2-14
ドラゴンはこちらに気が付いているが、それほど警戒はしていない。ドラゴンにとって人間など、ただ逃げまどい、蹂躙されるだけの存在でしかないのだろう。
それでもこちらが戦闘態勢に入れば、向こうも瞬時に動く。
二人が、標的に近付く時間を稼ぐ必要があった。
「私が魔法で先制攻撃をするわ」
「わかった。その隙を狙って攻撃する。ミラはこの場に留まり、魔法で援助してくれた。ジェイダーも、ここから離れないように」
兄はそう言うと、ラウルとともに戦闘態勢に入る。
「行きます!」
二人の準備が整ったことを確認したあと、ミラはそう宣言すると、ドラゴンに向かって魔法を放つ。
「氷よ。雨のように降り注げ!」
ドラゴンの属性が炎なので、ミラの放った魔法は水属性だ。無数の氷の刃が、雨のようにドラゴンに向かって降り注ぐ。
「氷雨」
普通の魔導師の魔法だったら、その氷の刃はドラゴンの硬い鱗に阻まれて、傷を負わせることはできなかった。
けれどミラは、魔導師としても稀有な力を持っていた。刃は鱗を切り裂き、大きなダメージを与える。
致命傷には程遠い。それでも予想外のダメージに激高したドラゴンの意識が、ミラに向けられる。
今が好機だ。
「ラウル!」
ミラの呼びかけと同時に、兄とラウルが一気にドラゴンとの距離を詰める。
だがドラゴンは、矮小な人間の存在など気に掛けない。ただ己に傷を負わせたミラだけを、執拗に追おうとする。
先制攻撃を仕掛けたのは、ラウルだった。
見上げるほど大きなドラゴンにも臆することなく、大地を力強く蹴って飛翔する。ミラの魔法で傷ついたドラゴンの傷口に、その大剣を深々と突き立てた。
怒り狂ったドラゴンの咆哮が地を揺らし、ミラはバランスを崩して倒れ込む。
それでも、視線は片時もドラゴンと戦う二人から離さない。
巨体を大きく振ったドラゴンに、ラウルが弾き飛ばされる。彼は半身を捻って着地すると、またすぐに大剣を構えた。
ラウルに向かって攻撃をしようとしたドラゴンの背後から、今度は兄が剣で斬りつける。
二人とも、示し合わせたように同じ場所を狙っている。
それに気が付いたミラは、そこにさらなる魔法攻撃を仕掛ける。
今度は無数に降り注ぐ氷雨ではなく、鋭い矢のような一点集中攻撃だ。
「氷矢!」
そしてラウルの攻撃。兄の攻撃。最後にミラの魔法攻撃と、息をつく暇もないほど、続けざまに攻撃していく。
だがドラゴンも、その巨体に見合うだけの体力があるようで、まだまだ弱る様子すら見えない。
ミラは大きく息を吐きながら、少し離れたところにいるドラゴンを見上げた。
(負けない……。負けるわけにはいかない)
そうして、さらに威力のある魔法を使う。高まる魔力に呼応して、空気まで冷たくなっていく。
「凍てつく氷よ。敵を貫け!」
鋭く尖った氷柱が、杭のようにドラゴンの四肢を貫く。
「氷の刃!」
合間にラウルと兄が攻撃し続けたこともあり、かなりのダメージを与えることができた。
ドラゴンの真正面に立つラウルは、傷を負うことも多い。それを見逃さないように、攻撃の合間に癒しの魔法も使っていく。
そして。
(もう少し……)
ドラゴンの唸り声が苦しげなものになっている。
さらに魔法を駆使しようとしたミラに、ラウルの声が聞こえてきた。
「ミラ! 魔力を使いすぎるな!」
「あっ……」
ラウルの声に我に返れば、大きな魔法を連発したせいで、血の気が引くような感覚があった。このままではまた、魔力の使い過ぎで倒れてしまう。
(もう何回か、大きな魔法を打てば倒せるかもしれない。でも……)
たしかにドラゴンには、相当なダメージを与えている。けれど、ミラの体力が尽きる前に、倒せるという保証はない。
もしミラが倒れる前に、ドラゴンを倒せなかったら。
(ラウルやお兄様の怪我を癒せなくなる。そんなことになったら、全滅してしまうかもしれない)
厳しい戦いだからこそ、冷静にならなくてはならない。
ミラはそれをラウルに教わった。
深く大きく息を吐き、冷たくなった手をこすり合わせる。
「ごめんなさい。しばらく体力の回復と治癒に専念します」
そう声を上げると、兄がはっとしたようにこちらを見た。心配顔の兄に大丈夫だと微笑んで、少しでも体力を回復させようと、その場に座り込もうとする。
「こちらに」
そう声を掛けられて顔を上げると、ジェイダーが地面に防水加工された布と、柔らかな毛布を敷いてくれていた。
周囲を見渡してみれば、ドラゴンの咆哮につられたのか、他の魔物の姿が見える。ジェイダーの護衛達が、それらを退けてくれていたのだ。
「ありがとう。気付かずにごめんなさい。今、治療を……」
怪我をしている人もいたので治癒魔法を使おうとしたが、まだ戦いの最中であり、応急手当はしてあるからと断られる。
「今は休んでいてください」
そう言うジェイダーも、護衛達の手当をしたり、周囲に気を配ったりと、自分にできることを探し、精一杯頑張っている。
ならばミラも、できるだけ早く体力と魔力を回復させて、戦線に復帰しなくてはならない。
ジェイダーの用意してくれた場所に座り、ゆっくりと深呼吸をしながら、ミラは注意深く戦況を見守っていた。
真正面から挑むラウルに対し、兄はドラゴンの死角に回り、隙をついて素早く攻撃を仕掛けている。タイプの違う二人だからこそ、協力し合い、上手く連携していた。本来なら刃を通さないドラゴンの鱗も、ミラが魔法によって傷付けた部分を狙って攻撃しているので、確実にダメージを与えている。
でもやはり、ドラゴンと真正面から向き合うラウルの方が、怪我が多い。それを物ともせずに挑む姿は勇敢ではあったが、見ている側としては心を乱されてしまうような光景である。自分で制御しなければ、際限なく治癒魔法をかけてしまいそうだ。
(大丈夫。確実にダメージは蓄積されている。このまま攻撃を継続していけば……)
そう思った途端、ドラゴンが飛び立とうとした。ミラは間髪入れずに魔法を放ち、その巨体を地面に叩き落とす。
地面が揺れ、森の一部がなぎ倒される。畳みかけるように、ラウルと兄が同時に攻撃した。怒り狂うドラゴンの瞳が、不気味に光る。
「!」
その視線の先には、ラウルと兄がいた。
ドラゴンブレスが来る。
万全の状態ではない今、結界では間に合わない。
そう判断したミラは、咄嗟に氷の刃をドラゴンの頭部に当てて、その攻撃の矛先を変える。大きく反れたドラゴンブレスは、森の一部を焼き払った。
ミラの魔法によって冷やされた空気が、一瞬で熱を帯びる。
熱せられた空気で喉の奥が痛み、思わず咳き込んだ。
(ドラゴンブレスが、これほどの威力だったなんて)
上手く反らせてよかったと、胸を撫で下ろす。森の被害は心配だったが、兄が言っていたように、森を損なわずにドラゴンに勝つのは難しい。




