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第1回

 それがいつから「そこ」にあったのか、確として知る者はいなかった。

 空間へと固定され、刻にしておそらく数百年。

 あるときは小さな町の一角、あるときは空虚な砂漠の上、そして今は街の館の片隅に、それはある。


 だれの手で、一体何のために、なぜそこに?


 一切の疑問を持たれることすら拒むようにひっそりと、それは固く封印されていた。

 ただひたすらに。地中にて春を待ち続ける蝉のように。

 それはある『刻』を待っていた。



◆ガド砂漠・昼


 なぜこんなところにいるのだろう?


 セオドアは一瞬、どころかしばらく、いや、ずっと考えこんでいた。

 一体何がどうなったというのだろう? さっぱりわけが分からない。たしか自分は幻聖宮(げんせいきゅう)にいたはずだ。


 しかしここが幻聖宮でないことは、一目見るだけで明らかだった。


 脱力し、へたりこんだ形で地面についた両手両足に触れる感触は、まるで水気のない乾いた砂と小石。そして肌を刺すように吹く乾燥した熱い風。

 何より、驚きに見開いた目の前に広がっているのは、草木1本見えない地平線――――砂漠なのだ。ここは。


 それが事実であると認識することを(かたく)なに拒む頭が、くらくらと目まいを引き起こす。

 幸いにも巨大な岩の陰にいて陽の光を直接受けずにすんでいるが、雲の影一つない砂地のほうでは、強い日差しに空気までが(ひず)んで見えた。


 もしいるのがここでなく、広がる砂漠のどこかであったなら、目覚める前に日干しだったろう。


 その事実を、何度も何度も頭の中で繰り返し、言葉として口にして、ようやく理解できた上でまた呆然となる。


 砂漠だ。どこまでも続いているような、白砂原。初めて見る光景。


「信じられない……」



 感情の萎えた声でつぶやいたとき。


「それはこっちの言うセリフだ」


 そんな言葉が後ろのほうから聞こえてきた。


 つい先ほどまでなかった気配が突如そこに沸き起こる。

 動転していたとはいえ、今まで感じ取れていなかったのが不思議なほどはっきりとしたその気配に、セオドアは振り返ると同時に身構えていた。


 セオドアの前方、半円状に高く囲むようにしてある岩の上から姿を見せているのは、まるで、闇から直接切り取ったような漆黒の髪と、ほどよく陽に焼けた褐色の肌をした細身の男だった。


「だれだ!」


 男の紅の鋼玉石のような双眸をキッとにらみ上げ、慎重に誰何(すいか)するセオドアの手はすでに腰の短刀に触れている。男のいる位置からは死角となって見えないことを計算した上でのことだ。


 どのような時であろうと常に武器を携帯(けいたい)し、相対する者の行動に即座に反応できるよう身構えるのは、何年も何年もしつこく教えこまれてきたことだが、このときほどそれを感謝したことはなかった。


 魅魎(みりょう)かも知れない。


 その可能性だけで、ぞっと背筋が寒くなる。血が極端に下がり、心臓の音だけが格段に高まる。息苦しい。そしてそうなると、ますます男の持つ雰囲気は人からかけ離れているように見えてくる。


 一方男のほうはというと、そんなセオドアの考えを見抜いた上でかどうかは分からないが、岩から飛び降りると服の端をぱんぱんとはたいて(ひだ)にたまっていた砂を払い落とし始めた。


「おまえはだれだ!」


 言葉を無視されて、いら立った声で乱暴に()くセオドアにようやく向けられた男の顔には、くっきり眉が寄っていた。これは間違いなく不機嫌顔だ。


 それはそうだろう。初対面の間柄で、こんなけんか腰で訊かれて、機嫌よく返事を返すような者がいるわけがないということは、セオドアにも分かっている。こんなことをされたら自分も気分を害するのは間違いない。が、もし相手が魅魎であった場合、そんなことは言ってられないのだ。


 魅魎はいともたやすく人に化ける。それも、格が上がるにつれて気配や臭い、細かな仕草まで人間そっくりに見せるという。その姿に安心し、隙を見せたが最後、餌になるのは確実だ。


 昨日18になったばかりの身では、そんな事態はごめんこうむりたい――が。

 どうやらよくよく心の動揺が顔に出ていると見える。

 セオドア本人にはそのつもりはないし、表情から考えを読まれることのないよう装っているはずなのだが、男は、またもや苦虫を噛んだような顔をすると、

「おまえ、おれを魅魎だとでも思っているのか?」

 と、口にするのも嫌そうに言ってきた。


 そうしてげっそりした表情のまま、足元へと投げた視線の一点ではっと息を飲むと、緊迫した顔つきのまま、どかどかと近寄ってくる。


「く、来るな!」


 緊張から高くなった声で威嚇を張り上げながら、見せつけるように短刀の柄をぐっとつかんだが、男はそれも全く目に入っていない様子で先までセオドアがへたりこんでいた場所へ近づくと、そこに半分埋もれた状態になっていた革袋をひったくるようにして拾い上げた。

 口に指をかけ、両側から引き開ける。


「あーっ、やっぱり!!!」



 突然の大声に驚いて目をぱちぱちさせる彼女の前、男はあわて気味に中からわずかに(みどり)がかった、透き通った(たま)のような物を取り出した。

 大きさは大体3センチくらいだろうか。親指と人差し指で作った丸くらいのサイズだ。


 それがただの珠にあらず、というのは、その内から放出されている朱金の光からおのずと分かった。

 完全なる金の中で朱色(あけいろ)の煙が幾重(いくえ)にも絡み合いながら空気中へ霧散していくその姿は、単なる強い力というよりも、どこか神々しさ、純粋な力の深みと高まりのようなものを感じる。


 その初めて目にする美しさにセオドアは息を呑み、しばらくの間、今がどういう状況なのかも忘れて見入ってしまった。


 だが残念ながら、それは傷物だった。


 完全に割れてはいないものの、表面にはっきりとひびが入り、そこから朱金の光が煙のように立ちのぼっているのだ。


 どうやら自分がここに来たとき下にして、壊してしまったらしい。

 なんとはなし、セオドアも気付く。


 男は、他にも壊れている物はないかと調べでもしているのだろうか、革袋に手を突っ込んで中の物を取り出し、砂の上に並べだす。


 水の入ったボトルに干し肉などの糧食が入った袋や小型のナイフ、たたまれた毛布などなど細々とした携帯物にまぎれて男が取り出した珠は、全部で4つ。そのどれ一つとして完壁な状態であるのはない。ひどい物では球体であるといった形すら分からないほど粉々に砕けてしまっているという有り様だった。


 男は取り出したそれらの珠を前に、がっくりと両手をついてうなだれる。


 自分の存在をまるきり無視したその様子に、つい、疑っていたことも忘れてセオドアは彼のそばに寄り、脇にしゃがみ込んでいた。


「あー……」


 いかにも気落ちして、肩を落としてしまっている男に向け、何か言わなくてはと思い、声を発したものの、では何を言えばいいかといえば、皆目思いつかない。


 この様子では自分が悪いことをしてしまったのは確かのようだし。とりあえず謝ろうとしたセオドアを、今度は男がキッとにらみつけた。

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