。
このままでは政界における家の地位や未来の王太子妃の立場が危ぶまれるかもしれない。
それは何としても避けたいと考えていた。
(恐らくは魔法の類だと思うのだけれど……。魅了の魔法は太古の時代に禁忌として指定されてから継承者は存在しない。なら別の方法? それともどこかで魔法の知識を得たのかしら)
封じられた知識を得る方法。それに私は一つだけ心当たりがあった。
この国は世界樹と呼ばれる果てしなく大きな樹木が存在する。
神が大地に埋めたとされるその大樹は、世界中の知識を有していると言われている。
神はその樹から今の世界を作り出し、そして大樹を守る守り人として、神の遣いを配備させた。
守り人は、世界樹が持つ知識を取り出し、与える事が出来るとされている。
且つて彼の存在に認められた者が残した手記には『一つの言葉にまつわる知識を全て与えられた』と言われている。
ならば――ドメニカ様は編入するより先に世界樹まで足を運んだのだろうか。
存在するかもわからない魔導具や薬の存在を疑うよりも、そちらを疑う方がよっぽど腑に落ちると私は感じた。
「世界樹……行けるものなら行きたいけれど」
すっかり孤立した私が一人で廊下を歩いていると、ある教室から声が聞こえる。
「ところでドメニカ。たまに話す『悪役令嬢』とは、一体どのような意味なんだ」
シスト様の声だった。
私は咄嗟に、扉の傍に身を潜めた。
「えっとぉ、私、未来が見えちゃうんですけどぉ」
彼の腕に抱きついていたドメニカが得意げに言う。
「この世界で悪になるべくして生まれてきた人の事ですよぉ。ほら、フィオレ様みたいに。私を虐めたりしたせいで、嫌われてるじゃないですかぁ。性格も悪いし」
「君は未来が見えるのか」
「はい! なので殿下、安心してください。フィオレ様との婚約は必ず破棄できますから」
婚約の破棄。
これまで幼い頃から王太子妃になる為に努力してきた私にとって、これほどゾッとする言葉もなかった。
「そうか」
銀髪の下、青い瞳が冷たく細められている。
動悸と眩暈を覚えたが、私はそれを耐え、二人の話に耳を傾ける。
「殿下ぁ、私ぃ……今二人っきりだから特別に言うんですけどぉ。実は世界樹の守り人様にお会いして来たんです」
「何? 世界樹に辿り着いたのか」
世界樹という知識の宝庫。その力を欲する者は多い。
だがそれでも到達できる者が少ない所以は――世界樹を取り巻く魔法の霧のせいだ。
霧の力によって、殆どの者は大森林の入口から遠くに見える世界樹を目指して進んだとしても、気が付けば大森林の外に出てしまうというのだ。
その霧を抜けられるのは守り人に認められた者のみ――そしてそれは百年以上現れていない。
故にドメニカ様の話が事実だとすれば、彼女は百年は現れなかった世界樹の新たな踏破者となる。
「うーん、殿下になら言ってもいいかなぁ。私は神様から直接お告げを受けて、世界樹へ繋がる道を特別に教えて頂いたの」
「抜け道があるのか?」
「内緒ですよぉ……って言っても、誰にも言えないと思いますけど」
そう言って、ドメニカ様はどのような経緯で道を見つけたのかを詳細に語った。
この情報が漏れる事がないという自信があるようだ。
(言えない……)
これまで彼女に向けてきた疑いを考えれば、ただの言い間違いとは思えない。
私が陰から二人の様子を盗み見ていた時。
ふと、シスト様が顔を上げる。
バチリ、と目が合ってしまった。
まずいと焦りが湧きたつも、ここで変に逃げる方が不自然かと思い、私は彼を見つめ続ける。
ドメニカ様へ告げ口でもするのだろうか、と身構えたが、彼は私から目を逸らすとそのままドメニカ様と談笑を始めた。
