表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/24

◇5ー1 職員会議


 ヴァルターの予想は、最悪なことに的中した。

 緊急の職員会議は、めでたくヴァルターを糾弾する場となった、と言うことだ。


 会議用に用意された一室。

 部屋の中央に設られた長卓には、三学科全ての教員が並んでいた。

 ヴァルターは卓の長辺の隅に、追いやられるようにして座っている。


「ああ、全くなんて悍ましい企みでしょう! 下劣な魔術師が考えそうなことですわね!

 大方、緋龍を倒して安易な好感度稼ぎをしたかったのでしょうけれど……この高尚な歴史ある魔法学園で、そのような卑劣な手段で生徒の心を掴もうだなんて! 恥というものを知らないのかしら?」


 場の中央で、学科長であるドリエルチェがやたらと粘度を含んだ甲高い声で並べ立てる。

 その両脇では、お馴染みの二人が媚び諂った笑みを浮かべていた。

 

 職員会議が始まってから早三十分。

 ドリエルチェは他の教員の発言を全て押し流すような勢いで、延々とヴァルターを詰る言葉を吐き出していた。

 学園長は、ひとまず全ての教員の意見を聞くつもりか、じっと凪いだ瞳で職員を見渡している。


 今の所、ヴァルターは何ひとつ反論をしていない。

 そもそも口を挟む隙間すらないのもそうだが、聞く気のない人間相手に反論したところで無意味なので、顔だけ取り繕って今日の夕食について考えている。

 それは、どんなに捻じ曲げた解釈をされたとしとも、間違っても罪に問われることはないだろう、という余裕からの態度でもあった。


 何せ、優秀すぎるほどに優秀な犯人様のおかげで、証拠らしきものは一切出ていない。

 王都の調査隊にまで現場検証の依頼をかけたのにも関わらず、だ。

 強いて言うなら緋龍の死骸こそが証拠だとも言えなくもなかったが、人為的な事件であることを示すものは一つもなかった。


 もし仮に本当にヴァルターが犯人であった場合であっても、ここまで証拠がない以上は裁かれる謂れは何処にも無いのだ。


「このような愚かな魔術師は即刻解雇するべきですわ!」


 空気すら引き裂くような高い叫び声をあげたドリエルチェに、対面に座るメビウスがゆっくりと口を開いた。


「……一つ気になるんですがね。先生の理屈だと、ヴァルター先生は最初から『緋龍』を倒せる前提で喚び出したってことになりませんか」

「そんなこと! この学園の教師であれば誰だって出来ますわ!」

「……単独かつほぼ一撃で? 無茶言わないでくださいよ。五色龍なんて、優秀な魔法使いが中隊規模で組んで倒すもんでしょう」


 メビウスはやや呆れた声音で続ける。


「あの後、王都の調査隊にも一帯の調査を依頼しましたが、魔法の痕跡も魔術の痕跡も見当たらなかった。 

 これがもし学園に危害を加える目的だとすれば、どう考えたって組織的な犯行です。

 ただの好感度稼ぎにこんな騒ぎを起こす程、ヴァルター先生が学園に執着があるとも思えませんね、俺には」

「だとしたら、学園に被害を出し名誉を落とす為に画策したのですわ!」

「じゃあ迅速に倒す意味がないでしょう。疑われない程度に後方支援するならともかく、単独討伐ですよ」


 一瞬、ドリエルチェが黙り込む。

 が、すぐに二つ飛ばしの位置に座るラフルへと鋭い声を飛ばした。


「サーキスタ先生は! どう思われるのです!? 貴方もあの場に居たでしょう!」


 ラルフはそれまで、緊張の滲む面持ちでじっと成り行きを聞いていた。

 なるべく関わりたくはない、とでも言いたげに。


 話を振られて僅かに眉を寄せた彼は、そっと口を開いた。


「私は……少なくともヘルエス先生の仕業では無い、と考えております」


 穏やかで、落ち着いた声音だ。

 眉を吊り上げたドリエルチェが、言葉と呼吸の中間じみた声をあげる。


 彼女が悲鳴のような言葉を紡ぐよりも先に、ラフルは冷静さを保った声で重ねた。


「そもそも、誰の仕業でもないと考えたい、というのが正しいですね。

 歴史ある魔法学園の管轄地で、無遠慮な転移魔法の発動を許した挙句、証拠も見つけられないとなっては保護者にどう説明すれば良いか見当もつきません。


