◇幕間◆ アフィスティア・ヴァン・ヘルエス
二年前の話だ。
よく晴れた、満月の夜だった。
とある街の賑やかな酒場から、一人の女性が楽しげな足取りで扉を押して出てきた。
腰元まで広がる真紅の髪に純蒼石を思わせる瞳を持つ、目も眩むような美女である。
非の打ちどころのない磨き上げられたその身を包むのは、艶やかな黒のタイトドレスだ。
豊満な胸元を遠慮なく強調し、挙げ句の果てには身体の両脇は精緻なレースで薄らと素肌を晒してさえいる。
品の無い、と目を背ける者と、食い入るように見つめる者。
そのどちらの視線も意に介すことなく、彼女は悠々と足を進める。
誘われるように後を追う幾人かの気配を感じ、それとなく今夜の相手を選びかけたところで、彼女──アフィスティア・ヴァン・ヘルエスは何かに気を引かれたように立ち止まった。
「あら」
艶やかに晒された豊満な胸の谷間に、ドレスグローブに包まれた手が伸ばされる。
衰えを知らぬ瑞々しい肌に挟まれていたのは、鈍い輝きのチェーンだ。
引き出されたそれには、真鍮製のロケットが通されている。
中が透けて見えるタイプの二重構造になっており、透明な覆いの向こうでは、仕舞い込まれた紫水晶がものの見事に砕けていた。
「あらあら」
遠い昔に、たった一人の親友と贈りあった、身の安全を知らせるためだけの品だ。
修復不能なまでに砕けた魔水晶の示す意味は、契約主の不慮の死である。
〝これが割れた時、私の身には取り返しのつかない何かが起こったのだと思って欲しい。
だから、もし我儘を言っていいなら、その時はティアが助けてくれないか〟
オルキデア・ノーツ・パスクアルは、常と変わらぬ微笑みと共にそう言った。
取り返しがつかなくなってから助けて欲しい、とは、長い付き合いのある彼女らしい言葉だった。
共に解決しよう、とは言わない辺り、アフィスティアのことをよく分かっている。
二人が出会ってから数十年。
アフィスティアが首を突っ込んだことで更に事態が悪化しなかった事例は、いっそ笑えるほどに少なかった。
例えば暴徒の鎮圧に協力する筈が街の地形が変わってしまったり。
生体研究用の捕獲依頼が、何故かアフィスティアに任せた場合だけ突然変異が多発したり。
協力の話し合いで終わる筈だった魔法民族との会合が、大乱闘パーティに変わったり。
惨事と化した結果を見れば、頼ろうなどと言う気にもならなくなるのは当然だった。
そもそもが、この契約自体がある種の行動への縛りであるとも言える。
同時に、大切な約束とも呼べるのだが。まあ、それは一旦置いておくとして。
「あーあ、割れちゃったわね」
酔いの残る笑みを浮かべたアフィスティアの首元で、それまで白銀のチョーカーに化けていた使い魔がしゅるりと元の姿を現した。
頭をもたげた白蛇の喉の辺りを、アフィスティアの指先が遊ぶようにくすぐる。
使い魔を見た途端に逃げていく数人を目の端に捉えた彼女は、笑い声を響かせながら、魔素を弾くように指を鳴らした。
呼び寄せた箒に飛び乗ったアフィスティアは、真っ直ぐに目的地へと夜空を駆ける。
笑みを浮かべる彼女の瞳は変わらず乾いていたけれど、ヴィダだけは、何かを拭うようにその頬に顔を寄せていた。
ちなみに、箒はいわゆる浪漫的装飾品である。
* * *
王立魔法学園の上空。
慣れた仕草で難なく敷地内へと入り込んだアフィスティアは、いつかの約束通りに窓辺から学園長室へと入り込んだ。
主不在の部屋は、しんと静まり返っている。
アフィスティアは室内にある幾つかの隠し扉を見回り、そこに残された魔述式のどれもが想定通りに働いていることを確かめると、詰まらなそうに鼻を鳴らした。
どうやら予想していた内の、最も面白くない結末に至ったらしい。
溜め息を落としたアフィスティアは、壁際に並ぶ数々の希少な品から目を逸らすと、礼儀など知らぬとばかりに学園長のデスクの上へと腰掛けた。
