◇11ー1 相対 ②
休日の昼下がり。
ヴァルターは神殿からの招待状を手に、中央大聖堂を訪れていた。
両肩には白兎と茶兎を乗せ、左腕で黒兎を抱えた形である。
「……ヴァルター・ヘルエス様ですか。少々お待ちください」
どう見ても魔術師でしかないヴァルターの姿をみとめた受付の女性は、一度露骨にしかめかけた顔を取り繕った笑みへと変えると、取り次ぎのために確認を始めた。
予想していた通りの反応である。ヴァルターとしても、特に思うところはない。王都に点在する小教会ならばともかく、此処は双生教の本拠地である大聖堂だ。
大聖堂には聖霊シルフへの謁見の間が存在しており、王族であろうと正式な許可がなければ踏み入れるのは許されない、正真正銘の聖域である。
招待されたとしても、魔術師風情が入り込むなど、敬虔な信徒には許しがたいに違いない。
招待状が正式なものであるか疑うような素振りをしつつ記録簿を開いていた女性神官は、とあるページを確認すると、再び表情を険しいものへと変えた。
「……ヘルエス様、申し訳ありませんが、神官長様は現在席を外しております。お戻りは一時間後の予定となっておりますので、その頃にお越しいただけますでしょうか」
滲み出る嫌悪感を隠すこともなく眉根を寄せながら口にした女性の口振りには、無礼を咎める響きが強く含まれていた。
彼女が把握している来客予定と、ヴァルターが訪れた時間が噛み合わなかったのだろう。
これもまた、おおむね予想通りの事態であったので、睨め付けるような視線を前にしても、ヴァルターは変わらず余所行きの笑みを浮かべていた。
招待状の用意を任された人間は、グシオンが不在の時間を把握した上で、都合のよい時間に修正を加えたのだ。恐らくは、ヴァルターと一対一で顔を合わせる時間を確保するために。
まさか、神官長にとって最も重要な案件――つまりは、オルキデアの弟子などという不敬極まりない噂へとお咎め――についての書状をまかされるような立場の人間が、単なるくだらない嫌がらせなどしないだろう。
受付の人間の態度そのものが嫌がらせと化している気もしなくもないが、この辺りは単に、情報を伏せたいがための配慮不足の範疇だ。
『穢らわしい魔術師には一刻も早く退出願いたい』と全力で顔に書いている神官の視線を受けるヴァルターの胸の内で、早く来てくれないもんかね、と、本当に帰ってやろうかな、が半々に混じり始めた、その時。
荘厳な造りの身廊の奥から、高位の役職と思しき礼服に身を包んだ男が現れた。
「ああ、ヘルエス殿! お待ちしておりました。どうぞ、此方に」
声をかけてきたのは、四十過ぎに見える男性神官だった。身長は平均よりやや低いようだが、身幅があるので遠目からでも存在感がある。
近づいてきた彼の顔立ちは、一目見て、その人柄の良さを感じさせる造りをしていた。垂れ目がちな細い瞳に、落ち着いた茶色の髪を緩く一つにまとめている。ゆったりとした仕草は立場の高さを示しつつも、他者への気遣いに慣れた人間の所作だった。
それまで不快げに眉を潜めていた女性神官は、その声を聞くと同時に、驚いたようにぱっと目を見開き、労しげなものへと表情を変えた。
「シュイエル様とのお約束だったのですね。失礼しました、此方が取り違えていたようで……」
「いやいや、構わないよ。私が神官長のご負担を軽減しようと前もって呼んだから、伝達に行き違いがあったのだろうね」
穏やかに、人の良い笑みを浮かべた神官――シュイエルと呼ばれた男は、ヴァルターへと向き直ると、人当たりのよい笑みを浮かべた。
「副神官長のシュイエル・エズラータと申します。お目にかかれて光栄です、ヴァルター・ヘルエス殿」
「此方こそ、お名前はかねがね伺っております」
限りなく清らかな笑みを浮かべてみせたヴァルターに、シュイエルはただ微笑むに留め、案内のために踵を返した。
連れられるままに歩みを進める途中、何度か神官とすれ違う。
使い魔を抱えるヴァルターを見ても目礼するのみで表立って顔に出すような者がいないのは、副神官長であるシュイエルが案内しているためだろう。
回廊を進み、すっかり人気がなくなった頃に一室へと辿り着く。
ローテーブルを挟んで対面に置かれたソファに腰掛けたシュイエルは、ヴァルターへと軽く頭を下げた。
「配慮が行き届いておらず申し訳がない。受付周りは些か、旧来主義の者が多く配置されておりまして」
「お構いなく。此方こそ、約束の時間よりも早く着いてしまったようで、お詫び申し上げます」
言葉の割に詫びの気配は薄い声音で告げたそれを前に、シュイエルはあくまでも穏やかな笑みを浮かべたまま、静かに指を組んだ。
組まれた指が、落ち着きなく幾度が角度を変えている。どうやら彼は表情を取り繕うには慣れているが、末端の所作に緊張が現れるタイプのようだった。