私は小さく息を吐き、その場を後にする。
それから数日後。私はこっそりと我が国の辺境、大森林へと向かった。
社交界にまで影響が及んでいる事を考えれば、身内にも変化があってもおかしくはない。
誰かを信じるより自分で動いた方が良いと判断したのだ。
私は霧が漂う大森林の中へ足を踏み入れる。
そして私は左手に進み、赤い木の実が無数に散っている場所へと辿り着く。
ドメニカ様はそこで『青色の花を根元に咲かせた木』を見つけたと言っていた。
私は周囲を見回し、そしてそれを見つける。
木の根元に咲く一輪の花は、この地域では殆ど咲かない種だった。
私はそれを確認してから、幹に手を伸ばしペタペタと触っていく。
すると木の幹の感触ではない、つるつるとして石のようにかたい感触が手に伝わった。
見た目は木の幹でしかなく、目視では変化に気付けない――恐らくは幻覚魔法の類が掛けられているその部分に、私は魔力を流す。
すると、周囲の景色に変化が現れた。
木々の中に、一本の道が現れたのだ。
「……これは普通は気付けないでしょうね」
ドメニカ様には虚言癖がおありだと評価していたが、未来視の話は案外事実なのかもしれない。
そう思えば、彼女が話した『婚約破棄』の事が過り――私は苦く笑った。
道を進んだ先、気が付けば大樹の目の前に辿り着いていた。
「また客人か」
辺りを見回していると、声が掛かる。
耳が長い、美しい見目のお方。
声や格好だけでは性別が判断つかない中性的の顔立ちのそのお方は、伝承でのみ耳にした事がある、エルフという種族の特徴を揃えていました。
「初めまして。私はフィオレ・ランベルティと申します。世界樹の守り人様にお目通り願いたく参じました」
「お前達が守り人と呼ぶのは私の事だろう。どうせ、何か知識を分け与えろとでも言いに来たのだな」
「その通りでございます」
「ならばさっさと終わらせよう。望む情報を与える。……だが、人間が許容できる知識量を鑑みて、与える知識は一つの言葉に限定させてもらう。ものによっては脳を破壊しかねないからな」
「随分……あっさりとしていらっしゃるのですね」
「私の使命はここを訪れた者に知識を授けるだけだ。故に人格などという者も重視はしない。その先の事も知った事ではないからな」
そういうと、守り人は世界樹の幹に触れる。
するとその体が淡い光で包まれた。
「さて、お前は何を望む」
「では――『悪役令嬢』という言葉について」
「悪役……? なんだ、それは」
「さあ、私にもわからないのです」
「……まあいい。」
怪訝そうな顔をしながらも、守り人は私へ手を差し出す。
取れという事だろう。
私はその手を取った。
刹那、守り人を包む光が広がり、私の体を包み込む。
そして同時に、私の頭の中にいくつかの情報が流れ込んでくる。
情報量自体は少ない。というか、その全てがドメニカ様が把握している情報であった。
どうやらこの世界は彼女にとって『げぇむ』というものの物語の中の話のようで、私は悪役に分類されているらしい。
私はげぇむの中の悪役の令嬢――『悪役令嬢』であり、シスト様を含む登場人物とされるお方達と敵対する未来が決まっている。
その中の展開の一つがシスト様による『婚約破棄』である……と。
何故ドメニカ様が私にだけ魅了の魔法をかけないのかもよくわかった。
彼女は出会う前から私を好いていなかったようだし、何よりげぇむの筋書きという未来が見えていたのならば、破滅の運命を辿る私の意志をわざわざ奪う必要もない。
もしくは、操り人形を裁くよりも意志ある悪役を裁く方が楽しいだろうとでも考えたのかもしれない。
「どうやら大した情報はなかったようだな」
光が消えた頃。守り人がそう言う。
