全てを賭した生存戦略
ナイフにありったけの魔力を注ぎ、次の斬撃を放つ。
次の狙いは右後ろ脚の腱——これで機動力を更に削ぎ落とそうと試みるも、毛皮を軽く裂くだけに終わってしまう。
「チッ!!」
——浅い!
籠める魔力量が足らなかったか……!
いや、それだけじゃない。
さっきの不意打ちが通ったことで、肉体の強度を向上させたことも原因の一つだろう。
身体強化は何も人間だけが使える特権というわけではない。
モンスターの中にも身体強化やそれに並ぶ技術を使える奴はいるし、ベヒーモスはその典型例だ。
だからこそ、S級なんて化け物階級に指定されているわけで——、
「くそ、そう上手く事を運ばせてはくれねえよな……!!」
知っていても尚、焦燥が募る。
——だとしても、
「もう一発!!」
すかさず俺は、次の遠隔斬撃を繰り出す。
だが、ベヒーモスが跳躍してしまい躱されてしまう。
「っ、やっぱり当たらねえよな……っ!!」
遠隔斬撃は、不可視の斬撃ではない。
地を這う軌跡を捉えることができれば対処は可能だ。
軌道が身体に触れる瞬間だけ地面を離れていれば良いのだから。
とはいえ、まさかここまで早く対応されるとは……!
でも——これでいい。
今の攻撃でベヒーモスのターゲットが天頼から俺に切り替わった。
天頼と女の子をベヒーモスから引き離す——よし、目論見通りだ。
だが、まだ全然離れているというのに、ベヒーモスに睨まれた途端、心臓がどくどくと五月蝿いくらいに暴れ出す。
呼吸が荒くなり、凍り付くような恐怖が身体を縛りつける。
こうなることも分かっていたつもりだ。
だとしても、やっぱりちょっとだけ囮を買って出たことを本気で後悔したくなる。
——あんな啖呵を切っておいて、本当にだっせえな……!!
後ろ左脚の腱を斬られたことで跛行しているにも関わらず、ベヒーモスが猛烈な勢いで突っ込んでくる。
今にも胃の中のものを全て吐き出してしまいそうなほどの緊張を抑え込み、俺は全速力で逃走を図る。
後はどれだけ時間を稼げるかが勝負。
文字通り、命を賭けた鬼ごっこの始まりだ。
俺がこれから遂行するべきことは二つ。
一つは、天頼があの女の子を救出しやすいように、なるべくベヒーモスを遠ざけておくこと。
もう一つは、天頼と合流しやすい場所に上手く位置取ることだ。
——絶対に足は止めるな。
肺が張り裂けようが、両脚が千切れようが、走ることを止めれば殺されると思え。
そう自分に強く、強く言い聞かせる。
でも、きっとそれだけじゃ足りない。
俺を今すぐに叩き潰すべきうざくて目障りな虫程度にでも思わせなければ、ベヒーモスは狙いを変えてしまうかも知れない。
「っらあ!!」
だから、逃げつつも魔力の再充填が終わり次第、遠隔斬撃を繰り出す。
一発一発全身全霊で、ベヒーモスに致命傷を与えるつもりで、渾身の遠隔斬撃を斬撃を飛ばしていく。
……が、攻撃の悉くが全くと言っていいほど通用せず、いずれもタイミングよく躱されるか、薄皮を斬る程度に終わってしまう。
「チッ、やっぱこうなるか……!!」
それでも手を止めることなく、遠隔斬撃を放ち続ける。
魔力が底を突こうが、ナイフを振るい続ける。
鬼ごっこ開始時点で百メートル以上あった距離はどんどんと縮まり、今では五十メートルを切ろうとしていた。
初手で足を奪えてなければ、もうとっくに俺は物言わぬ肉片となっていただろう。
しかし、ここまで必死に戦ったところで俺がベヒーモスに勝つ……なんて絵空事のような奇跡は生まれない。
どれだけ足掻こうが、天地がひっくり返ろうが、これは変わることのない絶対の事実だ。
だから正直、今すぐ全てを放り投げて逃げ出したい。
というか一人だったら、まず間違いなく逃げていた。
でも——天頼は戦うことを選んだ。
自分も殺されるかもしれないという恐怖を抱えて、だけどそれを必死に笑顔で覆い隠して。
最悪自分だけ犠牲になっても、俺含めた他三人はなんとしてでも生き残らせる覚悟を持って。
——なのに自分だけおめおめ逃げるなんて、そんな恥ずかしい真似出来るかよ!