「うーん、暇潰しにお酒でも持ってくれば良かったかもね」
アフィスティアの予想が正しいのなら、オルキデアは学園長室に姿を現す筈だ。
一晩待ってやって来ないのなら、その時はそれこそ乗り込んでしまえばいい。
退屈を表すように伸びをして、組んだ足を揺らしながら、待つことしばらく。
アフィスティアが酒瓶に思いを馳せ始めた頃、魔法錠がかけられていた扉がゆっくりと開いた。
現れたのは、まごうことなくオルキデア・ノーツ・パスクアルである。
最後にきちんと顔を合わせたのは六、七年ほど前だろうか。
弟子の育成に夢中でいる内に、随分と時間が経ってしまったものだ。
「ティア、もう来てくれたのか。久しぶりだな」
見慣れた笑みを浮かべる彼女の姿形は、アフィスティアから見ても生前と何一つ変わらない。
きっと、他の誰も彼女が動く死体だとは看破できないだろう。彼女自身がそれを証明してみせるまでは。
紛い物の不死を成す禁術は、もはや忌々しいとさえ言える出来栄えだった。
「おはよう、オリー。身体の調子はどう?」
声には純粋な好奇心による楽しげな響きに隠れて、ほんの僅かな苛立ちが混じっていた。
後ろ手に扉を閉めたオルキデアは、言葉で表すよりも早いと思っているのか、両手を広げて示す。
「ご覧の通り。少なくとも上手くはいったと言えるね」
その所作は何処か、壁画に示された神罰を待つ信徒の姿に似ていた。
実際、不死の禁術は歴とした【大罪】ではある。
「……上手く、ねえ?」
苛立ちの逃しどころを探すように髪先を弄るアフィスティアが、詰まらなそうに目を細める。
けれども、眉を寄せた彼女が何某かの不満を持って口を開くより早く、オルキデアは端的に用件を伝えた。
「ピュリオンを探してほしい。君に頼みたいことはそれだけだ」
「そう簡単に見つかるかしら? 私以上の放蕩者なのよね、あの子」
「君ほどの魔術師なら可能だろう。まあ、三年で見つけられれば良い方だとして……それまでは保たせるつもりだよ」
「お姫様を探し出すより先に、もっと早い解決法があると思わない?」
あくまでも笑顔で問いかけたアフィスティアに、オルキデアは分かりやすく眉を顰めてみせた。
紫水晶に似た瞳がそっと逸らされ、ゆっくりと一度瞼が下される。
「言っただろう。君に頼みたいのは、ピュリオンの捜索だけだよ」
「そうね、頼まれたのはそれだけよね。分かったわ」
「……頼んだこと以外はしないで欲しい、という意味でもある」
肉体的な疲労とは別の疲れを滲ませる足取りでデスクへと近づいたオルキデアは、溜め息混じりに呟いた。
艶やかな天板の上に遠慮なく腰掛けるアフィスティアが、ヒールブーツの足先を退屈そうに揺らす。彼女の指先には、水晶の砕けたロケットが垂らされていた。
「コレ、『私に何があっても、死ぬまでは手出しをしないで欲しい』って意味だったわよね? 死んでからも我慢しろっていうの? 約束が違うじゃない」
「……私が望む方法で助けて欲しい、と願うのは間違いかな」
「だったらもっとまともな相手に頼んだらいいわ。そうね、貴方を信奉する素敵な魔法使い達だとかに」
「私が私以外に頼れる者なんて、君しか居ないよ。知ってるだろう?」
アフィスティアは一瞬、全ての言葉を失ったように黙って、それから無言でオルキデアの肩の辺りを殴った。
痛いよ、と呟く声に、うるさい、と随分子供じみた声音が響く。
それは実年齢から見ても、二十二歳で留めた肉体年齢から見ても不釣り合いな響きだったが、オルキデアにとっては聴き慣れた声色だった。
「あー、はいはい分かりました、神殿を吹っ飛ばそう計画はやめにしてあげるわ」
「そもそも、私は神殿が原因だなんて一言も言っていないと思うのだけれど」
何処か言い訳じみた声音で呟いたオルキデアに、アフィスティアはなんとも軽い調子で首を傾げてみせた。
