容疑者エレノア? 2
一瞬の沈黙の後に、ジェミーは記憶をさかのぼってエレノアの言動を整理して納得したように手を叩く。
「なるほど、道理で会話がしっくりこないわけだ」
そう言うと同時に取調室のドアが開いた。
息を切らせたアドルフが部屋に飛び込んでくるとエレノアの姿を見つけて大きな声を出す。
「エレノア!お前、王子と二人の女性をやったのか?」
「やった、やったって失礼ね!わたしは、誰ともやっていないわよ!乙女なのよ。どうして男ばかりの中でこんな告白をしないといけないのよ」
顔を真っ赤にして言うエレノアにアドルフは真剣な顔をして首を振った。
「お前、何を言っているんだ?俺が聞いているのは、王子と女性を殺したのかって聞いているんだ」
「こ、殺したですって?王子達と、エッチなことをしたかって聞かれていたのではないの?」
殺しと言う言葉を聞いてエレノアは力を無くしたように力なく椅子に座った。
真っ赤だった顔は蒼白に変わっているエレノアにジェミーは笑いを堪えて肩を震わせる。
「いや、可笑しいと思っていたんだよ。会話がかみ合わないなぁって。僕は、ずっと王子を殺したのかって意味で聞いていたんだけれどね」
「なんですって!王子が死んだの?」
驚くエレノアにアドルフは目を見開いてエレノア以上に驚いている。
「知らなかったのか?」
「知らないわよ。え?私って、殺人容疑なの?嘘でしょ?」
まさかの大罪容疑にエレノアは手を振るわせて周りを見た。
ドアの前に立っている騎士二人とアドルフ、ジェミー副隊長は同時に頷く。
「そうだよ。二人の女性も死んでいたんだ!あのホテルで」
「嘘でしょ。3人も?」
ジェミーは頷いた。
「そうだよ。エレノアちゃん以外あのホテルを尋ねている人は居ない。ちなみに王子と二人の女性は前の晩からお楽しみだったようだよ」
「私はやっていないわ。他に犯人がいるのよ」
必死に言うエレノアにジェミーは肩をすくめた。
「残念ながら見当がつかない。あのホテルの4階は王子が貸し切っていた。ホテルマンの目を盗んであの部屋に行くことはできないんだよ」
「そんな……。私はやっていないわ」
殺人容疑という重い罪を被せられそうになってエレノアは目の前が真っ暗になり倒れそうになった。
フラリと後ろに倒れそうになるエレノアにアドルフが慌てて駆けよって体を支える。
「気をしっかり持て。エレノアの部屋の家宅捜査と、香水の成分を調べれば何とかなるかもしれない」
励ますように言うアドルフの声は幕がかかったように少し遠く聞こえるが、エレノアは頷いた。
「だって、私はやってないもの」
うわ言のように言うエレノアの背中を撫でながらアドルフは頷く。
「知っているよ。お前にそんな度胸もなければ、嫉妬して殺したいほど王子を好きではないだろう?」
「好きも何もただの憧れよ。もう、タオル一枚で出てきた時点でありえないわ。それに女性を二人も連れ込んで最低の男よ」
吐き捨てるように言うエレノアに、ジェミーは手を叩いた。
「あ、王子に幻滅して殺したってこと?」
「違います。あの香水にそんな効果は無いわ。そんなの作れないわ」
小さく言うエレノアをアドルフは抱きしめた。
「大丈夫だよ。すぐに容疑は晴れる」
殺人容疑で連行されと聞いたら、今頃両親は泣いているだろう。
昨日までは楽しく婚約者だ、恋人を探そうと頑張っていたのにとエレノアは悲しくなり涙を流した。
抱きしめてくれているアドルフの黒い騎士服で涙を拭う。
「あの王子と会ってからろくな事がないわ。タロットは無くすし、香水はぶちまけるし、雨に濡れるし、しまいには殺人容疑よ。もう、お嫁に行くどころか、結婚相手すら見つからないわ」
声を上げて泣き出したエレノアをアドルフは抱きしめる。
「俺が嫁に貰ってやるから大丈夫だ」
「……」
エレノアはアドルフの胸で涙を拭いていた動きを止めた。
シンとする室内に風が木々を揺らす音が響く。
不安になったアドルフはエレノアの肩を軽く叩いた。
「エレノア?」