たとえ仮初めのバディであっても、ダンジョンに潜っている間は、俺たちは一蓮托生だ。
どんな状況であったとしても、最後まで力を尽くすのが相棒というものだ。
これをちゃんと実行できてこそ、初めて”信頼と信用”は意味を為し、確固たるものとなる。
(……俺じゃあ役不足かもしれないけどな)
ほんの一瞬だけ俺は、遠くで戦っている天頼を一瞥する。
現在の戦況はというと、暴風がゴーレムナイトを斬り刻み、圧縮された強烈な水流が岩石を破砕していた。
一目瞭然、どこからどう見ても天頼の優勢だった。
天頼とゴーレムナイトの戦闘に決着が付くのは、もう時間の問題だろう。
となれば、後の問題は——それまで俺が無事に生き残れるか、だ。
あと何秒持たせればいいんだ……!?
思いながら視線をベヒーモスに戻した瞬間、
「……は?」
押し寄せる強烈な風圧。
ついさっきまで数十メートル離れていたはずのベヒーモスが、気がつけば眼前にまで迫っていた。
おい、何が、起きた……?
呼吸が止まる。
理解が追いつかない。
でも、死がすぐ目の前まで迫っていることだけは直感した。
湧き上がる恐怖が、思考と身体を停止させようとしていた。
死ぬ。
殺される。
終わった。
詰んだ。
辛うじて思考を回せても、そんな意味のない言葉ばかりしか脳裏に浮かんでこない。
——頭上を影が覆った。
見上げれば俺を完全に間合いに捉えたベヒーモスが立ち上がり、左前脚……否、左腕を振り上げていた。
そこでようやく理解する。
最初にぶった斬ったはずの左後ろ脚の腱が再生していたことに。
だから僅かに目を離した瞬間に距離を詰められたのだと。
モンスターの肉体は魔力で構成されている。
だから、治癒術の類がなくとも、傷口に魔力を集中させれば、それだけで傷を修復できるし、場合によっては失った四肢を再生したりもできる。
だとしても、こんなにも早く治るとは思っていなかった。
決してベヒーモスの再生能力を舐めていたわけではないが、だとしても俺の見立てが甘かったと言わざるを得ない。
クソ……間に合わなかったか。
万事休す、死を悟った。
その時だった。
「ガアアアアアアアッ!!!」
突如、ベヒーモスの双眸が一文字に斬り裂かれた。
「、っ!?」
突然の出来事に混乱しかけるが、すぐに思い出す。
今のは、俺が予め放っていた——ベヒーモスに避けられた遠隔斬撃だ。
あの時、命中しなかった斬撃は、そのまま消失することなく階層全体を覆う岩壁と天井を伝って地上に戻り、時間をかけて再びベヒーモスへと襲い掛かったのだ。
向こうとしても、まさかまだ斬撃が生きているとは微塵も思ってもなかったのだろう。
完全に意識外からの一撃は、ベヒーモスの動きを止めるのに十分な効力を発揮してみせた。
勿論、こうなることを狙ってはいた。
しかし、一縷の望みにかけたギャンブルだったのも事実だ。
遠隔斬撃の最大射程を把握できていない上、超々長遠距離斬撃を行った時の命中精度もぶっつけ本番で確かめるしかなかったからな。
そして、一か八かの賭けを見事に勝ってみせた。
数瞬遅れてその事を理解し、俺は拳を握りしめた。
「——よし!!」
ベヒーモスの攻撃が中断した直後、ようやく死の恐怖から解き放たれる。
すぐさま眼球を潰された痛みでのたうち回るベヒーモスから距離を取る。
大急ぎで間合いの外側まで離れたところで、ようやく今まで息をするのを忘れていたことに気がついた。
「ごほっ、げほっ! 苦し、死ぬ……!」
思いっきり咳き込みながら、己がいかに極限状態だったかを自覚し、つい自嘲の笑みが浮かぶ。
これで死んだら末代までの恥だろうな、と。
肺いっぱいに酸素を取り込み、乱れた呼吸をどうにか整える。
それからほっと一息つけたのも束の間、起き上がったベヒーモスが嗅覚を頼りに俺に飛びかかる。
——おいおい、復活早すぎるだろ……っ!!
心の中で毒吐くも、もう焦りはなかった。
何故なら——刹那、
「——灼蓮咆華!」
莫大な灼熱波がベヒーモスに直撃した。




