第2章:第4話 母の告白
【毎週火曜日昼頃、単話毎に更新していきます】
【1】
「あ~終わらない…終わらないよ~~~!」
アリステアのボヤきが響く第三管理課のオフィス。いつも以上に忙しない彼女の机の上には膨大なファイルと資料が山積していた。
その間の僅かなスペースでひたすら書いている報告書。それには『ケースファイル:E-106398 ロロナ・フロイの霊魂に関する詳細報告』と記されている。そこには3日前に下界で発生したアースビジョンの異常検知に対する釈明も含まれていた。
「こんなので、司令部は納得してくれるのかな~…。はぁ…お腹空いた」
「そんな腹ペコちゃんに、差・し・入・れ。ちょっと休憩したら?」
気を遣ったフローラがコーヒーとサンドイッチを持って来た。
「フローラさ~ん!うう、ありがとうございます…」
「なに?この前のロロナちゃんの報告書?」
「あ、はい。モグモグ。でも僕、報告書なんて書くの初めてで…」
「案外、適当に書いてても咎められないものよ?」
「僕がロロナちゃん達と天空に帰って来た直後、先輩もそう言ってました…。【寧ろ、アースビジョンが不具合を引き起こして危うく事故になる所だった!って苦情を言ってやりゃいい】って感じで」
「フフ、さすがラルちゃんらしいわね(笑)」
「そういえば、先輩は?あれから【後は任せる】って言って以来、姿を見てませんけど」
「…ちょっと休んでるのよ」
「先輩が、ですか?…なんか珍しいですね、いつもなんだかんだで顔を見るのに」
「まぁ…変な物でも食べたんじゃないかしら、フフ」
「だ~れが拾い食いしたって?」
「あ、先輩」
咥え煙草で緩めに締めたネクタイのいつものやる気のないダラけたラルフィエルが姿を見せた。
「人がいないのをいい事に好き勝手言いやがって」
「フフ、ごめんなさい。でも…顔色は良くなったみたいね?」
「え?顔色、って…?」
「おい、フローレス」
「先輩、体調が悪かったんですか?」
「…あー…まぁな。下界に初めて降りた部下の面倒とかで気苦労が多くてなー、ラルフィエルちゃんはおちゅかれなんでしゅ」
「…す、すみませんでした…」
委縮するアリステアに微笑み、そしていつものように煙草の煙を吹きかける。
「ゲホッゲホッ」
「どれ、その報告書は俺が仕上げといてやるよ。お前はロビーで待ってる客人に会ってきな」
「客人、ですか?」
「エルミナさんだよ。お前に会いたいんだってさ」
「エルミナさんが?…なんだろう…?」
きょとんとした顔のままラルフィエルに半ば強引に追い出される様にアリステアはロビーに向かった。
【2】
「お待たせしましたエルミナさん」
7つのラウンジを含む天空の中心部にそびえる巨大なエルトゥワース宮殿。アリステアは第三管理課のオフィスの入っている宮殿東のウェルナ棟の1階ロビーで待っていたエルミナに声を掛けた。
「すみません、お呼び立てしてしまって。ちょうどラルフィエルさんが通りがかって下さったもので」
「あ、そうだったんですね。それで、あの後どうですか?特にロロナちゃんは」
「ロロナは、何事もなかったように元気です。只ちょっと…」
「…気になる事でもありました?」
「…はい…いえ、気になるというか、その…些細な事なんですけど」
「なんでも仰って下さい。その為のゴーストワーカーなんですし」
「…はい、ありがとうございます。…その、実はこの前、下界で見た主人の事なんですが…」
「ご主人の事、ですか?」
「少し…いえ、物凄く違和感を覚えたんです。私達の食事を用意したり、ロロナの写真を眺めて泣いていたあの人とか」
「そ…うなんですか?僕には亡きご家族を今も想ってらっしゃるご主人の悲しさが伝わってきましたけど…」
エルミナは一度目を逸らした後、覚悟を決めたように目を閉じた。そして再び開き、真っ直ぐにアリステアを見つめて言った。
「…アリステアさん、これからお話しする事をロロナには内緒にしておいて貰えますか?」
「?…分かりました」
「…実は、私と主人は離婚する筈だったんです」
「え?…り、離婚?」
衝撃を受けるアリステアの反応を見て唇を軽く噛み締めた後、エルミナはゆっくりと語りだした。
