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◆9ー2 双神祭


 風の国(アシェット)は四大国の中で最も気候が落ち着いていて、夏でも気温は穏やかだ。


 夏季休暇の中盤。

 王都では『双神祭』が行われる。


 双子の神子が区域内の教会を神輿に乗って回り、神の寵愛を風魔法を用いて分け与えるのだ。


 普段ならばともかく、公的な式典では双子が揃っている必要がある。

 レネアが神殿から『神子』として扱われるのは、ほとんどこの時だけだ。


 揃いの意匠でドレスを纏い、丁寧に髪を結って飾り立てる。

 姉妹の双子は、その容貌が似ていればいるほど尊ばれる。

 男女であれば双神を模した衣装で充分だが、女のみでは寵愛に足りぬそうだ。


 もし、片割れのどちらかが男であったなら、少しは扱いもマシだったかもしれない。


 ありもしない空想の世界は、頭の片隅に追いやった。

 女神官が二人に化粧を施し、似ている容姿を更に近付ける。


 切れ長の目に丸みを持たせ、丸い瞳はやや吊り上げるようにラインを引く。

 顔に影を入れ、光の当たる位置を巧みに操る。


 そうすると、二人は本当に瓜二つになるのだ。

 無論、瞳の色を除けば。


 レネアの瞳には色が無い。

 抜け落ちたような鉛色だ。


 神殿は苦心して、瞳の色を誤魔化す魔道具を用意した。

 何も、輝くような翠玉の瞳でなくともいい。

 少なくとも神子に相応しい色であればいいのだ。


 レネアは式典中、装飾品に偽装した魔道具を身につける。

 そうすると、瞳の色はくすんだ緑色に変わる。


 治癒もそうだが、肉体に干渉する魔法は、非常に難しいものだ。

 それなりの効果を持った魔道具は、相応に肉体に負の効果をもたらす。


 魔素酔い、とも称されるそれは、肉体の防御機能による、一種の免疫反応だ。

 効力のある箇所に、痛みを伴う。


 たとえば脚力を上げようとすれば足が。

 武器を持つ腕力を増そうとすれば腕が。

 魔力自体を上げれば、影響を受けた変換機構のせいか熱っぽく気怠くなる。


 当然、瞳の色を変えようとすれば、それに付随する箇所が痛む。

 目と、脳だ。視界と視力には影響がないところは、不幸中の幸いというやつだろうか。


 回復魔法にすら歪な反応を示すレネアにとっては、その痛みは耐えがたいものがあった。

 式典に出る十歳の年は、泣いて嫌がったものだ。


 けれども、レネアはじきに我慢することを選んだ。

 痛みに怯え苦しむ度に、心配するリディアがそれ以上に恐怖に駆られた顔するのだ。

 平気な顔をしていなければ、と思った。


 慣れたから大丈夫だよ、とレネアは妹に言い聞かせた。

 寵愛を受けた神子が憂いた顔をしていれば、見に来た人々は要らぬ不安に駆られるだろう。


 そして式典が失敗に終われば、二人の立場は更に悪いものになるのだ。


 父母がまだ王都にいた頃は、大層酷い侮蔑を浴びせられていた。

 神子ですらこの扱いなのだから、産んだだけ(・・・・・)の平民の扱いなど更に酷い。


 ちゃんと産んであげられなくてごめんね、と泣く母を見るのが辛くて堪らなかった。

 だから、『嘘』がつける手紙は有難い。

 例え事実がどうであろうと、主観では『ちゃんと上手くいった』のだ。

 『立派に育った神子』であり、『国の誇り』でいられるのだ。


 母は決して、女として失格などではない。××が腐っていたりもしないし、××××の家系でもない。

 絶対に違う。

 素晴らしくて誇らしい、最高の母親だ。

 大好きな母には、ずっとそう信じていてほしい。

 あんな下卑た言葉に、心を殺されないでほしい。


 両親は、いつも双神祭の前に来て、始まる頃には療養地に戻る。

 そうすれば、何が起きようと手紙で『真実(うそ)』を伝えられるからだ。


 私たちの手紙だけを信じてね、と両親には伝えてある。

 幸せに過ごしているから。何もかもが上手くいってるから。

