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第13話 8月1日 - 山口百合子「下から上に降る雨」

■逆さまの朝


 8月になりました。


 朝、目がさめたら、へんな音が聞こえました。パタパタパタって、屋根に何かが当たる音です。雨かなって思って、窓を見ました。


 でも、空は晴れてました。青い空に、白い雲が浮かんでました。


 なのに、雨の音がします。


 よく見たら、信じられないことが起きてました。


 雨が、下から上に降ってたんです。


 地面から、空に向かって、雨つぶが昇っていきました。水たまりから、水が逆流して、雲に吸い込まれていきました。


 屋根に当たる音は、下から昇ってきた雨が、屋根の裏側にぶつかる音でした。


 「お母さん! 雨が逆さまに降ってる!」


 お母さんを呼びました。お母さんは、窓から外を見て、「あら、本当ね」って言いました。でも、そんなにおどろいてませんでした。


 「たまには、こういうこともあるわよ」


 たまに? こんなこと、今まで一度もなかったのに。


 外に出てみました。


 地面から雨つぶが浮き上がってきて、顔に当たりました。下から上に、雨が顔をなでていきました。へんな感じでした。くすぐったいような、気持ち悪いような。


 かさを差してみました。でも、意味がありませんでした。雨は下から来るから、かさでは防げません。


 それで、かさを逆さまに持ってみました。


 そしたら、ふつうに歩けました。逆さまのかさが、下からの雨を防いでくれました。


 近所の人も、みんな、かさを逆さまに持って歩いてました。まるで、それがあたりまえみたいに。


■雨粒の中の世界


 学校に行く道で、大きな水たまりを見つけました。


 その水たまりから、たくさんの雨つぶが浮き上がってました。シャボン玉みたいに、ゆっくり昇っていきました。


 一つの雨つぶを、じっと見ました。


 雨つぶの中に、何か見えました。


 小さな人影でした。


 雨つぶの中に、ちっちゃな人が入ってました。1ミリくらいの、すごく小さな人でした。


 その人は、手をふってました。助けを求めてるみたいでした。でも、声は聞こえませんでした。


 ほかの雨つぶも見ました。どの雨つぶにも、小さな人が入ってました。


 男の人、女の人、子ども、おじいさん、おばあさん、いろんな人がいました。みんな、雨つぶの中で、もがいてました。


 雨つぶをつかまえようとしました。でも、さわった瞬間、雨つぶははじけて、中の人も消えました。


 友だちの美香ちゃんに会いました。


 「雨つぶの中に、人がいる」って言ったら、美香ちゃんも「見た」って言いました。


 「あの人たち、だれだろう」


 「わからない。でも、こわい顔してた」


 美香ちゃんが、ポケットから何か出しました。小さなビンでした。


 「雨つぶを集めてるの」


 ビンの中に、雨つぶが10個くらい入ってました。雨つぶは、ビンの中で、上に昇ろうとしてました。でも、ふたがあるから、出られませんでした。


 よく見たら、ビンの中の雨つぶにも、人が入ってました。


 その中の一人が、こっちを見てました。


 顔をよく見たら、美香ちゃんにそっくりでした。小さな美香ちゃんが、雨つぶの中にいました。


 「これ、わたし?」


 美香ちゃんが、びっくりして言いました。


 小さな美香ちゃんが、口を動かしました。


 「ニゲテ」


 そう言ってるみたいでした。


■空へ消えていく人々


 学校につきました。


 校庭に、大きな水たまりができてました。プールみたいに大きな水たまりでした。


 そこから、すごい勢いで雨が昇っていきました。滝を逆さまにしたみたいでした。


 先生が、「危ないから近づかないで」って言いました。


 でも、1年生の男の子が、水たまりに近づいていきました。


 「だめ!」


 先生が止めようとしたけど、おそかったです。


 男の子が水たまりに足を入れた瞬間、男の子も一緒に昇っていきました。


 男の子は、雨と一緒に、空に向かって飛んでいきました。


 「たすけて!」


 男の子の声が、だんだん遠くなりました。


 みんなで見上げたら、男の子は、もう点みたいに小さくなってました。そして、雲の中に消えました。


 先生が、あわてて職員室に走っていきました。


 でも、5分後に戻ってきた先生は、けろっとしてました。


 「何があったんだっけ?」


 先生は、男の子のことを忘れてました。


 みんなも、だんだん忘れていきました。さっきまで、男の子がいたことを、だれも覚えてませんでした。


 でも、わたしは覚えてました。たかしくんっていう名前だったことも、赤いランドセルだったことも。


 教室に入ったら、黒板に文字が書いてありました。


 「雨は涙 涙は記憶 記憶は人」


 そして、その下に数字がありました。


 「12」


 あと12日で、8月13日です。


 授業中、窓の外を見てました。


 逆さまの雨が、ずっと降りつづけてました。


 校庭の水たまりから、何人もの人が昇っていきました。


 先生も、生徒も、用務員のおじさんも、みんな昇っていきました。


 でも、だれも気にしてませんでした。昇っていった人のことを、すぐに忘れてました。


 お昼ごろ、雨がやみました。


 でも、地面はぬれてませんでした。水たまりも、全部なくなってました。


 空を見上げたら、雲がいつもより大きくなってました。黒くて、重そうな雲でした。


 その雲の中から、声が聞こえるような気がしました。


 たくさんの人の声が、雲の中から聞こえました。


 「カエリタイ」  「ドコニイル」  「タスケテ」


 家に帰って、日記を書いてます。


 さっき、また逆さまの雨が降りはじめました。


 今度は、赤い雨です。


 血みたいに赤い雨が、地面から空に昇っていきます。


 雨つぶの中を見たら、人じゃなくて、文字が入ってました。


 「永」「遠」「八」「月」


 永遠の八月。


 雨が、メッセージを運んでます。


 下から上へ、地上から天へ、現在から過去へ。


 時間も、空間も、ぜんぶ逆さまになってる。


 明日は、どんな雨が降るんだろう。


 それとも、明日は、雨じゃなくて、人が降ってくるのかな。


 空から、たかしくんが降ってくるのかな。


 でも、きっと、もうたかしくんじゃないと思う。


 何か、べつのものになって降ってくると思う。


 今、雨の音が変わりました。


 「アト、ジュウニニチ」


 雨が、カウントダウンしてます。


担任教師の赤ペンコメント:

下から上にふる雨なんて、とても()みたいでふしぎな景色(けしき)ね。百合子さんの見る力は本当にすばらしいです。雨つぶの中の人たちは、空にかえりたかったのかな。いなくなってしまったたかしくんのこと、先生もしんぱいです。もし見かけたら、すぐにしらせてね。…本当に、どこへ行ってしまったのかしら。


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