「大抵の者は取り乱したり、暫く情報の処理に時間が掛かったりするものだが」
「いいえ。量は確かに少ないでしょうが、得られたものの質は大変すばらしいものでした」
「……少し前の来訪者とは随分異なる人間が来たものだ」
「そのお方、魅了の魔法の知識を求めていきましたか?」
「なんだ、顔見知りか。あの頭は随分と多大な情報を浴びたようだから、まともに生活できているかも怪しいと思っていたのだが」
問題は大ありだと思いますが。という言葉を私は呑み込む。
代わりにドメニカ様について考えを巡らせる。
仮に精神や脳に影響が出かねない情報量を浴びるのが分かっていたとして、彼女はそれをするだろうか。
ドメニカ様は既に未来で起こる事を知っているはずだ。にもかかわらず敢えて世界樹を訪れ、情報を欲した理由……。
世界樹へ辿り着く方法がわかっていたとしても、既に知っている知識をわざわざ求める為に足を運ぶことはしないだろう。となれば、彼女は新しい知識を求めて世界樹を訪れた事になる。
つまり、『魅了の魔法』の詳細を知り、操る事はげぇむの筋書きから離れた行いだったのではないか。
だとすれば、ドメニカ様の知る物語の筋書きと差異が生まれるはず。
少なくとも、げぇむと全く同じ様に事が運んでいるわけではないと考えられた。
ならば、例えここが創造の世界だったとしても――げぇむ通りの未来がやって来るとは限らないのではないだろうか。
私の脳裏に、最後にお見かけした時のシスト様の姿が過る。
私は小さく笑みを浮かべた。
「そろそろお暇しますわ」
「ああ、そうしてくれ。私は人と話すのが好きではないんだ」
「話すのが好きではないというのであれば、ここに至る為の手段くらいは口止めしておいた方が良いかと。……まあ、ここへ訪れた方の殆どは流出させたがらないでしょうから」
私はやドメニカ様はさておき、且つて世界樹へ至った方々は確かな観察眼を持った方や聡明なお方が多かったはず。
先人はきっと、一つの単語という制約はあれど、世界中のあらゆる知識を手に入れられる世界樹の力を人々が取り合う事も、いとも容易く情報が流出する社会も望まなかったのだろう。
これまであの道について秘匿され続けていたのが何よりの証拠だ。
そして私も、同じ気持ちだった。
「もし、あの道が世界樹の恩恵を受ける試練なのだとすれば、タネが明かされていれば意味はないでしょう。私みたいに知人から聞いて足を踏み入れる方がいるかもしれませんから、できる事なら道筋は変えた方が良いかもしれませんね。……人と話したくないのであれば特に」
守り人は何も言わなかった。
私は深くお辞儀をすると世界樹の元から立ち去った。
***
それから一週間が経った頃。
「フィオレ・ランベルティ! 君との婚約を破棄する!」
年に一度の学園のパーティーで私はシスト様からそう告げられる。
「君はドメニカに散々な虐めを行った挙句、彼女に怪我を負わせようとした! 地位の高さを盾に横暴に振る舞う君を国母として認める訳にはいかない」
シスト様の隣ではドメニカ様が勝ち誇ったように笑っていた。
周囲の生徒達も皆、私へ冷たい視線を投げつけていた。
その中で、私は笑みを浮かべ続ける。
ドメニカ様の思う『悪役令嬢』ならばきっとこうするのだろうと思った。
そして二人を見据えて言う。
「証拠はございますか」
「大勢の目撃者がいる!」
「では発生日時と具体的な被害を申してください。時系列順に」
「さ、最近、水をかけられたんです」
「あらあら、時系列順にと申しましたが、最も古い罪が『最近』のものでよろしいのでしょうか?」
「そっ、そんな……っ、どうして加害者のフィオレ様の言う事を聞かなければならないのですか……!」