 此処はやはり、『休眠場所を間違えた緋龍が錯乱し、季節外れの活動期に入ったところに遭遇した』とした方が多方面に穏便に話をつけられます。


 私としては、それが真実であった方がどれ程安堵できることか。


 ……挙げ句の果てに、他学科の教師陣(われわれ)は対処が遅れ、魔術科の教師単独での討伐ですよ。

 あまり話を大きくすると我々にとっても不利益になるのでは?」


 ヴァルターは、やや違和感を覚えて目を上げた。


 少なくとも、ラフルとメビウスの対応は迅速かつ的確だった。

 ヴァルターが単独討伐に集中できたのは、他の二人がいたからこそ、である。

 いくら場を収める為とはいえ、魔法科教師の言い回しとしては妙な気がした。


「ですから、その対応の速さこそが彼が犯人である何よりの証拠であると────!」

「ラドリアンヌ。一度落ち着きなさい」


 苛立たしげなドリエルチェの声を遮ったのは、それまでテーブルの端、豪奢な椅子に腰掛けじっと会議の行末を見守っていた学園長だった。


「魔的物証は何一つ残っていないのだから、悪戯にヘルエス先生を責めることは出来ないでしょう。

 何より、今回の件について、神殿からの意見書は届いていない。つまりは、無かったことにせよ、とのお達しです。


 生徒たちにも怪我はなく、この一件で魔術に興味を持つ者も出てきている。

 ……四大国魔法大会が年度末に控えていることを考えれば、事を大きくするのは学園にとってもよろしくはない。


 私の方でも調査は続けます。ヲイン峠はしばらくの間、演習地域から外しましょう。

 一先ず、この件についてはそれで決着とします。

 もしも納得のいかぬ者がいるのであれば、正式な意見書を提出してください」


 なるほどなあ、とヴァルターは思った。

 魔法学科の教師陣を黙らせるには、何よりも保身と見栄を刺激するのが良い。


 ヴァルターが犯人では無い、と断言して通すより、騒いだところでメリットが無い、と思わせる方が遥かに容易いのだ。

 あまりの世知辛さに笑いまで零れかけた。

 が、素知らぬ顔でシャンデリアを眺めることで誤魔化す。


「では、会議はこれにて」


 魔法学科の教師は到底納得した様子ではなかったが、比較的素直に退席した。

 この場は学園長に免じて見逃す、と言った態度だ。


 加えて言えば、一刻も早く魔術師のいる部屋から出て行きたい、という意思表示か。


 忌々しげに睨め付けてくる幾つかの視線を受け流し、ヴァルターもまた席を立つ。


 退室し、魔法科教員とは別の廊下から帰ろう、と踵を返したその時。

 ヴァルターはふと、敵意とは別の視線を感じて目を向けた。


 視線の先。

 さっと目を逸らしたのは、ラフル・サーキスタだった。


「……?」


 なんとも意味ありげな視線であったような気がする。


 学園で過ごして二ヶ月と少し。

 魔法科教師でありながら、ラフルからは直接的な害意を向けられたことはない。

 だから、てっきり『嫌なものは見ない』派の人間だと思っていたのだが。


 不思議に思って、ついその背を見つめてしまう。

 だが、疑問を解消しようにも、材料はあまりに足りない。


 まあいいか、と流したところで、横合いから結構な衝撃が来た。


「うおっ」


 陽気な調子で近づいてきたメビウスが、ガシッと肩を組んでいる。


「ヴァルター! 災難だったな〜!」

「ええ、先生もお疲れ様でした。ところで、あの人、いついかなる時もああなんですか?」

「ドリチェ? おうよ。俺が此処の学生だった頃からず〜っとアレだぜ」


 だったらもう直らないだろうな。

 諦めと呆れが混じり合い、見事に納得へと変わった。

 結論をつけつつ、組まれた腕を躊躇いなく外しておく。


「にしても、緋龍を単独討伐たぁ驚きだぜ。一体、何処で魔術を鍛えたらそうなるんだ?」

「別に。ログラック先生にも出来るでしょう」

「まっさかあ〜! 俺にはあの地形条件で自然保護まで考えて戦うなんて無理だね。あとあの速度でも無理。無理無理の無理〜」


 肩を竦めて笑うメビウスに、つい目を向ける。

 視線があった彼は、とぼけた顔で首を傾げてみせた。