 だから、騙されないでね、と。


 母は、住まいを移してからは向こうで楽しく順調に暮らしているようだった。

 少し順調すぎるくらいかもしれない。

 先週帰って行った母は、すっかり健康的に丸くなった顔で、楽しげに言い残していった。


『せっかくだから、〝先生〟にもお会いして行きたかったわ。レネアの手紙にあんな風に男の子の話が出るなんて……』


 レネアは慌てて母の口を塞いだ。なんとなく、父には知られたくなかったのだ。

 それに、先生は『先生』なのだ。『男の子』ではない。

 そりゃあ、もちろん、同い年で、格好が良くて、優しくて、ちょっと意地悪で、もちろん、その――好きではあるけれど。


 慌てふためいて母の口を押さえた時の記憶が、脳内で勝手に反芻されてしまう。

 顔が赤くならないか不安でじっと俯いていると、隣のリディアがそっと囁いてきた。


「姉さん、そろそろ神官長様がいらっしゃるよ」


 囁く声には、少しだけからかうような響きがある。

 リディアは普段の式典では、魔導具の影響を心配してか不安げな顔をしていることが多い。


 けれど今は、レネアが『何』を思い出しているのか、すっかり伝わってしまっているのだろう。

 大事な片割れは、いつもより穏やかに笑みを浮かべていた。

 そうした顔の方がずっといい。だって、せっかくの楽しいはずの祭りなのだから。


 弾んだように聞こえる声音を咎めて、妹の脇腹を突っつくと、すぐに突っつき返された。


「リディア様、レネア様。よくお似合いです。民もお二人の美しい姿に、必ずや神の寵愛を肌身に感じ取ることでしょう」


 姉妹のじゃれあいは、神官長のグシオンが現れると同時にすぐに収まった。

 グシオン・リウェイズ。肩に付く程度の白銀の髪に、神秘的な真紅の瞳を持つ彼は、誰が見ても一瞬で、彼こそが長だと分かる程に才覚に溢れた佇まいをしている。

 魔法使いでありながら体躯にも優れた彼は、平均的な男性よりも頭一つ半は背が高い。


 そんな彼はいつも、神子である二人の前に来ると、長身を詫びるかのように膝をつくのがお決まりだった。

 柔和な顔立ちに、見る者を落ち着かせるような優しげな笑みを浮かべている。


 賢者オルキデアの一番弟子に相応しい、誰が見ても疑いようのない人格者。それがグシオン・リウェイズという男への評価だ。

 だが、レネアはいつも、親しみまで感じさせるように柔らかく細められる真紅の瞳が、どうしようもなく苦手だった。

 特に、二年前からは彼の瞳の奥に、得体のしれない熱を感じることが増えた気がする。


「レネア様。式典に相応しい装いに整えますので、御身に触れる無礼をお許しください」


 穏やかな笑みと共に、グシオンがレネアに最後の仕上げをする。

 翡翠玉の嵌った首飾り。瞳の色を変えるための魔道具だ。

 ほんの僅かに顔を強張らせたレネアに、グシオンは優しく諭すように言った。


「貴方様の為を思っての御用意でございます。どうぞ、天命と思い耐えて下さいませ」


 何とも白々しい言葉だが、レネアは何を返すでもなく、微笑みでもって受け入れた。

 僅かに頭を下げれば、首元に冷えた金属の感触とグシオンの指が微かに触れる。

 首の後ろで金具が嵌まる音がした途端、つきりと両目と頭が痛んだ。

 けれども、レネアは微笑みを崩さない。

 なんの心配もないのだと、その仕草の全てでリディアに示す。


「さあ、参りましょう」


 微笑むグシオンに導かれるまま、二人は式典用の神輿へと向かった。

 開かれる扉を前に、巡行の地図を脳内で辿りながら、レネアはヴァルターの顔を思い出していた。


 どうせなら、先生にも見てもらいたかったな。

 胸に浮かぶのは、素直な気持ちである。


 苦痛は避けられないのだから、せめて美しく着飾った姿を見てもらいたいと願ってしまう。

 休暇前、ヴァルターには祭りのことは伝えた。

 双神を嫌っていると憚ることなく口にする彼は、祭典についても苦笑いするばかりだったが、レネアが来てほしいと誘ったこと自体は、喜んでくれた――と思う。


