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魔断の剣1 碧翠眼の退魔師  作者: 46(shiro)
第3章 邪妖の町

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第11回

●漣


「とんだ茶番ね!」


 魅妖・漣は、胸の苛立ちもあらわに、舞い戻って来た冰巳を叱りつけた。


「私は言ったはずよ? 火傷に気をつけなさいと! 一体何を聞いていたの、あなたは。

 いじめてもいいとは言ったけれど、殺しを許した覚えはないわ! だからあんな、捕縛視(ほばくし)なんかをあっさりと受けるのよ! あげくの果てにあんな坊やにていよくあしらわれて……退魔師のいない魔断などにおどされて追い返されるなど、恥じなさい!

 その恥辱があなたを八つ裂きにしてしまわないことを、私は不思議に思うわ!!」


 恐ろしく怒気をはらんだその容赦ない罵りは、さながら不可視の鋭利な刃の雨となって平伏した冰巳の自尊心を切り裂いてゆく。


 風に吹かれた砂山のごとく己の内から急速に抜け落ちかけた力を必死につなぎとめるように、冰巳は己の力の集成場である依り代のある箇所へと手をあてて、ぎゅっと目を閉じた。

 主の心を乱す、激しい怒りが伝わてくる。その一端より作られた自分はどうしても干渉され、気を抜けばその激流に押し流されそうになる。この分ではきっと、どこかにいる巻属の、力の弱い魘魅たちが少なからず流され、飲まれて消えたに違いない。


 しかし戻ってより、一言の言い訳も発さず、偏えに彼女の足元に額をすりつけるほどにひれ伏し、その断罪を甘んじようとしている冰巳の潔さに、わずかだが漣も心を静めたようだった。


 組んでいた手をほどき、あらためて冰巳を見る。


「冰巳。あの女退魔師を連れていらっしゃい、と私は言ったのよ。それはあなたにとって、絶対の命令ではなかったかしら?」

「は……」

「べつに私は魅妖や魅魔を連れて来てと言ったわけじゃないわ。愚かなただの人間の、それも女1人連れてくることもできないほど、あなたはお馬鹿さんだったの?」


 かけらほどの温かみもない、冷笑を交えた痛烈な皮肉が冰巳の自尊心を容赦なくえぐる。冰巳はただただ平身低頭し、畏まって震えているだけだ。


「そんなお馬鹿さんなあなたには、それだけの力は無用だったようね。さぞ持て余していることでしょう」


 静かな……静かすぎる脅しに、一瞬にして冰巳の体が恐怖に引き攣る。

 その言葉にこめられた意味を理解し、あわてて面を上げたとき。いつの間に近寄ったのか、漣の手が、冰巳の額へ向けてかざされていた。


 手のひらの中央部に気がこめられているのが分かる。


「漣さま……!」


 強張った声を上げた泳巳の額から、セオドアにつけられた傷が消えたのはその瞬間だった。


「冰巳。あの力を引き出せたあなたの功績に免じて、今回だけは許してあげるわ。そしてもう一度だけ機会をあげる。

 今度は私の気を損ねないように注意する方がいいわよ。自分のためにもね」


 にっこりとほほ笑み、そしてとん、と傷の消えた奇麗な額を指先で突く。大して力がこめられていたようでもない仕草だったが、瞬間冰巳の体はぐらりと大きく後傾し、いつの間に開かれていたのか、背後にあいた間隙(かんげき)へと落ちるようにその姿を消した。


「そのときは、たかがその程度の命くらい、惜しまないことね」


 ずいぶんと自分勝手な、しかし実に魅魎らしい言葉を吐いて漣が次にその目を向けたのは、西の別館に続く回廊だった。


 ほのかな灯がその奥から漏れてきているのが見える。その微弱な灯を眉をひそめて見据えながら、漣は先の不愉快な出来事を思い起こした。


 つい、先にあったことだ。あの女退魔師の力が発現し、冰巳へとその力の〈道〉を開いたとき。いまいましくもその力は冰巳に触れて負の気を帯びた、あの短刀を使って自分の開いた空鏡との〈道〉を逆にたどり、ほんの一瞬ではあったが、あれと呼応したのだ。


 短刀があの膨大な力を受け止めるに足る器であったなら、冰巳が散っただけに終わらずもっと面白くないことが起きたに違いない。


 幸い粗雑な造りの短刀は飽和して砕け散り、力は逆流して女へと返ったが……。

 力の余波を受け、隅にうっすらとひびの入った空鏡の面を見る。


 今は何も映していないその闇の面は、下に広がる黄泉の闇との境に波のような歪みをたてて浮かんでいた。

 奥の部屋にある、あれから受けた忌まわしい力がまだ内に残っているのか、緑がかった青白い燐光が噂の辺りから漏れているのも見える。


 あれが共鳴を見せたあの一瞬に、自分は確かにひるんだのだ。


 その事実が、ことさら漣の自尊心を傷つけた。


 誰にも負けたことのない自分。己の力量すら把握できず挑みかかってきたどの退魔師も、触れることすらできずに内につまった赤い血を振り撒き、役にもたたぬ怨嗟(えんさ)の言葉を吐きながらその生気を喰われて死んでいったではないか。なのに、たかがあんな、冰巳程度の魔魅すら倒すこともできない三流の退魔師などに、この漣がひるんだ……。


 今まで一度たりと感じたことのない激しい憤りが、逆巻く激流となって彼女の内を満たしていた。

 体外へと漏れゆくその波動を受けて、敏感に周囲の空間が震える。壁に触れ、柱に反響し、出た高い音を針金のように部屋中に張り巡らせる。


 違う。


 漣は先から握りしめていたこぶしをさらに強く、爪が食いこみ血が流れるまで固く握りしめ、引いた顎をくっと伸ばして回廊の奥の光を睨みつける。


 私をひるませたのはあれだ。あんな、三流退魔師などではなく。

 まったく、あのような物がこの辺境の、しかもまるで見栄えのしない、こんなみすぼらしい町に埋もれていたとは想像だにしなかった。

 唯一この私ですら触れることもはばかられる物。その内にいまだ宿る力を恐れこそすれ……あんな()()など恐れるものか!


 くやしい。今すぐにもあの腹立だしい小娘の体を千々に引き裂き、ただの肉片と変え、その生気をもってこの心に負わされた傷をぬぐいさりたい!


 できないことではないだけに、その欲望はあとからあとからこみ上がり、激しく彼女の心を捕え、揺さぶる。けれど、そればかりは自重しなくてはならなかった。


 今ここであの女を殺せばこれまで自分のしてきた努力は全てついえる。もはや手の届かぬ地と思っているだろうが、実は見逃してやっているだけなのだということに気付かれたなら、おそらく次からは用心深くなるだろう。それはそれで面白いかも知れないが、努めてここまで駒を進めたのに全て壊すのはもったいない。


 第一、そんな今までと同じ、普通の殺し方でこの気持ちがおさまるわけがない。もっと残酷に、もっと辱めて、自分にこれだけの屈辱を与えてくれた、その償いをさせてやらねば。


 慎まねばならないと、あらためて奥歯を噛みしめる。

 けれどもこれだけの憤りを静めるのは、けしてたやすいこととは思えなかった。

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