43.動き始める賢人達
「アンソム先生。ナラク南地区の戸籍管理が終わったそうで、児童のリストが回ってきました。」
「あぁ、ありがとうございます。そちらの方に置いておいてください。」
翌日。
洗脳を施されたアンソムはいつも通りの労働を始めていた。
分厚いコートの奥、年齢故に不自然に膨らみ始めたアンソムの腹には大量の青あざ。
だがそんなことに違和感を感じることもなく、アンソムは行動していく。
「いやはや今日の仕事量も多いですな……。まずはこちらを片付けましょうか。」
「全く毎日毎日子供の情報を確認して。よくこんな数の子供が地下に住んでいたものですね。」
サイラス学術院が現在抱えている仕事は一つ。
例のバルトラ壊滅作戦後、奈落がナラクになった頃。
これまでいないものとされていた奈落の住民の戸籍は全て改められた。
多くは地上で行方不明になっていたり、死んだことになっている人々だったが、子供は別。
奈落で生まれた子供達に教育を施すべく、サイラス学術院は戸籍の管理に追われていた。
「何もかもあの王のせいだ……。」
「え?どうかしましたかアンソムさん。」
「い、いえ。何でもありませんよ。そうだ、少し話したいことがあるので後で少々お時間いただけますかな?」
「えぇ……それは構いませんが。」
グレコが施した洗脳は、行動の全てを支配するものではない。
単純にアンソムの行動目標を「フーネ女王陛下に対するクーデターを起こす」と定めただけ。
セドナのように「グレコの言うことを全て聞く」という絶対的な命令はないのだ。
そのため、アンソムは自分自身で思考するし、クーデターがバレないように自分で工夫を行う。
つまり本質的にはグレコの操り人形が増えたというより、グレコと志を同じくする仲間が一人増えたようなものである。
「皆さん。今日は皆さんに伝えたいことがございます。」
昼休みを迎え、アンソムは自分の部下達を一箇所に集めていた。
少し高い台の上に立ち、暗い顔で部下達を見つめるアンソム。
しばしの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「私は、我々はこの数年間。考えることを辞めていました。」
深く息を吸い、指を頭に当てる。
アンソム・カイロニー。
先王ケインの頃からサイラスに仕え、国内の教育に多大な影響を与えた賢人。
捨て子として育った子供時代から、圧倒的な頭の良さだけで全てを超えてきたサイラスの頭脳。
その男の人身掌握が、始まっていく。
「皆さんは良き王とは何だと思われますか。」
「良き王ですか……?」
「ええ、まずはそこについて考えてみてください。」
にっこりと笑いかけ、若い職員達に思考を促す。
彼らもサイラス学術院のエリートであるため、すぐさま回答の声が上がる。
「良き王というと……先王のケイン様でしょうか。あの御方は非常に聡明な方でした。民の声にも耳を傾け、常日頃から市井にも顔を見せておられました。あれほど国民に寄り添った王はいないのではないでしょうか。」
「そうですね。ケイン国王陛下は私も良き王であったように思います。他に良き王と呼び条件は思い浮かびますか?」
「やはり武力を兼ね備えていることも重要だと思います。魔王は討伐されましたが、いずれ復活しますし、他国との戦争も回避しなければなりません。」
「えぇ、それもそうでしょう。実際に立ち向かう力を持たずとも、国民が危機に瀕した際、足を動かして戦おうとする意思は必要だと思います。」
若者達の意見に深く頷き、更なる疑問を与えていく。
わざとらしいぐらいに手を叩いたり指を立てたり。
大袈裟な動きが若者達の関心を引いていく。
「では、現在の王はどう思われますか。」
「フーネ様ですか……?あの御方は凄まじく優秀な方です。お一人で国政を動かしていらっしゃいますし、奈落をナラクに変えたのも極めて人道的な判断だったかと。」
「そうですね。そこに関してはそうでしょう。ですが……先程の良き王の話を思い出しいただきたい。」
表情を引き締め、話を本題に連れていく。
「はっきりと申し上げましょう。私はフーネ女王陛下は王に相応しくないと思っております。」
「アンソム先生……?」
「あの方は確かに優秀です。ですが一人で国政を担うということは大きな問題を孕んでいます。あの方がもし国政の方針を間違えた場合、誰が道を正すんでしょうか。孤独な彼女は、王に相応しくありません。」
重要なところを何度も繰り返し、頭に擦り込んでいく。
「それに彼女は一体何者なのでしょうか。この国が先代魔王によって襲撃を受け、ケイン国王陛下が命を落としたあの日。彼女は何をしていたのでしょう。」
