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彼がどんなに狡猾な策略家でも、突然行方不明になった娘を心配してないはずがない。まして、こんな荒れ果てた状況だ。町に出るときは、注意して探してみようと思う。
それからは兄に言われた通りに部屋に結界を張り、ベッドに横たわって休んだ。ゆっくりと身体を伸ばせるのは心地よかったが、虫の声や小鳥の囀りが聞こえないことを、少し寂しく思ってしまう。
こうして、ロイダラス王国の王都に戻ってきた最初の一日は終わった。
それから、数日。
ミラは大きな窓の傍に椅子を置き、ぼんやりと外を眺めていた。
まだ早朝である。
窓から入り込んでくる空気は冷たくて清々しい。
「……暇ね」
思わずそう呟いてしまう。
王都に蔓延っていた魔物を一掃したあと、この国の騎士によって隣町の教会に避難していた人達は救出された。ただあの冒険者くずれの荒くれ者達は、エイタス王国のギルドから人が来るまで放置しておくようだ。
たしかに王都に連れてくるよりは、ミラの結界の中に閉じ込めておいた方が安心かもしれない。ギルドの受付の女性とも再会し、改めて助けてもらったお礼の言葉を告げられた。
でも助けられたのは、ミラが先だ。あの日のことを、きっと忘れないだろう。
あれから連日、兄は朝早くから夜遅くまで、ジェイダーやグリーソン公爵などと話し合いをしているらしい。
ミラはその兄によって、たくさんのことを禁じられてしまった。
部屋を出て城内を歩き回ること。結界を張ること。瘴気を浄化すること。命に係わる怪我以外に、治癒魔法を使うこと。
そして、唯一の楽しみだった料理まで。
兄が理不尽に、それらを禁止したわけではないことはわかっている。
この国は、聖女の力を借りずに復興しなければならない。
それは、ジェイダーの望みでもある。
でも寝る暇もないほど忙しい兄やジェイダーを見ながら、毎日ぼんやりと過ごすのは苦痛だった。
何かできることはないだろうか。
ぼんやりとそう考えていたミラを、訪ねてきた者がいた。
「ミラ。起きているか?」
「ラウル? うん、もちろんよ」
慌てて立ち上がり、部屋の扉を開ける。
ラウルは毎日のように王都の周辺を回り、魔物退治に明け暮れていた。そんな彼が帰ってきたあとは、怪我をしていないか念入りに確認するのが、今のミラの唯一の仕事だった。
「今日は随分早く出るのね」
いつもなら昼近くに出るはずだ。
心配そうに言うミラに、ラウルは頷いた。
「ああ。少し遠出してくる。海側にある港町が、魔物に襲われて孤立しているらしい。まだ生き残りがいるようだ。救助に向かう」
「港町に?」
海側には、まだ一度も魔物退治に向かったことがない。きっと多くの魔物で溢れているだろう。そんな場所にラウルをひとりで行かせるのは、心配だった。
「私も行くわ」
「ミラ?」
「ここにいても、することがないの。お兄様に色々と禁止されてしまったし。ラウルと一緒なら、お兄様だって駄目とは言わないはずよ」
そう言うと、ミラはクローゼットから愛用の鞄と猫耳ローブを取り出す。
「お兄様に許可をもらって、それから急いで支度をするわ。だから、もう少し待って」
ラウルは何か言いたそうだったが、着替えるからと言ってしまえば、出ていかないわけにはいかなかったようだ。
ミラは急いで支度をしたあと、兄の元に向かう。
侍女や護衛もすべて断っているので、この周辺に立ち寄る者は誰もいない。誰にも会うことなく、ミラはすぐ近くにある兄の部屋に行き、その扉を叩いた。
「お兄様、ミラです」
「ミラ? どうした?」
エイタス王国にいたときなら、国王である兄の部屋は、たとえミラであっても許可なく立ち入ることはできない。
けれど今は、非常時である。
兄から返事があったので、扉を開けて中に入った。
すっかり旅支度をしているミラを見て、兄は呆れたように笑う。
「ラウルと行くのか?」
「ええ。ここにいてもすることもないし、海辺の町には一度も魔物退治に向かっていないわ。きっと魔物で溢れているはず。そんな場所に、ラウルを一人で行かせるのは心配だから」
「そうか。ミラは王城にいるより、外に出たほうがいいだろう。それに、ラウルと一緒なら安心だ」
予想していたように、兄の許可はすぐに下りた。
「お兄様もあまり無理はしないでね。この部屋にも結界を張っておくわ」
兄は強いが、それでもここはエイタス王国の王城ではない。
町の守りのために護衛騎士も置いてきてしまったので、他国の王城ではなかなか気が抜けないだろう。せめて夜くらいはゆっくり休んでほしいと、そう提案する。
「ああ、助かる。ミラもあまり魔法を使いすぎるなよ。ラウルの言うことは必ず聞くように」
「もう、お兄様。私は小さな子どもじゃないわ」
拗ねるミラの髪を優しく撫でて、兄はミラを送り出してくれた。
そのままラウルの待つ城門に移動しようとしたミラは、途中でグリーソン公爵令嬢を見かけなかったと訴えていた女性を見かけて、声をかける。
「これから港町に行くの。行方不明になってしまった公爵令嬢がいないか、よく探してみるわ」
「あ、ありがとうございます。どうかお嬢様を、見つけてくださいませ」
ひれ伏すほどの勢いで頭を下げる彼女に、頑張って探してみると告げて、城門に急ぐ。
「ごめんなさい、ラウル。遅くなってしまって」
「いや。それより、許可が下りたのか」
「ええ、もちろん。ラウルと一緒なら安心だと言っていたわ」
笑顔でそう告げると、ラウルは複雑そうな顔をしながらも、ミラを促す。
「行くか」
「うん」
ロイダラス王国はそれほど大きな国ではないが、それでも徒歩だと時間が掛かる。だが辻馬車などは機能していないし、魔物の気配に怯えて馬も使えないようだ。周辺の町を周りながら、地道に進んでいくしかない。
それでも道は整備された街道だ。山道を歩くよりもずっと楽だった。
「ひさしぶりに料理もできるし、少し楽しみだわ」
そう言いながら歩くミラに、ラウルは感慨深そうに言う。
「初めて出会ったときとは、別人のようだな」
山道を歩くのに、ひどく苦労していたことを思い出した。たしかにあれから比べれば、変わったかもしれない。
「本当に? 少しは成長しているかしら?」
「ああ、間違いない」
そう言ってもらえたのが嬉しくて、ミラはラウルの忠告も聞かずに張り切って歩いてしまった。
案の定途中で疲れ切ってしまい、当初の予定より少し早めに野営することになってしまった。
「……ごめんなさい」
とにかく休んだほうがいいと、夕食の支度もラウルがしてくれた。
「気にするな。誰だって不調のときはある。俺も、ミラには助けられているからな」
優しい味のスープと、ラウルの言葉が胸にしみる。
「お兄様に、ラウルの言うことは聞くように言われていたの。今度からちゃんと守るわ」
「俺は保護者だからな」
「……ん。保護者は、嫌かも」
ラウルに聞こえないように、小さく呟く。
もっと対等な、特別な関係でいたいと思うのは、我儘だろうか。




