第35話 8月22日 - 河野雄介「声が遅れて聞こえる」
■3秒遅れのエコー
きょうも永遠の8月13日です。
朝、「おはよう」ってお母さんに言いました。
でも、自分の声が変でした。
「おはよう」って言った3秒後に、もう一度「おはよう」って聞こえました。
やまびこみたいに、自分の声が返ってきました。でも、山なんてありません。家の中です。
お母さんの返事も遅れて聞こえました。
お母さんの口が動いてから、3秒後に「おはよう」って声が届きました。
まるで、音が、すごく遠くを回ってから来るみたいでした。
朝ごはんを食べてるとき、もっとひどくなりました。
「いただきます」って言ったら、5秒後に声が聞こえました。
はしで茶碗をつついた音も、5秒遅れ。
みそ汁をすする音も、5秒遅れ。
目で見てることと、耳で聞こえることが、ぜんぜん合いませんでした。
テレビをつけたら、もっと混乱しました。
アナウンサーの口の動きと、声がバラバラでした。
口は「今日の天気」って動いてるのに、声は「おはようございます」って言ってました。
5秒前のセリフが、今聞こえてる感じでした。
■どんどん広がる時間差
学校に行く道で、友だちの健一に会いました。
「おはよう」
健一が言いました。でも、声は10秒後に聞こえました。
ぼくも「おはよう」って返事しました。
健一は、すぐにうなずきました。でも、ぼくの声は、まだ健一に届いてないはずです。
「君も、声が遅れる?」
聞いてみました。
健一の答えは、15秒後に来ました。
「うん。どんどん遅くなってる」
学校に着くころには、20秒遅れになってました。
教室に入ったら、カオスでした。
みんなの声が、バラバラのタイミングで聞こえてきました。
山田くんの「おはよう」 5秒後に佐藤さんの「宿題やった?」 10秒後に田中くんの笑い声。 15秒後に先生の「静かに」
全部がまざって、意味不明な音の洪水でした。
でも、不思議なことに、みんな普通に会話してました。
まるで、遅れて聞こえることに、もう慣れてるみたいでした。
先生が黒板に書きました。
「声は過去、目は現在、心は未来」
そして、30秒後に説明の声が聞こえました。
「8月13日から、時間がバラバラになった。感覚も、バラバラのスピードで動いてる」
■昨日の会話が聞こえる
午後になったら、もっとすごいことになりました。
1時間遅れで、声が聞こえるようになりました。
給食の時間に、朝の会の声が聞こえてきました。
「起立、礼、着席」
もう、とっくに終わったことなのに、今聞こえてきました。
そして、夕方。
家に帰ったら、昨日の声が聞こえ始めました。
「雄介、お風呂入りなさい」
昨日のお母さんの声でした。
「はーい」
昨日のぼくの返事も聞こえました。
部屋に行ったら、昨日のぼくが宿題してる音が聞こえました。
鉛筆で字を書く音、ページをめくる音、ため息。
全部、昨日の音でした。
でも、目の前には、何もありません。
音だけが、24時間遅れて再生されてました。
夜になったら、もっと昔の声が聞こえてきました。
1週間前の声、1か月前の声、1年前の声。
どんどん過去にさかのぼっていきました。
そして、10年前の声が聞こえました。
赤ちゃんのころのぼくの泣き声でした。
「オギャー、オギャー」
懐かしいような、悲しいような声でした。
今、深夜です。
もっと昔の声が聞こえます。
生まれる前の声も聞こえる気がします。
お母さんのお腹の中で聞いた、心臓の音。
ドクン、ドクン、ドクン。
でも、これも遅れて聞こえてるんでしょうか。
それとも、これが本当の「今」の音なんでしょうか。
もう、わかりません。
明日は、どんな声が聞こえるんだろう。
未来の声が聞こえるのかな。
まだ言ってない言葉が、先に聞こえてくるのかな。
死ぬときの声も、聞こえるのかな。
でも、永遠の8月13日に、死はあるのかな。
今、窓の外から声が聞こえます。
「もうすぐ、音と時間が完全にズレる」
だれの声だろう。
いつの声だろう。
もしかしたら、これを読んでる人の声かもしれません。
未来のあなたの声が、過去のぼくに届いてるのかもしれません。
担任教師の赤ペンコメント:
音と時間がずれていく世界…そうぞうするだけで、とてもこんらんしそうです。雄介くんは、そんな世界で、過去の音を聞いているのですね。自分の赤ちゃんのころのうぶ声まで聞こえるなんて…。それは、この世界が雄介くんに、あなたが生まれてきたことのあしあとを見せようとしているのかもしれませんね。先生には、未来の音が聞こえる気がします。まだ書いていない、あなたたちの日記を読む声が…。