「それなら……サイラス商会で働いていたのではないでしょうか。あの方はワジル殿の前のサイラス商会会長です。」
「そこで何をしていたのかという話です。夫が命を張って先代魔王と話し合いをし、国民が血を流していたあの日。あの方はサイラス商会で何をしていたのでしょう。」
ケイン・サイラスが尊敬される由縁。
それは先代魔王が国を襲撃した日の行動にある。
暴力の限りを尽くし、人間を片っ端から殺すとして恐れられていた魔族。
その王たる魔王とケインは対話をしたのである。
結果として殺されはしたが、密室空間で魔王と二人対話を行なったその勇気は国民全体から賞賛された。
「あの襲撃の際、サイラス商会を含め多くの国民が命を落としました。ですが、サイラス商会の商品には傷がつきませんでした。あの女王は、王よりも、国よりも、金を優先したのです。」
呼吸音が聞こえるほどの静寂。
感情を込めて話すアンソムの言葉にただ耳を傾ける部下達。
「ナラクの件にしてもそうです。果たしてあれはナラクに住む人々を救いたかったからなのでしょうか。彼らを正式な住民と認めると言うことは、教育や福祉を授けると共に税金を課すことを意味します。もしこの国に再び魔族が攻めてきた際、我々は果たしてお金より重要視されるのでしょうか。」
「もしかして……クーデターを起こされるのですか。」
「いえ、私は誰も傷つけません。私はこの国から王政を消し、議会制を実現します。」
長いスピーチが終わり、アンソムが笑う。
最早この場に、彼を否定するものはいなかった。
「ねぇねぇ……本当にバレないんだよね!?なんか僕昨日楽しくなっちゃったからあんまり覚えてないんだよね!」
サイラス魔導研究所の食堂では、グレコとコルワがコソコソと会話していた。
コルワが昨日の話をしだしたのを受けて、グレコはパンを頬張る手を止め【掌握】で辺りを警戒する。
「心配しなくても大丈夫だ。アンソムが仕事から帰ってこないことなんてよくあること。殺した使用人達も事故死で処理されてるのをさっき確認した。何者かが侵入したと疑われることはあっても、俺達に嫌疑がかかることはない。」
人に洗脳を施す際、ずっとつきっきりである必要はない。
定期的に植え付けた思考を染み込ませる時間が求められるため、グレコはその間に使用人の死体を処理する作業を行なった。
誰かに殺された、とバレてしまうと色々なところに捜査の手が入る。
そうなればサイラス学術機関にもメスが入れられ、部下がアンソムの家を訪れていないことも、アンソムが洗脳されていることもバレる可能性がある。
そうならないために、あの使用人達は事故死ということにした。
アンソムの妻の趣味は香水作りである。
色々な薬品や花等を混ぜ合わせて自家製の香水を作っている関係上、あの家のキッチンには色々な薬品が転がっていた。
使用人がその棚をうっかり倒し、密室のキッチンの中に有害なガスが充満した。
それに気づかず部屋の中に留まっていた二人は突然に命を落とす。
それがシナリオである。
「多分今頃カッシルの部方達が使用人の死体を調査しているところだろ。お前のスキルを使ったって推理に行きつけば犯人が分かるかもしれないが、わざわざそんな可能性を考えるほどサイラス騎士団は優秀じゃない。」
より偽装工作を確かにする上で、コルワがだいぶ活躍した。
【不死】を持つコルワは毒ガスのなかでも自由自在に動くことができる。
それを利用して、毒ガス発生後に使用人達が動いた形跡を作り出したのである。
「俺達がすべき事は、何食わぬ顔で働き続けることだけだ。アンソムは頭がいい。どういう形にしろクーデターを実行してある程度結果を残すはずだ。そうなるまで俺達はあくせく働けばいい。」
「早く頑張ってほしいなぁ。クーデターが始まったら僕らがそれを阻止して英雄になるんでしょ?早く王の間でガッツポーズしたいよ〜!」
コルワがウキウキしながら魚を摘み、そのまま飲み込む。
頭も尻尾も全て丸ごと一飲み。
おそらく喉の損傷を一切気にする必要がない故の食べ方なのだろうが、あまりにも不気味である。
そんなことを思っているうち、グレコは一人の人間の接近を感知した。
「コルワ……黙れ。思ったより面倒な客人が来たぞ。」
「ほえ?」
長い髪と細い目。
見るからに気弱そうではあるものの、グレコが今最も警戒している人間。
背後に立つ彼女の方を、グレコはゆっくりと振り返る。
「久しぶりだなライラ。といってもお前とは仲間だった頃からほとんど会話していないが。」
「ひ……久しぶりです……。グレコさん……。」
もう一人の復習対象と顔を合わせ、グレコは興奮を抑えきれなかった。