 選んだ魔法の使用意図も汲み取られている上に、『出来ない』とは言わない。

 実力者であることは、防壁魔法の範囲と速度でもよく分かった。

 態度こそふざけてはいても王立魔法学園の教師、ということか。


「ところで、いつまでついて来るんです?」

「ん? ああ。良かったら飯でもどうかと思って。災難ついでに奢るぜ?」


 見れば、夕食には少し遅いくらいの時間になっている。


 ヴァルターは普段、夕食は自室で済ませるようにしていた。

 食堂での夕食の提供もあるが、使い魔を共にした食事はあまりいい顔をされないからだ。


 ただ、当初から一つ、気にかかっていることがある。

 この学園、食堂の菓子類が非常に豪華なのだ。王都の有名店が協力しているらしい、とも聞く。

 奢りというなら遠慮なく、ご馳走になるべきだろう。


「では季節のフルーツパフェを一つ」

「おっ、甘党か! 気が合うな〜」

 

 明るく笑ったメビウスが、遠慮なく背を叩いてくる。

 その後、彼は食堂で財布を三度確かめ直してから、切ない顔で一番安い定食と、ヴァルターの為のフルーツパフェを購入した。



 



 ──その夜。

 ヴァルターの元に一通の手紙が届いた。


 差出人は学園長。呼び出し先は、学園長室である。


「夜中の呼び出しとは、学園長はなかなか人使いが荒くていらっしゃる」


 まあ、会議後に一人残れと言われなかっただけ、まだマシか。

 ヴァルターは溜息混じりに起き上がると、相棒を三匹連れて部屋を出た。



   *   *   *



「よく来てくれた、ヴァルター殿」


 月明かりすら閉ざした室内。

 卓上の灯りだけがオルキデアの顔を照らしていた。


 デスクではなくソファに腰掛けたオルキデアが、対面に座るように促す。

 茶を出そうとする彼女に手だけで遠慮して、ヴァルターは静かに問いかけた。


「ご用件は昼間の件で? それとも、別に何か?」


 手紙には用件の記載はなかった。

 盗み見防止の処置の手間を考えると、簡潔な文面は最適と言えるだろう。


 学園長にとっても、話は手早く進めたいに違いない。

 無礼を気にするような人間ではないことは、顔を合わせた時点で察している。


 遠慮のない問いに、オルキデアは薄く微笑んだ。


「端的に言おう。君には、今回の件の犯人探しに協力して貰いたい」

「犯人探し……ですか。構いませんが、わざわざ私を名指しで呼んだのには、何か理由が?」

「現在、この学園で私が信頼できる人間は君しかいないものでね」

「…………メビウス・ログラックは如何です?」


 おっとこれは。

 逃げないと不味い気がする。


 代わりの生贄を捧げたヴァルターに、オルキデアは口元の笑みを更に深めた。


「彼は、真相を知るにはあまりに真っ直ぐすぎる」

「はあ、まあ。勝手に要らん秘密とかバラしそうではありますが……」

「それに、剣術科には中立であってもらうのが良い」


 ヴァルターは静かに、中立という言葉の意味について考え始めた。

 脳内にここ最近のメビウスの態度が浮かぶ。

 中立? ……中立?

 十秒ほどして、とりあえず思考を放棄しておいた。


「君には、私の置かれている状況について把握してもらいたい」

「状況、と言いますと」

「そもそも、君はこの学園の現状をどう思っているかな? 最高位の魔法使いが長として立っているにしては、あまりに歪で統率が取れていない、とは思っていないか」

「…………それはなんというか、随分と、返答に窮する問いですね」


 これだけの人間が集まる場所の問題を、学園長一人で解決できるはずがない。

 というのが一つの答えではある。


 だが、彼女が聞きたいのは、そのような言葉の上での慰めじみた台詞ではないのだろう。


 話の行く先が見えず、眉を顰める。

 無言で言葉を待つヴァルターに、オルキデアは告げた。


「現在の私は、問題解決能力に乏しい。それは、今の私が生前の私から再現された仮想限定思考しか持たない為だ」

「……………ん? いや、……え?」


 ヴァルターは我が耳を疑った。


 今。

 聞き間違いでなければ。

 学園長は『生前の私』と言わなかったか?


