第34話 8月21日 - 池田まり「写真の中の私」
■現像された不思議な写真
きょうも永遠の8月13日です。
お父さんが撮った写真を現像しました。8月13日より前に撮った、夏休みの写真です。
でも、現像してみたら、へんな写真ばかりでした。
海水浴の写真を見たら、わたしが2人いました。
水着を着たわたしと、その横に、もう一人同じ水着を着たわたしがいました。
顔も、髪型も、まったく同じ。でも、もう一人のわたしは、違う方を向いてました。
「お父さん、これ合成?」
「いや、撮ったままだよ」
お父さんも、不思議そうに写真を見てました。
ほかの写真も見ました。
花火大会の写真では、わたしが3人いました。
お祭りの写真では、4人。
家族旅行の写真では、5人も写ってました。
全部、同じわたしなのに、それぞれ違うことをしてました。
笑ってるわたし、泣いてるわたし、怒ってるわたし、寝てるわたし、走ってるわたし。
同じ瞬間に、いろんなわたしが存在してました。
■写真から出てくる別の私
一番不思議な写真がありました。
8月12日の夜に撮った写真でした。
部屋で日記を書いてるわたしの写真。
でも、写真の中のわたしは、カメラを見てました。
日記を書きながら、同時にカメラを見るなんて、できません。
しかも、写真の中のわたしが、手を振ってました。
動いてる写真じゃないのに、手を振ってる途中みたいに、手がぶれてました。
じっと見てたら、写真の中のわたしが、口を動かしました。
「出して」
そう言ってるみたいでした。
写真に触ったら、ひんやりしてました。
ガラスみたいな感触でした。
指で押したら、写真がへこみました。
水面みたいに、ぽわんとへこんで、また戻りました。
写真の中のわたしが、写真の内側から押してきました。
手のひらの形が、写真の表面に浮き出ました。
「出たい」
声が聞こえました。わたしの声でした。
写真を両手で持って、引っ張ってみました。
ぐにゃっと、写真が伸びました。
そして、中から手が出てきました。
わたしの手でした。
引っ張ったら、腕が出て、頭が出て、体全部が出てきました。
写真の中のわたしが、部屋に立ってました。
■入れ替わる現実
「やっと出られた」
もう一人のわたしが言いました。
「写真の中は、せまくて大変だった」
「いつから、写真の中に?」
「8月12日の夜から。8月13日になる瞬間に、閉じ込められた」
もう一人のわたしが、説明してくれました。
8月13日に時間が壊れたとき、いろんな可能性のわたしが、バラバラになったそうです。
笑うわたし、泣くわたし、怒るわたし。
全部の感情のわたしが、別々に存在するようになったそうです。
「でも、写真に閉じ込められるのは、つらい」
もう一人のわたしが、写真を指さしました。
写真を見たら、中身が空っぽでした。
部屋の背景だけで、わたしはいませんでした。
「今度は、あなたが入ってみる?」
もう一人のわたしが、いたずらっぽく笑いました。
「やだ」
「冗談。でも、たまに交代しない?」
それから、もう一人のわたしと、一緒に暮らすことになりました。
同じ服を着て、同じごはんを食べて、同じベッドで寝ます。
でも、性格がちょっと違います。
もう一人のわたしは、もっと明るくて、もっと勇気があります。
「これが、本当のわたしかも」
もう一人のわたしが言いました。
学校に行ったら、ほかの子も2人になってました。
山田くんが2人、佐藤さんが3人、田中くんは5人もいました。
教室が、すごく狭く感じました。
先生が言いました。
「今日から、みんな複数形です」
複数形のわたしたち。
一人じゃない、わたし。
今、日記を書いてるのは、どっちのわたしだろう。
本物のわたし? 写真のわたし?
もう、わからなくなってきました。
でも、それでいいのかもしれません。
永遠の8月には、一人じゃ寂しいから。
たくさんのわたしがいれば、永遠も楽しく過ごせるかもしれません。
今、もう一人のわたしが、新しい写真を撮ってます。
「この中に、3人目のわたしがいるかも」
そう言って、カメラのシャッターを切りました。
担任教師の赤ペンコメント:
写真の中に、たくさんのまりさんがいたのね。わらう自分、なく自分、いろんな自分がいて、はじめて「自分」になる。そう考えると、たくさんのまりさんと一緒にくらすのは、とても自然なことなのかもしれないわね。先生も、時々、自分が何人もいるような気がします。教室にいる先生、おうちにいる先生、そして、子供のころの先生…。みんな、わたしなのよね。




