◇6ー1 演習場にて
とある休日。
ヴァルターは学園の剣術科訓練場、第七演習室にいた。
どうしても二人で話がしたい、とメビウスに呼び出された為だ。
研究室では駄目なのかと聞いてみたが、下手に入り浸っていると思われるのは避けたいらしい。
「そういえば、休日出勤手当って出るんですよね」
「え!? いやいや、ホラ、俺たちって友達だろ? 友達とたまたま訓練場を借りたからと言って、それは出勤扱いにはならないよな!?」
一体いつ友達になったのか。
それとも、メビウスの世界では一回飯を共にすれば友達認定が普通なのだろうか。
練習用の木剣を手に取りながら、ヴァルターはやや冷めた目を対面のメビウスへと向けた。
区分けされた室内には、二人の他に人影は無い。
普段は頭や肩に乗っている魔兎トリオも、一旦離れてベンチでのんびりしている。
促されるままに剣を握りこそしたものの、打ち合うつもりは無かった。
ヴァルターには剣の心得はない。
この十年の間、魔術を身につけるだけでも必死だったし、時間が出来てからもわざわざ剣をとろうとは思わなかった。
センスが無いのだ。本当に。
「何か話があるにしても、わざわざ此処である必要が分かりません」
「必要ならあるだろ! 強者と手合わせ願いたいってのは、ごく自然な理由だと思わないか!?」
「だったら、剣以外で戦って貰えます?」
魔術師相手に剣術で勝負を申し込むなんて、剣士として恥ずかしくないのだろうか。
視線にそんな思いを込めたヴァルターに、メビウスはなんとも軽い調子で笑った。
「あー、これは今日会ってる言い訳の為だから、まずは一戦だけ頼む」
「言い訳?」
「休日にお前と会って妙な勘繰りされても困るだろ? ちょっくら剣術で鼻っ柱叩き折っときますよ!──と表明しておくことで、無理のない言い訳でお前と二人きりになることが出来るって訳よ」
「無理はありまくりですが……」
メビウスは緋龍の件で明確にヴァルターを庇ったのだ。
どんな言い訳をしようと、魔法学科からの邪推自体は避けられないだろう。
それでも構うことなく、理由までつけて会おうとする意図がよく分からない。
中立、というオルキデアの言葉を信じるなら、メビウスに害意はないのだろうが。
だがそもそも、今のオルキデアの言葉を何処まで信じていいものか。
師匠であるアフィスティアに送った苦情の手紙には、未だ返信はない。
「矜持と虚栄心で凝り固まった御方にはその程度の理由でも充分なんすわ! というわけで、俺に負けるところを魔宝石に映像記憶として残したいんだけど」
「うわ、陰湿……」
「俺だって別にやりたかねえよ!? でもドリチェの機嫌は取っておいた方がお前の為にもなるんだって! 本当だから!」
メビウスは泣き言じみた声音で言葉を重ねる。
ああいうプライドの高い凝り固まった過激思想の人間には、時折溜飲を下げさせてやるくらいで良いのだと。
まあ、理屈は分からなくもない。
廊下で擦れ違って嫌味を言われる程度ならともかく、神殿と懇意にしているドリエルチェに私怨で妙な動きをされるのは困る。
何せ神殿の神官長殿は、思想の為なら敬愛する師匠に洗脳魔法まで掛けようとする男なのだ。
洗脳魔法は、成功しても失敗しても、使い手に相応のリスクのある魔法だ。
いわば対象と意識を混合することで己の意に沿った行動を取らせる魔法であるからして、使い手は常に二人分の思考を並列に保有する状況に陥る。
一つ間違えば自身も廃人となる上に、その先の一生を魔法をかけた相手に捧げるようなものだ。
結果的には失敗したとはいえ実行に移した時点で、まず間違いなく、使い手は頭のネジが幾つか飛んでいる。
元からおかしかったのか、途中でおかしくなったのか。
ともかく、グシオン・リウェイズとはそういう人間であることは確かだ。
敬虔な信徒から訴えを受け続ければ、生意気な魔術師を一人始末するくらいのことは容易に実行するかもしれない。
神子の片割れと個人的に会っている点について何も反応を示さない辺りも、逆に不気味である。
まあ、それに関して言えば、無反応こそが反応である、とも言えるが。
「………………」
全く、クソ面倒なことに巻き込みやがって。
我が師の顔を思い浮かべて眉を寄せていたヴァルターは、やがて諦めたように溜息を落とすと、木剣で自身の肩を軽く叩いた。
厄介な思考は一旦、全部置いておくことに決める。
「いいですよ。どうせ、剣でやり合ったら負けるのは当然でしょうし」