「オリーが私以外に殺される筈ないもの。だから死因は自死でしょ? そうせざるを得ない相手なんてあの碌でなしの狂信者しかいないじゃない。
大体、真っ先に教えてくれてもいい筈の経緯を全部伏せている時点で原因なんて決まりきってるわ。
結局分かり合えなかったんでしょう? 使う言葉が同じなだけで理解し合えるだなんて幻想を追っているからそんなことになるのよ」
オルキデアは、肯定も否定も返さなかった。
何処か感情が削がれたように無機質に輝く澄んだ紫の瞳が、ただじっと視線を向けている。
アフィスティアがグシオンについて言及する際、彼女は度々こういう目をした。
生前では、感情を露わにしないことそのものが、オルキデアにとっては一種の発露であった。
今はどうだろう。単に、入れ込んだ『意思』の仮想思考が間に合わないだけ、ということも、有り得る。
オルキデアの一番弟子であるグシオン・リウェイズは、間違いなく賢者に届く魔法使いである。
すば抜けた魔法の才を持ち、双神への愛を抱く敬虔な信徒であり、民のために命をかける慈愛の心すら持ち合わせている。
彼こそが次代の賢者であると、誰もが信じて疑わない。彼の欠点を知るオルキデアでさえも。
それほどまでにグシオンの才能は眩しかった。
彼が過ちを犯さず、正しい道に進んでくれるのであれば、オルキデアは全てを一番弟子に託しても構わない──いや、彼にこそ託したい、と願っていたのだ。
人類は老いからは逃れられず、そして必ず死を迎える。
手塩にかけて育てた優秀な弟子に未来を託したいと考えるのは当然の話だ。
アフィスティアにとっては、結局ちっとも理解できなかった感覚ではあったけれど。
自ら死を選ばねばならない道に追い詰められても尚、彼女は弟子への情を捨て切れていないのだろうか?
問い質したところで、素直に本心が返って来ることはないだろう。
加えて言えばわざわざ知りたくもなかったから、アフィスティアはただ薄く苦笑して、それから切り替えたような声音で言葉を並べた。
「そうそう、ついでにオリーが前に言っていた魔術教師の件も話したいのだけど」
「ああ、それは……ピュリオンの捜索で手一杯だろう? なんとか此方で用意を、」
「仕方がないから、私の一番弟子を使わせてあげる」
半ば遮るようにして告げられた言葉に、オルキデアは二度、目を瞬かせた。
「一番弟子……というと……いやでも、記憶が正しければ、彼はまだ十四歳だろう。教師をやるには若すぎるよ」
「なら、次の魔術師が退職したらでもいいわ。そうなったら、流石に誰も見つからなくなるもの。雇ってみれば分かるわ、ヴァルターがどれほど適任か」
淡々とした声音は、弟子への愛情で紡がれたものではない。
純然たる事実を告げるものだ。
「……君がそこまで言うほどに、優秀な魔術師なんだね」
オルキデアは、極めて素直な感嘆を帯びた声で呟いた。
少なくとも出会ってからこれまでの中で、アフィスティアが他の魔術師を褒めたところを見た記憶はない。
興味を惹かれた様子に気づいたのか、アフィスティアは機嫌よく顔を輝かせた。
「間違いなく、魔術に関しては私たちと同じ類の天才ね。まあ、修行に関しては文句ばっかりだったんだけど。
あのまま私と出会わなかったら適当に焼き殺されてたんだから、ちょっと修行が大変なことぐらい我慢して当然でしょうに。若い子って本当に忍耐力がないわよねえ」
「……この世で一番忍耐力の弱い君に言われたくはないだろうな、彼も」
アフィスティアが孤児院からヴァルターを貰ってきたのは、彼が六歳の時だ。
其処は変換機構を持たぬ者への差別が特に激しい地域で、預けられた子供達は到底人間扱いなどされていなかった。
便宜上そう呼んでこそいたものの、そもそも孤児院などと呼ぶことすら烏滸がましい施設である。
『こんな穢らわしい生き物をわざわざ殺したくはないから、飢えて死んでくれれば良い。』
そんな、身勝手で傲慢な意図で集められただけの、ただの安置所でしかなかった。
