第30話 8月17日 - 野村亜希子「ぬりかべ」
■見えない壁
きょうは8月13日の5回目です。でも、もう誰も数えてません。永遠は数えられないから。
夜、コンビニにアイスを買いに行きました。
8月13日から、夜でも昼でも朝でもある不思議な時間だけど、アイスが食べたくなる時間は「夜」って呼んでます。
道を歩いてたら、突然、何かにぶつかりました。
ゴンって、おでこを打ちました。
「いたっ!」
でも、目の前には何もありませんでした。
手を前に出してみたら、見えない壁がありました。
つるつるして、硬くて、冷たい壁でした。でも、完全に透明で、全く見えませんでした。
右に行こうとしたら、右にも壁がありました。
左にも、後ろにも、壁がありました。
四方を壁に囲まれてました。
「だれか、助けて!」
叫んだけど、声が壁に跳ね返ってきました。
そのとき、壁が震えました。
ズズズズって、低い音がしました。
「すまんのう」
声が聞こえました。おじいさんみたいな声でした。
「道をふさいでしまって」
■ぬりかべとの対話
「だれ?」
「わしは、ぬりかべじゃ」
ぬりかべ。妖怪の名前です。
「姿が見えないけど」
「8月13日から、透明になってしもうた」
ぬりかべが、ため息をつきました。風みたいな音でした。
「前は、ちゃんと見えてたんじゃがのう」
「どうすれば、通してくれる?」
「左に避ければ通れる」
言われた通り、左に避けたら、本当に通れました。
でも、振り返ったら、巨大な影が見えました。
月の光で、ぬりかべの影だけが地面に映ってました。
ビルみたいに大きな影でした。
「ありがとう、ぬりかべさん」
「礼はいらん。それより、聞いてくれるか?」
ぬりかべが、身の上話を始めました。
昔は、ちゃんと見える壁だったそうです。
旅人の前に現れて、道をふさぐのが仕事でした。
でも、8月13日から、透明になってしまったそうです。
「見えない壁なんて、迷惑なだけじゃろう」
ぬりかべが、悲しそうに言いました。
「でも、役に立つこともあるよ」
「そうかのう」
「見えない壁があれば、危ないところに入らなくて済む」
ぬりかべが、少し明るい声になりました。
「そうか、守ることもできるんじゃな」
■町中に現れる透明な壁
コンビニに着きました。
でも、入り口に見えない壁がありました。
「また、ぬりかべ?」
「違う。これは、わしの家族じゃ」
最初のぬりかべが説明してくれました。
8月13日から、町中にぬりかべが現れたそうです。
みんな透明で、いろんな場所に壁を作ってるそうです。
「なんで、そんなにたくさん?」
「境界を作るためじゃ」
「境界?」
「過去と現在、生者と死者、人間と妖怪。すべての境界が消えた今、新しい境界が必要なんじゃ」
たしかに、8月13日から、すべてが混ざり合ってました。
でも、それでいいと思ってました。
「境界がないと、すべてが一つになってしまう」
ぬりかべが言いました。
「一つになったら、もう何も区別できない」
コンビニの壁を、左に避けて通りました。
中に入ったら、不思議な光景でした。
店内が、見えない壁で区切られてました。
お菓子コーナーは昭和32年。
飲み物コーナーは平成元年。
レジのところは江戸時代。
それぞれの時代が、透明な壁で仕切られてました。
でも、壁は通り抜けられました。
左に避ければ、どの時代にも行けました。
アイスを買って、外に出ました。
町を見渡したら、あちこちに影がありました。
透明なぬりかべたちの影でした。
町全体が、見えない迷路になってました。
「これが、新しい町の形か」
最初のぬりかべが言いました。
「見えないけど、確かにある境界」
「通れるけど、意識しないと通れない壁」
家に帰る道も、複雑になってました。
まっすぐ行けば壁にぶつかり、左に避けて進む。
でも、それが楽しくなってきました。
見えない壁を避けながら歩くのは、ゲームみたいでした。
家に着いて、日記を書いてます。
部屋の中にも、見えない壁があります。
机と本棚の間、ベッドと窓の間。
でも、これでいいと思います。
すべてが混ざり合った世界には、見えない境界が必要です。
明日は、ぬりかべたちと、もっと話してみたいです。
透明な壁の向こうに、何があるのか知りたいです。
今、窓の外を見たら、空にも見えない壁があるみたいです。
鳥が、何もないところでぶつかって、方向を変えてました。
空も、見えない迷路になったのかもしれません。
担任教師の赤ペンコメント:
見えないかべ、ぬりかべさんとの話、きょうみぶかく読みました。さかい目が消えた世界に、新しいさかい目を作る。それは、この世界をたもつためにとても大切なことなのね。亜希子さんが言うように、見えないめいろも、なれてしまえば楽しいのかもしれませんね。わたしもさいきん、よく見えないかべにぶつかります。そのたびに、世界の形をたしかめているような気がします。