メビウス・ログラックは学生時代、校内大会でイリアルテ家の人間を下している。
大会後に親善試合として行われた騎士団長との試合でも、周囲を驚かせる程の善戦をしたとか。
詰まるところ、剣術で言えばこの国で二番目に強いことが確定している人間である。
とてもじゃないが、ヴァルターが剣で敵う相手ではない。
いつまでも食い下がられかねないことと、ドリエルチェ関連のあらゆる面倒臭さを考えた結果、受け入れた方がまだマシだと判断した。
了承した途端、メビウスは分かりやすく顔を明るくする。
「いや〜、ありがてえな! ついでによ、その後本気で手合わせしてもらってもいいか?」
「はあ、此処でですか?」
ヴァルターは静かに演習室を見渡した。
十個の演習室を詰め込んでいるにしては十分に広い一室と言えるが、強度に関してはどう見ても不足していた。
メビウスと試合をしたとして、勝敗以前に部屋の方が保つか微妙なところだ。
「流石に全力は不味いでしょう。まあ、修繕費を先生が払ってくださるなら構いませんが」
「よし、辞めよう! 給料の天引きなんか二度と勘弁願いたいからな!」
極めて迅速にひっくり返したメビウスに、ヴァルターは静かに片眉を上げた。
「二度と、と言うことは一度があったと」
「……あー……三年前にラフルにも手合わせ頼んだんだよ。その時に、こう……壊れちまった……派手に……」
歯切れ悪く呟いた語ったメビウスが、しおしおになりながら肩を落とす。思い出すだけでも消沈する様子を見るに、余程の惨状と化したのだろう。
相応の実力者同士がぶつかれば当然起こる事態だと言える。
ラフルのような男にそれが予測できないとは思えないから、やはりメビウスに強く頼み込まれて断れなかったに違いない。
ラフル・サーキスタは、平民出身の魔法使いである。調べたところ、学園には特待生として入学し、首席で卒業していた筈だ。
出自の為か、彼は貴族の生まれである教員に対して、何処か気の引けた態度で居るようにも思える。
魔術教師であるヴァルターに対する距離の取り方も、その辺りに由来しているのかもしれない。
気が削がれたのか、木剣を地面に刺したメビウスが、がっくりと項垂れた様子でぼやいた。
「あん時の学園長はおっかなかったなあ〜! ずっと笑顔でさあ……なのに胃の縮むくらいの圧がさあ……!」
「そりゃまあ、生徒の模範となるべき教師が施設をぶっ壊したらそうもなるでしょうよ」
「わざとじゃないのに……」
「不注意と危険予測の拙さを怒られてるなら、故意か否かは関係なくないですか?」
「ちくしょう、ラフルとおんなじこと言いやがる……」
「なんだか二の舞になりそうなのでお断りしておきますね」
恐らく、三年前に施設を壊したのはメビウスの一撃だったのだろう。
対処し切れなかったのはラフルの過失とも言えなくもないし、断らなかったのもそうだろうが、とにかく原因はメビウスにある、と言える。
今現在、ヴァルターが同じような境遇に置かれていると言うのなら、やはり確固たる意思で断るのが賢明だろう。
「今度は大丈夫だから! 今度はちゃんとやるって! だから一回だけ! 一回だけ!」
「そこまで執着しなくてもよくないですか。王都なら正式な試合を組める実力者が山のように居るでしょうし」
「いや、緋龍を単独討伐できる十六歳と手合わせできる機会があるんだぜ? そりゃ一回くらいは戦っときたくないか?」
分かるような、分からないような。
なんとも言えない気持ちでヴァルターは首を傾げた。
これが剣士を目指すものと魔術師を目指すものの違いなのだろうか。
ぴんと来ないまま目を細めるヴァルターに、メビウスもまた、心底不思議そうに問いを向けた。
「えっ、俺なんかおかしいこと言ってる?」
「……いいや?」
「でも、めちゃくちゃ変な顔してるぞお前」
「わざわざ必要もなく戦いたいって思ったこと、あんまりないからな……」
その呟きは、半ば独り言のように響いた。
ヴァルターにとって魔術とは生きる為の術だ。
覚えないと『殺される』のだから、習得自体がある種の生存戦略である。
まあ、師匠を『ぶっ殺したい』と思ったことは無限にあるが。
これは正当な試合をしたい、という感覚とは全くの別物だ。
対して、メビウスにとっては剣術とはあくまでも極めるべき道なのだろう。
例えば、狩猟の為に技術を磨いた人間が武道家の前に立ったなら、もしかしたらこんな気分になるのかもしれない。
「あ。ところでさ」