シュイエルは意図して招待の時間をずらし、ヴァルターを一時間早く呼び出していた。
彼は神官長が不在の大聖堂を任される立場にありながら、グシオンとは異なる思惑で動いている。
「神官長様は陛下との会談がありまして。お約束の時間には戻られます」
「では、手短にお聞きした方が良さそうですね。大聖堂を訪れる機会など、今後一生ないでしょうから」
魔術師であるヴァルターを大聖堂に招き入れるなど、神官長の決定がなければ実現不可能だ。それも、グシオン・リウェイズのような神がかりてきな魔法使いが役職についていなければ、宮廷の方から異を唱えられるだろう。
もしかすると、『陛下との会談』とやらも、今回の件への忠告を含んでいるのかもしれない。
ともかく、双生教の神官で高位の役職についている者は、魔術師との不用意な接触には気を遣う。穏健派と言っても大半は活用できる魔術師に対しては存在を許してやろう、というスタンスを示したものであって、親術派という訳ではないのだ。
神官長との面会の事前準備――という言い訳が、ヴァルターと個別に顔を合わせるためにシュイエルに用意できる精一杯だったのだろう。
シュイエル・エズラータは穏健派の代表である。これはオルキデアから聞いた情報なので間違いはない。
加えて、ヴァルターは一つ、彼に関する重要な情報を手にしていた。
シュイエル・エズラータは、二十二年前に、婚約者を事故で亡くしている。
名をフラン・エルゲル。レネアが祈りを捧げる小教会、シェルラ・エルゲルの娘だ。
彼女には変換機構が存在せず、魔法が使えなかったために、とある事故の際に我が身を守れなかった――とされている。
実際は、変換機構を持たぬ人間が今よりも強い迫害と差別によって命を奪われたのだ。
魔法が使えないから、という理由で虐げられる存在は、愛する人を失ったシュイエルにとっては視界に入れるのも辛いに違いない。
神子であるレネアが同じように虐げられる様を見て、穏健派の代表として彼女を庇う立場に立っているだけでも、彼の誠実さは理解できた。
迎えに現れたのが彼であるならば、ヴァルターにとって余計な探りを入れる必要はなかった。
シュイエルの方も、学園に来てからのヴァルターについては調べ尽くしているだろう。
前置きを飛ばして話を促したヴァルターに、シュイエルは垂れ目がちな目に僅かな緊張を滲ませつつ、一度気を落ち着けるようにゆっくりと瞼を下ろした。
「先日、ヘルエス殿がレネア様の魔素を使用し魔術を行使されたと聞き及びました。なんでも、エルナンド家の御子息の魔法を躱し切ったと。にわかには信じがたい話ですが……事実なのですね?」
「ええ。学園経由の情報だけでは不確定だと仰るならば、立会のもと再現可能です」
「……では、レネア様の不調は、魔術によって改善に向かうと……?」
やはり、彼の用件はヴァルターの予想通りだったようだ。
額に手を当て、絞り出すようにして問いを口にした彼の顔と声の震えには、希望を抱く者の熱が乗っている。
まるで祈るかのように向けられるシュイエルの視線を、ヴァルターはその金色の瞳に強い意思を乗せて見つめ返した。
「勿論です。先日はルード記法とアルデラ記法を混合使用しましたが、暴発の危険性が伴う使用法ですので神子様の心身の安全を考えれば最善の選択ではありません。
ですが、彼女は在学生の中では最も魔素発現記述式への理解が深い。不調による魔素の使用経験の不足を乗り越えれば、必ず優秀な才覚を示されるかと」
レネア・ルクシュタインの魔素は、どういう性質かその場で霧散しやすく、魔術式に乗せるまでも、乗せてから発現に至るまでも、常人よりも手間がかかる。
だが、厄介な性質さえ除けば他者と変わらず、魔述式の発現は可能だ。
『魔法』の技術で改善しようとするから無理が生じるのであり、ヴァルターの技量があれば解決可能な問題だと言えた。
足りないのは時間だけだ。彼女が自分自身の魔素を魔術的技法で感じ取り、操る技術を身につけるまでの時間がどうしても足りない。
グシオンの方がどういうつもりかはさておき、ヴァルターは今日ここに、その足りない時間を得る切っ掛けを掴むためにやってきた。
確信を持って言い切ったヴァルターの言葉に、シュイエルは戸惑いと感嘆を混ぜたような間を置いたのち、深い吐息を零した。
「非常に喜ばしい事実ですが……それはつまり、魔術の行使を前提とした快調……神子様が『魔術師』の道を歩まれる――ということになりますか」
神殿の副神官長であるシュイエルにとっては、それは手放しで受け入れるにはあまりに重い選択なのだろう。
だが、彼の放つ言葉や視線、その他の全てから、シュイエルが神子であるレネアを心から心配している者であるのは察せられた。
