◇幕間◆ グシオン・リウェイズ
グシオン・リウェイズにとって、師は光そのものだった。
子爵家の三男として生まれた彼は、幼少の頃からあらゆる才に恵まれていた。
魔法を学ばせれば四属性全ての扱いに長け、剣を握らせれば半年もあれば並の師範は超えて見せる。
どの道を選んだとしても、華々しい功績を残すことだろう。
優れた容姿と、才に驕ることのない思慮深い言動。
十を迎える頃には、周囲は彼を神童と称した。
だが、この世のあらゆるものを手にするに違いないと褒めそやされる彼の心中は、虚しく乾いたものだった。
何をしても詰まらない。手に入るもの全てが無価値に思える。
彼にとって世界とは手を伸ばせば簡単に端に辿り着く、無味乾燥な箱庭だった。
オルキデア・ノーツ・パスクアルと出会ったのは、彼が十二になる年のことだった。
王立魔法学園の学園長が老齢により退き、その後任に調和の賢者オルキデアが収まることとなったのだ。
彼女の魔法を見た時、グシオンは初めて『世界』を見た。
ひと目見ただけでは到底理解など出来ない深淵を覗くような難解な魔述式も、それらが流麗に世界へと干渉する様も、まさしく神の御業だった。
この世にオルキデアを理解できる者など存在しない。
自分一人を除いては。
オルキデアこそが、双神の寵愛を受けし特別な者だ。
神子などという不確かで曖昧な存在ではなく、神の顕現とも呼べる絶対の指針だ。
グシオンはその日から、オルキデアの為に生きることを決めた。
二年の間、弟子入りを懇願し続け、実力を示しその座を勝ち得てからは、一日足りとも鍛錬を怠ることはなかった。
グシオンは、双神への厚き信仰を示して双生教の神官長へと上り詰めた。
だが、彼が真に信仰するのは太陽神でも月光神でもない。
オルキデア・ノーツ・パスクアルのみだ。
光たる師を失う訳にはいかない。
だが、不老不死の秘術を探すのでは意味がない。
穢れなき神に私欲で瑕をつけるようなことがあってはならない。
罪にならぬ方法で己が神を永遠のものとするには何が必要か。
グシオンには既に分かっていた。その方法も、自分にならば用意できる自信があった。
だが、グシオンがそれを成す前に、オルキデアはその慈愛の心故に愚かにも道を踏み外した。
彼女は、『持たざるもの』までを救おうとしたのだ。
才を持たぬものに価値などない。それは世界の真理だ。
グシオンが他者に評価されるのは、彼が生来持ち合わせる類まれな才能によるものである。
そして、彼がオルキデアに心酔するのもまた、彼女が持つ、この世で唯一の才の輝き故だ。
至上の存在である彼女がそれを理解していない筈がない。
グシオンは心からの説得を試みたが、結局、オルキデアが意見を変えることはなかった。
そして、二年前。
たった一つの過ちによって、グシオンは己の神を穢してしまった。
美しき唯一の存在を、動く肉の人形へ変えてしまったのだ。
己の力が及ばす、彼女へ世界の真理を説くことが出来なかったばかりに。
グシオンの信仰が足りなかったばかりに。神は惑わされてしまった。
その時の絶望は、一欠片だろうと言葉で表すことなど出来ない。
グシオンは誓った。必ずや、神の輝きを世界に取り戻すと。
求めるのは不老不死ではない。
神に【大罪】を犯させるなど、万死に値する重罪である。
命の全てをもって償わなければならない。汚名を雪がなければならない。
よって、グシオンは一つの結論に辿り着いた。
神が穢れた――その事実を無かったことにするべきだ、と。
オルキデアが自ら死を選択した過去自体をなかったものとする。
必要なのは、因果律に干渉する時空間魔法だ。
因果律への干渉は、ルテナの塔が定めし【大罪】の一つである。
だが、罪を定めたのは人の法だ。
誰にも見咎められないのなら、それはもはや罪ではない。
事実、オルキデアは今も尚、動く肉人形でありながら、露呈しない限りは偉大なる賢者のままだ。
王国の調査隊ですら看破できない隠匿の魔法は、既にある。
そして、グシオンは心血を注いで因果律に干渉する魔法へと辿り着いた。
全てを整えるのに、二年がかかった。
小賢しい子兎が一匹、何やら嗅ぎ回っているようだが、グシオンにとっては些細な問題だった。
もはや誰にも止めることは出来ない。あの忌々しいアフィスティアにさえも。
鍵は揃ったのだ。
あとは扉を開くだけである。