 けれども、どうも夏季休暇中に外せない用事が入ってしまったそうだ。

 ヴァルターは夏季休暇が始まってすぐに、元の住まいへ戻るために学園を後にした。

 予定を考えると、祭りの開催には間に合わないようだった。


 それでも、もしかして、と思って探すのをやめられない。

 レネアが誰を探しているのか、隣のリディアにはすぐに分かってしまったようだ。


 励ますように重ねられる妹の手をそっと握り返しながら、レネアは小さく誤魔化すように笑みを浮かべた。



     ***



 双神祭は、つつがなく終了した。

 普段ならば化粧を落として衣装を返したのち、二人は揃って家へと戻る。

 だが、着替えを済ませたリディアは、部屋を出ると同時に、小声でレネアへと囁いた。


「ごめん、姉さん。先に戻ってくれる?」

「良いけど……もしかして、何か不手際でもあった?」

「ううん。そういうんじゃなくて、ただ、その……この間の婚約の話、ちゃんと神官長様にもしておこうと思って」

「そっか、まだ話してなかったんだっけ。分かった、先に戻ってるね」


 普段の姉ならば、リディアの表情から何かを察していたかもしれない。

 今は魔道具の影響もあって、疲れが残っているのだろう。

 不安気な表情から一転、特に疑うこともなく納得したように頷いて去っていく姉の背を見送り、リディアはそっと息を吐いた。


 神官長には先程、話を通しておいた。付き添いの神官も断り、リディアは一人で神官長室へと向かった。

 表向きの用件は、イリアルテ家次男、ルイス・イァン・イリアルテとの婚約について、だ。


「なるほど。リディア様は、イリアルテ家の御子息との婚約を望まれている、と」

「……そうです」


 そして、真の用件は、以前にヴァルターから聞かれた、グシオンの人となりについて踏み込むためだった。

 グシオン・リウェイズという人間について、神子の立場から何か聞き出せないかと思ったのだ。


 『神殿について幾つか聞きたいことがある』

 そう告げたヴァルターは、あくまでもリディアが知り得る程度の情報を貰えればいい、とも言った。


 しかし、そもそも未成年の神子であるリディアが神殿について語れることは少ない。

 神殿内にも魔術に強く反発する派閥と受け入れ始める姿勢を見せている派閥がいるだとか、各々のおおまかな得意魔法だとか、風の精霊であるシルフ様との謁見の様子くらいのものだ。

 とても、ヴァルターの役に立てたとは思えなかった。


 彼が特に聞きたがっていたのは、神官長であるグシオンについてだ。

 神子ならば、長のグシオンともそれなりの付き合いがあると踏んだのだろう。

 結果としては、大した情報は話せなかったのだが。


 リディアとレネアにとって、貴族籍を持つような神官たちは、長も含めてずっと敵でしかなかった。

 幼い彼女たちが敵を前に身を守る術は、『距離を取ること』しかない。


 だが、レネアを魔術科に転科させることを望むヴァルターが神殿に探りを入れようとしている。

 ならば、姉のためにも、もっと深い情報を提供できた方がいいに決まっている。


 仮に、リディアが事前にヴァルターに相談したのなら、彼女を止めたことだろう。

 だがこの場に彼はいなかったし、リディアはレネアが関わることならば基本的には躊躇がなかった。


 リディアはレネアよりも冷静に見られがちだが、実際、かなり直情的に動く人間である。

 姉のためになるのであれば、どんなことでもするのだ。


「御両親はなんと?」

「……強く反対はされませんでした。不安には、思ってるようでしたけど」

「それは、リディア様の御心を優先してのことでしょうね。大事な御息女が愛した方と結ばれるのであれば、何より幸せなことに違いありませんから。

 しかし、歴史ある貴族のイリアルテ家に入る責任を重く捉えているのでしょうね。御憂慮はもっともですが、リディア様ならば心配はいりません。貴族の淑女にも引けを取らぬ作法を身に着けておいでですから」