心の底から心配し、魔術による救済に安堵し、その上で、そうではない道を選んで欲しいと望んでいる。敬虔なる信徒として。
その信仰心に、ヴァルターは全く共感出来ない。
だが、それこそがレネアの立場を守るものであるのは理解している。
「魔術師として他存在の魔素を扱う経験が、特異な性質を持つ自身の魔素を使用する際の技術向上に繋がるのは確かです。事実として、私は神子様の魔素をお借りして魔術を行使できました。彼女の発動の不安定さは、魔術的アプローチによって改善可能です。
ですので、私の方針としても、自身の不調を乗り越えるための技術として魔術を学んだ上で、『魔法使い』としての道を歩むべきだと考えています」
出来うる限り真摯に聞こえるよう努めつつ笑顔のままに告げたヴァルターの言葉に、シュイエルの纏う空気が、安堵と共に微かに緩んだ。
緊張を誤魔化すように組まれたままの指先から、僅かに力が抜ける。肉体的な弛緩というよりは、魔素の強張りが抜けた状態に近い。
魔素の把握に長けた目を持っているヴァルターだからこそ気づくような変化だ。
神子であるレネアが魔術師の道を選ぶ――というのは、それだけ彼にとっては重い問題なのだろう。
突如現れた規格外の魔術師であるヴァルターが、教え子としてレネアを魔術師の道に引き込んでしまわないかどうか。
その可能性が生じただけでも、直接確かめなければ気が済まなかったということだ。
そして、思惑が一致するのであれば、神子であるレネアの立場を改善するためにヴァルターに手を貸すのも構わない心積もりでもあるらしい。
変換機構が存在せず、魔素を全く生成できないのであれば、魔術師としての道を歩むしかないが、レネアには彼女自身の魔素が存在している。
つまりは他者の魔素を借りるプロセスを学び、〝自己〟を〝他者〟として認識した上で自身の魔素をもって世界へ干渉出来るのであれば、それは魔法と変わらないのだ。
詭弁ではあるが、発動条件以外に両者の違いを見分ける術がないのだから、紛れもない真実でもある。
現状、神殿の穏健派にとっては彼女が扱える魔法が人並み以下であるのが問題なのだから、彼らの憂いはそれで解決する。
ただ、あれだけの才能を持つ人間であるのなら、やはり魔術師としての技能を伸ばした方が良い、とヴァルターは確信している。
『魔法使い』としての立場を確立するには時間が足りないが、他者の――つまりは妹の魔素を使用する『魔術師』としての立場であれば、少なくとも期限までには実現可能だった。
彼女には、それだけの才能と、それを磨くために努力する気概がある。
だが、魔術師としての才を持つからといって、その道を選ぶことが最善になるとは限らない。
悟られぬ程度に力なく目を伏せたヴァルターの前で、シュイエルは一転して明るい声で告げた。
「それでしたら、転科ではなく、取得単位の拡張という形で対応できます。幸い、この間の一件でヘルエス殿に正式に協力を願う意見も出ていますから、オルキデア様にもご助力いただきましょう」
「よろしいのですか? 二年前には強い反対があったそうですが」
あくまでも軽い調子で、オルキデアから聞いたと匂わせる態度で二年前の一件に触れれば、シュイエルは笑みを浮かべたまま、僅かに眉を下げた。
その表情には、陰りこそあれど焦りはない。彼はオルキデアが死亡し、動く肉の人形と化しているとは知らないのだ。二年前にグシオンがしでかした事件に、彼は関わっていない。
そもそも、グシオンがオルキデアの名誉を穢す事実を知る者を生かしておくとも思えないため、共犯者は全員始末されているだろう。
それこそ、シュイエルの婚約者と同じような〝事故〟として。
「……この二年で、神殿内部も状況が変わりました。レネア様には神子に相応しい実力があると証明するのは、我々のためにもなります。神官長様も、私から提案すればご理解を示してくださるかと」
断言できるほどには信頼を勝ち得ているのだろう。経歴から見るに、婚約者を亡くしてからすぐに副神官長に任ぜられているが、当時のグシオンとほぼ年齢も変わらない筈だ。
長年グシオンの隣に仕え続けた彼の言葉には、確かな重みが存在していた。彼の判断は決して誤りではないだろう。
グシオンと彼の間には確かな信頼が築かれている。それは間違いが無い。
だが、ならば何故、わざわざ招待状に手を加えてまで、彼は神官長の目を避けてヴァルターと顔を合わせようと目論んだのだろうか。
踏み込むべきか否か。
判断に迷いつつ視線を向けたヴァルターの問いはしかし、扉を叩く音の前に、彼の決断を待つことなく霧散することとなった。
「シュイエル様。神官長様がお戻りのご様子なのですが、如何されますか?」