ヴァルターは当時既に、教えられるよりも前に他人から魔素を借りていた。
気づかれないほどの微力を、複数の者から。
劣悪な環境で死なずに済んだのは、彼がその魔素を生命維持に回していたからだ。
彼は孤児院を抜け出しては、他の無力な子供のために食事を用意した。
幼い彼はまだ、耐える以外の選択肢を知らなかったのだ。
孤児院の子供の一人が、街の人間の娯楽と称した暴力によって死に至るまでは。
『六歳の非人族が、孤児院の院長に重傷を負わせた。あれは化け物だ、魔族の再来だ』
アフィスティアがその孤児院を訪れたのは、そんな噂を聞いてのことだった。
人間はあまりに恐ろしいものを見ると、意識から遠ざけることしか出来なくなる。
実際、誰もが例の孤児院を遠巻きにし、目に入れないようにしているようだった。
だが、主犯が子供である以上、それも一過性のものだ。
いずれは誰かが声を上げ、建物に火を放つことにでもなるだろう。
彼女が孤児院を訪ねたのは、そうなる前の、ぎりぎりのタイミングだった。
アフィスティアは、一目でヴァルターの才能を見抜いた。
黄金色に輝く瞳はもちろん、生まれ持った魔素を操るセンスがずば抜けていた。
間違いなく、特別な才能を持つ存在である。
アフィスティアは極めてご機嫌に、こいつを弟子にしよう、と即座に決めた。
『やあ襤褸切れくん、私の弟子にならないかい?』
『……アンタがみんなを助けてくれるなら、ついていく。そうじゃないなら行かない』
軽い調子で誘いをかけたアフィスティアに、ヴァルターは子供とは思えない平坦な声で言った。
騙すつもりだというなら、今にも喉笛を掻き切ってやろうという態度であった。
アフィスティアにとっては彼一人攫うくらい訳なかったけれども、気が乗ったので叶えてやった。
せっかく見つけた弟子なのに、舌を噛まれて死んでもらっては困る。
そういう訳でアフィスティアは、当時棲家にしていたハジャ湖の近くに新たな孤児院を立てた。
弱った子供たちも全部連れて行って治療してやって、運んだ遺体の為に裏に墓を作った。
最年長者が院長代理になって、アフィスティアの庇護下で経営と生活を学んだ。
五年経つ頃には落ち着いて、十年後には各地から困った子供も預けられてくるような、立派な孤児院となった。
ヴァルターは近くに住んでいるにも関わらず、あまり院には立ち寄らなかった。
年に一度、設立の日に祝いの品を渡しに行くだけだ。
理由は二つある。
ひとつは、アフィスティアの修行が厳しすぎて、とても日頃会いに行く体力など残っていなかったから。
もうひとつは、年少組が彼を怖がってしまうから、だ。
ヴァルターは、当時皆から化け物のように恐れられていた院長を、まさに二目と見られない姿にした。
小さな子供にはさぞ恐ろしい光景だっただろう。実際、夢に見てうなされる子供も多く居た。
幼い彼らはヴァルターの顔を見ると、『こわいこと』を思い出してしまう。
詫びの言葉を重ねる新院長に、ヴァルターはさして気にした様子もなく苦笑した。
みんなが穏やかに暮らせてるならそれでいいよ、と。
ヴァルターは、彼らが成長した今でもあまり孤児院には近づかない。
きっと、これからもこのままの距離でいるだろう。
アフィスティアはその様子を見る度に、馬鹿みたいだな、と思っている。
与えるだけ与え尽くして、何も得られないまま生きていくだなんて、アフィスティアにとっては死んでるも同然だ。
けれども。馬鹿な子ほど可愛い、とは何処の国でも言うものである。
ハジャ湖に居ればヴァルターは確かに平穏に暮らせるけれど、きっと一生大切なものは見つけられないままだろう。
それはアフィスティアにとっても少し詰まらない。
強欲の魔女の一番弟子なのだから、それに相応しい人生を送るべきでは無かろうか。
「ヴァルは口も態度も悪いけど情が湧いたら面倒見いいし、出来ない子にも優しいから、きっと良い先生になると思うよ」
