第1話 昭和62年7月20日、終業式の日
終業式が終わった後の教室で、私は子どもたちに夏休みの宿題の説明をしていた。
「今年の夏休みの作文は、ちょっと特別な方法でやってもらいます」
私、北村ひろみは、このクラスの担任になって4ヶ月。子どもたちとも、だいぶ打ち解けてきた。
黒板にカレンダーを書いた。7月21日から8月31日まで、42日間の夏休み。
「一人一日ずつ、担当の日を決めます。その日の出来事を、原稿用紙5枚程度で詳しく書いてください。題は『夏休みの思い出』です」
山田翔太が、いつものように真っ先に手を挙げた。
「先生、ぼくは何日がいいですか?」
「山田くんは7月21日。夏休みの最初の日ね。トップバッターよ」
「やった! 一番だ!」
翔太が嬉しそうに飛び跳ねた。
順番に名前を呼んで、日付を伝えていった。
「鈴木美咲さん、7月22日」
「田中大輝くん、7月23日」
「佐藤愛さん、7月24日」
「高橋拓也くん、7月25日」
「伊藤さやかさん、7月26日」
子どもたちは、自分の担当日をノートに書き込んでいく。
「近藤あやさん、8月13日」
あやが顔を上げた。
「8月13日って、お盆ですよね」
「そうね。特別な日かもしれないわね」
なぜか、その日付を口にしたとき、教室の空気が一瞬、ひんやりとした気がした。
窓の外を見ると、真夏の青空に、一瞬、赤い光が走ったような気がした。でも、きっと目の錯覚だろう。
最後に、もう一人の「北村ひろみ」の番が来た。
私と同じ名前の女の子。最初に出席を取ったとき、驚いたものだ。
「北村さんは8月31日。夏休み最後の日よ」
「わあ、責任重大」
ひろみが笑った。
「先生と同じ名前だから、きっといい作文が書けるよね」
隣の子がからかうように言った。
「じゃあ、9月1日の始業式に全員分集めます。40人の作文を合わせたら、クラス全体の夏休みの記録になりますね」
みんな、わくわくした顔で聞いていた。
「先生、もし担当の日に特別なことがなかったらどうするの?」
佐藤愛が心配そうに聞いた。
「大丈夫。どんな日でも、よく観察すれば、きっと特別なことが見つかるわ」
「では、良い夏休みを!」
教室を出ようとしたとき、後ろから声がした。
「先生」
振り返ると、北村ひろみが立っていた。
「夏休み、本当に終わりますよね?」
変な質問だった。
「もちろん。8月31日で終わって、9月1日から2学期が始まるわ」
「そうですよね」
ひろみは、少し安心したような、でも不安そうな顔で微笑んだ。
職員室に戻る廊下で、ふと窓の外を見た。
校庭の時計塔が、逆光で黒く見えた。
時計の針は、3時33分を指していた。
いや、違う。3時20分だ。目の錯覚だった。
夏休みが始まる。
子どもたちにとって、楽しい42日間になるといいな。
そう思いながら、私は職員室に向かった。