「まあどうでもいいですが。それで最近とは具体的にいつ頃で?」
「昨日のことよ……!」
私は笑みを深める。
「まぁ。私、昨日は学園に来ておりませんよ」
私は世界樹へ向かう直前から学園を休んでいた。
帰還した後も、世界樹の知識から得た婚約破棄の日――パーティーの日の立ち回りを考える為、欠席していたのだ。
魅了されている生徒達がドメニカ様に夢中になってしまって私の欠席を気に留めていないのは仕方がないにせよ、ドメニカ様からすれば私の立場は見過ごせないもの……気に掛けるべきもののはずだ。
にも拘らず、私の長期欠席の事を知らなかったとなると……彼女は異性たちに囲まれる生活に余程夢中だったのだろう事が窺えた。
「お、一昨日だったかも」
「一昨日もお休みを頂いております」
「じゃあその――」
「その前も同様です」
「嘘吐き!」
「そう思うのでしたら先生方に伺ってくださいませ。……それよりやはり、時系列順にお話しすべきかと。お陰で一つ目の訴えから整理が尽きませんわ」
「~~っ、私が編入してきた日、フィオレ様は私を睨み、大勢の前で嘲笑いましたよね!」
「いいえ? 今でも覚えていますが、あれは貴女が複数名の異性……それも婚約者のいる方々へ詰め寄っており、お相手方が困っていらっしゃいましたから、忠告したまでです。……そうですわね?」
私の視線は野次馬の中の一人の男子生徒へ向けられる。
冷たい視線で私を見ていた彼は、よもや自分に話が振られるとは思わなかったのだろう。驚いたように肩を跳ね上げた。
「は? え、その」
「そう口籠るのが、事実を偽る為の間であるならば、考え直してください。彼女はただの男爵家の御令嬢。私は公爵家の人間。……敢えて嘘を吐き、公爵家を敵に回す事に一体何の意味があるのか」
「な、何の」
「卑怯よ! 地位で脅すなんて!」
「事実であるならばそう申せばよいだけですわ。私は何も嘘を吐けと申している訳ではございませんの。ただ、もし言葉を偽ろうとしているのであれば……そうする事に何か意味があるのですか? 何故、わざわざリスクを負ってまでそうしようと考えているのですか? 何故、そうまでして彼女を庇おうと思ったのですか?」
いくつもの問いを投げる。彼は答えられない。
当然だ。彼は魅了の魔法でただ漠然と、ドメニカ様を愛してしまっただけ。
そこにきっかけも理由もない。ただ、何となく好きだと思っただけなのだから。
問いを重ねる内、虚ろだった彼の瞳が揺らぐ。
「彼女が守るに値する少女か、自分が心の底から愛している少女か。今一度よくお考え下さいませ」
「っ、騙されないで! そいつは悪女なのよ! そうやって言葉巧みにみんなを操っていたのよ!」
「ドメニカ」
声を荒げ始めたドメニカ様をシスト様が呼ぶ。
すると彼女は目に涙をためてシスト様に縋りついた。
「っ、殿下。殿下は、私を信じてくださいますよね? 愛してくださいますよね?」
シスト様はその涙を拭いながら言う。
「一つの証言で足りないのならば、彼女をわからせる程提示すればいいだけだ」
「……っ! そうですよね!」
ドメニカ様の表情が明るくなる。
それから彼女はキッと再び私を睨み……
「翌日、私は階段から突き飛ばされました!」
「お時間は?」
「ひ、昼休憩です」
「でしたら、その日はお誕生日だった友人と共に昼食を取っておりました。そうよね?」
いつの間にか疎遠になってしまっていた友人へ、今度は視線を向ける。
先程の男子生徒のように驚きを滲ませた友人。
「もし今、ここで嘘を吐こうとしている気持ちに少しでも疑念があるのならば……罪悪があるのならば、真実を話して頂戴」