 ヴァルターの顔に、薄らと汗が滲む。

 対面で薄く微笑むオルキデアは、決定的な言葉を重ねた。


「私は二年前に死んでいる。オルキデア・ノーツ・パスクアルは、もはや肉体に『意思』を付与して動く肉の自動人形でしかない」


 時が止まった。

 そんな錯覚を起こすほどの衝撃だった。


「え?」


 間の抜けた声が落ちる。

 ヴァルターの思考は完全に止まっていた。


「は?」


 だが、彼の頭脳は意思とは無関係に働き、聞き取った文言を脳内で丁寧に復唱する。


 〝最高位の魔法使いオルキデア・ノーツ・パスクアルは、もはや、肉体に『意志』を付与して動く肉の自動人形である。〟


 それはつまり。

 禁忌の秘術。

 何百年も昔に魔法律学会『ルテナの塔』が定めた【大罪】の一つ。


「……悠久の残骸(トゥーベルテ)じゃねーーか!!」


 思わず馬鹿でかい声が出てしまった。

 堪える間もなかった。

 なんなら、思わず立ち上がっている。

 びょんっ、と驚いた魔兎トリオもそれぞれに跳ねていた。


 ヴァルターは思考する。


 最高位の魔法使いが、なぜ禁忌を?

 偉大な存在というのは、誰も彼が不死を望むのか?