「君と違って?」
「そう。私と違って」
アフィスティアは笑顔を浮かべたまま、特に悪びれることもなく言った。
「学園のカリキュラム見た時に笑っちゃったもの。この程度も自力で出来ないなら魔術を学ぶ意味なんて無いのに、って」
本当に、心の底から愉快だと思っている笑い声だった。
それはオルキデアの記憶の中に残る彼女の声と、なんら変わりない響きだった。
アフィスティアは才能無き者を決して理解しないし、出来ない。したくもないとさえ思っている。
それでも、オルキデアの夢見る理想に寄り添ってくれるだけの情はあるのだ。
アフィスティアの存在そのものが、オルキデアが希望を捨てきれなかった理由であることを、彼女は果たして分かっているだろうか。
「この世界が魔法と共に発展してきた以上、方法を変えてでも継承していかなければならないからね。どうしようもなく才に欠けた者だとしても、魔術の技法なら必ず何かしらは得られる。
人が持ち合わせるものにはどうしたって差があるけれど、才能を拾い上げる網の目は細かい方がいいに決まっているよ。ティアのやり方は、一本釣り過ぎる」
「もう、やっぱり生きてる時と同じこと言うのね。あーあ、もうダメ、こんなところ居られないわ。細かいことは後にしましょう、今日はもう嫌!」
頭を振ってデスクから降りたアフィスティアは、そのまま窓辺へと足を向け──かけて、振り返る。
月明かりに照らされる彼女の顔には、いっそ場違いな程に明るく愛らしい笑みが浮かんでいた。
「ところで、一番大事な約束は流石に守ってくれるのよね?」
「……もちろん。全部が終わったら君に渡す用意がある」
「そ。良かった」
綺麗に取っておいてね、とオルキデアから目を逸らすことなく言い残して、強欲の魔女は軽やかに窓辺から飛び立った。
* * *
満月の輝く夜空の下。
夜風に髪を靡かせながら行き先も決めずに空を進むアフィスティアは、明言を避けた上で出された情報を頭の中でゆるりと並べ直していた。
オルキデアが神官長の仕出かしで〈悠久の残骸〉と化した以上、事情を知る神殿の上層部は、万が一を恐れて派手な手出しはしないだろう。
仮にあの男がこの件で動くとするなら、【大罪】を犯した事実そのものを解決する方法を見つけた場合だ。
実際、いくつか思い浮かぶ方法は無いことも無いが、そのどれもが現時点で実行不能な夢物語でしかない。
問題が起こるとすれば、ピュリオンを新たな学園長に置き、表向きは引退という形でオルキデアが表舞台から退いた後というのが一番可能性が高い。
もしもその時に学園を神殿の思想から守れる魔術師が居るとしたら、きっとそれはアフィスティアではなく、ヴァルターのような者である筈だ。
アフィスティアはオルキデアの為ならある程度の我慢はできるけれど、やっぱり興味も持てない有象無象を気にかけてやれるとは思えないから。
次の魔術教師が何年持つかは知らないが、そう遠くない内に声がかかるに違いない。
何せ、学園を支えている最高位の魔法使いが居なくなったのだ。二年も持てば良い方である。
「全くもう、私が二人いたらもっと簡単に片付いたのに」
ぼやくように呟いて、三秒経ってから、アフィスティアは使い魔と共に揃って首を傾けた。
いや、と思い直したのだ。
いや。
恐らく自分が二人いたら、大揉めに揉めて、全てを引っ掻き回してめちゃくちゃになっていただろうな、と。
極めて正しい自己評価だと言える。
困惑した様子でしゅるりと舌を出しているヴィダの様子を見るに、彼女も全くの同意見のようだった。
「まあいっか。巻き込んじゃえさえすれば、可愛い馬鹿弟子がなんとかしてくれるでしょう」
アフィスティアは、己の一番弟子をこの世で二番目に信頼している。
一番は自分だ。その自分が信用を置くのだから、間違いはない。
きっと、ヴァルターならば彼女の助けになることだろう。