相手には迷いが見えた。
顔を強張らせる彼女へ、私は笑いかける。
「私、お茶をしながらお花が好きな貴方の話を聞くのが大好きなのよ。これからだって、お友達でいさせて欲しいわ。愛しているのよ、親友として」
友人の瞳が揺らぐ。
虚ろな目に光が宿った。
彼女は涙を溢し、嗚咽を漏らしながら膝から崩れ落ちた。
ごめんなさいという消えそうな声が聞こえた。
「許しますわ。私、この場の皆様をそれぞれ、愛していると言えるくらいの交友は広げてきたはずですもの」
顔を真っ赤にしたドメニカ様は頭を掻き毟りながら奇声じみた声で別の罪を私に擦り付けようとする。
しかしその後の展開も全くと言って同じだった。
ドメニカ様の主張した罪の目撃者が現れる度、私のアリバイを証明できる方が現れる度、私は一人ひとりの心に訴えた。
本心で言葉を尽くす。愛を謳う。
私は公爵令嬢、フィオレ・ランベルティ。
未来の国母。
それが出来るだけの広くて深い関係性を、学園では展開してきた。
皆の信頼を勝ち取ってきたのだ。
意味の分からない運命や魔法になど負けないだけの積み重ねがあるはずだという、自負があった。
悪役令嬢だからなんだと言うのだ。
私は私。
どこかの世界では私を悪女と呼ぶ者がいたとしても、私の芯が変わる事はない。
筋書きが存在するというのならば精いっぱい抗って見せればいい。
私達は物語の駒でも人形でもない。
意志を持った人間なのだから。
数時間は経過しただろうか。
気が付けば私を取り囲む人達の目には輝きが戻っていた。
呆然とする者、泣き崩れて許しを請う者、感謝から微笑みを向けてくれる者。
気が付けば私の周りには味方ばかり集っていた。
私はほっと息を吐く。
それから――シスト様とドメニカ様へ向き直る。
「なんで……なんでなんでなんで! なんでよぉおおおおおっ!」
地団太を踏み、最早貴族らしさの欠片もないドメニカ様。
それを大勢が冷ややかな目で見つめる。
「シスト様」
私は婚約者だった彼を呼ぶ。
「私はご期待に沿えましたか?」
「っ、やめて、シストは……シストだけは、絶対に私だけのものなんだから!」
これまでの者同様に、魅了が解かれる事を恐れたのだろう。
ドメニカ様はシスト様に必死に抱きつき、私へ怒鳴った。
王太子を呼び捨てとは、この場で裁かれても仕方がない言動だ。
「シスト様は貴女のものではございません。勿論、私のものでも。……ただ」
私はシスト様を見据え、自分の胸に手を当てる。
「私の全ては、シスト様のものですが」
「……フィオレ」
思わず漏れたのだろう。
私の名を口にした彼はハッと口を手で覆った。
「今謝罪を頂ければ、許して差し上げますよ? 私は直に国母となる者ですから、そのくらいの寛容さは持ち合わせております」
「だめ、だめだめだめっ!!」
ドメニカ様はシスト様の前に回り込んだ。
そして彼の頬に両手で触れてから、何かを唱え始める。
この国の言語ではない。
それは魔法の呪文のようだった。
そして恐らくは――魅了の魔法。
シスト様に掛けた魔法が解ける事を恐れた彼女は魅了の魔法をかけ直そうとしたのだろう。
しかし――それは意味を為さなかった。
次の瞬間、シスト様は自分に触れた手を掴むとあっという間にドメニカ様の腕を捻り上げ、床に組み伏した。
「キャアアッ」
「ドメニカ・ディ・ピニャータ」
一切動じない、良く通った声がドメニカ様を呼ぶ。
「禁忌魔法の行使並びに、王族を含んだ大勢へ危害を加えた罪で貴様を拘束する」
シスト様の宣言を合図に、大勢の騎士がパーティー会場へと乱入する。
彼女の身柄はあっという間に騎士へ引き渡され、そのまま会場の外へと引きずられていく。