「私達夫婦は…もう駄目だったんです…。きっかけは、嘘の出張や休日出勤であの人の不倫が分かってからでした…。相手は職場の部下の女性で、下界で見たサナと呼ばれてた人です」
「確か…ご主人を励ましてた女性ですよね?」
「ええ…」
「そんな…。いやでも、あの時のご主人とあの女性の様子はそういう深い関係には見えなかった、と思うんですけど…」
「ええ。だから、それも変だなって思った事の一つなんです…。まるで、まだ『そういう男女の関係』になっていないような…」
「もう一人の男性が言ってたように、あの女性がご主人を心配してたのはよく分かりましたが…」
「私、生前に実際にサナさんにお会いして主人と別れてほしいって言ったんです。でも…あの人は取り付くしまもなくて…子供に掛かりきりで仕事で疲れた夫を癒そうとしなかった方が悪いって言い出して…」
「そんな…酷い…」
エルミナは涙を瞳に溜め込みながら懸命に続けた。
「主人にもちゃんと言ったんです。サナさんと別れて、と。すると、あの人…あの人は【誰のおかげで暮らしていけていると思ってるんだ】って、急に怒り出して、わ、私を…な、殴って…」
「エルミナさん…」
咄嗟にハンカチを差し出すアリステア。それを握り締めながらエルミナは鼻を啜った。
「…あの人、ロロナに対しては良い父親を演じてたんです。何も知らないロロナもあの人に懐いていたし。だ、だから…私だけが、私一人が我慢すればいいんだって、そう…思って…」
「…そんなの、理不尽ですよ…」
「でも、やっぱり私が耐えられなくて…。だからあの人に離婚を切り出したんです。するとあの人、【親権は要らない。彼女にも子供が産まれるからな】って」
「そ、そんな…!」
「私がこんなにも苦しんでいるのに、あの人は既に新しい家庭を築こうとしていた事にショックが大きすぎて。身体を壊してロロナに沢山心配を掛けてしまったりもしました…。…そして…あの日。いつもの様に近所の商店街に買い物に出掛けた時に、ロロナが言ったんです。【わたし、お父さんもお母さんも大好き】って。……私、その言葉を聞いて涙が止まらなくなっちゃって。横断歩道を渡ろうとしたロロナに凄いスピードで近付いて来る車に気付くのが遅れてしまったんです…」
「そして、お二人は事故に遭ったんですね…」
「【せめてあの子だけは】と思って庇おうとしたのに…。結局、私はあの子を守れずに…道連れにしてしまって…。失格なのは寧ろ母親である私の方…」
「そんな。そんな事ないですよ…」
顔を近づけ、エルミナの手を握るアリステア。いつの間にか彼女の頬にも涙が伝っていた。
「…ありがとうございます、アリステアさん…」
「いえ…」
エルミナはアリステアのハンカチで涙を拭い姿勢を正し、今度は下界での違和感について語りだした。
「だから…この前見たあの人が信じられなくて。私達が死んだ事であの人が改心したのかしらと思ったんですけど…。でもそんな心変わりをしたにしては、不自然な事が多かったんです…」
「さっき仰ってたサナさんとの関係性以外にも何かありました?その、生前のお二人の知っているご主人とかけ離れてた部分が」
「ちょっとした事かもしれないんですけど…」
「構いませんよ、どうぞ」
「それは、煙草なんです」
「…煙草、ですか?」
「あの人、自分の体質の事もあって煙草はダメで嫌いだった筈なんです。でもこの前のあの人は平気で吸ってました。そこが実は一番引っかかる、というか…まるで別人の様な気がしたんです」
「…別人、ですか…」
「あの…私達が見たのは、本当に今のあの人…なんですよね?」
「?…ええ、そうです」
「そう、ですよね…。でも、だとしたら本当に変…。あんな無地の箱の煙草も見た事がないし…」
「無地の箱?」
「ええ。私、昔スーパーで働いていて煙草の取り扱いもしていたので少しは知っているんですけど、あんな何もデザインされていない煙草は初めて見ました」
「…う~ん、でも確かに変、かもしれないですね」
「…後、これは本当にどうでもいい事だと思うんですが…」
「はい」
エルミナは、今度はとても言い難そうに目線を逸らしたまま問いかけた。
「主人が煙草を吸っていた仕草が、さっきお会いしたラルフィエルさんのに凄くよく似ていたんです…」