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『運が良い』
そう声をかけられて、自分の運のなさに項垂れたのは二年も前のことになる。
現在、俺がいるのは人間界ではなく異界。今までここに神社なんてあったかなぁと、たまたま見つけた神社に、たまたま足を運んだのが運の尽き。鳥居をくぐった瞬間、胡散臭い男に声をかけられたのだ。運が良い、と!
黒髪で目元の隠れた男は口元だけで笑い、異界への通行券が発券された、と異界移住強制参加の券を無理やり俺に握らせた。そして、今に至る。
「それにしたって運が悪すぎる」
「おやおやぁ? 何をそんなにしょぼくれているんです?」
お前のせいだよ、と胸の内で叫びながら、視線も向けずに俺は作業を続けた。
男の目は長めの前髪で隠れているから想像でしかないけど、俺の表情を窺いながらウロウロと心配そうに目の前を行き来する。でもこの男、胡散臭いが決して悪いやつではないのだ。行く宛のない俺に衣食住、そしてここで生きていくための知恵と仕事をくれたのだから。
強制的に移住させられた異界に頼るところがあるはずもなく、俺は右も左も分からない異界でこいつと一緒に住むことになった。そこが、この神社だ。こいつの住処は神社である。こんなに胡散臭いし、身なりも神主とは程遠く黒づくめのラフな格好をしているのに、神主だなんて詐欺だと思う。
そんな俺は、神社の稼ぎ時というのは語弊があるが、年始に押し寄せる異形の者たちが引くおみくじを量産中だった。
男が書き上げたおみくじをせっせと折っては、箱に投げ入れていく。その時、ふとおかしなことに気がついた。去年は自分のことに精一杯で、おみくじ制作を手伝わなかったから気づかなかったのか。
「なぁ、これおかしくねぇか? なんで、大吉と大凶しかないんだよ」
良いか、悪いか。あまりにも極端すぎるし、元旦にここまで大量の大凶を入れておく神社ってあるのだろうか。もし俺が大凶引いたら、正月早々運が悪いとショックを受けると思う。俺はわりと打たれ弱い。でも、そんなドン引きしている俺を気にした様子もなく、男は胸を張る。
「それがまったくおかしくはないんですよねぇ。これがうちの神社のおみくじなので」
なぜそこで誇らしげにしてるのか、まったく分からん。
「え、二分の一の確率にかけて、みんなここの神社のおみくじ引くの?」
「そうですよ。うちの神様はきっちりしてますから」
知ってる。きっちり俺のこと連れてきたもんな。神様がなんでそんな事してるのか分からないけど、異界移住強制参加を決めるのってここの神様なんだって。いや、本当になんで俺が選ばれたのかさっぱりだよ。
「あんたも引くの?」
「そりゃあ、引きますよ、と言いたいところですが、もう引かなくてもいいかなと」
「ふぅん。じゃあ、俺もやめとこ」
大凶が出たら泣きそうだし。わざわざダメージ受けるために引かなくてもいいよね。
俺は目の前に積み上げられたおみくじを、勢い良く掻き回す。そして、境内で猫と遊んでいた男を手招きし、更にその山を混ぜろと告げた。すると、男は首を傾げながら言う。年齢不詳のおっさんなんだけど、いや、そもそも異界人だから何歳だか知らないけど、何だその仕草かわいいぞと思ったのは内緒だ。
「あなたが掻き回したから、もういいんじゃないですかね」
「二分の一の確率だろ。俺が混ぜただけじゃ、不安なんだよ」
俺の混ぜ方が足りなかったせいで、連続大凶が出たりしたら心が痛む。少なくとも二人で混ぜたら、混ぜ方が甘かったという心配はしなくてもいい気がする。
そう伝えると、男はくつくつと喉の奥で笑い、おみくじの山に手を伸ばした。そのままゆるゆると山を混ぜ、いくつかの箱におみくじを入れていく。
「これでよし。うちはずっとこのおみくじなんですから、そんなに気にしなくてもいいんですよ。皆、分かってて引くんですから」
その気持ちが分からないんだけど。ずっと昔からそういうおみくじだって知ってたら、博打みたいなおみくじも気にならないものなんだろうか。まぁ、引く人たちが良いって言うなら、俺も気にしないことにしよう。
それより、さっき気になることを聞いた気がする。もう引かなくてもいい、って言わなかったか?
俺は早速、おみくじを片付けてお茶を淹れている男に尋ねる。
「なぁ、さっきの、もう引かなくていいってことは、一回は引いたことがあるってことだろ?」
男にしては珍しく、口ごもりながら明後日の方を眺めている。都合の悪いことを聞くと、いつもならするりとうまく躱すのに一体どういうことだろうか。口元に手を当て黙り込んでしまった男に、俺は人の悪い笑みを浮かべてにじり寄る。普段、のらりくらりとかわされるから、こういう時でもないと本心を聞くことができない。
「どうして、そういうとこに気づきますかねぇ」
「失言したって思うんなら、自分を恨めよな。だいたい、本心を隠すし顔もよく見せてくれないし、もう二年も一緒に暮らしてるのに、あんたのことよく分かんないんだよ。聞けるのはこういう時だけだろ?」
俺が知ってるのは、料理は上手いけど片付けるのが苦手で、ちょっと抜けてるとこもあり放っておけない。飄々としてるけど、親切な奴ってことくらいだ。名前も未だに教えてくれない。真名が駄目なら偽名でもいいから教えてくれればいいのにね。
「ほら、観念して話してよ」
「いや、これを話すと芋づる式に色々とその、バレてしまうというか」
「諦めろ」
とてもいい笑顔で俺は男の肩を叩いた。気分は刑事ドラマの尋問役。人間、この男は人間じゃないけど、諦めが肝心だよな。
男はしばらく唸るような声を上げていたけど、観念したのかポツポツと話しだした。