2-11
この日は、町に泊まって休ませてもらうことにした。
町の代表者は自身の屋敷に案内しようとしたが、それは断り、教会の隣にある小屋を借りることにした。町の代表者は、こんな朽ち果てたような場所に泊まらせるわけにはいかないと焦っていたが、ここまで野営をしてきたのだ。屋根があるだけ、今までよりも快適だ。
食事も自分達で用意する。これからは、怪我が治った人達が寝泊まりする場所も、健康な人間と同じ量の食事も必要となる。余裕のない町に、これ以上負担を掛けるわけにはいかなかった。
「今日は魔物を浄化した上に、限界寸前まで癒しの魔法を使ったんだ。ゆっくり休んでいろ」
ラウルは食事の支度をしようとしていたミラにそう言うと、手早く料理を作ってくれた。
疲れた身体に染み渡るような、優しい味だった。
「このスープは、ハーブを使っているの?」
「ああ。身体を温めて、疲労を軽減してくれるらしい」
気休め程度かもしれないとラウルは笑ったが、労わってくれる心が嬉しかった。
夕食を終えたあと、兄はジェイダーと護衛を連れて、町の様子を見てくると言って小屋を出た。
最初、ジェイダーは護衛がいるから大丈夫だと言った。だがこの町は、領主であった貴族が町の人達を見捨てて自分だけ逃げてしまったため、貴族に対する印象は最悪らしい。彼に何かあったら大変だと、兄が同行することにしたようだ。
兄は自分の身分を明かしていないが、さすがにエイタス王国の者だと名乗った兄がいれば、同行しているジェイダーに危害を加えようとする者はいないだろう。
「お兄様、ジェイダー様。気を付けてくださいね」
それでも心配で、ミラはふたりを交互に見つめながらそう懇願する。
「ああ、もちろんだ。ラウルは、ミラの護衛と見張りを頼む」
「承知した」
「……見張り?」
兄の言葉にミラは首を傾げるが、そんなミラを見て、ラウルは呆れたような笑みを浮かべる。
「また無理をしないように、見張っていろという意味だろう」
ふたりを見送ってから、ミラは小声で呟いた。
「もう、お兄様ったら。ラウルにそんなことを頼むなんて」
「だが、止められなかったらあのまま、全員を癒すまで魔法を使っていただろう?」
「……うん。できれば、そうしたかった」
ラウル相手に、言葉を取り繕う必要はない。ミラは素直に頷いた。
「それができない自分の弱さが、許せないくらいよ」
「たしかに、ミラにもっと体力があれば、さらに多くの人を救えたかもしれない。だが俺は、これ以上は必要ないと思う」
「え?」
ラウルがそんなことを言うなんて思わなくて、ミラは彼を見上げた。ラウルは、持てる力をすべて使って誰かを助けようとする人だ。
彼もまた、静かな視線をミラに向ける。
二人は真正面から見つめ合った。
「すべての人を救いたいと思うミラの気持ちは、とても尊いものだ。実際にミラの治癒魔法で、多くの命が救われた。それは、誇るべきこと」
ラウルは静かにそう言うと、視線を落とした。
「だが自分で癒せるほどの傷ならば、癒さなくてもいい。俺は聖女のいない国で育ったから、そう思うのかもしれない」
たしかに彼は、これくらいなら治癒魔法はいらないと、何度か断ったことがあった。聖女のいない国では、それが普通のことなのかもしれない。
(でも……)
不安になったのは、ラウルの過去が関係していた。彼の祖国は、聖女によって破滅させられている。ミラのおかげで聖女を恨む気持ちは消えたと言ってくれたが、家族と祖国を奪われた憎しみは、完全に消えることはないのではないか。
「そんな顔をするな」
ミラの不安を悟ったように、ラウルは優しい声でそう言った。
「聖女の力も、使う者次第だということがよくわかった。だからもう遺恨はない。ただ……」
ラウルは言葉を切ると、静かに目を閉じる。ミラには彼が、在りし日の祖国を思い出しているように見えた。
「あのとき、ミラのような聖女がいてくれたら。そう思うだけだ」
「……っ」
ラウルの言葉は、深くミラの心に刺さった。
彼はミラが聖女の力を使う度に、この力があれば多くの命が失われずに済んだ。祖国が滅びなかったのではないかと、思っていたのか。
聖女を恨んでいると言われたほうが、まだよかったかもしれない。
燃え盛る城から、崩壊する祖国から一人逃げ延びたラウルの深い悔恨は、十年前からずっと続いているのだ。それはきっと、いつか祖国を取り戻す日まで終わらないのだろう。
(ああ……)
切ない気持ちが胸に溢れて、ミラの瞳から涙となって零れ落ちる。
泣いても仕方がない。こんなことを言っても仕方がないことだとわかっているのに、もう止まらなかった。
「私も、ラウルの国に生まれたかった。そうしたら、みんなを守ってあげられたのに……」
傲慢な言葉だ。
仮定の話などしても、誰も救われない。それなのに、そう思わずにはいられなかった。
泣いているミラをどう慰めたらいいのかわからずに、ラウルは戸惑っている。困らせているとわかっているのに、一度流れ始めた涙は自分でも止めることができない。
「ミラ、泣かないでくれ。その力は、俺にとっても希望だ」
「希望?」
「ああ。ミラのような聖女がいる限り、もう滅びる国はない。大切な人を失って、嘆き悲しむ人もいない。そう思うことができる」
魔物に浸食されつつある、この世界。
エイタス王国のような国は稀で、ほとんどの国は常に魔物の脅威に晒されている。魔物の脅威に怯えながら過ごす子供も、大切な人を亡くして歎き悲しんでいる人も大勢いるに違いない。
そんな人々の希望に、なれるだろうか。
(私にできるかしら? ううん、やらなくてはならないわ)
それがきっと、【護りの聖女】として生まれたミラの使命。
覚悟が決まると、自然と涙も止まっていた。
今までも多く人々を、この世界を守りたいと願っていた。そのために戦う覚悟も決めていた。でもラウルの言葉によって、これがミラの進むべき正しい道だと、はっきりと示してもらったような気がする。