上手い喩えが出ず、説明に困るヴァルターの前で、メビウスが唐突に切り出す。
相槌の代わりに視線をやると、メビウスは少しばかりの逡巡の後に尋ねた。
「やっぱりお前ってアレなの? オルキデア様の秘蔵の弟子な訳?」
「…………誰がそんなこと言ってるんです?」
「生徒の間で噂になってるぜ。いやほら、紹介からして訳アリ感万歳だったろ、お前」
否定は出来なかった。
だが訳アリは訳アリでも、全くの別口である。
残念なことに、ヴァルターの師はアフィスティア・ヴァン・ヘルエスただ一人だ。
享楽主義と探究心をごった煮にした挙句にこの世の全てを欲する、老いも衰えも知らぬ強欲の魔女。
一定の世代では、『魔術師』と言えばアフィスティアを思い浮かべて顔を顰めるものもいる。
ヴァルターのみならず全魔術師に害を成すと言ってもいい、とんだ迷惑師匠だ。
ところで、ヴァルターの名を聞いただけでアフィスティアに辿り着く人間はそうはいない。
アフィスティアの家名を知る者は、三賢者以外には弟子であるヴァルターだけだ。
三賢者は、兎角弟子を取らないことで有名である。
魔術師であるヴァルターの師にアフィスティアの名が上がらない辺り、『強欲の魔女』の人となりに対する信用の無さ──あるいは逆に確固たる信頼が見て取れる。
賢者の中でも『人を育てる』なんて真似をするのは、オルキデアだけだと思われている訳だ。
まあ、大衆の印象は概ね正しい。
アフィスティアの元で過ごしたあの日々を育てたなどと称されたなら、何を捨ててでも師匠の顔面に一発拳をぶち込むしかない。
「で? どうなの?」
「そうですねえ……これで仮に俺が学園長の弟子です、と言ったとして、何か変わると思います?」
「……うーん、いや……むしろ一部悪化すると思う」
魔法学科の教師陣を思い浮かべながら尋ねたヴァルターに、メビウスは極めて素直な所見を述べた。
ヴァルターも全くもって同意見である。
「じゃあ黙秘で」
「いや、それは言ってるようなもんじゃねーの?」
「明言さえしなければ、ただの憶測ですから」
むしろ何をどう言おうと厄介事が舞い込むのならば、せめて学園長を選ぶ。アフィスティアの一番弟子と思われるよりは遥かにマシだからだ。
学期初めにレネアに真実を告げたのは、まだこんな面倒に巻き込まれているとは思ってもいなかったからだ。
加えて言えば、彼女の見せた魔法への好意に気圧されて、というのもある。
風の聖霊に選ばれし神子は、本来は鮮やかな翠玉の瞳を持つ。
レネアの瞳はそれこそが不出来の証であるかのように、色を失くしたような鉛色だ。
それでも、魔法への憧れと愛を抱いて輝く煌めきは、どんな宝石よりも美しく見えた。
元よりやる気と興味には充分にあった彼女は、近頃は更に魔術に熱心になっている。
恐らく、迷いを振り切るほどに明確な目標を見つけたのだろう。魔術を希望とするに相応しい、大事な目標を。
己の目指す先が、きちんと自身を救けるものになるのは良いことだと思う。
それを素直に喜び切れないのは、彼女の置かれた状況によるものだろうか。
ただ、この躊躇いはきっと彼女が一番に厭うものだろうから、ヴァルターは意図して切り捨てた。
レネア・ルクシュタインが覚悟と信念を持って学園に在籍し続けていることくらい、少し見ていればすぐに分かる。
今の自分に出来る最大の方法で、この世の理不尽というものに抗っているのだ。
安易な同情や憐れみなど、彼女が積み上げてきたその努力を愚弄するに等しい。
それでも。
二年前に魔術科に転科出来ていたら、きっと彼女は教室であんな顔をせずに済んでいただろうな、とは思った。
学友も沢山居て、平和に過ごして、四大陸大会でも結果を出して、そして歴代の神子として正当に評価を受けていたに違いない。
『魔術』に対する偏見が捨て切れないばかりに、その道が成し得なかった訳だ。
ヴァルターは思考の波に揺られたまま、どうにもうんざりした顔で眉を寄せた。
あのクソ師匠が新たな学園長を見つけて戻ってくれば、何かが変わるのかもしれない。
ついでに一緒に神殿を爆破しに行ったら駄目だろうか。
駄目っぽいな。
「…………まー、とりあえず、記録用の試合だけしてさっさと終わらせましょうか」
「ヴァルター、なんか怒ってないか」
「いえ別に」
「別にって面じゃねえんだけど……」
困惑のままに呟くメビウスの声を聞き流しながら、ヴァルターはとりあえず、特にやる気もなく木剣を構えた。




