●第六話 越後湯沢駅
身を切るように吹きすさぶ風が冷たい。
もっと暖かい服装で来れば良かったと私は後悔した。
改札口からすぐのところに洒落た洋瓦の出窓屋根がある。小さなアーケードの歩道となっており、そこに上から水がパラパラと落ちているのが見えた。
「雨?」
「ではないね。融雪用スプリンクラーが稼働してるんだ」
隣に立つ夜見月が説明してくれた。
「ああ……なるほど」
そういえば東京より北は埼玉アリーナくらいしか私は行ったことが無かった。
この屋根の鋭い傾斜もデザインというだけでなく、大雪に備えた造りになっていたのだ。今、思い出したが川端康成の『雪国』も越後湯沢を豪雪地帯として記していた。
空は晴れているので雪は大丈夫そうだが……念のためスマホで天気情報を調べようと思った途端に電話のコールが鳴った。伯母からだ。
「はい」
「陽奈さん、もう駅に着いたかしら?」
「ええ、ちょうど今、改札を出たところです」
「そう。なら、そこから先方に電話して車を寄越してもらいなさい」
「はい、じゃあ、迎えに来てもらいます」
一応住所は事前に地図を検索して調べてはいるが、初めて来る場所で土地勘もないし、道も分からない。
「待った。車は呼ばない方が良い」
夜見月が横から言う。その声が伯母にも聞こえたようで、伯母が前言を撤回した。
「あら、真さんが言うなら、その方が良さそうね。万事、彼に任せておけばいいのよ」
「はぁ」
自分の意見を押し通すことが多く、仕切りたがり屋の伯母が、怖いくらいにこの夜見月真という男を信頼している。それがなんだが私には不気味にさえ思えてしまった。
「じゃ、いいですね。ちゃんと、遺産をもらっておくのよ」
「ええ。そのつもりです」
「あら。ふふ、さすがは真さんねぇ」
伯母が夜見月を遣わして、私に意志を翻させた格好になってしまったが、それでもあまり腹は立たなかった。泣き寝入りの被害者が何人もいるような怪しげな会社を止めることができるかもしれないのだ。
それは私にとってまたとないチャンスだろうし、天国にいる父もきっとこうしたはずなのだ。
私は父の代理として、やれるだけのことはやってやろうという気になっていた。不思議なものだ。今朝、家ではあんなになよなよして弱気になっていたというのに。
「今、タクシーを手配した。外は寒いから、そこの喫茶店にでも入って待っていよう」
夜見月が言うが、タクシーなら、そこの乗り場に停車している。運転手も何をするでもなく暇そうだ。
「あのタクシーではダメなんですか?」
「ダメだな。この駅に配置されているタクシーは金で雇われている可能性がある」
「ええ? そんなことは……」
あるとは思えないが、完全に否定することもできなかった。何しろ一千億円の相続であり、それだけの金が動いてしまうのだ。タクシーの運転手を買収するのにいったいどれくらい必要だろうか? 三億円でも積めば、生涯年収より上になるかもしれない。何もタクシーの正社員でもなくていいだろう。偽装したタクシーを用意すれば、もっと安くつくかもしれないのだ。
喫茶店でいろいろと心配していると、ティーカップを持つ私の手が小刻みに震えていた。
「姿勢」
「あっ、はい、すみません」
言われて、私は前屈みになりかけていた姿勢を正す。
「来たようだ。出よう」
「はい」
群馬ナンバーの黒いセダンに乗り込み、夜見月が行き先の住所を告げた。
「ああ、行き先は越後ですか。んん? それなら、そこの駅の地元のタクシーでも良かったんじゃないですか、お客さん」
「それが、さっきまではいなかったんですよ」
夜見月が苦笑しながら運転手に言う。この人は、平然と嘘がつけるようだ。私は少し感心してしまった。
「ああ、そりゃあ仕方ないね。今日は、旅行か何かで?」
「いえ、親戚の家に遊びに来ただけです」
「ああ、そうでしたか、はいはい。東京は雪も積もらないでしょうが、ここらへんはまだまだ見ての通りで、スタッドレスタイヤじゃないとねぇ」
道路の路肩にはもう四月だというのに黒ずんで湿った雪がまだ四十センチくらいは残っている。
「安全運転でお願いします。別に僕らは急ぎませんので」
「はいはい、そりゃもう。おっと、事故があったようですな。こりゃあ酷い」
道の先に警察車両が二台ほど止まっているのが見え、一人の警察官が赤い誘導棒で車線を変えるように指示していた。大型トラックと乗用車が正面衝突していたようで、その乗用車の屋根には、先ほど駅で見たのと同じ地元のタクシーの青い社名が見えていた。
まさか――
遺産を受け取れるのは私を含めて七人。その候補の誰かが乗っていたのだろうか?
「気にするな。タダの偶然だ。この駅を拠点にしているタクシー会社がこの道路で事故を起こすことは不思議でもなんでもない」
夜見月が落ち着いた口調で言った。
「ま、そうですな。うちは違う会社ですから、安心してください」
タクシーの運転手はバックミラーでちらりと私の表情を読み取ったようで、笑ってそう言ってくれた。
市街の中心からは外れ、タクシーは雪に覆われた山道に入っていく。
途中で車線もない道になり、私は本当にこの先が雨貝家なのか不安になった。確かめてみたがスマホのマップには残念ながら家の名は書いてない。道を挟む雪の高さは二メートルを超え、トンネルようになっている。
「運転手さん、そこを右に曲がってください」
夜見月は道を詳しく知っているようだ。ま、あれだけのファイルを作成したのだから、入念に調べてきたのだろう。
「ええと、私道と書いてありますが……」
「ええ、それでいいんです」
「わかりました」
途中、崖と崖を石橋がつないでいて、運転手もスリップ事故をしないようにと慎重に車を進める。
しばらくして自由気ままにうねり続けた山道を抜けると、そこに人工物の建築物が見えた。私は少しほっとした。
「ここで結構です」
彼がカード決済で支払ってしまったので、私は後で返すつもりで料金をスマホのメモに記しておいた。
「向こうだ」
ここに来る前に地図を確認していた私だが、どっちに行けばいいのか、すぐには見当も付かなかった。道案内してくれる人がいると便利で助かる。伯母には感謝しておかないと。
「あそこが、雨貝不比等氏の本邸だ」
夜見月が言う。
しかし、見えたのは高い門、それだけだった。
太い木材を何本も贅沢に使い、その上にどこかのお寺のような感じの屋根瓦が載せられている。正面の門は閉じられていたが、その隣に小さな門扉があった。普段は小さい方を使うのだろう。
「医薬門だ。昔は医者がこういう門にして、患者を小さい門から通していたんだ。現代の邸宅では不便で仕方ないと思うが、警備も厳重にしたかったんだろうな」
「医薬門……健康食品を薬として売っているつもりなのでしょうね」
「プラシーボ効果で偽薬でも効果は出ることがある。ただ、値段に見合っているとは到底思えないね」
私は引き返したくなってきたが、改めて目的を思い出し、その門へと一歩近づいた。