 にっこりと、心から力づけるように微笑んだグシオンに、リディアはぎこちのない礼を口にする。

 言葉の何もかもを白々しく感じてしまうのは、この場にいないレネアを思ってのことだ。

 行き場のない感情を逃がすように、彼女は冷えてしまった紅茶に口をつける。


 その態度をどう思ったのか、グシオンは笑みを浮かべたまま続けた。


「神殿から反対するようなことはありませんとも。私としても、騎士団を継ぐに相応しい御子息と寵愛を受けた誉れ高き神子であるリディア様の御婚約となれば、心からの祝福をいたします。もちろん、シルフ様にも祝福をいただけるかと」

「…………そうですか、それは、……ありがたいことです」

「正式な申し出はいずれイリアルテ家より神殿の方にも話があるかと思います。その際には御両親にも、リディア様にもご連絡しますのでご心配なく」


 話はついたとばかりに言葉を切ったグシオンが、リディアを見送るために立ち上がろうとしたその時。

 リディアは引き止めるかのように口を開いた。


「神官長様は、……その、ご結婚はされないのでしょうか」

「私ですか?」


 グシオンは、意外なことを聞かれた、というように目を瞬かせた。

 無礼な上に妙な切り込み方になってしまっただろうか。

 少し視線を泳がせたリディアの問いかけをどう思ったのかは定かではないが、グシオンは苦笑と共にゆるく手を振った。


「いやあ、私などは。この通り、神殿を清く正しく発展させる為に尽力するだけで日々の時間を使い果たしてしまうような要領の悪さでございますから。とても伴侶を得る余裕などありません」

「でも、神官長様ほどの方なら、女性の方が放っておかないのではないですか? 多忙な生活を支えたいと望む方も、沢山いらっしゃるのでは」

「ははは、十年ほど前にはそういう方もいらっしゃいましたが。どなたも、私よりずっと素敵な方と出会って、聖霊の祝福を受けていますよ」


 それに、とグシオンは半ば独り言のような響きの声で続ける。


「それに、私はオルキデア様の一番弟子として、成し遂げるべきことをまだ何も成せていませんから。そんな暇はありません」


 柔らかい笑みの形で細められた真紅の瞳が、リディアを見つめている。

 その奥に宿っているのは、切り裂くような激情だった。

 ソーサーに置くつもりだったカップが手から滑るように落ち、硬い音を立てた。


「…………失礼しました」

「ああ、まさか、神子であるリディア様が謝ることなど何も! 私の至らなさ故にご無礼をいたしました、どうぞお許しくださいませ」


 薄っぺらい、全く誠意の籠もらない謝罪を口にしたグシオンは、大袈裟に頭を抱えてみせる。


「お詫びと言ってはなんですが、お聞きしたいことがあれば何でもお答えいたしましょう」

「……いえ、そんな、」

「一体何を聞き出すように言われてきたのですか? 言伝は何も?」

「……………………」


 グシオンは、笑顔のままだった。

 口を噤んだリディアは、ただ静かに、己の軽率さを後悔した。


 彼は今、どういう訳かリディアがヴァルターの差し金で此処にいると思っている。

 それはある意味では間違いではなかったが、正しくもなかった。


 何を言ってもヴァルターには不利に働いてしまうだろう。

 リディアはじっと、言葉を飲み込むことで答えた。神子である自分にならば許される無礼だ。


 子ども染みたごまかしだったが、この場で使える手段はこれしかなかった。

 しばしの沈黙。

 笑みを崩さないまま、グシオンは苦笑と共に立ち上がり、リディアを扉へと誘導した。

 普段と変わらぬ、神子を敬う丁寧な所作だ。


「私は気にしていませんよ。彼にはどうせ、何も出来ませんからね」


 見送りの際に優しい声音で告げられたそれは、リディアの耳にいつまでも残った。



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