「な……っ、なんで!? 魅了はまだ解けていなかったんじゃ――」
「「魅了?」」
私とシスト様の声が重なる。
私達は一度だけ視線を交わしてから互いに口角をつり上げる。
「俺は一度だって、魅了の影響など受けていないが」
「彼、私にゾッコンなんです」
何ともまあ、意地の悪い嘲笑だったことだろう。
私は悪役令嬢らしいから良しとして……。
何とも邪悪な顔をしていらっしゃる今のシスト様は、さながら――
――悪役王太子、とでも呼ぶべきなのでしょうか。
***
その後、シスト様に連れ出され、私達は学園の中庭まで出る。
静かに流れる噴水の前で、シスト様は、禁忌魔法の使用や、王族を魔法で意のままに操ろうとした事、そして未来の国母を陥れようとした事も大罪である為に、ドメニカ様は恐らく極刑。彼女の家も潰れるだろうと話した。
それから彼は、自身が周囲の者が魅了の魔法にかかっていく事に気付いてからの経緯を教えてくれた。
彼はドメニカ様の狙いが私である事に気付いてから、ドメニカ様の手綱を握るべく彼女を寵愛するふりをし、魅了の魔法が効いているふりをしていたそうだ。
唯一魅了魔法をかけられていなかった私を信じ、ドメニカ様の目のない場所で私が解決の糸口を見つける瞬間を待っていたようだ。
禁忌魔法というのは非常に危険で恐ろしい代物。魅了が効かなかったのも偶然である可能性を拭えない以上、魔法をかけ直される事も避けたかったシスト様としては苦渋の決断だったようだ。
因みに彼は確かにドメニカ様から魔法をかけられたような気はしたが、全く異変がやって来なかったらしい。
まあ、そうだろうなと私は思った。
「フィオレ、すまなかった」
そう謝罪する彼は私を両腕に閉じ込めたまま、両足までがっしりと絡めてきそうな勢いだ。さながらコアラである。
「婚約破棄は嘘だ。勿論しない。……フィオレもしないでいいよな?」
「さあ、どうでしょう」
「フィオレ……っ!」
今にも泣きそうなシスト様に、先程までの威厳などは存在しない。
そう。彼は昔から本当に……私の事が大好きなのだ。
それはそれは、互いの両親がドン引きするくらいに、彼は私を溺愛していた。
「愛しているんだ。なぁ頼む、見捨てないでくれ」
情けない彼の懇願をじっと見つめた私はプッと小さく吹き出す。
こんな彼だから、魅了が効かなかったのもどうせ、私に対する愛の重さが魔法の規格を上回ったとかそんな事だろうと思っていた。
彼が世界樹への行き方をドメニカ様から引き出した時、ああ、彼は多分無事なのだなと私も妙に納得して確信したものだ。
「仕方がありませんわね。口づけをしてくれたら許してあげます」
私は頬を赤らめながらはにかむ。
シスト様は一度目を見開いてから、嬉しそうに満面の笑みを咲かせた。
「ああ。……愛してるよフィオレ。これからもずっと」
彼の唇が私の唇を塞ぐ。
シスト様の愛は深く重い。
けれど――
――私だって同じくらい、彼を愛しているのだ。
甘い甘いキスに溺れながら、私はシスト様の背に手を回し、胸から溢れそうになる幸福を享受した。
私達の平穏で幸福な生活は、こうして再来したのだった。
***
後日、シスト様と共に例の世界樹へ繋がる道の確認へ向かったが、仕掛け諸共、道は消えていた。
私達と同じ方法で世界樹へ辿り着く者はもういないだろう。
禁忌と封じられた知識すら簡単に引き出せてしまう力だ。
誰にも見つからない方がきっと平穏な世を保てるだろう、とシスト様は言った。
それから、世界樹へ辿り着いた者の話が私達の耳に届く事はなかった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