 否。

 否だ。


 この魔術は、不死には到底及ばない不完全な代物である。

 最高位の魔法使いが、こんな不出来な魔法に(おの)が魂を託したりはしない。


 何か止むを得ない理由があって、このような状況に陥っているのだ。


 呆然としてから、再度座り直す。

 拠り所を探すように魔兎トリオを抱え直したヴァルターは、険しい顔で先を促した。


「……とりあえず、話を聞かせていただけますか」

「二年前。私はレネア・ルクシュタインは魔術科への転科をするべきだと、神殿に話を通そうとした」


 ヴァルターは、静かに目を瞬かせた。

 此処でレネア・ルクシュタインの名前が出てくることは、あまり予想していなかったのだ。

 まさか、と胸の内に嫌な予感が湧く。


「神殿では当代の神子の不調が判明した当初から、内部分裂による水面下の争いが続いていてね。

 魔術を受け入れるべきだという穏健派と、排除すべきだと主張する強硬派が絶えず意見をぶつけ合っていた。

 神子の凋落──と彼らは言っていたからそのように称するが──を受け、このままでは神殿の立場すらも危うくなると危惧していたのだろう。


 神の信徒たる神殿が自ら、広い慈愛の心で持って受け入れたのであれば体面も保つだろう、と。

 レネア・ルクシュタインの転科はその足がけになる筈だった。


 だが、強硬派は決して意見を曲げようとはしなかった。

 それどころか、穏健派を後押ししようとする私を、多重拘束の上に洗脳魔法をかけようとしたのだ。

 故に、私はその場で自害した」


「なんっ……いや、そんな。貴方ほどの魔法使いが……拘束なんて……」


 心底、純粋な驚きから声を上げたヴァルターに、オルキデアは緩く俯いた。


「首謀者は、私の一番弟子だったのだよ。私は呆れるほどに判断が遅れた。

 情とは、人をあまりに愚かに、そして脆くするものだ。

 まさか真面目な彼がそこまでのことを仕出かすなどとは、私は露ほども思っていなかった。

 いや。思いたくなかった、と言うのが正しいのかもしれない。


 ……そうだな、一つ負け惜しみを言わせてもらうのなら、全盛期であれば振り解けたやもしれない。

 だが、あの場の私に残された選択肢は、さほど多くはなかった」


 自嘲の笑みを浮かべる学園長の目は、追憶に沈むように暗い。


「彼──グシオン・リウェイズにとっては、私の名誉そのものが人質と成り得る。

 禁忌に手を出したと判明すれば、いくら私とて極刑は免れず、歴史に罪人として名を刻むだろう。

 故に、彼らは私が生き返った時点でその事実を隠匿し、私を見逃す他なかった。


 最高位の権威ある魔法使い、オルキデア・ノーツ・パスクアルの一番弟子であることこそが、彼の唯一守りたい立場であるからね。


 加えて言えば、影響力の落ちつつある神殿にとっては、私の名は上手く使いたい。

 賢者オルキデアは、神殿の力となるために学園の長に座しているのだ、とね」


 神殿は、年々増えていく魔術師のせいで徐々に求心力を失いつつある。

 これまで続けてきた横暴な態度への反発も強まっており、じきに無視できなくなるだろう。


 下手に突けば、それこそ一気に不満が爆発しかねない。

 現状の危ういバランスを成り立たせているのは、オルキデアの存在あってこそだ。


 最高位の魔法使い。

 神子にも勝る、まさに神の使いと言うべき稀代の天才。


 それが【大罪】を犯したともなれば、神殿にとっては絶え難い損失だろう。


 故に何も言わず、ただ学園長に据えておくしかない。

 限界(リミット)が来るまで。


 ヴァルターは静かに頭を抱えた。


「…………マジかー」


 メビウスは体調が悪い、などと言っていたが。

 それどころの騒ぎではない。


 もはや死んでいる。

 死して尚、彼女は役目を果たすべく、学園長として学園に勤め続けている。


 ヴァルターは、唸るようにして予測を呟いた。


「はあー、あ〜〜、なんとなく察しました、我が敬愛すべきクソッタレの師匠は、残る賢者の説得に行っている……そうですね?」


 学園長は、静かに頷いた。


 パスクアル学園長の後を継ぐものなど、三賢者を置いて他には居ない。


 アフィスティアはこの二年、ただの一度もハジャ湖に戻っていない。

 自身がその座に就きたくないばかりに、残る賢者を説得しに行っているのだ。


 魔法学園の長など、奔放なアフィスティアには耐え難い任だ。

 たとえこの世の金貨全てを積まれたとしても、引き受けるつもりはないだろう。


 ヴァルターは納得した。

 なぜオルキデアほど優れた魔法使いが、神殿の影響が強いとは言え、学園を此処まで歪なまま放置する羽目になったのか。


 悠久の残骸(トゥーベルテ)は、幾ら完全に生前の自身を再現しようと、肉体と言う殻に『記憶』が入っただけの、精巧な屍肉の人形でしかない。

 命なきものにとって、変換機構はもはや意味無さない。


 死んだ者には成長はない。

 停滞し、いずれは衰退する。


 恐らく、彼女が今行使する魔法は、生前の彼女がこの部屋に遺していったものだ。


 ただ消耗され、いずれ消えゆくだけの存在。

 彼女に残された時間は、あまり多いとは言えないのだろう。


 いや、二年も前から動き(・・)続けているだけで、十分すぎるほどに化け物なのだが。


「故に、私は君に今回の件の調査を任せたい。犯人を探して欲しい、と言ったが、知りたいのは件の輩の目的だ。

 首謀者は十中八九、神殿だろう。だが転移した緋龍による襲撃、などという方法を選択した意味が分からない。

 目的も動機も、今の私では想像もつかないのだ」


 頼む、とオルキデアは頭を下げた。

 ヴァルターはすぐさま、頭を上げてください、と告げる。

 例え死人であろうと、発覚していないだけで大罪人であろうと、彼女は最高位の魔法使いである。


 だからヴァルターは、了承の意を込めて、ぼやきじみた言葉だけ返した。


「なんで最初っから教えてくれなかったんですか」


 そうすれば、もう少し違う動き方があったかもしれない。


 ヴァルターが額に手を当て溜息をつく。

 学園長は苦笑を浮かべた。


「ティアから言われてな」

「何をです」

「最初から教えれば、話を聞いて冷静になった場合、必ずや風の速さで退職するだろうと」


 ヴァルターは静かに目を伏せ、絨毯の毛足を数え始めた。


「生徒に情が湧くまで待つと良い、とも言われたかな」

「…………全く、何処に居ようと厄介なお人ですよ」


 何とも忌々しげに呟いたヴァルターに、オルキデアが続ける。


「それに何より、私が動いている内に、君には少しでも学園生活を楽しいと思ってもらいたかった」

「……まあ、最初から知ってたら心情は違ったでしょうね」


 頬杖をついて溜息を吐いたヴァルターに、オルキデアは小さく微笑んだ。

 微かに、自嘲の滲む笑みだ。


「どうかな、ヴァルター殿。我が学園は」


 ヴァルターは片眉を上げた。

 つい先日、似たようなことを聞かれたな、と思い出す。


「素晴らしいと思いますよ。学園長が就任されてから三十年、誠実に運営なさろうとしたのがよく分かります」


 一応、ヴァルターにとっては心からの言葉であった。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