2-18
それは、異様な光景だった。
絶命しているとはいえ、巨大なドラゴンが街道の真ん中で凍りついている。
その恐ろしい姿は恐怖の対象になってしまうのではないか。そう不安に思ったミラは、何とかこのドラゴンを撤去しなければと考えていた。
でもジェイダーは、そのままでいいと言う。
「これほどのドラゴンでさえ倒すことができた。むしろこの恐ろしい姿は、これからの希望になります」
どこか吹っ切ったような、明るい顔だった。
巨大なドラゴンを退けたことで、大きな脅威は去った。憂いをひとつ取り払うことができて、安心したのかもしれない。
「そうだな。ドラゴンは完全に死んでいるのだから、危険はない。ロイダラス王国の復興のシンボルになるだろう」
兄もそう言って、ドラゴンを見上げた。
あの激しい戦いが幻だったかのように、ドラゴンは沈黙し、もう二度と咆哮することはない。
これで、王都に向かう道は開けた。
あとは、まっすぐに進むだけだ。
ミラとジェイダーは、すぐにでも王都に向かおうと思っていた。
だが、兄とラウルは慎重だった。
王都の周辺は魔物で溢れている。まずはそれを排除してから、王都に向かったほうがいいと主張した。
「そうですね。王都の周辺にも町があります。そこに隠れている人がいるかもしれない」
ジェイダーはすぐにそれを受け入れて、頷いた。
もちろん、ミラにも依存はない。生き残った人達は、ひとり残らず助けたい。
王都も心配だが、とりあえずグリーソン公爵がいる以上、混乱状態にはなっていないと思われる。
それにいくら王都を救っても、周囲を魔物に取り囲まれてしまったら、人々は王都に逃げ込むこともできない。
急いでいるからこそ、丁寧に、慎重に。
ミラもそれを心に刻む。
そうして一行が目的地に選んだのは、王都の近くにある大きな町だ。
ミラがラウルと出会った場所でもある。
(そう。あの町の冒険者ギルトでラウルと出会って……)
偽聖女だと王都を追放され、とりあえず侍女とともにこの町に逃れた。
そのとき、護衛として雇ったのが、冒険者をしていたラウルだ。
あの頃のミラは本当に世間知らずで、ただ一刻も早く、国に帰りたい。
それだけを思っていた。
(髪の色が目立つと言われて、茶色に変えて。このローブも、そのときに買ったのよ)
猫耳のついた魔導師のローブ。
着心地がよくて、あれからずっと愛用している。
そういえば、国に戻った侍女は元気だろうか。兄と再会してから手紙は出したが、きっと心配しているに違いない。
「どうした?」
ふと声を掛けられて顔を上げると、兄が少し心配そうに、ミラを覗き込んでいた。
「やはりあれだけの魔法を使ったのだから、もう少し休んだほうがよかったか」
「ううん、体調は平気よ」
ミラは兄を安心させるように微笑んでみせた。
ラウルを助けなくてはと思った瞬間。
底をついていたはずの体力も、魔力も瞬時に回復していた。
自分でも、どうしてなのかわからない。
ただ何となく思うのは、ラウルはミラにとって、特別な存在なのだろうということだけた。
「そうか。無理はするなよ。体調が悪くなったら、すぐに言うように」
兄はどこまでも優しく、そう言ってくれた。
最初のときこそ、ミラの規格外の魔法に驚いていた兄だったが、今ではミラがどんなことをしても、静かに受け止めてくれる。
「うん、ありがとう」
やはり兄は、どこまでもミラに優しく、甘い。
けれどその兄でさえ、ときには躊躇うほどの力を宿していることを、忘れないようにしようと思う。
「前のことを思い出していたの。あの町で、ラウルと初めて出会ったのよ」
ミラの言葉に、兄は足を止めて町のある方向に視線を向けた。
「国に帰るために、護衛として雇ったと言っていたな」
「ええ。私は何も知らなくて。ラウルには、本当に助けてもらったわ」
兄に促されるまま、ミラはそのときのことを語った。
服装を少し変えただけで、目立たないと思っていたこと。
冒険者ギルトの受付の女性が機転を利かせてくれて、ラウルを呼び出してくれたこと。彼のアドバイスで冒険者のような服装をしたら、本当に目立たなくなったことなど、すべてを話した。
「冒険者の中には、荒っぽい者もいる。その受付の女性が紹介してくれたのが、ラウルでよかった」
兄の言葉に、ミラも頷く。
「私もそう思う。ただ、あの頃から女性だけで旅をするのは危険だと言われていたくらい、治安が悪かったの。今はどうなっているのか、心配だわ」
町は荒れていたが、多くの人がいた。
裕福な人や伝手のある人は、護衛を雇って町を離れようとしていた。
だが護衛を雇う余裕のない人や、色々な事情があって町に残った人もたくさんいるだろう。
その人達は、無事なのか。無事だとしても、どのような状況になっているのか、気にかかる。
「そうか。町に近付いたら、俺とラウルの傍を離れないように」
そう言われて、気を引きしめる。
今までの町は崩壊していても、リーダーがいて、統率が取れているところが多かった。でもあの町は、もともと荒れていた町だ。今はもっとひどいことになっている可能性が高い。
ジェラールは複数の護衛を連れているので、心配ないだろう。ミラも、ラウルと兄から絶対に離れないようにしなくてはならない。
町が見えてくると、ミラは猫耳のついたローブを目深に被って顔を隠した。
その左右には、兄とラウルの姿がある。
冒険者として確かな実績があるラウル。そして高価な武具を身に着けた兄は、上位の冒険者に見える。ミラは、このふたりとパーティを組む魔導師といったところか。こちらの身分を明かすのは、信頼できる人だけにしたほうがよさそうだ。




