第15話 8月3日 - 井上美香「蔵の中の人形」
■蔵の扉を開けて
おばあちゃんの家の蔵を、そうじすることになりました。
蔵は、庭のおくにあります。白いかべの、古い建物です。おじいちゃんが生きてたときは、よく開けてたらしいけど、もう5年くらい開けてないそうです。
お母さんとおばあちゃんと3人で、重い木の扉を開けました。
ギィィィって、すごい音がしました。ちょうつがいが、さびてるみたいでした。
中は、まっくらでした。小さな窓から、少しだけ光が入ってました。ほこりが、光の中でキラキラ舞ってました。
でも、ほこりのにおいじゃなくて、あまいにおいがしました。お線香みたいな、でももっとこい、ねっとりしたにおいでした。
電気をつけたら、蔵の中が見えました。
たんす、長持ち、古い道具、写真、いろんなものがありました。そして、一番おくに、ガラスケースがありました。
ケースの中に、市松人形が入ってました。
女の子の人形で、赤いきものを着てました。黒いかみの毛が、肩までありました。白い顔に、赤い口、黒い目。すごくきれいな人形でした。
「これ、ひいおばあちゃんの人形よ」
おばあちゃんが言いました。
「100年くらい前の人形。大切にしてたの」
人形を見てたら、目が合いました。
ガラスの目なのに、生きてるみたいでした。じっとこっちを見てました。
まばたきしたような気がしました。
でも、きっと気のせいです。
■伸びる髪と動く瞳
人形をガラスケースから出して、きれいにすることにしました。
ほこりをはらって、きものを整えて、かみの毛をとかしました。
でも、かみの毛をとかしてて、へんなことに気がつきました。
かみの毛が、さっきより長いんです。
さっきは肩までだったのに、今は背中の真ん中まであります。
「お母さん、人形のかみ、伸びてない?」
「そう? 前から長かったんじゃない?」
お母さんは、気にしてませんでした。
でも、ぜったい伸びてます。だって、さっきとかしたとき、肩までしかなかったもん。
人形を、もとのガラスケースに戻しました。
そのとき、人形の目が動きました。
右を見て、左を見て、上を見て、最後にぼくを見ました。
「見た?」って、お母さんに聞いたけど、お母さんは「何が?」って。
お母さんには、見えなかったみたいです。
夕方、もう一度蔵に行きました。
人形のかみの毛が、もっと伸びてました。今度は、床につきそうなくらい長くなってました。
それに、人形の位置が変わってました。
ガラスケースの右側にいたのに、左側に移動してました。体の向きも、変わってました。正面を向いてたのに、今は斜めを向いてました。
人形の口が、少し開いてました。
白い歯が、ちらっと見えました。笑ってるみたいでした。でも、こわい笑い方でした。
人形の手に、何か持ってました。
小さな紙でした。
ガラスケースを開けて、紙を取りました。
「10」
数字が書いてありました。あと10日で、8月13日です。
■真夜中の訪問者
夜、ふとんに入って寝てました。
でも、夜中に目が覚めました。
へんな音が聞こえたからです。
カタン、カタンって、階段を誰かが上がってくる音でした。
でも、家族はみんな寝てるはずです。
音は、どんどん近づいてきました。
廊下を歩く音、ふすまの前で止まる音。
そして、ふすまが、すーっと開きました。
市松人形が立ってました。
自分の足で立って、こっちを見てました。
かみの毛は、もう床をひきずるくらい長くなってました。黒いかみが、へびみたいにうねうね動いてました。
人形が、一歩、前に出ました。
カタンって、足音がしました。木の足なのに、人間みたいな足音でした。
「あ、そ、ぼ」
人形が、しゃべりました。
木の口なのに、声が出ました。小さな女の子の声でした。
「いっしょに、あそぼ」
人形が、手をのばしてきました。
白い手が、ぼくの手をつかもうとしました。
「いやだ!」
ふとんをかぶって、目をつぶりました。
しばらくして、そっと見たら、人形はいませんでした。
夢だったのかな、って思いました。
でも、ふとんの上に、黒いかみの毛が一本落ちてました。
長い、長い、黒いかみの毛でした。
朝になって、蔵に行きました。
人形は、ガラスケースの中にいました。もとの場所に、もとの向きで。
でも、かみの毛は、もっと伸びてました。
ガラスケースからはみ出して、床に広がってました。黒いじゅうたんみたいに、蔵の床をおおってました。
人形の目を見たら、涙が流れてました。
ガラスの目から、本物の涙が流れてました。
「たすけて」
そう言ってるみたいでした。
人形も、こわがってるのかもしれません。
自分のかみの毛が、どんどん伸びることを。
自分の体が、勝手に動くことを。
8月13日に、何かが起きることを。
おばあちゃんに、人形のことを聞きました。
「この人形、いつからあるの?」
「昭和32年8月13日に、ひいおばあちゃんが買ったのよ」
また、8月13日です。
30年前の8月13日。
「その日、何かあったの?」
おばあちゃんは、首をかしげました。
「さあ、覚えてないわ。でも、その日から、町がちょっと変わったような気がする」
今日、人形のかみの毛を切ろうとしました。
はさみを持って、切ろうとしたら、かみの毛が動きました。
はさみをよけて、逃げました。
生きてるみたいに、かみの毛が逃げました。
そして、かみの毛が、文字を作りました。
「キ、ル、ナ」
切るな、って言ってるみたいでした。
今、人形のかみの毛は、蔵の外まで伸びてます。
庭に、家に、道に、どこまでも伸びていきます。
町中を、黒いかみの毛がおおっていきます。
あと10日で、8月13日。
そのとき、かみの毛は、どこまで伸びてるんだろう。
世界中を、おおいつくすのかな。
担任教師の赤ペンコメント:
くらのおそうじ、おつかれさま。ひいおばあ様の大切な市松人形、これからも大事にしてあげてね。かみの毛がのびたり、なみだを流したり…人形は、持ち主の気持ちがうつると言います。美香さんのやさしい心が、人形に何かふしぎな力をあたえているのかもしれませんね。でも、夜中に歩き出したら…先生、少しこわいです。