「……アドルフはまさかと思うけれど私が好きなの?」
顔を上げずに聞くエレノアにアドルフは挙動不審になりながら頷いた。
「そ、そうだけど」
「だって、会ったのは一昨日よ」
「俺は、子供の時からエレノアと結婚したいと思っていたし、昔そう言っただろう?」
「知らないわ」
顔を上げずに言うエレノアにアドルフは戸惑いながらエレノアの背中を撫でた。
「知らないって……。直接言っただろう?タロットカードをプレゼントした時に。俺は家を出て騎士になるために寮に入るから待っていてくれって。俺、言ったよね?忘れていても、夜会で会った時に思い出したって言っていなかった?俺がプレゼントを渡したことを思いだしたって……」
確認するように言うアドルフに、エレノアは顔を上げずに首を振った。
「覚えてないわ」
タロットをプレゼントしてくれたことすら忘れていたのに、あの時の記憶など思い出せない。
必死に昔の記憶を探っていくが、アドルフがプレゼントしてくれたタロットカードが嬉しくて、彼が何を言っていたかは覚えていない。
アドルフは不安になって、恐々とエレノアに聞いた。
「えっと、結婚してくれる?」
「急に言われても困るわ。私、アドルフの事が好きかどうかは分からないもの」
「……なんだかすごいショックだ」
まさか、エレノアが告白を忘れているとは思っていなかったアドルフは絶望的な顔をして呟いた。
エレノアは殺人容疑で、アドルフは告白を忘れられていたことにお互い落ち込んでいる様子を見てジェミーは手を叩いた。
「いやー面白かったよ。恋愛の先輩から言わせてもらうと二人はお似合いだからとりあえず結婚してみれば?」
「適当なことを言わないでください」
落ち込みながらもアドルフが言うとエレノアも顔を上げて頷く。
ジェミーは笑って両手を上げた。
「お前らお似合いだよ。ちなみに、エレノアちゃん以外容疑者がいないから連行したけれど、香水の中身が解析されれば容疑は晴れると思うよ。相手の国の手前捜査を真剣にしていますってやらないとまずいからね」
「どうやって解析をするの?」
不安なエレノアに、ジェミーはニッコリと笑った。
「魔女アグネスに協力をお願いしているから数日は牢屋で我慢してね。本当に殺していないならの話だけれど」
「容疑が晴れるなら、数日の牢屋暮らしは我慢できるわ」
寒い部屋を想像しているエレノアにアドルフは首を振る。
「いや、お前の想像しているような酷い牢屋ではないから安心しろ」
その後、王子と会った経緯を話しエレノアは牢屋へと連れていかれる。
アドルフはエレノアに付き添って部屋まで送ってくれた。
暗い取調室から廊下に出て、また薄暗い廊下を歩きたどり着いた部屋はまた薄暗い部屋だった。
小さな窓には鉄格子が嵌められ、外からの明かりは少ししか入らず空気がヒンヤリと冷たい。
固いベッドと木でできた机と椅子だけが置いてある部屋に入るとすぐに鉄の扉の鍵が閉まった。
もっと酷い部屋に入れられるかと思っていたが、想像よりも普通の部屋のような環境にエレノアはホッと息を吐いた。
床には敷物も敷いてあり、寒さはさほど感じない。
ドアについている小さな鉄格子からアドルフが顔を出した。
「すぐに開放されるよう、証拠を集めるからエレノアは静かにしていろよ」
「ありがとう」
エレノアがお礼を言うとアドルフは軽く笑って姿を消した。
「疲れた」
酷い疲労感を感じエレノアはベッドの上に座る。
固いベッドに今夜寝られるだろうかと不安になりながら横になった。
殺人容疑などかけられて絶望しかない。
(それにアドルフの告白にも驚いたわ。昔そんな約束をしていたかしら)
だから王子に会いに行ったときにものすごく怒っていたのだ。
エレノアは記憶を遡るが、アドルフと遊んだことは何となく思い出せるが、タロットカードを貰った日の事はぼんやりとしている。
カードを貰ったことが嬉しかったことは覚えているが、アドルフが何と言っていて、自分は何を返事したのだろうか。
エレノアは考えながら、固いベッドで眠りについた。