沈黙の暗殺者
「本当にありがとうございました!! 天頼さんが助けてくれなかったら、私は今頃どうなっていたことか……!! このご恩は一生忘れません!!」
深々と頭を下げる少女に対し、四葉は両手を前に突き出し頭を振る。
「そんな大袈裟だよ。わたしは外に送り届けただけで、肝心なところで役に立てなかったんだから……」
”いやいや、謙遜が過ぎる”
”ダカスラと対峙して生き延びただけでも十分だよ!”
”あそこにいたのが四葉ちゃんじゃなかったら、間違いなく悲惨なことになってた……”
四葉の配信コメントにはそんな温かい言葉が流れる。
しかし彼女は、それは違うよ、と先刻の戦闘を思い返しながら心の中で否定する。
S級モンスター、ダークネスカオスジャンボスライム——今になって冷静に振り返ってみても、四葉の勝てる相手ではなかった。
奴に付けられた『属性殺し』の異名は一切の誇張なくその通りで、持ちうる術式の全てをどれほど撃ち込んでも通用していなかったのだ。
四つの属性を操れるおかげで最悪のシナリオ——魔力吸収による成長だけは阻止できたが、どう足掻いても四葉に勝ち目はなかっただろう。
属性魔術を扱う冒険者にとって、ダークネスカオスジャンボスライムは天敵中の天敵だ。
だから相性の問題と言えばそこまでだが、そんなのは言い訳にしかならない。
モンスターに負ければ、そのまま”死”に直結するのがダンジョン探索なのだから。
冒険者になった時からその心構えは持っていたつもりだが、いざ実際に死が目の前まで迫ってみると、恐怖が全身を縛りつけるようだった。
ダンジョンの外に出た現在もどうにかして笑顔を繕わなければ、平常心を保てそうになかった。
「でも、とにかくあなたが無事で本当に良かった!」
にこりと少女に笑いかければ、少女もぱあっと笑みを浮かべる。
「はい! それでは、私はこれで。これからも配信者活動頑張ってください!!」
「うん、ありがとう! 気をつけて帰ってね!」
そして、もう一度深々と頭を下げれば、駆け足でこの場を去って行った。
手を振って少女の背中を見送り、姿が見えなくなってから、四葉は近くに浮かぶカメラに向き直す。
「それじゃあ、今日の配信はここまで! 皆んな、またね! 次はカッコいいところを見せられるように頑張るから!! それじゃあ、よつよつ〜!」
手をひらひらと振り、笑顔のまま配信を閉じる。
それからゆっくりとした足取りで近くの物陰に移動すると、四葉は膝から崩れ落ち、その場に座り込んだ。
「はあ〜……怖かったあ」
心からの安堵。
極度の緊張から解放された反動か足腰に力が入らない。
恐らく、暫く立ち上がることすらできないだろう。
今まで四葉が命の危険に晒された事は何度かあった。
でも冒険者であれば誰もが通る道ではあるし、そのような事態に陥ったとしても解決の糸口がどこかにあって、咄嗟の機転でどうにかなるものだった。
だが、今回は別だ。
絶体絶命のところまで追い詰められこそしなかったものの、自分の力だけではどうにもできないまでに手詰まりだった。
突如としてどこからか飛んできた斬撃が核を叩き斬らなければ、今頃自分も少女もスライムの餌食になっていただろう。
じわじわと、けど確実に”死”が迫りくるのは、恐怖以外の何者でもない。
出来る事ならもう二度と同じ経験は味わいたくないと、切実に思いながら四葉は、紫紺に染まりつつある空を見上げる。
——もう夜になっちゃうか。
——でも、
「ちょっと今は、何も考えたくないな……」
多分、側から見れば今の自分は抜け殻みたくなっているだろう、と四葉は小さく自嘲の笑みを浮かべる。
到底リスナーには見せられない姿になっているだろうが、ダンジョン周辺は一般人の立ち入りは禁止となっている。
同業者以外にはまず見られる事はない。
なので、暫くどんどん暗くなっていく空を見つめながらぼうっとしていると、ふとスマホに着信が入る。
着信の相手は”ひの”、時刻は既に十九時を回っていた。
「はい、もしもし」
「四葉、あなた今どこにいるの!?」
珍しく激しく動揺した声音にびっくりしつつ、四葉は、
「えっと、ダンジョンのすぐ近くにある……物陰?」
「なんで疑問形なのよ。……って、それどころじゃなくて! 四葉のの配信とんでもない事になってるわよ!」
——配信?
何のことか一瞬分からず首を傾げるも、すぐに見当がつく。
「もしかして……ダークネスカオスジャンボスライムのこと?」
「そう! あいつが撃破される瞬間の切り抜きが”Ω”のトレンド上位かっさらってんの! 姿を見せることなくダカスラを一撃ってどう考えてもあり得ないでしょ……! あの瞬間、あそこで何が起きたわけ……!?」
「……私もよく分かってない。本当に一瞬の出来事だったから」
辛うじて分かるとすれば、ダークネスカオススライムの核が両断される直前、遠方から何かが高速で地面を這って来ているのが見えた事と、その方向で何かが光っていた事くらいか。
画角的にカメラには映っていなかったので、恐らく気づいたのは四葉一人だけだろう。
「一応聞くけど……四葉がやったんじゃないわよね?」
「あはは、そうだったら良かったんだけどね。仕留めたのは、間違いなく他の冒険者だよ」
断言する。
あの時、二十四層に居合わせた冒険者があのスライムを屠ったのだと。
「詳しいことは戻ってから話すね。ボスには、もうちょっとしたら帰るって伝えておいて」
「……ええ、分かったわ。……とにかく、四葉が無事で本当に、良かった……!!」
スピーカー越しに聞こえる微かに震えた声。
四葉は消えいるような声で、うん、と頷いてから、「あっ」と声を発する。
「……そうだ。陽乃にちょっとお願いしたいことがあるんだけどいい?」
「お願い……何?」
少女を連れてダンジョンから出る途中、偶然見つけたナイフで地面を薙いだような跡を思い返しながら四葉は続ける。
「えっとね——」