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◆2-2 出会い



 週二日の休日(アネメラ)の日。

 レネアは神殿の有する教会に、月に一度の祈りを捧げに行っていた。


 神子であるレネアは、本来はリディアと共に王都の大聖堂に向かうのが正しい在り方だ。

 けれども、出来損ないの神子には聖なる間に踏み入って欲しくはない、というのが神殿の方針のようで、レネアはいつも王都郊外の小さな教会へと祈りを捧げていた。


「レネア様。もしよろしければ此方を食べて行かれませんか」

「エルゲルさん」


 振り返ると、教会の担当神官が立っていた。

 六十過ぎの、穏やかな顔をした白髪混じりの女性だ。

 その手には、王都で人気の菓子店の箱があった。


「わあ、ありがとうございます」


 レネアは心からの感謝と、喜びを込めて微笑む。

 レネアにとっては、エルゲルは双生教(メリソス)の信徒の中でも唯一信頼の出来る人間だった。


 神官であるシェルラ・エルゲルは、二十年前に娘を亡くしている。

 事故、だと彼女は言った。けれども、いつだったか、『娘は魔法が使えなかったんです』と溢した呟きを聞いた。

 二十年も前だ。差別は今よりも更にひどく、神殿の力も強かった。

 最悪の想像をするのは容易い。

 ただ、それはあまりにも悲しく苦しいものだから、レネアは『事故』の言葉を疑うことはやめた。


 月に一度、親戚にでも会うかのような気やすさで、レネアは息抜きに祈りを捧げに来る。


「ところで、新しい魔術師の先生が来られたんですね」

「……エルゲルさんのところにもお話が行ってるんですか?」


 神殿は、表向きは魔法学園には直接介入しない立ち位置にいる。

 エルゲルにまで学園の話が伝わっているとは思っていなかった。


「ああ、いえ。実はその先生が此方にいらっしゃったので、少しお話をしたのです」

「……ヘルエス先生が?」


 目を瞬かせるレネアに、エルゲルは小さく笑みを浮かべた。


「この教会の裏手に、湖があるでしょう。そこで釣りをしても良いか、と聞かれました」

「つ、釣り?」

「ええそうです、釣りです」


 くすくすと、面白がるような小さな笑みが続く。

 エルゲルは教会の窓から裏手に繋がる道を振り返ると、そっと手で示した。


「ちょうど今も釣りをなさっているかと思いますよ。もし良ければ、会いに行かれてみてはいかがでしょう」

「…………ど、どうして」


 どうして、レネアが彼と会話をしてみたい、と思っていたのが分かったのだろう。

 溢したレネアの呟きには、ただ笑みが返ってくるばかりだった。





 教会から湖までは、さほど距離がある訳でもない。

 起伏の安定した道を進むと、木々に囲まれた穏やかに煌めく水面が見えてきた。


 釣り場として整えられた場所に、ヴァルターは一人──いや、一人と三匹で座っていた。


 胡座を掻いた足の間に茶兎(ツヴァイ)黒兎(ドライ)が収まり、黒髪の頭の上には白兎(アインス)が上半身を預けて乗っている。

 ぼんやりとした表情で釣り糸を見つめる彼の横顔からは、感情は読み取れない。


 釣りを楽しんでいるのかどうかさえ、よく分からない顔だ。

 ついでに言えば、話しかけて良いかのも。


 その時。

 頭上でもったりと上半身を乗せ、後ろ足で宙に立つ白い兎が、鼻をひくつかせながらレネアを振り返った。


「んあ? どうしたアインス」


 たむたむ、と右の頬を叩かれたヴァルターが、つられたように振り返る。

 手を組んだまま立ち尽くすレネアに気づいた彼は、頭に兎を乗っけたまま、気の抜けた笑みを浮かべた。


「お。ルクシュタインさんじゃないですか、奇遇ですね」

「こ、こんにちは。神官様から、先生が此方にいらっしゃると聞いて」


 おずおずと踏み出したレネアに、ヴァルターはやや視線を斜めに逸らしながら呟く。


「先生、ね」

「……えっと……」

「ああ、いや。どうもまだ、そう呼ばれるのに慣れてないもので。

 それで? ルクシュタインさんはどうしてわざわざこんなところに?」


 ヴァルターは授業中と変わらぬ、取り繕ったような温厚な笑みを浮かべる。

 教師という職種に合わせてか、出来る限り穏やかに振る舞っているようだ。


 だが、初回の授業を経た結果か、彼の優しげな笑みはどうにも胡散臭く映ってしまう。


「あ、あの、その……」


 どうしよう。こんなこと聞いて良いのか分からない。

 もっと他に、話すべきことがある気がする。


 レネアは頭の片隅で呟いたが、それでも、彼女は学園外での折角のチャンスを逃すことはできなかった。


「せっ、先生の魔術式構築について聞きたいんです!

