2-17
◆ ◆ ◆
ジェイダーは、ラウルに駆け寄るミラの後ろ姿を見つめていた。
飛び込んできた彼女を、慌てて抱き止めるラウル。遠くから見ると、まるで抱き合っているように見える。
ミラが、ラウルに惹かれているのは何となく気が付いていた。それでもまだ、自分にもチャンスはあるのではないか。
希望的観測かもしれないが、そんなふうに思っていた。
けれど、二人の絆は自分が思っていたよりもずっと、強かったようだ。
ミラが何かを必死に訴え、ラウルはそれを、少し困ったような顔をして聞いている。
「ついに言ったか」
いつのまにか隣に立っていたエイタス王国の国王、リロイドが、小さくそう呟いた。
「言った、とは?」
「ラウルの旅に同行させてほしい。それを、とうとう本人に告げたようだ」
「旅を……」
「すまない。ミラはもう、自分の道を決めていたようだ」
国の為だと言って、ミラを妃に望んだ。聖女を得ることができれば、この国を魔物から守ることができるからだ。
けれど、そこには自分の願望も込められていた。
ずっと憧れていた聖女の存在。ミラはまさに、自分が思い描いていた聖女そのものだった。
最初は、彼女が「聖女」だから、惹かれていた。その強い力に憧れた。
でも素顔のミラはとても可愛らしくて、優しいひとだ。
ミラは、兄によって偽聖女の汚名を着せられて、追放されてしまった。
エイタス王国で、王妹として、聖女として大切に守られていた彼女は、とても苦労しただろう。それなのに、アーサーの罪はアーサーだけのもの。ジェイダーがその罪を背負う必要はないと言ってくれた。
この国が彼女にしてしまったことを考えれば、妹を溺愛している兄のリロイドが、許すはずがない。それはわかっていたけれど、リロイドは自分の国だけではなく、広く大陸全体を見ている。
そこに、一抹の望みを抱いていたのも事実。
ミラの慈愛に期待していた部分もあった。優しい彼女ならば、この国を見捨てないのではないか。
けれど至高の聖女であるミラの考えは、もっと広く、大きかった。彼女こそたったひとつの国ではなく、この大陸全体を見ていたのだ。
「彼女から、それを望んだのですか?」
驚いたのはラウルがミラの助力を望んだのではなく、ミラ自身の希望であったことだ。
最初にラウルが祖国に戻ると聞いたとき、無謀ではないかと思った。
まだ完全に崩壊していないこの国でさえ、立て直すのは容易ではない。ましてリーダイ王国は、もう十年も前に滅びている。
魔物が徘徊し、人の住めるような場所ではなくなっていた。そんな場所にたったひとりで向かおうとしているのだ。
だがラウルは自分から、助力を求めようとしなかった。
彼の周囲には、大国エイタス王国の国王であるリロイドや、圧倒的な力を持つミラが傍にいるにも関わらず。
「ああ、そうだ。ラウルが自分から助けを求めることはない。危険な戦いだとわかっているからこそ、ひとりで行こうとしていた」
志半ばで力尽きることも、覚悟している。それでも戦うことを選んだのだ。
「そう、ですか」
最初から聖女としてのミラを必要とし、その力に頼ろうとしていた自分では、適うはずもなかったと思い知る。
真剣な顔をして、祈るように両手を組み合わせていたミラが、嬉しそうに笑っていた。きっと、ラウルの許可を得ることができたのだろう。
本来なら、誰からも望まれ、必要とされるだろうミラが、普通の少女のように表情を変えて、楽しそうにしている。
きっと、彼女にそんな顔をさせることができるのは、家族以外ではラウルだけだ。
「わかりました。力のなさを、彼女に助けてもらおうと思っていた自分が恥ずかしいです」
「それでも、ミラに対する想いは本物だっただろう」
ふとリロイドが、優しい声でそう言った。
「俺はそれを知っている」
ジェイダーの瞳から、涙が零れ落ちる。
彼の言うように、ミラのことが好きだった。
優しい笑顔。美しい銀色の髪。大人びているようで、子どものように無邪気なところもある。そのすべてに恋をしていた。
この恋は、きっと叶わない。彼女が自分を選ぶことはない。
それでもこの想いを理解してくれた人がいた。それだけで、救われるような気がした。
「ひとつだけ、聞いてもいいですか?」
横に立つリロイドを見上げてそう尋ねると、彼は迷うことなく頷いた。
「ああ、何だ?」
「エイタス王国には、聖女が四人もいると聞いています。それなのになぜ、あなたは自ら剣を手にして戦っているのですか?」
ずっと気になっていた。
エイタス王国には、ミラの他に三人も聖女がいる。本来なら、自ら戦う必要などないはずだ。それなのに、国王であるリロイドは、積極的に魔物討伐に出ている。ラウルとともに、ドラゴンと対峙する姿は、一流の冒険者のようだった。
ジェイダーの疑問に、リロイドは答えてくれた。
「たしかに、母も妹達も聖女だ。だが、俺にとっては聖女である前に、守るべき家族。妹達だけを、矢面に立たせるわけにはいかない。それにエイタス王国の王は俺だ。自分の国は、自分の手で守る」
リロイドはゆっくりと、腰に差した剣を撫でる。見事な装飾が施されているが、相当使いこまれた剣だ。
「父にとっても母は、守るべき最愛の人だった。だからけっして戦場に出さず、大切に守っていた。結果として父は戦場で命を落としたが、後悔はしていなかったと思う。俺も、同じだ」
そんな彼だからこそ、ミラの力を頼らずにひとりで戦おうとしたラウルを認めているのかもしれない。
四人も聖女を有しているエイタス王国が、一番聖女に頼らずに国を守っている。
自分も、リロイドやラウルのようになれるだろうか。
ジェイダーは、自分の細い腕を見つめる。
「私に剣を教えていただけませんか」
決意を込めて、ジェイダーはリロイドを見上げた。
「私は、あなたのような王になりたい。この国を、自分の手で守りたいのです」
リロイドは驚いたように目を見開いたが、やがて頷いてくれた。
「わかった。だが俺は、結構厳しいぞ」
「はい、望むところです」
ジェイダーは大きく頷き、少し離れたところにいるミラを見た。
ロイダラス王国を復興させ、この国の人々に平和を取り戻すまで、もう二度と、泣かないと誓う。
それでもミラを想って流した涙を。彼女に対して抱いていた恋心を、この先も忘れることはないだろう。