 その、人のように複雑で多様な魔素を持つ種族から得た魔素を現象として昇華するには、本人以上に個人の持つ魔素の特性を理解する必要がありますよね!?

 魔術学科の先生方も、これまでは使い魔の魔素を増幅する工夫や契約状況にある魔法科の先生方から魔素を借りる実演は見せてくれました。

 でも、あの日先生は、六系統七式派生の魔術式から最適な記法を見抜いてエルナンドの魔素に合わせて記述し魔術を行使した訳です!

 ど、どう、どうしたらそんなことを!? 先生は他国や地方の学園で魔術を学ばれたんですか!? それとも独学で!?」


 気づいた時には、レネアはヴァルターの隣に詰め寄っていた。


 ヴァルターは、やや気圧されたように仰け反る。

 頭に乗っかる白兎の身体が、半分ほど前面にずりおち、やがて、ころん、と転がって膝の上の二匹に混ざった。


 ようやく我に帰ったらしいレネアが、慌てて背を正す。

 呆気に取られた顔でそれを眺めていた彼は、やがて声を上げて笑い出した。


「それが聞きたくて此処までわざわざ来たのか? アンタ、筋金入りの魔学馬鹿だな!」


 揺れた水面から、僅かに水音が立つ。

 響いた笑い声のせいで、獲物はすっかり逃げてしまったらしい。


 ヴァルターは、釣り竿を一旦立て掛けながら笑い混じりに呟いた。


「まあ、そりゃそうか。いくら神子とはいえ、魔法が好きでもなかったら四年もあんなとこ居ねえわな」


 何処までもさっぱりとした、それでいて確かに尊敬の滲む声だった。

 知らず、レネアは胸元を押さえ込む。


 真っ直ぐな言葉だった。

 なんの衒いもないからこそ、その言葉は深く、深く刺さった。


「そう、なんです」


 震える唇から、小さく声が漏れる。

 次の瞬間、レネアは爆発する衝動に任せて声を上げていた。


「好きなんです! 私!」

「え、お、おう」

「魔法がとっても好きで! だから学園にいるんです!」


 魔述式を記す様は、大陸では時折『神の楽譜(レシピ)を拾う』と称される。


 昔。今よりずっと聖霊と人の距離が近かった頃。

 聖霊は人に、己の紡ぐ魔述式を記し伝えた。


 だが、それは聖霊のための魔述式である。人の身には過ぎたものだ。

 長い長い歴史をかけて、人類は人にとって最適な魔述式を探し出した。


 無数に散らばる連なりから、時折運命のようにぴたりと嵌まる魔述式が見つかる。

 それは人々の血の滲むような努力の結果であり、同時にあまりにも愛しい奇跡だ。


 レネアは魔法が好きだ。愛していると言ってもいい。

 だから、学園に通い続けている。

 妹以外の誰も、本当の意味では信じてはくれないけれど。


「大好きなんです、魔法……」


 惚けたように呟くレネアに、ヴァルターは小さく笑った。

 笑みを浮かべたまま、想いに応えるように言葉を紡ぐ。


「確かに、人間は他種族に比べると魔素の構成要素が複雑で扱いにくい。

 だからこそ魔法使いも、自身の魔素の特性とそれに見合った魔術式を身につける為に学園に入る訳だしな。


 アンタみたいな優等生にはわざわざ説明するまでもないが、生命の息吹(プラーナ)には意思が作用する。

 その意思が固有の波長になるからこそ、人間の魔素は複雑で扱いづらいものになる訳だ。


 俺の場合は、息吹が魔素に変わる際の性質を見抜く修行を積んでる。誰だって命がある限りは常に魔素を体内に巡らせてるからな。

 師匠は見極めに長けた人間を選んで拾って育てたんだから、まあ、そんくらいは出来て当然ってわけ」


「師匠様、ですか……」


 途中、わたわたと手帳を取り出してメモを取り始めていたレネアが、好奇心を隠しきれない声で呟く。

 ヴァルターは無言のまま、しばらく笑みを浮かべた。

 期待に輝く瞳から向けられた視線を受け止めたまま、躱すように笑みを浮かべ続ける。


 が。

 『知りたい』の波動は一向に治る気配がなかった。


「……これ、学園長しか知らんから内緒にしてて欲しいんだけど」

「はっ、はい! 厳守します!」

「師匠の名前は、アフィスティア・ヴァン・ヘルエス。俺は一番弟子で、師匠繋がりで学園に勤めることになったんだよね」


 何とも軽い調子で紡がれた言葉に、レアネの鈍色の瞳が見開かれた。


 三賢者。

 強欲のアフィスティア。

 猜疑のピュリオン。

 調和のオルキデア。


 大陸の歴史に名を残す、素晴らしい傑物達だ。


「ア、アフィスティア様の……!?」


 三賢者ともなれば、この国では神子に次いで名高い存在である。

 否。

 オルキデアに関しては、下手をすれば神子よりも尊ばれているとも言える。

 その一番弟子は、現在は神殿の神官長だ。


 ピュリオンは弟子を取らないことで有名だと聞いている。

 アフィスティアについても同じくだと思っていた。

 だが、その一番弟子が今、目の前にいるらしい。


 それならば、規格外の優秀さも納得である。

 レネアは感嘆の息を零した。


「凄い、三賢者様に直々に教えを乞うなんて……きっと素晴らしい修行をつけていただいたんですね」


 ヴァルターは、ほぼ反射的に視線を遠くに逃していた。

 あれが『素晴らしい修行』だとは口が裂けても言えない、という顔である。

 だが、希望に満ちた少女の夢をぶち壊す言葉は、流石に口には出来ないようだった。

 

 その時ちょうど、水面が小さく波打った。

 ヴァルターの目が、釣り竿の先へと戻る。

 魔素を釣り餌に寄ってきた魚は、力強く糸を引いた。


 跳ねるように水面から飛び出た魚を釣り上げ、傍の箱へと放ったヴァルターは、温度の変わらない声で呟いた。


「たとえばアンタが魔術を学びたいってんなら、俺は幾らでも手を貸してやれる」


 ペンを握るレネアの手が、小さく跳ねる。

 鈍色の瞳が、動揺に微かに揺れた。


 辞めた魔術師の代わりにやってきた、三賢者の一番弟子。

 彼が教会の裏手に居たことすら、思惑あってのことかもしれない。


 出来損ないの神子のために用意された、救いの手。

 それを素直に取れるなら、どれほど嬉しいことだろう。


「魔術を学べたら、きっととても楽しいと思います。でも、……出来ません」

「なんで? 神殿がうるせえから?」


 二十年前だったら、それが理由だっただろう。

 神殿はまさか『魔術』を必要とする存在が此処まで増えるとは思ってもいなかったし、今よりも更に非人族には酷い態度を取っていた。

 神子が魔術を学ぶなんて、発覚すれば酷い罰が待ち受けていたに違いない。


 今は違う。精々、冷遇が更に強まる程度だ。

 それもきっと、五年十年とすれば、受け入れる他なくなるだろう。


「違うんです。逃げるみたいに魔術を選んで、そんな動機で学ぶなんて、他の真剣に取り組んでいる方々に失礼だと思うんです。それで、自己嫌悪で身が入らなくなるのが、わかるというか……」


 後ろめたい気持ちを抱えたままで、熱量を維持できる気はしなかった。


「あー……ま、別に今すぐ魔術科に入れって話でもねえだろうし、気が向いたらでいいんじゃねえの」

「……いいんですか? 先生は学園長先生に言われて、来たんじゃ……」

「やりたくて選ぶならともかく、やりたくもねえのにやらされるなんて、命の危機以外お断りだろ」


 あっさりと言い放ったヴァルターの声音には、隠し切れない実感が滲み出ていた。


「まあでも、嫌って訳でもないんだな。じゃあとりあえず、はいこれ」

「えっ」

「ルクシュタインさんのことだから、どうせ今週の課題終わってるだろ? 暇潰しにでもどうぞ」


 手渡されたのは一冊の魔導書だった。


「授業でやってる基礎の発展系。追加でレポート書いてくれたら見るけど、別に読むだけでも。好きに使ってよ、俺のお古で悪いけど」


 受け取った本の表紙を、思わず指先でなぞる。

 誘われるように開いたところで、レネアは目を瞬かせた。


 書き込みがされている。

 多分、ヴァルターが学んだ当時のものなのだろう。


 知らない構成の魔述式。

 発動の際の注意点。

 そもそもが読んだことのない、王都にない魔導書。


 思わずこの場で読み進めそうになって、レネアはハッとして閉じた。


「あ、そうだ。ルクシュタインさん」

「は、はい。なんでしょう」

「俺の態度があんまりよろしくないのは、ちょっと内緒にしといてもらえると助かります」


 にこ、と表面だけは教師モードの笑みで取り繕ったヴァルターに、レネアはきょとりと目を瞬かせる。


「あ、はいっ。承知しました!」


 魔導書を抱きしめたまま、レネアは元気よく答えた。



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